中島ブラザーズ ”弟”の「外で遊ぼう!」

近頃は日本海で、ヒラマサを追ってばかり。よって磯釣りや渓流釣りは休止状態ですが…。

ハイキング 樫ヶ峰~社家郷山

2011-04-30 12:30:00 | アウトドア・スポーツ
■甲山の裏■

 マイナーな話で申し訳ないが、我が町兵庫県西宮市にはシンボル的な山があって、その形状からその名を甲山=「かぶとやま」(兜という字の方が合っていると思うが…)という。
 小学校低学年時の遠足には定番コースでもあるので、この山に登った市民も多いと思うが、その裏手にある山々は馴染みが薄く、その後ハイキング等を初めても六甲のメジャーなコースから離れているために訪れる人も少ないようだ。そんな甲山の裏にある山を巡ってきた。


■スタートは甲山近辺から■

 市民に解放されている甲山近辺には公園も多く、駐車スペースには事欠かない。したがって一旦甲山の周囲まで車を走らせ、駐車場を探す。そして甲山の前にある北山貯水池の無料駐車場が空いていたので、そこに車を入れてスタートした。
 
●スタート地点は甲山山頂の隣●

 スタート後は一旦鷲林寺の方向へと向かい、磐滝トンネルを抜けて有馬方面へと向かい幹線道路に沿って北上する。

●目指す山並み●

●付近では乗馬する姿も●

 逆瀬川方面との分岐する道路を抜けてそのまま直進する。

●そのまま直進する●

 やがて社家郷山(しゃけごうさん)キャンプ場に到着する。ここが、コースイン地点になるのだが、コースの入り口は見付け辛いので、迷う前にキャンプ場事務所で問い合わせるとイイだろう。

●社家郷山キャンプ場●

●キャンプ場事務所●

 愛想の良い係員に道を尋ねると、東側のフェンスを超えたところがコースで、3つの分岐の内、真ん中か左を歩くと樫ヶ峰方面へ抜けるという。

●コース分岐点にあるフェンス●

 我々は真ん中のコースを通って更に奥へと進んでいった。ちょうどツツジ我慢界の時期を迎え、コース脇を薄紫に染めている。

●山ツツジの花●

 コースの序盤はキャンプ場に関連した周遊コースになっているので、案内標識には事欠かず、迷うことはない。

●そこかしこにある道案内●

 周遊コースの最奥部にある「樫ヶ峰コース これより先ハイキング道…」という注意書きを超えると、樫ヶ峰~社家郷山方面へのルートに入る。しかし、ここも地図で確認すると周遊できるようになっている。川を越えると分岐があるが、今回は時計回りに周遊するつもりだったので左へと進路をとった。

●この川を越えたら分岐がある●


■キレット・ルート■

 左下に川を見ながら進んで行くと更に分岐があった。地図で確認してみてもコースが読めてこないので迷ったが、ここは判断がつかなかったので、妻に選んでもらうことにした。彼女の選択は表示のある「キレット・ルート」だった。後に調べてみると「キレット」とは登山用語らしく、「稜線の一部が急激に切れ落ちている場所」を指すそうだが、結果的には望んでいたロケーションであったために、ここを選んだのは正解だった。

