中島ブラザーズ ”弟”の「外で遊ぼう!」

近頃は日本海で、ヒラマサを追ってばかり。よって磯釣りや渓流釣りは休止状態ですが…。

釣り味・食い味 ~その6(グレ編)

2013-08-31 12:30:00 | 釣り一般
■あこがれの魚■

 今から40年も昔、小学校生活の中盤を向かえた頃にボクの釣り人生が正式に始まった。
 それまで父の故郷である和歌山県の川で竿は出していたものの、自分の竿を買ってもらって本気で始めたのが、同級生間での釣りブームが起こった小学3年生のことだったと記憶している。
 その頃は、近所の甲子園浜と今津港で竿を出し、釣り場に行けない時は自宅から一駅先の阪神電車今津駅近くにあったフィッシングサービス山本(のちに「サンフィッシング」と改称)という店に自転車で足繁く通っていた。そこで諸先輩のオジサン達の話す自慢話に耳を傾け、時にはアドバイスを聞きながら知識を蓄積して、少々頭デッカチな釣り小僧として成長していた。
 その釣り小僧のあこがれが、店内に魚拓になって飾られていた大型グレだった。サイズは72cm、釣った場所は高知県の沖の島ということだった。当時は尾長グレと口太グレの区別はされていなかったが、今考えると、その大きさから尾長グレに間違いない。そして、それを初めて見て以来、ボクにとってグレは特別な魚になった。
 当然「金がない、車がない」子供同士で磯釣りに行くことは不可能であるから実物は見たことがなく、釣魚図鑑で色形を確認して妄想しているだけの日々が続いていたが、初めて実物を釣ったのは、淡路島の生穂という地区にある石積み防波堤だった。当然それは、いわゆる木っ端グレと呼ばれる幼魚ではあったが、とにもかくにも初めての実物との対面は小学6年生のことだった。
 そしてその後、高校生の半ばになって青少年時代の釣りは一旦休止し、紆余曲折があって釣りを再開したのが、25歳を過ぎた頃だった。その頃には自分の車を持っており、行動半径が広がっていたこともあって、再スタートは勿論あこがれのグレ釣りからだった。以来中休みはあったものの、グレ釣りには20年以上も真剣に取り組む日々が続いた。


■グレの釣り味■

 素人目には判りづらいのかも知れないが、上述したようにグレには幾つか種類があって、今では明確に分けられている。その種類は釣り人の多くから口太グレと呼ばれる「メジナ」、同様に尾長グレと呼ばれる「クロメジナ」が釣りでのターゲットで、その他、標準和名で「オキナメジナ」と呼ばれる種もあるが、これは例外的に釣れる数が少なく、狙って釣る魚ではないため、ここでは触れない。
 口太グレは希に60cmクラスも釣り上げられるが、普通に狙う場合で最大クラスは50cm台となり、尾長グレも同様で、希に70cmクラスやそれ以上も釣り上げられるが、60cm台が普通に狙う場合の最大クラスとなる。
 グレ釣りの魅力は、彼らが持つ警戒心の強さから来るのであろう、釣り人がよく言うところの「頭の良さ」と「引きの強さ」だと思う。

 今までに様々な釣りを体験したが、その全てを振り返ってみてもグレ釣りほどテクニックの多彩さを要求される釣りは他にないように思う。
 マキエサ一つをとっても「ただ撒けば寄ってくる」といった単純なモノではなく、ひどい場合は山のようになって押し寄せるエサ取りをかわしつつ、本命を釣らなければならない。そのため、寄ってくるエサ取りの種類と量に合わせてマキエサの打ち方を変え、少しでもグレにサシエサが届く確率を上げるテクニックが要求される。
 また、潮読みでは沖を流れる本流と、磯の周囲を流れる潮流をトータルで捉え、それを3Dで考え無ければならないうえ、その流れ自体が常に変化して一定ではないから、その時その時での判断が迫られる。
 更には、タナのとり方も、単にグレが食いに来るタナを探るためのウキ下(ウキからハリまでの距離)調整だけではなく、道糸の張り具合の調整までをも考えなくてはならないし、「食わせるためのハリスや道糸、そしてウキ、更にはハリやオモリ選び」といった「食わせる為の道具選び」や、竿、リールといった「獲る為の道具選び」も重要になる。
 そしてようやく魚が掛かったとしても、大型を獲るためには、「柔よく剛を制す」の言葉の下、己が持つ能力の限界での竿さばきとリーリングが要求される等々…。”頭のイイ”グレを釣るためのテクニックを書き出すとキリがないほどの量になる。
 「普通レベルのテクニックを持つ」と自称するボクの場合、口太グレの自己記録は愛媛県の蒋渕で釣った53cmで、このクラス近辺は10枚以上は釣っている。そのほとんどが2号ハリスを使用していて釣ったモノで、現在でも地形があまりに複雑でなければ、このハリスでこのクラスを獲る自信があるが、名人クラスはハリス1.2~1.5号で狙っている。細ハリスほど食いが良くなるのはエサ釣りの常であり、特にグレ類はその差が顕著なのでテクニックを磨くとボクなんかよりも更に釣果は伸びることは確実だ。

●口太グレの自己記録”53cm”●


 口太グレとの差が倍近くに感じるほど引きが強い尾長グレの場合、ボクの自己記録は男女群島の帆立岩で釣った60cmで、それに少し足らないクラスは数匹釣っている。ボクがこのクラスを狙うのは長崎県の遙か沖にある離島=男女群島なので、日中であれば4~5号ハリスを使用している。

