中島ブラザーズ ”弟”の「外で遊ぼう!」

近頃は日本海で、ヒラマサを追ってばかり。よって磯釣りや渓流釣りは休止状態ですが…。

見たぞ!TOTO!

2011-09-24 12:30:00 | 音楽
■ビートオンプラザ■

 その昔にボクが中学生だった頃、全ての中心に音楽があった。とは言っても今とは違って限られた小遣いの中で、レコード(CDではないぞ!)を数多く購入することはかなわず、普段はカセットテープに録音したモノを聞き、ここ一番のお気に入りはレコードを購入するというパターンでライブラリーを増やしていた。
 ただし、その当時はまだ貸しレコード屋(レコード・レンタル店)は普及しておらず、専ら録音のソースはFMラジオに頼っていたのだが、コレを「エア・チェック」と呼んでいた。数ある番組の中でも一番頼りになったのが、平日の夕方6時から放送していた1時間番組の、FM大阪「ビートオンプラザ」だった。

 ボクが聴き始めた頃、パーソナリティーは既に3代目の田中正美(たなか・まさみ=名前の字は正しくないのかも?)さんという人だった。
 この番組は今では考えられないことだが、日本版レコードの発売前や発売直後のアルバムが大抵の場合、丸ごと全曲ノーカットで、2枚組の場合は2日にかけて放送していたのだ。モチロン、メジャーなものは当たり前に放送され、中には田中正美さんやスタッフが個人的に発掘してきたような個人的な趣味のアルバム迄紹介されることがあり、リスナー自身の音楽的見地も自然と広がるような内容になっていた。

 当時は歌謡曲全盛であり、中学生の大勢はソレを聞いていたが、一部でフォーク系を聞く人、ロック系を聞く人も居た。ロックはその当時、ハードロック系が流行っていたが、そんな中で、ボクの場合はハードなロックを聴くと同時にその対局にある、ボズ・スキャッグスやスティーリー・ダンも聞いていたから、自分で言うのもなんだが、「おませ」な音楽小僧だった。今考えると、ジャズ&フュージョン、ロック、ブルース、ソウルetc...と、何でも聞くようになったのはこの番組の影響が大きかったのだと思う。


■TOTOとの出会い■

 そんなFMラジオにかじりついていたある日、確か中学3年の頃だったと思うが、「ガツンッ!」と、心に衝撃を受けるアルバムを聴いた。それがTOTOのファースト・アルバム(邦題は何故か「宇宙の騎士」)だった。
 何しろ今から33年も前の話だから確証はないが、コレを初めて聴いたのがビートオンプラザでの放送だったような気がする。いずれにせよ、何しろその辺りのFMラジオがキッカケで、TOTOのデビュー・アルバムは「お気に入り」となってレコード店での購入に至ることになったのだ。

 アルバムの中には「Georgy Porgy(ジョージー・ポーギー)」といったボズ・スキャッグス調の曲もあったが、一番衝撃を受けたのが、ボビー・キンボールの超ハイキーなボーカルと、ウルトラ早いがプレーの緻密なスティーヴ・ルカサーのギター・テクがスゴイ、「Hold The Line(ホールド・ザ・ライン)」だった。ボクは弾けもしないのにギターサウンド・フリークなのだが、以来スティーヴ・ルカサーはボクの中での5大ギタリストの一人になっている。

 TOTOのアルバムは4枚目のTOTOⅣ(邦題は何故か「聖なる剣」)迄はよく聞いたモノだ。しかし、当時から偏屈者だったボクは、あまりにメジャーになり、みんなが聴くようになると、ついヘソを曲げてしまうクセがあった。TOTOⅣの大ヒットとボビー・キンボールの脱退、そしてそれ以後の音楽性の変化から、ボクの心離れが始まり、5枚目以降のアルバムはほとんど聴かなくなってしまったのだが…。

●今も自宅に残る、TOTOのアナログLPレコード●


■延期された来日公演■

 そんな思い出深いTOTOも2008年に解散宣言をして活動を終えていたのだが、今回、難病を抱える、元メンバーのマイク・ポーカロを支援するために一時的に再結成することとなり、来日公演が実現した。とは言っても5月に予定されていたものが東北大震災の影響で延期されていたのが、ようやくこの9月に実現されることになったのだ。