●ここからはこの標識に従った●

 キレット・ルートはガレていたり植生が変わったりで変化に富んで面白い。そして途中にあった「キレット展望台」からの眺めも素晴らしい。

●キレット展望台への道●

●展望台からの眺め●

●椿もまだ咲いていた●

●イノシシの水浴び場●

●もしかすると山菜で有名な「コシアブラ?」●

 キレット・ルートの突き当たりは三叉路になっているので、右の樫ヶ峰へと向かう。


■山頂付近■

●三叉路(東三ツ辻出合)の道標●

 そして、ガイドブックで見つけて「歩いてみたい」と思っていた「馬の背」へと出る。

●「馬の背」に続く道の先が「樫ヶ峰」●

 そのまま景色を楽しみながら歩いていると、程なく樫ヶ峰の山頂に到着する。

●樫ヶ峰山頂の道標●

 そして、山頂で昼食をとる。

●前回とは違うバージョンの「クリームシチュー・ヌードル」●

 帰り際、馬の背から右下側を見ると、他にも馬の背コースがあるようだが、今回は時間の関係から次回以降のチャレンジに持ち越すことにした。

●右下に見える新たな「馬の背」●


■社家郷山■

 先程通過した東三ツ辻出合を越え、そのまま尾根上のコースを進んで行くと、やがて西三ツ辻出合に出る。どうやらここが社家郷山のようだが、どうもハッキリしない。

●読み取りにくいが、社家郷境界ウンヌンとある●


■下りコース■

 西三ツ辻出合を左に折れ、下って行くとここが林間ルートという、キャンプ場へと向かうコースになっている。

●西三ツ辻出合の道標●

●林間ルートの道標●

 このコースは林間でありながら、尾根伝いのために明るく、楽しいコースだ。

●明るいコース●

 途中、休憩&ビューポイントの東屋があるので、そこで小休止し、その後は程なくキャンプ場に到着した。



■知らない裏山■

 普段何気なく見ている地元の景色であっても、そこに何があるのかは行ってみないことには判らない。実際に社家郷山キャンプ場の存在すら知らなかったし、ましてやその裏山にこんなコースがあるのは想像すら出来なかった。知っているようで知らない地元の山。そんな場所を歩いてみると発見は無数にある。その事を実感した山歩きだった。
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やはり変な高原川

2011-04-23 12:30:00 | 渓流&管理釣り場での釣り
■高原川本流へ■

 高原川本流は全長7~8mクラスの竿を思いきり振れる里川並の川幅がありながら、河原から冠雪した北アルプスの山々が見え隠れするロケーションがボクにとっては最高に思えるから一番のお気に入りスポットなのだ。
 しかし今シーズン、ここからは「絶不調」という情報が聞こえてくるし、ボク自身が一度だけ試しに竿を出した際も実際にもそのような感触を得ていた。しばらくの間は現地から伝わる「全く回復していない」という情報に怖じ気づいていたり、「いざ!」と意気込んでも釣行2日前の大雨と雪解けで大増水があったりで、1ヶ月半近く釣行機会を失っていたが、それをようやく乗り越えてチャンスが巡ってきた。

                 
                         ●河原から見え隠れする焼岳●


 高原川では釣行前日に「成魚」の放流があったそうだ。釣行日にも「残り物」はあるだろうけど、ソレを狙っては奥飛騨までやって来ながら「釣り堀の釣り」をすることになるので、プライドが許さない。
 「ここでは天然魚を!」ということで、昨年4月半ばにイイ思いをした葛山地区で竿を出すこととして現地へと車を走らせた。しかし、前日午後から冷たい空気に入れ替わり、当日も冷え込むことが予想された。「寒の戻り」というヤツだ。果たして結果は吉と出るのだろうか…。

                 
                ●午前1時過ぎで気温は2℃、夜明けには更に冷え込むだろう●


■ほとんど水が無い!■

 当初に予定した葛山に到着し夜明けを待って行動開始。河原に降りてみた。
 事前に「平水よりもやや上昇気味」と聞いていた水量に期待していたのだが、3月初旬に試し釣りをしたときと変わらない水量にガックリと肩を落としてしまう。
 どうやら、川の水量バランスが昨年と変わって水位が50cmほど下がり、川幅は半分以下に変わっている。今年のこの地区は、この状況がスタンダードなのかも知れない。
 「ポイントになりうる箇所も減っているんだろうな~?」と思いつつ、竿を振り始めた。「しかし」と言うべきか「当然」と言うべきか、一級に思えるポイントを攻めても、竿を通して生命感が伝わってこない。

                 
                        ●好ポイントに見えるが魚は居ない●

 昨年、25cm近い山女魚や尺越えのイワナを釣ったポイントも完全に潰れ、アタリすら全くないままに釣り上がってゆく。やがて視界が広がり、そこから見渡す景色に唖然としてしまった。
「ほとんど水が無い…!」

                 
                        ●辺り一帯の水深は15cmほど…●

 この状況にガックリと肩を落とし、早々にこの区間を切り上げることにした。そしていつもお世話になっている地元エサ店の「宝フイッシングさん」へ情報収集に向かう。


■笹島地区へ■

 宝フイッシングさんの話では、一旦温かくなったものの、この冷え込みが効いて前日の成魚放流の魚すら食い渋ってかなり残っているということだそうだ。
 「ボーズよりもマシか?」と思い、「その放流箇所を狙おうか?」というスケベ心が沸きそうになったが、そこは我慢してというか、その実今から行っても場所が空いているハズもないので、当初狙っていたヤマメより低水温に強いはずのイワナ狙いに切り替えることにした。
 ボクの頭では高原川の本流では蒲田建設裏~今見あたりまでがイワナが割と多い区間だと記憶しているので、早速そこへと向かった。しかし、どの箇所も車が留めてあって入れそうにない。しばらく探した後に唯一空いていた笹島地区へと滑り込んだ。