 
●尾長グレの自己記録”60cm”●


 このクラスよりも下の40~50cmクラスを例えば五島列島で狙う場合は、2~2.5号のハリスを使用するが、名人クラスはこの太さのハリスで60cmオーバーを高知県の沖の島や鵜来島あたりでゲットしているから恐れ入ってしまう。
 グレ類はハリに掛かって危機を感じると「根」と呼ばれる海底の岩塊や、海溝に向かって緊急待避を始める。その傾向は口太グレの方が顕著で、その際には自身の持てる力を最大に発揮するため、モタモタしていたり、油断したりしていると、一気に走られてしまい、ハリスが周りの岩に擦れて飛んでしまう。運良く切れなくても岩の窪み等に張り付くため、多くの場合でにっちもさっちも行かなくなって、結局はハリスが飛んでしまうことになることが多い。(希に、張り付いた後に動き出して獲れることもあるが…)ただし、このフルパワーを一度しのぐと、大型の口太グレを獲る確率はかなり上がるので、馴れてくると何となくだが、対策がとれるようになってくる。
 しかし、尾長グレの場合だとそうは行かず、「これでもか!」と言わんばかりに何度も執拗に締め込んでくる。尾長グレの場合は根に向かうばかりとは限らず、沖の深みへ一気に走るタイプなど様々だが、沖へ走る場合は、やり取りのスペースが広がるだけに、少しは楽な展開になる。
 ただし、実はやり取りで苦労する前に、この尾長グレには関門がある。それは「歯の鋭さ」だ。
 口太グレの歯はブラシ状になっており、ハリを飲まれても、と言うか、飲まれて血を吹き出すくらいの方が早く弱って取り込みが楽になるという説もあるほどなので、ハリに結びつけられたハリスのチモト部を歯で切られてしまうことはほとんど無い。しかし、尾長グレのそれは鋭く、と言っても手を当てても切れるというほどではないのだが、細~中庸なハリスを使っている場合はハリを飲まれてしまうと、高確率でチモト部が切られてしまうのだ。
 その対策にハリスを太くすれば食いが極端に悪くなる。これは、例えば高知県沖の島や鵜来島の磯では上から見えるほどの水深まで浮上した大型の尾長グレが、ハリ&ハリスの付いたエサを避けてマキエサのみを食うシーンは当たり前のように展開され、実映像が何度となく撮影されていることでも実証されている。だから、釣り人は引きの強さに対して明らかに細いハリスを使い、「如何にして飲まれることなく、口周りにハリを掛けるか?!」の対策をとらなければならない。その”神経ピリピリ度”は尋常ではなく、一部には「前アタリを察知し、その後の本アタリでウキが1cm動いた時点でアワせなければならない。」とまで言われているほどなのだ。

 真剣に取り組んでいた時期が長いために思い入れが強くて、説明が長くなってしまったが、尾長グレにしろ、口太グレにしろ、結局は当日その磯で狙えるサイズに合わせて自分の持てる能力で扱える限界の細さのハリスを使って攻めることが多くなるので、その意味ではスリル感が半端ではない釣りの一つだ。
 その”限界の細さのハリス”を使う限りにおいて、尾長グレの40cm台後半クラスから上は、テクニックの要求度が特に高くなるため、間違いなく釣り味は10段階の9になる。対して口太グレの場合は、経験を積むと展開がある程度は楽になることから10段階の8としておく。


■グレの食い味■

 グレの食い味は口太グレ、尾長グレそれぞれに違いがある。
 口太グレの場合は産卵期がハッキリしているので、それを中心に考えると判り易い。旨いのは11月下旬~1月下旬頃までの、産卵前までのモノで、夏場は味が落ちる。よく言われる「磯臭さ」は、夏場の方が出易いのだが、これに関しては今でも僅かに感じるものの、ほとんど過去の話のように扱われている。と言うのも、釣り人が入る磯の周りにはオキアミが恒常的に撒かれており、これを主食としているので臭いが身に乗らなくなっているからだそうだ。その昔は、離島などで釣った口太グレを眼前に持ち上げただけで臭っていたと言うから、この説は当たっているのかも知れない。
 産地による違いも結構あって、ボク的には五島列島や、豊後水道のモノは旨く、紀伊半島のモノはそれよりも評価が落ち、瀬戸内海産はあまり旨くないように感じる。但し、評価の下がる瀬戸内海産を除けば、マダイよりも脂の旨味が多く、味わい深い感があるため、食い味は10段階の7としておきたい。
 尾長グレに関しては、実は産卵期がよく判らない。今までに釣った場所は男女群島~伊豆諸島までと、かなり広範囲で、釣った時期もまちまちなのだが、確実にこの時期に抱卵していると言い切ることができないほどにバラバラの状態なのだ。しかも、漁業の対象になりにくい魚のため、生態の全般についても学者ですらよく解っていないということらしい。
 そこで、ボク自身の経験談だが、一番脂が乗っているとの印象があるのが、6月に山口県萩沖に浮かぶ見島で釣った45cm級で、これは極ウマだった。そして多くの尾長グレを釣り続けている某名人も、「45~50cmの、回遊から離れて磯周りに居着いた体色が茶色い個体が一番旨い。」と言っていたので、恐らくこの判断は間違いではないだろう。そしてそのサイズであれば、10段階の8を付けるのが適当だと思う。
 因みに両魚共、刺身を始め、煮物、焼き物何でも来いだが、我が家の場合は、軽く塩こしょうを振った皮付きの身をフライパンに乗せ、酒を振りかけつつ両面を焼いた後で、ポン酢で食べるのが格別としている。