 ツアースケジュールは、地方公演?が大阪公演が尼崎(兵庫県)のアルカイックホール(約1700席)、金沢公演が金沢歌劇座(約1900席)、名古屋公演が名古屋市公会堂(約1900席)といった中規模のホールでの開催がメインになっており、逆に首都圏では東京武道館とパシフィコ横浜の、大規模ホールでの公演になる。以前にステーヴ・ルカサーがインタビューの中で「全盛期を過ぎているだけに、アメリカでは大きなホールが埋まらない。」と言っていただけに、関東圏での動員数が気になるが、我々地方の人間にとってはホールが小さい分だけステージに近くなるので、逆に嬉しい限りの話だ。

 そして、待ちに待った当日、同じく大ファンである妻と連れだって、アルカイックホールへ向かった。

●グッズ売り場の様子(御同輩の中年が多いようで…。)●


■TOTO大阪公演初日■

 延期された大阪公演初日は日本各地に大被害をもたらした台風15号が通過した直後に始まった。予想通り、肉眼でハッキリとメンバーの表情が判るほど客席とステージの距離は近く、ダイレクト感は相当なモノだった。

 一曲目は「Child's Anthem」から始まった。ここからラストの「Hold The Line」までの間、ボクら夫婦はそれこそ「ノリノリ」の約二時間を過ごしたワケだが、スティーヴ・ルカサーとデヴィッド・ペイチのヴォーカルに衰えは見えたものの、メンバーの演奏はほぼ完璧の状態で、特に大看板であるスティーヴ・ルカサーのギターは、従来のテクに円熟味が加わって凄味すら感じさせるモノであった。
 また、我々のように初期ファンには馴染みの薄い、中期のヴォーカリストだったジョセフ・ウイリアムスが素晴らしく、ボクがただの「食わず嫌い」だったことを思い知らされた。それもそのはずで、通期のファンにとって彼は「TOTO史上最強」の呼び声が高いそうだ。
 ドラムはオリジナルメンバーの、ジェフ・ポーカロの死後、現在ではサイモン・フィリップスに定着しているそうだが、実はこの人、その昔マイケル・シェンカーの後ろで叩いていた人なので、懐かしさも”ひとしお”だったが、昔の派手さをワザと抑えているのか、その堅実なテクは見応えがあった。

 曲のアレンジはDVDで見た過去のライヴとは別物であり、もし仮に何度も彼らのライヴを見たとしても、それぞれに新鮮さを感じさせる内容になっているようだ。そして、たとえシンプルなコード進行の曲であっても「凄腕」の彼らの手に掛かってしまうと、世界観や空間が次元の違うレベルで展開し、広がってゆく。
 何よりもスゴイのは、「アグレッシヴな演奏をしていながらも、全員がミスをほとんどしない(仮にあったとしても、それを気付かせない)」ところであり、それは彼らが元々スタジオ・ミュージシャン出身の「プロ中のプロ集団」に違いないことを証明している。

 そんな彼らのプロ意識の高さを思い知らされるエピソード(事件?)が過去にあったので、知っている人も多いとは思うが、ここで紹介しておこう。

 それは2008年にTOTOのメンバーが来日した際のこと。
 「週刊文春」によると、

 人気グループSMAPが高視聴率番組「SMAP×SMAP」(フジテレビ)の収録中、あまりの歌のヘタさにゲストが激怒、歌唱指導されたという衝撃の出来事があったという。
 問題の同番組が放送されたのは3月24日。この日のスペシャルゲストは米国のスーパーバンド「TOTO」だった。
 トラブルが発生したのはリハーサル中で、TOTOのバンドリーダーでリードギターのスティーヴ・ルカサーがSMAPの歌を聞いた途端に「これでは一緒に歌えない」と怒り始め、その場にいたスタッフは凍りついたという。
 TOTOのほかのメンバーがなだめてその場は納まったものの、SMAPのメンバー2人に対し、スティーヴが30分ほどボイストレーニングを行ったそうだ。