 この地区に入って数投目、流れていた目印の動きがまるで根掛かりしたように止まった。「アタリかも?」と思った瞬間に竿を持つ首が返って反射的にアワセが入る。
 程なく上がったのは18cmくらいのイワナだ。
 「やっとボーズを脱出だ!」と思った瞬間、嬉しさに気をとられ長竿が木に引っかかって魚が宙づりになり、モタモタしている間に何とハリハズレをやらかしてしまう。
 しかし、「魚が居るぞ!」という感覚はこの日のボクに勇気?をもたらしてくれ、攻めに気合いが入った。キーワードは「石裏のポケットで出るであろう、弱々しいアタリ」だ。
 そんな感じで攻め始めていくと現金なのもで「良さげ」なポイントが幾つも見えてきた。

                 
                          ●笹島でのポイント・その1●

 程なく「目印が止まるアタリ」を再び捉えて、本日の「確実な」1匹目をゲットする。

                 
                           ●18cmくらいのイワナ●

 流すパターンを掴むと次はエサのローテーションだ。そこでキンパク、ミミズ、ブドウ虫と、エサをローテーションさせるが同じポイントを流していても決まってアタるのはキンパクだった。

                 
                           ●当たりエサのキンパク●

 流すパターンと当たりエサが判ると更に自信を持って流すことが可能になり、調子づくと共に魚のゲット数も伸びてくる。

                 
                          ●笹島でのポイント・その2●

                 
                             ●22cmのイワナ●

                 
                          ●笹島でのポイント・その3●

                 
                             ●25cmのイワナ●

 約200mの間で、アッという間に中~小型ながら7匹ゲットできたが、やがてピタリと当たりが止まってしまった。この区間を振り返ってみると、気付くことがあった。それは昨年とあまり様子の変わらない河原であったことだ。水量が豊富だった一昨年とは確かに違うが、川幅や水深が昨年とほぼ同じであり、そうであるからこそ魚の着き場の傾向もあまり変わらなかったのだろう。しかし、逆にそこから上流は様子が変わっていたからピタリとアタリが止まったのだと予想できた。
 
                 
                           ●昨年と変わらない様子●

 アタリが止まってからもしばらく釣り上がったが、やがて先行者が入ったであろう箇所の駐車車両を発見し、諦めがついて脱渓を決意した。


■平湯川■

 この時点で午後2時過ぎだ。まだ少し時間はある。
 「下流か上流か?はてさてどこへ行こうか?」と思いを巡らせる。水温の低さとアタリの出具合から想像して下流は時期尚早だと判断し、更に上流か支流を目指すことにした。残り時間の関係から本流部の上流で二又に分かれる蒲田川か平湯川の二つに絞ったが、今期絶不調ということと、元来人気河川だけに人が多そうだということから消去法で選んだ平湯川へと向った。
 しかし、ここにも人が多く、ピンポイントで一箇所竿出しできたものの、アタリは皆無のままでこの日の釣りが終わった。


                 
                             ●平湯川の様子●


■やはり変だ■

 僅かキャリア3年で「何を言うのか?」と思われるかも知れないが、今年の高原川の不調傾向を分析してみると…。

 大雪の影響が最大の原因だと思うが、それに加えてこの地方にも地震があって、その後に温泉の出具合に変化があったそうだから、特に不調が伝えられる蒲田川は、本来ならこの川の水温を上げてくれるハズである温泉水の流入量が変化したのかも知れない。恐らく以下の下流側もその影響が出ているのだろう。
 その証拠に釣れたイワナも色は悪くないものの、みんな細かったので、水温低下からくるエサ不足、もしくは魚自体の活性が落ちてエサをあまりとることができなかったのだろう。
 何しろ昨年にこの地域の土産物店で手に入った「タラの芽、コシアブラ」などの山の幸類は、今年はまだ店頭に並んでおらず、問い合わせると「例年よりもかなり遅れている」と聞いたから、その傾向は山全体に及んでいるのだと思う。
 それらの低温傾向に加えて上から見る限り水量不足の区間も多かったように思える。これは自然の力と人為的な河川の改修具合による川の変化にプラスして取水のバランスが変わったせいかもしれない。
 様々な要素から勝手な推測してみたが、やはり今期は、例年とはかなり傾向が違って「何か変だ」ということだけは確かなようだ。

 宝フィッシングさんの話によると、「漁協の調査では魚は居る」という結論が出たということだから、今の状態は「居るのに食わない」だけだということを願っておこう。
 そうであれば、水温と水量が安定すれば食い出すだろうから、それまでの間は我慢の釣りが続くであろう今年の高原川なのだ。



                 
                        ●平湯峠には、かなりの残雪が…●
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ハイキング 地獄谷巡り