■総合評価■

 釣れる時期が長く地域も広い口太グレは、全国規模の大きなモノから小売店やクラブ主催の小さなモノまで、競技会も盛んに行われているが、単一魚を狙った大会の中では、恐らく開催数は最多の部類に入ると思う。それだけこの魚の良型を揃えて釣るには”腕”が必要となる。そして、狙える箇所は減るが、より難易度の高い尾長グレの場合であれば、ななおさらのことだ。そこで評価だが、尾長グレの場合は10段階の9、口太グレの場合は10段階の7.5としておきたい。
 この釣りに対し、長きにわたって真剣に取り組んだことが、頭の中にある引き出しへの情報ストック量が増えた要因であり、これがあるお陰で他の釣りに移行しても理解が早くなることに繋がっているのだと思うだけに、この釣りの奥深さがそう評価させていると理解して欲しい。

 釣りには「豪快だが、大味な釣り」、「繊細だが、迫力がない釣り」等々、スタイルが色々とあるが、「繊細なテクニックで豪快に釣る魚」は少ない。その少ない中の一つがグレ釣りだと思う。それを野球で例えるのなら、釣り人は「打率3割、30本塁打、30盗塁」のバッターを相手にするピッチャーのような立場だ。そんな相手から三振を日本のプロ野球界でとった瞬間が、大型の口太グレを玉網に収めた瞬間、それをメジャーリーグ界でとった瞬間が、大型の尾長グレを玉網に収めた瞬間と言えば解ってもらえるだろうか?って、それは言い過ぎか…?。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キャンプで避暑

2013-08-24 12:30:00 | キャンプ
■松原湖高原キャンプ場■

 今年の夏休みも東京在住の友人家族と連れだって松原湖高原キャンプ場へ避暑に向かった。
 このキャンプ場は、関西方面からは中央道長坂インターを降りて、八ヶ岳の麓を回り込むかたちで、反対側の小海町方面まで向かい、そこから八ヶ岳に向かって斜面を上がった中腹にある。

●八ヶ岳を望む●


 途中の、野辺山あたりは高原野菜の一大産地になっており、地採れのレタスやキャベツが都会の半額近い価格で提供され、その他の野菜や果物も格安で提供さる産地直売所が点在している。その中の、ヤマホ青果「びっくり市」で、キャンプの食材調達を行った。

●直売所の店内●


■キャンプの味わい■

 なんだかんだで、キャンプ場に着き、二家族でレイアウトを考えて、寝室であるテントとリビングルームになるスクリーンタープ、そしてキッチンスペースを組み立て、設置が完了する。

●今年のレイアウト●


 キャンプと言えば、ボクの場合は少年期の”秘密基地での遊び”を思い出す。
 ボクの実家のある、西宮市の南部は、”灘五郷”の一つとされ、日本酒の一大産地だ。今でこそ、日本酒の販売量が落ちたために縮小傾向にあるが、ボクが少年期の頃はまだまだ隆盛を誇っており、酒蔵の敷地を始め広大な土地を所有していた。その中に一升瓶が6本入る、木製のコンテナケースを保管する場所があって、ボク達子供はそこに忍び込んで基地を作っていた。作り方は積み上げたコンテナケースの、応力の掛からない部分を抜き取る、ゲームでいうところのジェンガの要領で、中間を抜き取っていって内部に空間を作るだけのことなのだが、中には凝った作りもあって、他に基地を作るグループと「どれが、カッコイイか」を競い合う部分もあった。

●裏側の様子●


 その時の感覚と、キャンプ場に来る前から「今年はこんなレイアウトにしよう」とか、「こんなグッズを持ち込んで組み付けてみよう」と、アレコレ考えて実際に現地で設置する時の感覚は似通っている。まさに「三つ子の魂百までも」と言うべきか?、「いつまで経っても精神状態が子供のまま」と言うべきか?である。
 そう言えば、キャンプ場で夜にする焚き火も、少年期に実家近くの、甲子園の浜で経験したことの再来だ。

●焚き火台の炎●


 日頃の喧噪を忘れ、ただひたすらに飲み食いをし、ただひたすらに遊び、何にも考えずにボケ~っとできるのもキャンプの楽しみなのだが、案外、少年期の思いに立ち戻ることも楽しみの一つであるのかも知れない。

 そんなこんなの2泊3日がアッという間に過ぎ、西宮市内に帰ると最高気温36℃以上の日々が待っていた。キャンプ場の日中は気温30℃を切り、明け方は恐らく20℃を切っており、別天地だっただけに暑さが堪える。「これぞ都会の現実」と諦め、労働の日々を送る今日この頃なのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

硫黄島

2013-08-17 12:30:00 | その他
■硫黄島■

 先日、青山繁晴さんの書かれた「ぼくらの祖国」という本を手に取り、読んでいた。その中に硫黄島に関する記述があるのだが、そこを読んでハッとするモノがあって、親父が以前に読んでいた硫黄島についての2冊を思い出し、慌てて借り出して読み漁った次第だ。

●ぼくらの祖国●

 硫黄島と書いて「いおうとう」と読む。一部には「いおうじま」と読んでいる人も居るが、これはアメリカサイドの誤読だ。この島の戦いを描いたクリント・イーストウッド監督の2作品でも「いおうじま」となっているが、日本政府の正式名称とは異なっていることを頭に入れておいて欲しい。