 ということがあったようだ。

 ネタ元が週刊誌だけに真偽の程は定かではないが、もしコレが真実だとしても、日本の音楽各賞とは次元の全く違うグラミー賞で、83年に、「ロザーナ」が最優秀レコード賞、「TOTO Ⅳ(聖なる剣)」が最優秀アルバム賞を受賞したのを始め、その年の賞7部門を独占するという偉業を成し遂げたこと。各メンバーが個人、あるいは複数の組合せで、ボズ・スキャッグスやマイケル・ジャクソンを始めとする、錚々たる多くのミュージシャン(アーチスト?)の、数多くのヒット曲においてプレイヤー、コンポーザー、プロデューサー等として関わり続けてきた実績。そして衰えを知らない、この日の彼らの演奏を見聞きする限り、こと音楽に関して何を言おうが「誰にも文句を言わせない」だけのモノがあると思う。

●公式パンフレット●


■二度と見られないかも…■

 今回の日本公演は上述したように、あくまでも元メンバーの支援のための「一時再結成」ということなので、恐らく生で見られるTOTOはコレで最後ではないだろうか?。そう思うと、何とも惜しく、「以前の公演にも行っておけば…。」と夫婦共々後悔している次第だ。

 もし、この記事を見ているアナタがTOTOのファンであるのなら、ラストチャンスだと思われる今回の公演を見落として後悔しないようにして欲しいモノだ。実際にボクらが向かった日も当日売りの立ち見席は残っていたようなので、もしかすると、首都圏での大ホールでの公演だと当日券があるのかも知れない。もしそうであれば、今からでも間に合うかも知れないコンサートは9/26の2回目の大阪公演、9/27の東京公演、9/29の横浜公演と、まだ3回ある。
 詳しくはウドー音楽事務所のホームページ「http://www.udo.co.jp/Artist/Toto/index.html」で確認して欲しい。
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南京町

2011-09-17 12:30:00 | 旅行
■15年ぶりの南京町■

 関東にお住まいの方なら横浜にある中華街を想像してもらうと判りやすいが、それよりも、やや小規模な中華街が兵庫県神戸市にもある。その街の名を「南京町(なんきんまち)」という。とは言っても観光ガイド等ですっかりお馴染みなので、ワザワザ説明する迄もないのだが…。
 ここ南京町に訪れた理由は、最近凝っている「タイ式カレー」に使うハーブ類を手に入れるためだった。昔からこの街には、そういった普通では手に入りにくいハーブや香辛料を取り扱う店が多い。目的のハーブは「三木商店」というところにあるのだが、そこを目指して15年ぶりに入り込んだ南京町は様子が一変していた。

●南京町の東西を走るメインストリートの1コマ●


 以前の南京町は、名物の豚まんを売る店と本格中華料理店の他、調味料や上述した食材を売る店程度で割と整然としていたのだが、今では通りにある中華料理店のほとんどが軒を伸ばし、その下に出来たスペースで点心類を売る店がズラリと並び、まるで香港か台湾の屋台街のようになっているのだ。

●点心の数々●

 何だか楽しくなってきたので、買い出しは後回しにして妻と2人で、ブラブラと徘徊する。そして、中央の広場近くで行列を発見する。

●中央の広場●

 それは、この界隈では豚まん(関西では豚は豚で、肉と言えば牛肉を指すので「肉まん」とは言わない。)の老舗である、「老祥記(ろうしょうき)」に並ぶ人達の列だった。ここだけは昔と同様、相変わらずの人気振りだったが、雨の中で並ぶのも大変なので、ここは素通りする。

●老祥記に並ぶ人達●

 どれもがウマそうで、アレコレ迷ったが、「上海生煎饅頭(しゃんはい・せんちんまんじゅう)」なるモノを売る店の前で遂に足が止まった。副題?に「焼小龍包」とあるから、どうやらコレは一度蒸した小龍包を鉄板で焼いたモノらしい。読んでいるだけでヨダレが出そうになるので、たまらずコレを購入する。
 特製のタレをかけて一口ほおばると、中身のジューシーなエキスに焼いた香ばしさが加わって期待に違わず、かなりイケてる味だ。

●店名は忘れたが、通りの中央やや東寄りにある●


●中身がジュワ~の図●

 こうなってくると、ビールが飲みたい気分になるが、車での来訪だったためにそれは諦めざるを得ない。シチュエーションにピッタリなチンタオ・ビールはただ眺めるのみだった。