2011-04-16 12:30:00 | アウトドア・スポーツ
■六甲の地獄谷■

 全国各地にある「地獄谷」という地名は温泉が湧き、硫黄臭=硫化水素が漂っているために近寄ると死んでしまうからついた地名だということを何かの本で読んだことがある。
 その地獄谷が六甲山の表に2箇所、裏に1箇所の合計3箇所あるそうだ。もちろん六甲山そのものは温泉地ではないので「硫化水素が漂って…」というワケではない。恐らく谷沿いに岩がゴロゴロと転がる様子がそのように見えるからだろうけど、ガイドブックなどで確認するとそれぞれがその名の通り登りがいのあるコースになっている。
 そんな六甲の裏表にある地獄谷へ、なぜか近頃ハイキングに対して俄然ヤル気を出している妻を伴って2周連続でハイキングに出掛けた。

■芦屋ロックガーデン近くの地獄谷■

 1回目は芦屋にある有名な「ロックガーデン」へ向かう途中にある「地獄谷」へと向かった。とは言っても、このコースは以前に紹介したので写真のみということで…。

                
                     ●阪急六甲駅を降りて芦屋川沿いを進む●

                
                    ●ロックガーデン入り口にある「高座の滝」●

                
                       ●滝の横手にある「○○大明神」●

                
                  ●地獄谷入り口にある土石流センサーのワイヤー●

                
                   ●地獄谷を抜けた先には奇景「万物相」がある●


■裏六甲の地獄谷■

 翌週に裏六甲にある「地獄谷」へと向かった。
 このコースに入るのは、電車からのアプローチでは神戸電鉄の大池駅から上がるのが一般的らしいが、我が家のある西宮市内からだと極端にアクセスが悪いので、登り口近くまで車で向かうことにした。その場合の目印は「神港学園のグランド(野球場)」だ。

                
                      ●神港学園のグランド近くにある道標●

                
               ●巨大な人工物=阪神高速の橋の下を抜けるとコースに入る●

 コースインすると、多少のアップダウンはあるものの、谷筋を左手に見下ろす快適なハイキング道が続く。

                
                      ●コースの序盤は整備されている。●

                
                            ●最初の案内板●

 そのまま進んで行くと、2枚目の案内板がある。そこが分岐点になっていて、右に進めば地獄谷西尾根のコースになり、左に行けば地獄谷コースになる。今回は谷を攻略するので、当然左へと向かう。

                
                           ●分岐点の案内板●

 分岐から先は谷の近くに降りての歩行になるが、前日の午前中まで雨が降っていた影響で水量も多く、谷沿いを流れる水と新緑を迎える寸前の木々の美しさは、いっそう映えて見える。

                
                             ●無名の小滝●

 時折谷を飛び石伝いに渡るシーンもあって少しのスリルを味わうが、それも楽しい。
 そして程なく大堰堤が目に入るが、その直前に「滑滝」(なめりたき?なめたき?すべりたき?)という滝に出逢う。

                
                               ●滑滝●

 「後ろの堰堤が無ければ絶景かもな~。」と思いつつ、滝をまたいで左手にある迂回路を見付けて堰堤の後ろに回り込む。

                
                               ●迂回路●

 しかし、滝の裏に回ってビックリ、堰堤裏は増水しすぎて湖状になっていて道が消えていた。

                
                   ●本来なら、この階段の先にコースがあるようだ●

 仕方がないので、一旦先程の案内板のところまで戻って、西尾根のコースへと大迂回することにした。

                
                          ●地獄谷西尾根の道標●

 このコースが結構キツく、情けないがウエイトの軽い妻との差が開いていく。そしてアップダウンを繰り返しながら徐々にピークへと上り詰めて行く。

                
                         ●結構ハードなところもある●

 一つ目のピークが「水晶山」、続いてダイヤモンド・ポイントという、見晴らしの良い台地を目指す。

                
                            ●水晶山の標識●

                
                           ●ダイヤモンド・ポイント●

 本来は地獄谷を上り詰め、一旦ダイヤモンド・ポイントへ出てからシュライン・ロードというハイキング道を降りて行く予定だったのだが、予想外の大迂回をしたので、もう一度地獄谷を降りて、登って来られなかった部分を踏破することにした。目指すは「大滝」という名の滝だ。

                
                          ●地獄谷へ降りる分岐点●

                
                          ●再び谷沿いの快適コース●

 しばらくコースを降りて行くと、大きな滝が現れた。事前の調査では「大滝」と言っても落差が8mほどと記してあったので、「これかも?」と思ったが、地図上の位置よりもやや上流に位置している。念のためにもう少し下ったみたが、新たな滝は現れなかったので、ここが大滝だろうとして、昼食タイムとした。
 後で調べてみると、この滝は大滝ではなく、それよりも規模が大きいものの、無名の滝だそうだ。