 この島で戦いがあったのが、大東亜戦争(太平洋戦争)の末期に差し掛かる、1945年2月19日のことで、アメリカ軍側の予測では5日もあれば攻略できると考えていたこの小さな島で、36日間も組織的に戦闘を続け、結果的に日本側よりも、アメリカ側の犠牲者が多くなった唯一の戦いとなった。そして、その戦いを日本軍の側で指揮したのが栗林忠道中将という方だ。(因みに新藤義孝総務大臣は、栗林中将のお孫さん)
 栗林忠道中将の指揮方針は、それまでの太平洋諸島での戦いのように、上陸地点で防衛戦を張ってそれが破られるとバンザイ突撃を敢行して、玉砕するというモノではなく、日本側が準備した地点まで敵を導いた上で攻撃を仕掛け、第一防衛線が破られてもゲリラ戦術で敵を消耗させつつ、徹底的に戦い抜くというモノだった。そのためには、気の遠くなるような規模の塹壕や本数の坑道といった、地下陣地構築を行わなければならなかった。

 そんな、それまでとは違う方針に対する反対意見は、上層部はもちろんのこと、現場でも噴出していたが、栗林中将は将官から兵まで分け隔て無く自ら激励しながら現場を歩いて周ることで、全体からの信頼を得ていった。当時のシステムとして、現地軍の総指揮官がこのような行動に出ることは、異例中の異例であったのだそうだ。
 「地下を掘る」と言ってもツルハシがあればまだ上等、粗末なハンマーやあるいは素手しか手段がない中、日に1mがやっとの箇所や、ダイナマイトを使っても日に2mの難関箇所もあった。そのうえ、坑道内には硫黄ガスが吹き出す箇所も多く、低いところでも40℃、場所よると70度近くにもなる高温状態だというのに、渇きを癒す水は標準状態でも一日あたり水筒一本が限度だったのだそうだ。その理由はこの島には、川がなく、地下水もないため時折降るスコールの雨水を溜める意外に水を得る手段が無かったからだ。
 そんなに過酷な条件の地下を掘り進み、最終的には約8ヶ月で少なくとも1000、一説によると5000を越える陣地やそれに繋がる坑道類を掘ったのだそうだ。

 この島に居たのは、将官から兵までの約2万1千人で、それこそ総出でそれを成し遂げていったのだが、兵の中心は、市井にいる普通の、働き盛りのオジサン=40代半ばの応召兵や、学徒兵達=大学生が多くを占めていたそうだから、この島は軍人ばかりではなく、多くの、普通の市民が守っていたということになる。
 そういった将兵達の心を癒すために、栗林中将は、手紙やはがきによる本土との文通を奨励していて、アメリカ軍が上陸する寸前までやり取りを許可していた。したがって今でも当時の手紙やはがきが多く残っているが、そのやり取りの中で、この島を守る将兵達に、ある決意が醸成していったのだと思う。
 青山さんの本や、映画でも表現されていたことだが、その決意とは「『自分たちが、敵の足をこの島で一日引き留めれば、本土に暮らす親や妻子といった家族の命が一日延びる。』ということではなかったのか?」であろうと、ボクも思っている。
 というのも、アメリカ軍にとっての、硫黄島の戦略的価値は、「既に基地化しているサイパンやテニアンから日本本土までの中間点にあるため、爆撃機=B29にトラブルがあった場合の待避地になる」、「B29の護衛に付ける戦闘機の基地になる」が主だったからだ。

●左「散るぞ悲しき」、右「十七歳の硫黄島」●

 アメリカ軍が上陸した後も日本軍は準備していた地下陣地を駆使し、徹底抗戦して悩ませ続けた。そして戦い抜いた後に最後の突撃となった際には、これまた異例だが、栗林中将自ら先頭に立って突撃したという。他の島々では高級将官は自決をし、突撃自体は現場指揮官と兵が行うというのが、通例であっただけに、栗林中将の突撃は「最後まで部下の将兵と共にありたい。」という、心の表れではないかと思われる。

 実際、この島で彼らが一丸となって奮闘してくれたお陰で、京都や小倉、あるいは新潟を狙う予定だった3発目以降の原子爆弾が落ちることが未然に防げたのだと、ボクは思っている。(「京都の文化財を守るために爆撃を避けたというのは日本人の勝手な思い込みを利用したプロパガンダで、実のところは原子爆弾の威力を試すために『取り置き』していたに過ぎない」というのが、近年の有力説)
 玉砕したサイパンやその他の島々の状況も知っていたハズだし、本土に送られた手紙やはがきの内容に遺書が多かったことから、「この島から生きては帰れない」と、多くの将兵が捉えていたであろうことは、容易に想像できる。
 職業軍人だけではなく、普通の市民出身者が、絶海の硫黄吹き出す地獄のような島で、死ぬ確率が100%近いと解っていながら簡単に、あるいは楽に死ぬことを許されず、「自分に何ができるか?」を考え、それを私的に行使することなく戦った人達が約2万1千人もいて、実際に約2万人が死んでいった。それが、この硫黄島の戦いなのだ。
 悲しいかな、日本固有の領土の中でそれほどまでの戦いがありながら、この島の出来事は遠い昔のこととされ、ボクを含めて多くの日本人は、2006年にアメリカ人の監督が撮った映画が公開されるまで、注目することなど殆ど無かった。しかもあろう事か、今に至るまで遺骨の収集すら満足にされていないそうだ。