●チンタオ・ビール●


 通りにはモチロン飲食店だけではなく、様々な店が出店している。

●中国グッズを扱う店や、オモロイ看板達●


 そうこうする内に、目的の三木商店で、「バイ・マックルー(こぶミカンの葉)」と「バイ・ホラパー(タイ産のスィート・バジル)」を手に入れる。

●バイ・マックルー¥180なり●

●バイ・ホラパー¥300なり●


 ついでに調味料類を見て回るが、前回のキャンプで使い果たした「アンデスの紅塩」と言う、ボリビア産の岩塩を発見し、購入する。

●アンデスの紅塩●

 そして関西の家庭では、冷蔵庫の中に絶対に1缶は入っているとまで言われる、万能中華調味料「味覇(ウエイパー)」の山に見入る。

●味覇(ウエイパー)●


 「十年一昔」とはよく言うが、15年も経つと様子は一変するのは無理もないことだ。南京町には紹介した店以外に、串に刺した南国のフルーツを売る店を始め、「魔法の壺プリン」で有名な神戸フランツやマシュマロ専門店等、「甘いモノ」を売る店も増えていたので、次回は午前中から「本腰を入れて飲み食いしに来なくては」と思った、近場の以外なスポットだった。
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アウトドア体験のススメ

2011-09-10 12:30:00 | その他
■北の国から30周年■

 ドラマ「北の国から」の放映開始30周年を記念して、脚本家の倉本聰氏が、最初のドラマシリーズのシナリオを書いた時に込めたメッセージや、背景を若い作家達に講演として語った内容を一冊の本にまとめた「獨白」が発売され、BSフジでは8月20日に記念番組「今、五郎の生き方~2011夏 倉本 聰~」が放送された。

●AMAZONや、普通の書店では手に入らないから要注意●

 もちろんヘビーファンなボク達家族は、「獨白」を読み、俳優の性格から成長、心境の変化までをシナリオに織り込んでゆく倉本ドラマのリアリズムと緻密さに改めて感動していた次第だ。
 その講演の途中で、奇しくも3.11の東北大震災が発災する。そこから先は、現代人への警鐘を含んだ内容に変化してゆく。そしてもう一方の、記念番組の方は始めから震災後の視点に立った内容で放送されていた。

■黒板五郎の生き方■

 「獨白」と記念番組を通じて倉本聰氏が我々に伝えたいメッセージは基本的に同じモノだが、その両方の中で「作ると創るの違い」の話が出てくる。
 すなわち、
 知識と金で前例にならってつくるのが「作」。金がなくても知恵で零から前例にないものを生み出すのが「創」。
という話だった。

 戦後の日本が受け入れた資本主義の「大量生産、大量消費、大量廃棄」といった流れの中にある「作」の文化が、日本に古来からある「創」の文化を凌駕し、消失させていったこと。そしてそれが、とことんまで突き進んだところで東北での震災が発災し、原発事故までもを引き起こしてしまったことに倉本聰氏は嘆いている。
 そして今後は原発を抱えたままで従来型の資本主義を続けるのか、それとも、勇気を持って原発を廃止し、一歩引き下がって電気を始めとするエネルギー消費量を減らした、一昔前の質素な生活に戻すのかが問われてくるとも語っているが、それこそが氏がドラマの中に作り出した「創」の象徴である黒板五郎の生き方だと語り、「そうした覚悟が持てるのか?」と、我々に問い掛けていた。

 また、以前に倉本聰氏がTV出演した際、渋谷にたむろしている若者に「生活必需品とは?」と、アンケートをとってみたそうだが、1位が金で2位がケイタイ、そして3位がテレビという結果が出て唖然としたそうだ。
 もっとも、このアンケートは昨年末に行われたそうだから、東北の震災後であればもう少し違った意見も増えていただろうと思う、と言うか、そう願いたいが、もし今でも同様の答えが返ってくるのであれば、それは電気を始めとするインフラ(ライフライン)が整うことが当然であり、モノが溢れる中で育ってきた人間の狭義な発想だと思う。
 一度(ひとたび)震災が起こると、電気、ガス、水道が止まる。運良く被害の少なかったコンビニやスーパーが商品を放出してくれても、悲しいかな買い占めなどですぐに在庫が底をつくことを想像できれば、生きるために必要不可欠な「水、火」であったり、道具を創り出すための道具である「ナイフ」といったあたりの答えになるハズだと思う。(と言うか、そうあって欲しい。)