     
                     ●大滝だと思い込んだ別の「無名滝」●

                
                 ●新発売の「ビーフシチュー・ヌードル」これがウマい!●

 昼食後は谷沿いを戻り、シュライン・ロードへと向かう。

                
                         ●シュライン・ロードの道標●

 シュライン・ロードは一般に知られる快適なハイキング道なので、行き交う人も多く、道沿いに何カ所もある祠にははお地蔵さんが祀られている。
 適当に流す感じで降りて行くと程なく終点にたどり着いた。

                
                         ●シュライン・ロードの終点●


■残りの地獄谷は…■

 六甲に残る地獄谷は後1コース。その名は「大月地獄谷」と言うそうで、それは神戸市東灘区・渦が森の山中にあるということだ。しかし、六甲の地獄中で最もハードであり、垂直に近い斜面をロープを使って登る箇所もあって太っちょオヤジと握力のない妻では攻略は難しそうだ。
 だから「もう少し経験を積んでから…(いつのことやら)」ということにしよう。


 ハイキング道の中でも谷沿いのコースは変化があってお薦めのコースだ。惜しむらくはその流れに「魚の1匹でも見えれば…。」と思うのだが、それは難しそうだ。その現実は一見自然の中にあるように見える六甲山であっても、実は人間が入り込んで、手を加えた後の自然であることの証拠だ。その意味では残念な部分ではあるが、そんなことを考えられるのは自分が山に居るからこそだ。山の中を始め、自然の中に入ってゆくことは普段では気付きにくい自然と人間の関係を知る良い機会になるので、一般に言われる健康作り等の他に、その意味でもお薦めできる。
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言い尽くされた言葉

2011-04-09 09:12:30 | その他
 「歴史は繰り返す」という言葉は、もう聞き飽きるくらい使われ続けている。
 人間には、キズの痛みや病気の苦しみ、はたまた精神的なことに至るまで本来は忘れるように出来ているそうだ。それは、前向きに生きなければならない人間にとって不可欠な機能だが、反面、忘れてはいけないことも沢山ある。近代史の中を覗いてみると…。


■太平洋戦争(大東亜戦争)の基本戦略■

 歴史書の数々を手がけている半藤一利さんは著書の中で、旧軍にあった官僚体質の一つとして「起こって困ることは、起こらないことにする。」という思想をよく指摘している。
 例えば太平洋戦争(大東亜戦争)自体が、「対アメリカ戦争は避けられないから最初の何年かは善戦して、アメリカ軍の反撃が始まる前にアジアの資源地帯を押さえ、守りを固めて『不敗の体勢』をとり、その後は有利な条件で講和する」という基本戦略であったのだが、「もし、アメリカ軍の攻勢時期が早まり、講和せずに更に攻め込んでくればどうするのか?」ということについては、具体的な策を考えないままに戦争へと突入していたというのだ。
 実際に本格的なアメリカ軍の反撃が予想以上に早く始まると、兵力を小出しにしては各個に撃破されるということを繰り返して消耗していった。「このままではじり貧になる」として、米軍を押し返すために本腰をあげて大兵力をつぎ込もうとしたときには既に熟練パイロットや精鋭部隊の数が減って、思うように事が運ばなくなっていたのだ。
 そういった目論見の甘さから破綻が始まり、その結果は日本人の死者だけでも300万人以上という犠牲者を産み出した。そして、最終的には国家の破滅という結末が待ち構えていたのだ。