 近代史を知らず、この時代の世界情勢も知らずに、今現在の価値観をもって、戦前、戦中に起こったことは「軍国主義者の仕業」であり、ただただ、「可哀想だ」、「悲惨だ」と言うばかりでは、思考停止になってしまう。
 多くの人が近代史を知り「戦った人達が何を考えたのか」に自身が思い巡らせることは、思考停止から抜け出す切っ掛けであり、硫黄島で戦い、死んで行った人々に対して「あなた方が守ろうとした物は、我々が引き継ぎ、きちんと守っています。」と、胸を張って言えるようになるための手始めになるのだ。


 そして、今年も8月15日の終戦の日を迎えた。栗林忠道中将の享年は53歳。今のボクとたった3歳しか変わらない…。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年 玄達瀬ラスト釣行

2013-08-10 12:30:00 | 船釣り・釣行記
■その後の玄達瀬■

 福井市沖の玄達瀬へは6月の解禁後すぐに釣行し、それなりにヒラマサの釣果を得ていたのだが、バラした大型魚の感触が忘れられず、実は7月上旬に再チャレンジを敢行していた。しかし、その結果は芳しくなかった。その敗因はボクの腕もさることながら、潮が速すぎることも大きな要因の一つだった。
 ヒラマサが回遊する海域は潮が速いところがほとんどなのだが、それも程度問題のようだ。あまりに速いと体力の消費を押さえるために、瀬の際から大きく動いてエサを漁らなくなるうえ、船上から撒かれたマキエサが潮にあおられて深く沈まずヒラマサの泳ぐ層まで届かなくなる。しかも、仕掛が流れに吹き上げられてマキエサの流れる筋に合わせることも困難になって、深場では極端に食いが悪くなるのだ。
 したがって、マキエサと仕掛の流れにズレが少なくなる浅場を攻めざるを得なくなるのだが、困ったことに玄達瀬の浅場で釣れてくるヒラマサは小型が多くなる傾向があるようだ。しかも条件上エサ取りが多くなるため、それを如何にして避けるかが釣果を得るカギになってくる。
 そして残念ながら、ボクの腕では、そんな条件を克服するまでには至らず、7月上旬の釣行では惨敗を喫していたのだ。
 8月15日までの解禁期間は残り少なく、「もう無理なのか?」と思っていたのだが、運良く釣行へと何とか漕ぎ着けることができた。しかも今回は晴海丸さんへの乗船だ。6月末に荒天で乗船を逃していたために一ヶ月半ぶりのことだったが、近頃福井沖では最も信頼を置いているのがこの晴海丸さんなので、嫌が上にも期待が膨らんでいた。

●洋上の晴海丸●

 しかし、予約がとれたところまでが幸運だったのか、玄達瀬では釣行4日前から「今年一番の速い潮流」が流れているとの情報が入り、暗雲が垂れ込め始めていた…。


■なんとかなりそうな潮流■

 現場の海域に到達すると、まずは浅場へと向かったが、試しに流した結果は100m流すのに4分かかる速さであり、前日までの半分程度の流速まで落ちていた。それでも速い方ではあるが、船長曰くなんとかなりそうなレベルだそうだ。そこで、前日までは諦めていた深場へとすぐに転進を開始した。

●深場と言っても、約45m。玄達レベルでの深場のことだ●


 再スタート後はマキエサが効き始めた頃にエサが取られ始めた。前回の釣行では取られることが殆どなかっただけに、いつもは厄介なエサ取り達であっても、そこに居ると判るだけでも何だか嬉しくなってくる。そしてそうこうしているうちに、仕掛にイサギが掛かってくる。しかし、潮が速いためにイサギ程度の走りではリールの回転ではアタリが表現されず、情けないかな道糸を巻き取る際に音が変化したことでそれとなく「付いている」と判っただけのことである。

●あまりの暑さにパラソルを装備した釣り座●


 その後は口太グレがダブルで掛かる場面もあったが、これも「付いていた」というだけのモノであり、何の興奮も得られなかった。しかし、イサギや口太グレに届くマキエサや仕掛が届くということは、「ヒラマサに届く可能性大」ということであり、更に期待が高まったが、どうやらご機嫌ナナメの様子で一向に気配がなかった。

 そして気配が高まることがないままに移動すること数カ所、またまた口太グレがダブルで掛かるのみで時間が過ぎていった。


■お土産釣り■

 他船から、「型さえ文句を言わなければ、浅場でそこそこ数が釣れている。」との情報が入り、「何にも無しよりはマシか。」との判断から、「お土産釣り」に向かうことになった。

●浅場に並ぶ船団●


 浅場に到着すると左右の船が頻繁に曲がっていて、「お~これは…。」と思わせるだけの活気はあった。しかし、玉網ですくう魚のサイズは50cm台のヒラマサばかりの様子だった。しかし、あくまでもここはお土産釣り場であり、各自が数本釣ったら移動して、一発狙いを敢行することに船内の意見が一致していたため、「チョロい魚を釣るだけさ。」と当初は高を括っていたのだ。
 しかし、現実は甘くなかった。今回のメンバーは大物指向であったために周りの船に対してボクらの仕掛は太すぎたのだろうか、ウマくタナが掴めずにエサばかりが取られてしまうかと思えば丸残りになったりで、時間だけが浪費されてゆく。
 この間、特に左横の船では3人が交互に竿を曲げており、恐らく10本は釣っている様子だった。こちらは焦るばかりで、小ヒラマサがどうやっても掛からない。しかも時間が経つに釣れハリにエサが殆ど残らない状況が続くようになった。
 焦りながらも発泡ウキをマメに交換しながら粘るうち、ようやくアタリを捉えることに成功した。