■アウトドアでの体験■

 インフラ(ライフライン)が整わない中では、どういった行動をすれば良いのか?。その対処を知りたければ、アウトドアでの遊びを体験するのが最適だと思うが、現代の子供達、特に都会で暮らす子供達はそういった体験がかなり不足しているように思える。
 その昔、ボクらの子供の頃は、近くの浜で焚き火をしたり、筏を組んだりして遊んでいたし、親父世代や兄貴等の世代からの伝承もあったので、焚き火法や簡単なロープワークを始めとする基本的なアウトドア術が自然と身に付いていたが、都市近郊では今、そういった遊びは「管理責任が問われる」ことが怖いのか、危険だとして禁止されているそうだ。そんな中、夏休みの工作ですら、市販のキットを組み立てるだけで良しとする風潮の中で子供達は育っている。

 このように子供社会での経験に期待できない現況にあっては、我々親世代が立ち上がって教える、あるいは共に学ぶしかないのだ。それには親子で始めるキャンプは最適な選択の一つだと思う。
 だが、始めるにあたって、入門書をさらりと読むくらいは必要だとは思うが、それ以外の特別な知識なんかは必要ない。たとえ経験がゼロの家族であってもオヤジが中心になって親子で共に考えてゆくことが重要だと思う。しかし、どうしても親側に時間がとれないのなら、せめて子供だけでもボーイスカウトや本格的なアウトドア教室等に入れてやり、体験を積ませてやって欲しい。

 キャンプでは居住スペースを確保した後に、まず水の確保をする。それが済むと火を起こす。そしてその火で炊飯し、調理する。そういった流れの中で「創る」能力が自然と身に付いてくる。
 しかし、焚き火などでの「火起こし」の基本は必ず習得して欲しいものの、一般には何もここまでワイルドなスタイルでなくて、例えば炊事に使う火がガス火であっても構わないと思う。要はそこに「電気と電化製品」という便利なモノを介在させないということが重要だ。一度「火で御飯が炊ける」という体験をしさえすれば、もし、ガスが無い場面であっても、焚き火でも御飯が炊けるといった想像力が働くだろう。

 また、他のアウトドア遊びにも「創る」要素は溢れている。釣りにしたって人より沢山釣ろうと思えば、「創る」能力は不可欠だし、登山をするにしても「創る」能力がなければ装備すら選べない。
 「創意工夫」という言葉は「考えをめぐらせて、新しい方法や手段を見つけ出すこと。また、その方法や手段。」という意味だが、アウトドア界での体験は、その言葉の基本部分を個人の心の中に培ってくれるのだ。
 更には、有事の際に即応できる能力が携わってくる。そしてそれは自分の身を守り、人を救うことにも役立つ。この件に関しては今回の東北大震災が発災した際、一般ボランティアの中では、一、二を争うほどごく初期段階に対応できたのが、アウトドア用品メーカーのモンベル社の辰野会長が率いた「アウトドア義援隊」だったことが実証している。何しろ発災の翌日に物資の収集が開始され、3日後には現地本部を立ち上げていたほどなのだ。

 そういったアウトドア経験を積んだ家族であれば、震災はもとより、不意に電気が止まったり、ガスや水道が止まってもパニックになったり、お手上げになったりする確率は低いだろう。その心の余裕をもってすれば、平時に浴びるほど消費していた電気を始めとしたエネルギーに対しても、「本当にそこまで必要だったのか?」という意識が自然と沸いてくるだろう。そしてそれが倉本聰氏が問い掛けていた「覚悟」に繋がってゆくのだと思う。 
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無印良品 南乗鞍キャンプ場へ ~その2

2011-09-03 12:30:00 | キャンプ
■南乗鞍キャンプ場■

 キャンプ場に到着後はセンターハウスで手続きを行う。因みに、このキャンプ場は有料会員制で、事前に登録しておかないと予約がとれないどころか、利用そのものも出来ないから注意が必要だ。