■太平洋戦争(大東亜戦争)の作戦■

 戦時中の個々の作戦の中でも代表的な失敗策と言われる「インパール作戦」を振り返ってみると…。
 この作戦は、日本軍の根拠地のあるビルマ(現ミャンマー)から200km以上も離れたインド国内にある連合軍=イギリス軍の拠点地のインパールを、30~60kgもの装備を背負った兵士達とそれ以上の重量物を背負った牛馬が、途中でいくつもの標高2000m以上の山々を超えつつ、徒歩で移動した後に攻撃するという作戦だった。
 当然ながら、立案当初から移動の困難さと補給の不備を指摘され、現場の指揮官の一部から強く反対されていたものを、現地本部の司令官の「付近のビルマ人からの徴収に加えて移動に使う牛馬を潰して食えばよい」という判断と、その司令官に旧来から同調的(友人とも)であった直属の上官であるビルマ方面軍の司令官の裁可で無理矢理遂行することになったのだ。
 敵の拠点を叩くという着眼点に対する評価は高かったという説もあるし、現場指揮官と兵士達とが奮闘して作戦初期段階にはイギリス軍をピンチに陥れた場面もあったが、最終的には参加将兵約8万6千人のうち戦死者3万2千人余り(その大半が餓死者)、戦傷者、戦病者(栄養失調者とマラリアや赤痢等の患者)は4万人以上という犠牲を出して失敗した。
 主な敗因は当初の指摘通りの無理な行軍と、元々から補給物資の絶対量が足りないうえに移動中の渡河で牛馬の半数以上が流されてしまったことによる餓えと、最終的には投石による対抗しか出来ない状態までに陥った弾薬類の補給の不備だったそうだ。(対したイギリス軍は豊富な物資を空輸し続けてもらっていた。)
 情けないことに立案した司令官は着の身着のまま状態でビルマ国内に撤退してきた数少ない将兵を「おまえらが弱いからだ」とばかりに罵倒した挙げ句、撤退する日本軍を追って攻め込んできた連合軍の砲声が司令部の近くで聞こえ始めた途端に自らが我先に前線から消え去ったという。
 にも関わらず、その司令官とその上官はこの作戦の失敗について大した責任を問われなかったのだが、それは作戦を許可した更に上層部の責任が問われることになることを避けるためだったそうだ。
 この様にずさんな計画の下、無謀とも言える積極果敢に推進する側の勢いに押されて後方のフォロー無しに突き進んだ作戦は数多くあり、その結果、戦地では弾薬、食料等の不足が原因でマトモに戦わずして戦傷病死や餓死した兵士は数知れないのだ。


■疚しき沈黙■

 旧海軍はその国力の差から対米戦争には反対する勢力もあったし、戦中に遂行した勝ち目のない作戦にも反対する意見があったのに「その声がなぜ大きくならなかったのか?」に対する答えが「海軍反省会」と言われる旧将官達が戦後に集まった会議の中での録音にその肉声が残っている。

 「心の中では解っていながら口には出せず、組織の空気に個人が飲み込まれていく。」「これを疚しき(やましき)沈黙と呼んでいました…。」

……………。



■福島原発の今■

 今、「起こっては困ること」が福島の原発で実際に起こっている。
 そしてそこでの出来事を上述した66年も前の戦中での出来事に当てはめてみると、多くの部分で合致してしまうことにボクは我々日本人の「進歩のなさ」を感じて落胆してしまうのだ。
 また、付け加えるのなら、被害を小さく見積もった事後報告を小出しに発表し続けている姿は、まるで大本営発表的に思えてしまうのだが…。



■203高地での児玉源太郎■

 しかしながら、それよりも更に遡った明治時代に目をやると、昭和から平成にかけてとは違ってリーダーシップをとることの出来る人物が多く存在し、実際にその人達の知恵と行動が窮地からの脱出に繋がった例が多いことに気付かされるので、希望が生まれてくる。その代表者として日露戦争時の児玉源太郎を挙げておきたい。

 日露戦争に関する本は歴史書から小説まで様々なモノが発刊されているが、その中でもっとも代表的なモノが司馬遼太郎著「坂の上の雲」だということは多くの人との意見が一致するところだと思う。勿論この作品は「小説」として書かれているし、書かれた時代がやや古いことから最新資料を基にして書かれている現代のモノとは違う解釈があって「史実とは違う」と指摘されることがある。それを踏まえたうえで引用すると…。

 日露戦争の代表的な戦いの一つである、旅順要塞の攻略戦。その中でも港内に籠もるロシアの艦隊を砲撃するための観測地点である203高地の攻防での際、指揮官である乃木希典と参謀長の伊地知幸介のコンビは、防御を固め機関銃を据えた陣地に向けて小銃で突撃を繰り返すという戦法(当初はそれ以外の方法がなかったという説が今では有力)でいたずらに死傷者を出し続け、膠着状態が続いていた。
 それに業を煮やした大本営が、総参謀長の児玉源太郎を派遣するのだが、現地に到着した際にまず児玉が指令部内で確認したことは、部内の人間が203高地に張り付いている百余人の兵士の姿を人づてではなく「自身の目で確認したのか?」ということだった。そして誰も居ないということを知った児玉は参謀クラスの3人を弾が飛び交う中に派遣して実情をその目で確かめさせるとともに、司令部自体を兵が実際に戦っている激戦地近くへと移動させる命令を下す。
 また、作戦会議の際に記入された地図に間違いを見付けた途端に、その地図を作成した参謀の「陸軍大学卒業生にのみ与えられる名誉の記章」をはぎ取り、「国家は貴官を大学校に学ばせたが、貴官の栄達のために学ばせたのではない。」と叱責した。
 児玉が到着して以降も203高地はロシア軍と何度も争奪を繰り返していたが、ついに児玉は、それまで「残った味方を撃ってしまう」という理由等から使用を制限していた28cm砲の203高地への集中使用を決意する。しかし命令を受けた砲の専門家達に「移動には2ヶ月はかかる」と言われてしまう。そこを「万人単位で移動させろ!」と大喝して督励した結果、たった一日での移動を成功させるのだが、その集中使用を始めてから僅か半日で203高地の攻略を終えたそうだ。