●ようやく曲がる竿●


 引き自体は大したモノではないが、この日初めて取ったマトモなアタリだけに正直言って嬉しかった。そして難なくゲットに成功する。

●60cmに足らないヒラマサ●


 しばらく間が開いて、もう一匹追加したが、その後に続くアタリは途絶えてしまった。


■工夫は続く■

 普段なら、何の苦労もなく釣れるハズの小ヒラマサなのだが、左右の船に比べてこれほどまでに差を付けられることに釣り師としてのプライドが傷つけられていた。そして、意地になって調整を繰り返すうちに発泡ウキのサイズは8・8・7と、いつしか3つを装着した状態になり、遙か沖合まで完全に浮いた状態になっていた。しかし、これでも刺しエサが取られてしまう状況下、ただ仕掛を浮かしてゆくだけではエサ取りをかわすことができないことを知って、一度頭の中を整理すことにした。
 遠目で確認する限り、恐らく左右の船でアタリを捉えている仕掛は、7号道糸に8号ハリスを結びつけ、発泡ウキのサイズは7号程度を装着したモノのようだ。対してボクは8号の道糸に10号ハリスの大物兼用タイプを使用していた。そこで、「大型はもう出ない。」と判断してまずはハリスを8号に落としてみることにした。また、道糸の太さで沈み具合が変わることから、同時にこれも交換したいところだが、この日は物理的に交換できなかった。そこで、その差は、より細かく神経質気味に発泡ウキの調整をすることで補うことにした。
 そして、自身が釣った1本目のアタリは75mだが、2本目は120mだったことから、「小ヒラマサは、手前が75m、奥が120mほどの円を描くようにグルグルと廻っており、その時々のマキエサが濃い位置に反応している。」と、勝手な想像をしてみた。「勝手な想像」と言っても、釣りではこういった考察は重要だ。ただし、ボクが尊敬するグレ釣り師の小里哲也さんが以前に書かれていた「釣りたかったら、魚になりなさい(魚の気持ちになって考えなさいの意)。」を忘れずにだが…。
 具体的な手順として、「流す距離は100か135mの2種類」、「発泡ウキは7号か8号の2種類」とし、サシエサが取られる状況下であっても、流す距離100m、発泡ウキ8号として状況が変化するまで仕掛を打ち返し、逆にサシエサが残っても最大で距離が135m、発泡ウキ7号として、一投ごとにサシエサの状態を確認しながら仕掛に手を加え、とにかく回遊する範囲と水深を手返しよく流すことで、少しでもヒラマサとの遭遇機会を増やすよう努めた。

 そんな読みと努力が実ったのか、その後はアタリがポツポツと拾えるようになっいった。
 そして、左に位置する船が撤収した後は、マキエサがボクらの船からのモノに集中し始めたせいか、順調に釣果が伸びてゆく。しかし、当初予定していた、お土産を釣った後の、”夕マヅメの一発狙い”を前に、気付けばマキエサを使い果たしつつあった。そのため、もう移動は叶わず、残り少なくなったマキエサで、最後までこのポイントを攻め続けざるを得なくなった。
 そして時間が経過し、マキエサの残量はラスト3投するのが限度になっていた。しかしここからが面白い展開になった。
 ラスト3分の1、これは65mを流した時点でアタリが出た。そして3分の2、今度は132mでアタリが出た。そして3分の3、ラストの一投は頑張って160mまで流してみたが、今度は丸残りという結果に終わった。
 「何というバラバラさ…。」と思いつつ、竿をたたんだが、この日の、小ヒラマサの状態を現すようなラストの3投の様子に、「あながちボクの予測は外れていなかったのかも?」と一人悦に入った瞬間だった。


●結局、ず~っと同じサイズ●


■また来年!■

 魚のサイズが小さいだけにやり取りが楽しめない状況ではあったが、アタリを出す努力が実った快感はそれなりに大きなモノだった。

●小型だが、ヒラマサは全部で10本あった●


 あと数日で玄達瀬の解禁期間は終わり、来年までここを攻めることはできないが、今期で得た経験によって”夢の1m20cmオーバー”に少しは近付いたような気がする。いつかは獲る予定であるそのサイズを目指して、”鍛錬の日々”(?)がこれからも続くのだ。
 幸い禁漁後も玄達瀬の手前の海域である鷹巣沖では、今年は既に中型のヒラマサの回遊が始まっているようである。まずはその中型で腕を鍛えることとしよう。そして、その日はもう既にすぐそこに近付いているのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

釣り味・食い味 ~その5(ヒラマサ編)

2013-08-03 12:30:00 | 釣り一般
■キング・フィッシュ■

 今回とり上げるのは、ボク自身が釣り人生の中で獲った魚の中では評価No,1のヒラマサだ。以前にマダイのところで触れたように、この魚はオーストラリアやニュージーランドでは”Kingfish(キングフィッシュ)”と呼ばれているが、その通り、「釣って良し」、「食って良し」で、魚の王様だと思うのは、ボクだけではないだろう。(南半球のヒラマサは、亜種という説もあったそうだが、最近では同種とする意見が優勢。)
 また、見た目に於いても”King”の冠に恥じない、魚界では一、二を争う容姿を誇り、同じ系統の色彩を持つブリ系に比べて、体側の中央を横切るラインや周囲に立つヒレといった部分の”黄色さ”が、より鮮やかで、それを挟んで背中のブルーと腹の白銀とのコントラストが美しい。特に船縁まで引き寄せた頃に見える海中での姿は、思わず見とれてしまいそうになるほどだ。(本当に見とれているとバラしてしまうから要注意。)