●センターハウス●

 晴天時だとセンターハウス付近からは乗鞍岳と御嶽山の眺望がきくはずなのだけれど、この日どころか滞在期間中に両山とも、遂に全貌を表すことはなかった。

●水蒸気に煙る乗鞍岳●

 受付と料金の支払いをしている最中に3家族が揃い、各自がサイトに向かって設営が始まった。

●我が家のレイアウト●

 単一の家族で行動する場合は、オヤジが中心となって行動することで家族の結束が固まるという面があるが、何家族かが集まってキャンプをする場合、その家族ごとにテントの設営法や料理といったキャンプスタイルに個性があってお互いの知恵が吸収しあえるのが嬉しい。
 今回は食事スペースを3家族で共用するので、タープ類のレイアウトに工夫を凝らして作り上げてゆく。

●3家族分の食事スペース●

 食事は定番のバーベキューから始まって、タイ式イエローカレー&子供用のカレー等を作り、特に2日目の夜は「ごちそう」として、丸鶏をダッチオーブンで焼き上げる。

●丸鶏のローストチキン●


 そして夕食の後は、焚き火を囲んで「飲んでしゃべって」を繰り返し、充実の時間を過ごす。

●キャンプに欠かせない焚き火●


 結局、滞在中は朝夕に雨が降り、昼間はその水蒸気が上がって行くということを繰り返していたから、展望も望めず、その点では残念だった。しかし、標高が1600mもあるここは灼熱の下界とは別世界であり、夜中~明け方にかけての就寝時間は冬用のシュラフに薄着で入ってちょうど良い具合だった。

 さて、ここで「無印良品南乗鞍キャンプ場」についての感想を…。

 景色が良いとされ、それを絶賛する人の数も多いキャンプ場ではあるが、ザッと見て回った感じでは、そういったサイトの数は極限られている。だから、サイトを選ぶ際にはA~Fという5週類(Eは無い)の大雑把な区分けで選んでも意味はなく、区分け内にあるサイトそれぞれで展望の条件が全く違うということを頭に描いておかなくてはならない。
 また、このキャンプ場に訪問したキャンパーのブログ等では「植え込みなどで隣のサイトからの視線がウマく遮られて、プライバシーが保たれる。」と言われてはいるが、これまた個々のサイト別で差が激しく、特に通路沿いのサイトの多くは3方を木々で囲まれていても通路側が全面開放されているサイトが多いので、前を歩く人からはモチロンのこと、通路の反対側の人からは、お互いに丸見えになるところが多かった。だからもう少し通路側の植え込みの量を増やして、車が1台スッポリとハマったら外からの視線が遮られるような工夫が欲しいというのが率直な意見だ。(とは言っても、他の一般的なキャンプ場よりもかなり高水準だけど…。)

 上述の理由から条件の良いサイトを確保するためには、経験者のブログ等を探して参考にするか、ボクのように1度目は様子伺いで訪問し、2度目以降の予約に生かすしかないようだ。
 しかし、残念だが、グズグズと迷っているヒマはそう無い。ここは人気キャンプ場であり、お盆時期や夏休み中の週末は約200あるサイトのほとんどが予約で埋まってしまううえに、その予約自体が半年前から入るので、休みが決まってからの行動では遅いのだ。だから、もし、繁忙期に行くつもりであれば行動は早めにとるべきだと思う。

 確かに不自由な面もあるが、トイレや水場は精一杯清潔に保たれ、その数も適当であり、キャンプ環境は充実している。何よりも下界の暑さから解放され、自然の中で過ごす快適さが高度に確保されていることでマイナス面が簡単に相殺されて、オツリが充分にあることが嬉しいキャンプ場だった。
 また、今回は利用しなかったが、キャンプ場主催の有料アクティビティやレンタル品も数多く充実しているから、アウトドア遊びに不慣れな家族にも利用価値が高いキャンプ場の一つでもあると思う。


■帰りに「奈良井宿」へ■

 最終日、キャンプ場を撤収した後、時間が余っていたので、一旦長野県の木曽方面に降りた後、昨年同時期に時間切れで廻り切れなかった「奈良井宿(ならいじゅく)」を訪問することになった。

●奈良井宿の街風景●

 奈良井宿では午後5時に閉める店が多いから、注意が必要だ。この日も到着が4時半頃だったので、何軒かの店には入れなかったが、それでも漆器や民具を売る店を充分見ることができ、タイムスリップしたような感覚を体験した。

●店構えにも風情があって見飽きない●


 そして、最後は茶店で木曽地方の名物である「五平餅(ごへいもち)」を購入して今回の旅を締めくくった。

●五平餅●


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