 国家的危機が訪れた場合には強烈なリーダーシップをとれる人物の牽引が必要だと思うが、残念ながら現在の日本に適任者が居るようには思えない。しかし、なぜ明治時代には児玉源太郎や、それ以外の偉人達のようなリーダーシップをとれる人物達が居たのだろうか?。それは児玉源太郎達を産んだ明治には市民の中に沢山のミニ児玉源太郎が居たからだと思う。
 ボクを含む我々現代日本人は戦後の高度成長期を経て「経済は一流、政治は二流(あるいは三流)」と言った風潮の中、自らの豊かさのみを追い求めていたように思う。そして、たとえ選挙があっても「行っても変わらない」とばかりに、ろくに投票すらしてこなかった。(勿論、最近では少しマシになっているが…。)しかしそれは熟慮したうえでの「行っても変わらない」ではなく「何にも考えていなかった」ことに対する言い訳だったように思う。どうやらそのツケが回ってきているようだ。
 最近見たyoutubeの中では「我々国民の政治に対する意識が三流だから政治が三流なのだ。」と、とある評論家が言っていたが、正しくその通りだと思う。
 今後更に続くであろう、未曾有の危機を乗り越えるには我々市民側に本腰を入れた意識改革が必要になってくるだろう。かく言うボクも子供達の未来のためにその決意の下に生きてゆくつもりだ。
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今季渓流初釣行

2011-04-02 12:30:00 | 渓流&管理釣り場での釣り
 実は、この記事を書いたのは東北・関東の震災以前だったのだが、書きたいことが他にあって保留にしていたモノだ。よって多少のタイムラグがあることをお許しいただきたい。


■スタートは高原川水系から■

 長良川のように2月から解禁されているところもあるが、大勢では3月1日から解禁するところが多いので、ボクの場合もこの日を渓流釣行のスタート日としている。
 過去2年は中国地方の川で過ごしていたが、今シーズンは思い切って岐阜県最北部の高原川水系をスタート地点とすることを以前から心に決めていた。コレは魚影の濃さは全国でも有数であるし、上流部の蒲田川(がまたがわ)には温泉からの温水が流れ込むのでスタートの時点からコンディションの良い渓魚が出るといわれていたからだ。
 しかし、そのことについては全国の釣り人が知っているワケだから、解禁初期には釣り人が集中するに決まっている。ここでいつものヘソ曲がりが出てしまって、この水系では最北に近い富山県境から流れる跡津川、その中の打保谷というところを目指すことにした。コレは昨年の同時期に、この地を訪れて好釣果を得ていた他の釣り人のブログを通じてチェックしていたから少し期待はしていたのだが…。

                
                     ●神岡鉱山跡を越える道は当然雪道だ●

 勿論、ここへのアプローチはこのシーズンであればスタッドレス・タイヤの装着は必須でもあるので、来る人も多少は減るだろうと思ってはいたが、今年発売の渓流専門誌にも巻頭で紹介されており、多少の不安もあった。案の定、神岡の鉱山跡を縫うようにウネウネと走る道をひた走り、入渓点と思しきところに到着すると、既にそこには金沢ナンバーの車がデン!と2台も駐車されており、少し下ったところからの入渓を余儀なくされてしまった。

                 
                        ●到着時には-6度を指していた●


■実釣スタート■

 スタート地点は入りやすそうなところの中で、他人の足跡が付いていないところを探したのだが、当然そんな場所は雪に埋もれながらの移動になる。しかし、そんなこともあろうかと安物ながら「かんじき」を持ち込んでおり、コレがかなりの効果を上げた。

                 
                             ●1980円なり●

                 
                          ●今年は、ここからスタート●

 いつも高原川での釣行時にお世話になる「宝フィッシング」さんの事前情報では、「水温が低く魚は動いていない」と聞いてはいたが、水温の低さは川に入ると、文字通り身に凍みて感じる。最初からは期待せずに第一投したが、そのとおりに川からは生命感が伝わらない中でのスタートになった。