■ヒラマサの釣り味■

 ヒラマサの魅力、その第一は引きの強さだ。写真上では一見似ているかのように思えるブリ系(実物は、見ればすぐに違いが判るが、)とは、同寸同士で単にパワーを比較するだけなら、ヒラマサの方がやや上程度になると思う。だが、「ブリ系の方は単調であるが、持続的な力を発揮する」のに対して、ヒラマサの方は、「ここ一番の馬鹿力」が基本の力に上乗せされる。
 この馬鹿力が実に厄介で、ブリ系が海中の岩塊といった障害物の上を通過することが多いのに対して、ヒラマサはその馬鹿力を発揮しつつ障害物が入り組む海溝や岩塊の際を目指して一目散に走る。そして釣り人がそれを止めることができなければ、結果的にそれら障害物に道糸やハリスが触れたり、2本バリの上バリが引っ掛かったりして、仕掛が飛んでバラしてしまうことになる。だから同じ青物でも「ブリ系は力があるだけのアホ魚で、ヒラマサは力がある上に賢い魚だ。」と釣り人は語るのだ。
 よく完全フカセ釣りでは「一度本命魚に対して仕掛けが合うと、潮流が変わらない限り、魚の食いが続く。」と言われるが、この釣法でヒラマサ狙っている際の、根ズレによるバラしも同様に「同じ位置でアタリがあって、それを、掛けても掛けても同じところに走られる。」から、ヒラマサの頭をこっちに向かせるだけの仕掛強度と、釣り人側の対処がなければ、入れ食いならぬ”入れバラし”になることもある。
 これだけの違いがブリとの差であるとすれば、単に「習性の違い」として捉えることもできるのだが、他にも賢さを感じさせる部分がある。
 ボクが青物を狙う際には小魚を使った「飲ませ釣り」はほとんどせず、オキアミを使った釣りになるが、この釣りの場合、経験上ブリ系は捕食の結果、サシエサと同時にその中にあるハリごと飲み込み、エラの周辺や時には胃までハリが到達していることもある。しかし、ヒラマサが同様になることはほとんど経験しておらず、大概は口の周りにハリが掛かっている。これはヒラマサの方が警戒心が強いためにそうなるのだと言われているが、この習性がまた実釣時の障害になる。即ち、ヒラマサは、よくハリ外れが起こる魚でもあるのだ。
 ハリ外れは前回の玄達瀬での釣行時にも一度経験しているが、これに限らず今までに何度も経験している。口そのものは硬く、ウマく上下の唇の蝶番部分=かんぬきに掛かれば全く問題はないのだが、硬い唇と顔の間に薄い膜があって、吻部は蛇腹ホース(一層のみだが)のようになっいてる。これが問題だ。
 この薄い部分にハリ掛かりすると、やり取りを繰り返すうちに徐々にハリ穴が広がってゆく。そして何かの拍子で糸のテンションが緩むタイミングとヒラマサが頭を振るタイミングが重なると、ハリ外れが起こってしまうようだ。特に船縁まで引き寄せ、竿を竿受けにセットし、ハリスを手繰りする段階になってこれがよく起こるのだ。実際に8年前、丹後半島沖の白石グリで、メーター前後のヒラマサを7本掛けたが、獲れたのは5本で、残りの2本は目の前でポロッとものの見事にハリが外れてサヨナラとなってしまった。この件を複数の船長に話しても同様の意見を持っていることがほとんどで、余談だが、「外れた瞬間に何故か逃げるヒラマサと目が合う。」という意見まで同じだった。

●8年前の1m3cm(自己記録)だが、この日は目の前で2本がハリ外れ●


 馬鹿力を持つうえに賢いヒラマサをゲットするための仕掛は、それなりの強度が必要になる。勿論細い方が食いが良いハズなのだが、そのメリットがハッキリと感じられるのは恐らく6号程度であると思われる。しかし、70cm以上のヒラマサに対してこれを使うのは「足下の水深が深い」「障害物が少ない」などの地形の条件が整っていることに加えて「ドラグ操作に馴れている」など、釣り人側にも技術が要求されるので、自信がある人以外はやめておいた方がよい。
 「回遊魚はバラすと後が続かない。」と言われるだけに、ヒラマサ狙いではリスクを減らした仕掛を使用して欲しい。細めのハリスで仮に10本掛けることが出来ても、手にする魚が2本であるのなら、5本しか掛からないが手にする魚が3本以上(それも、より大型)になる方を選んで欲しいと思う。また、ボクを含めて仕掛を自作する人も一定の割合で居るが、枝針を出す際に「編みつけ」ができなければ、いっそのこと市販品を利用した方が身のためだと思う。