                 
                   ●シブキが枝にかかると再び凍るほどの気温だ●

 勿論、この時期だから深い淵に居るであろう魚を狙うのがセオリーなので、そんな場所を重点的に狙い打ってゆくが、無反応。少し車で移動しながら「ここは!」というポイントで反応をうかがうが、どこも同じ状況だった。

 「はてさて」と困り果てていると、ちょうど漁協職員が鑑札をチェックしに来たので確認をしてみると、やはり全体的に状況は芳しくないとのこと。この時点で既に午前11時を過ぎていたので、この場を諦め、大移動を決意することにした。

                 
                     ●鉱山跡の上部から神岡町内を見下ろす●



■蔵柱川へ■

 「とりあえず1匹を…」との思いから、情報で好調と聞いていた蔵柱川へと向かった。この川は下流部は自然渓の様相が漂うものの、逆に中流部になると両サイドを護岸した里川になって、渓流釣りの趣はほとんど感じることが出来ない。

                 
                             ●こんな渓?相●

 どこでも簡単に入れる川だけあって現地に到着すると、釣り人の踏み跡が結構残っている。その雰囲気に「長居は無用」と思いつつも、気になるポイントを見掛ける度に仕掛を打ち込んでしまう釣り人の性が出てしまう。しかしながら本気にはなれず、横着にも川沿いの道路に車を駐めて道路上から仕掛を振り込むのだが、得てしてこんな時に魚は来るものだ。そんな釣りに本年初ヤマメが登場する。

                 
                           ●15cmの放流サイズ●

 続いて車で下る内にこんなポイントに差し掛かる。

                 
                      ●見るからに好ポイントだが、道路沿い●

 そして、ここでもややマシなサイズのヤマメをゲットする。

                 
                              ●でも18cm…●

 結局この川では6匹出たものの、キープできるサイズは4匹。わずかな釣果ではあるが、とりあえず翌日に家族で食う予定になっている天丼に入れる具の足しにはなりそうな量がキープできたので、もう少しサイズアップを狙って2度目の大移動を開始した。


■本流は…?■

 次に到着したのは高原川の本流だった。少し時期的に早いとは思うものの、他の候補地も浮かばず「一か八か」での挑戦だ。
 しかし、河原に入ってみるとビックリだ。周辺部の水位計を事前に調べた際には平水よりもややプラスだったにもかかわらず、昨年の訪問時に比べて水が極端に少ないのだ。

                  
                           ●水の少ない葛山の上流部●

 しかもポイントが潰れており、困惑してしまう。
 とりあえずそれらしきポイントに仕掛を打ってゆくが、無反応。やはりこの区間では時期が早すぎたということになるとは思うのだが、移動しながら仕掛を打ち込み続けても生命感が全く伝わってこない。まぁ、ここは4月以降に攻めるべきだろうと、早々に諦めてしまった。しかし釣果のことよりも1ヶ月経った後に水量が回復しているかが、気がかりなのだが…。


■蒲田川へ■

 こうなれば、たとえ人が攻めた後でも、仕掛や釣り方の工夫で少量なら何とかなるかも知れないと、温泉水による水温上昇に期待して「最後の賭け」をしに蒲田川に移動した。
 移動中に見下ろす蒲田川は「釣れていない」という情報が流れているからか、それとも午後の時間帯だからなのか、釣り人の姿はほとんど見えず、どこにでも入れそうな雰囲気だった。
 とりあえずヘリポート下の淵が空いていたので竿を出してみた。

                  
                             ●ヘリポート下あたり●

 やはり、というか案の定というか、ここにも生命感はなく、水は澄み切って如何にも水温が低そうに見える。そして「全くダメだ」という答えは簡単に出た。
 少し移動して竿を出してみたが、答えは同じであり、もう他に思い当たるポイントもないので納竿とした。

                  
                        ●帰り際に見える、新平湯方面の景色●
                  
                        ●貧果の後は、追い打ちの大停滞!●


■今期の高原川■

 今期の展望をうかがうために、ワイドに移動して探りを入れてみたが、事前の情報どおり、状況は芳しくなかった。
 帰宅後に漁協関係者のブログを見ると、あまりの釣れなさに、調査が入るということが書かれていた。同ブログによると、発電等の取水の増減と河川改修によって水量と水温が例年とは違っているうえに、解禁前から続く地震の影響も考えられるそうだ。
 勿論今回のボクの釣果はシーズン初期であるからこの結果だったのであり、4月以降の回復を信じているが、「もしかすると…」という事態が起これば年券が7000円もする川だけに残念さは割り増しになってしまう。まずはそうならないことを祈るばかりだ。
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