 ボクがヒラマサを釣るために訪問した釣り場は、西から山口県萩沖の見島周辺と京都府の若狭湾周辺、そして福井沖の鷹巣周辺と玄達瀬だ。
 各地で釣法や仕掛が違うが、見島周辺は長大な棒ウキを使って流す「ウキ流し釣り」で狙い、仕掛に使用する道糸はPE製の6号、装着するハリスは12~14号と特別太い。ここでは時期によって希に1m40cmクラスの超大型も出るが、普通に出るのは70~80cmクラスだ。別段ここのヒラマサの引きが強いワケでもないのに、この太さのハリスを使用するのは、マグロ等、他の回遊魚に対する意識もあるだろうが、結局は重いウキとオモリ、カゴや天秤といった抵抗物を背負っていることと、クッションゴムは着いているものの、伸びの少ないPE製の道糸を使っていることが大きな要素だと思う。
 それが若狭湾周辺では釣法が完全フカセ釣りになり、道糸はフロロカーボン製の6~7号、ハリスは7号以上となる。以前にも書いたが、ボクの場合はメーター前後の大型ヒラマサであっても、ハリスは8号が標準になる。これはゴールデンウィーク頃から釣れ始めるこの一帯のヒラマサが、何故かMAXのパワーを発揮しないからだ。
 そして、福井沖の場合も完全フカセ釣りで狙うが、沿岸の鷹巣周辺では狙えるサイズが大きくても80cmまでになるので、道糸がフロロカーボン製の6~7号に、7~8号のハリスを使用する。これが玄達瀬ともなると、一日に数発来る120cm以上の超大型クラスに対応するため、道糸はフロロカーボン製の8号~10号に、ハリスは標準が10号、場合によっては14号までを使用する。シンプルな完全フカセであるにも関わらず、ハリスが太めになるのは季節のせいか、地形のせいかは判らないが、玄達瀬で釣るヒラマサの引きは最強クラスだからだ。
 因みに仕掛の長さは、ウキ流しでは15m以上を使うが、完全フカセでは全て6mになる。枝バリは1本(全長70cm)のみで、これを編み込んだ2本バリ仕様の自作仕掛以外は基本的に使用しない。

●今年5月の96cm●

 とにかくヒラマサ釣りの魅力は、相手の度を超えたその強い引きと賢さに対して、自分がどこまで迫れるかにある。特に相手が大型の場合は、まさに「食うか食われるか」の世界だ。それだけに釣り人はこの魚を釣るために躍起となる。その昔、オキアミの出現によって釣り人界にヒラマサ・ブームなるモノが到来したが、それも頷ける話だ。

 ここで釣り味の評価をしよう。「完全フカセ」での釣果であれば文句なく10段階の9をつける。だが、その他の釣法では引きがダイレクトでない分だけ釣趣が下がるように思え、もったいない気がするのが残念だ。


■ヒラマサの食い味■

 食べたことがある人には判ってもらえることだが、ヒラマサのウマさは超一級品で、上段でも述べたようにその意味でも”Kingfish”の名に値する魚だ。
 その旬は夏とされていて、ブリ系とは季節が真反対になる。ブリ系の70cmクラスは関西ではメジロと呼ばれるが、そのサイズとヒラマサは時々同じポイントで釣れることがあって、そうした場合、帰宅後は直接比較できるので、その違いの大きさが、見た目以上にあることがよく理解できる。
 両魚共に、ちゃんとプロの手によって血抜きがなされているにも関わらず、身の色はヒラマサに白っぽさを感じるのに対してブリ系は血の色がにじんで見える。食してみても見た目の印象通りでブリ系はどこか「血なまぐささ」が残るのに対して、ヒラマサはそれを全く感じないのだ。これは身についている赤黒い部分=血合いの体積がブリ系の方が多いことも関係していると思う。
 身に乗る脂の質も両者に違いがあって、ヒラマサは大型の脂が多い個体であっても脂分が上質なため、しつこさは感じないが、ブリ系は、何故か脂が乗り過ぎてしつこいか、少なくてあっさりし過ぎて味気ないかの、両極端の印象がある。
 気になる寄生虫も、水温の高い時期のブリ系ではでは「かなりの確率で入っている」と思った方がイイのに対して、ヒラマサでは過去4月に萩沖で釣った、痩せた一個体だけに”身の毛もよだつ”ような量が入っていた以外は全く発見したことがないから、その意味でも有り難い。

 今までボクがヒラマサを釣った月は1月と、4月~11月の各月だが、どんな魚でも季節差もあるように、ヒラマサも例外ではない。
 玄達瀬で釣る7月初旬では個体それぞれで腹に抱える卵巣や精巣のサイズは大きく、それらに栄養分が取られていて、身の脂分が減っているから、ヒラマサらしい旨味は充分にあるものの、割とあっさりとしたイメージだ。だから、ボク個人の印象かも知れないが、旬と言われる産卵期の夏場よりも産卵から回復した9~10月と、産卵に入る直前の4~5月が一番ウマいように感じる。

 料理法は、今まで定番の「平造り」を始め、「しゃぶしゃぶ」「塩焼き」「洋風のソテー」「味噌漬け」等々、様々な調理法で味わったが、何をやってもウマい。だが、上述した産卵期を除外したその前後の「はらす(腹側の身)の平造り」と、365日、いつの日であっても「半割にした頭部と、エラブタ後ろの”カマ”と呼ばれる部分の塩焼き」の味は格別だ。
 頭部とカマは、やや強めの塩を施してオーブンで表面がパリッとなるまで焼くのだが、これを、友人を交えて5人で食した際は、四方から箸が伸びてアッという間に無くなってしまうほどの好評さだった。

 上述した理由から、食味の評価もかなり高く、たとえ味的にピークの時期でなくとも他魚を凌駕している。だから釣り味同様に10段階の9をつけたい。


■総合評価■

 釣り味、食い味共に9であることから総合評価は10段階の9としたい。実のところ、これ以上の高評価の魚は未だ遭遇しておらず、ボク的には無い。9.5クラス以上は“夢”として残しておきたいからであって、実質ヒラマサ、特に完全フカセで狙う玄達瀬の大型は最高評価になる。
 昨秋以来、若狭湾~福井市沖では8年ぶりの大回遊があって資源量は確保されているものの、これがまたいつか何かのタイミングでサッパリ居なくなってしまうこともあり得るワケである。だから、もし仮にヒラマサ釣りに興味があるのなら、是非今年はチャレンジを実行して欲しい。チャンスは今なのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする