中島ブラザーズ ”弟”の「外で遊ぼう!」

近頃は日本海で、ヒラマサを追ってばかり。よって磯釣りや渓流釣りは休止状態ですが…。

’20 最終更新

2020-12-26 12:30:00 | 音楽
 ’20年も、とうとう終わりを告げようとしている…。
 今年も生涯目標のクエ30kg、ヒラマサ130cmには届かず、クエは6.5kgが1本のみ、ヒラマサは89本釣ったものの、殆どが70cmクラスであり、90cmクラスが2本と、80cmが1本という、全く喜べない結果に終わった。
 コロナ禍であっても、「せめて釣りだけは…」と、思っていたが、大して自慢する話も無く、パッとしない一年だった。だから「来年こそは!」と言っておこう。
 年明けの掲載は初釣りが終わってからになる予定だ。

皆様におかれましても「来年が良い一年でありますように。」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幸か不幸か

2014-06-07 12:30:00 | 音楽
 齢50を迎えると、覚える(られる)ことよりも思い出すことの方が得意になっているような気がしないでもない。今年になって、特に昔を振り返り懐かしむ機会が増えており、何だか急に、いつものVドラム(電気仕掛け)ではなく、本物のドラム(生)が叩きたくなっていた。
 そんな中、「引っ張り出して、チョッと叩いてみるか」と意気込んではみたが、ボクの所有するドラムセットは、何しろ80年代前半の製品なので、メッキのサビ浮きを始めとする、腐食が進んで往時を見る影もない状態になっている。
 ならば、スネアドラムだけでもレストアしてみようと、メッキ磨きを片手にゴシゴシと磨き上げてみた。ツヤ具合は7割方回復させるのが限界だったが、新品のヘッドを装着してチューニングを施し、スタンドに乗せて叩いてみた。
 ボクのヘタなスティック・ワークでもイイ音かつ結構なヴォリュームで鳴ってくれるので、気持ちがイイ。それもそのはず、ボクのスネアドラムはPearl社の往年の名器”ジュピター・6 1/2インチ”であり、これはその昔、KISSのピーター・クリス等が愛用していたモデルなのだ。

 
●往年の名器”ジュピター”●


 スネアドラムでの練習は、ドラム練習の基礎。なので、基礎練習を30年振りに再開してみる。
 普段遊んでいるのはVドラムという、言わば電子楽器なので、そとは全く違う感触に驚くばかりだ。Vドラムがセンサーを操作する感覚が必要なのに対して、生ドラムは自分のパワー&スティックのコントロールでダイレクトに鳴らさなくてはならないため、違いは当然と言えば当然だ。
 まずはシングル(片手で1回ずつ打つ奏法)とダブルストローク(片手で2回ずつ打つ奏法)のコンビネーションあたりから手をつけたのだが、シングルは兎も角ダブルの方は、衰えた腕では2発目のボリュームが出ず、どうもウマくいかない。「何かイイ練習方法はないものか?」とyoutubeを検索すると、過去のボクには知りようが無かった、あらゆる練習法が画像でアップされていることに気付かされた。

 思い起こせばボクが中高生だった頃は、ドラム演奏を上達させるには有償でドラムレッスンを受けるか、さもなくばブラスバンド部などに入部するのが一番の方法だった。だが、ボクのような独学派は僅かな数の教則本の、付録のようなカセットテープを聴いてひたすら想像するしか方法がなく、練習法は実にいい加減な状態だった。そう言えば、ボクの周りのギターやベースを弾くメンバーの殆ども独学で練習をしていたが、ドラムと同様に当時は基礎となる練習法を教わる機会も少なかったので苦労をしていたことを記憶している。
 ついでに言えば、バンドメンバーとの間で演奏する曲目を決めようにも、バンド用の譜面集の数は少なく高価だったし、明らかに誤記をしている部分もあったので、殆どの場合、カセットテープを部分的に何回も「キュルキュル」と巻き戻し再生して一音一音を拾いながらコピーするという、努力を重ねていた。
 その点、現代は上述したように、youtubeを検索するだけで、一方通行とは言えドラムその他の講師のレッスンがタダで受けられるし、タブやコード譜の無料配信もかなりあるので、ボク達がやっていた苦労はしなくても済む場合が多いようだ。

 と言った次第で「今の人達は幸せだな~。」と言いたいところだが、簡単にそうとは言えない。何故ならボク達の世代は時間が掛かり苦労する分だけ、その他大勢から抜け出した先にライバルは少なかったハズであり、反面、今の世代は平均レベルが底上げされているために、そこから抜け出すのは至難の業だと思うからだ。また、始めから多くの答えが出揃っている分だけオリジナリティーを持ったスタイルになるのは、想像力に頼るしかない部分が多かったボクらの世代よりも苦労が多いようにも思える。

 「内向きで守りに入る若者世代」と簡単に批判する人がいるが、出尽くした感のある中で光る存在になることの難しさは、今回の音楽の例を見ても納得できるし、他に思い当たるフシも相当数あるから、一様に責めることは難しい。以前ならボクも責める側であったが、歳を重ねたせいか観点が変わって「情報過多の現代が便利であることには間違いないが、ある意味では不幸だ。」と、思うようになった今日この頃なのである。

 で、肝心のドラム練習の方はと言うと、そもそもの腕前自体が大したことがないうえに、練習をしたところで30年以上前の出来になるはずもない。だから、ただのボケ防止と言ったところだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JOHN MAYER LIVE IN CONCERT

2014-05-10 12:30:00 | 音楽
■待ちに待った来日■

 前週のTOTOに続き、今度はジョン・メイヤーがやって来た。クジ運が悪いボクとしては上出来の「ステージの左端だが、5列目」の席が当たっていたので、チケットが届いたその日から、ワクワクし、待ちに待っていたライヴ・コンサートだ。

 説明するまでもないのかも知れないが、ジョン・メイヤーは400万枚のセールスを記録したデビューアルバム(2001年)を始め、音楽界では、世界最高のステータスを持つグラミー賞の、”最優秀男性POPヴォーカル賞”を始めとして、関連の賞を7度も獲得するなど、実績は申し分なく、世界レベルのスーパースターの1人だ。
 それだけだと彼を知らない人は「(日本で言うところの)歌手なの?」と思ってしまいかねないが、凄腕のギタリストでもあり、その評価は高い。日本では、ジミー・ペイジ、ジェフ・ベック、エリック・クラプトンの「三大ギタリスト」に続く、「現代の3大ギタリスト」として、デレク・トラックス、ジョン・フルシアンテと彼の3人を讃えているし、より評価のキビシイ海外でも同様に、デレク・トラックス、ジョン・フルシアンテと並んで彼を「The New Guitar Gods」として、ローリングストーン誌が賞賛している。
 そんなジョン・メイヤーだが、ここ近年で喉の手術を2回も受けており、一時はマトモにしゃべることもできず、声質も変わってしまい、約2年に及ぶ苦難の日々を過ごしていたそうだ。
 この話には正直言って心配していた。事実、今回の公演の直前に行われたオーストラリア公演の映像をyoutubeで見る限り、苦しそうに歌う姿もあったからだ。
 ただし、彼にはそれを引いても充分オツリがある。「『そうであってもギターが聞けるさ。』と割り切ればイイ」と思うのだが、肝心のギター・プレイの方も、実のところ最近のアルバム3作ではギンギンにギターは弾いていない。特に直近の2作はそんなにボク好みではないカントリー・ソング路線のため、かなり控えめなのだ…。
 そして、4月30日。「どうなることやら…。」と、会場の大阪城ホールへと向かったのだが…。

●会場前の大看板●


■心配ご無用■

 今回のセットリストは、

 1.Queen Of California (BORN AND RAISED より)
 2.Belief (CONTINIUUM より)
 3.Who Says (BATTLE STUDIES より)
 4.Paper Doll (PARADISE VALLEY より)
 5.Promises (ERIC CLAPTON のカヴァー)
 6.No Such Thing (ROOM FOR SQUARES より)
 7.Waitin' On The Day (PARADISE VALLEY より)
 8.Slow Dancing In A Burning Room (CONTINIUUM より)
 9.Neon (ROOM FOR SQUARES より)
 10.Free fallin' (TOM PETTY のカヴァー)
 11.Wild Fire (PARADISE VALLEY より)
 12.Edge Of Desire (BATTLE STUDIES より)
 13.Why Georgia (ROOM FOR SQUARES より)
 14.I Don't Trust Myself (With Loving You) (CONTINIUUM より)
 15.If I Ever Get Around To Living (BORN AND RAISED より)
 16.Waiting On The World To Change (CONTINIUUM より)
 17.Dear Marie (PARADISE VALLEY より)
 ~アンコール
 18.Gravity (CONTINIUUM より)

 という流れだったが、結果は心配は要らなかった。ギターは強烈プレイだったし、歌もいつもの通りで声に全く問題はなかったのだ。

●凄ワザの連続はさすが●

 途中、驚いた箇所があった。それは、サポート・メンバーが一旦脇に下がり、アコースティック・ギターを片手に彼1人で登場した際のことだ。
 客席に向かって「何をやって欲しい?」と彼が聞くと、客席の多くから大ヒット曲の「NEON」との声が上がった。すると、ジョンが「ギターが聞きたいの?」と言いつつ、おもむろに1番低音側の6弦のチューニングを下げ始めたのだ。(調べると2音だそうだ)ライヴDVDを見た人は知っていると思うが、「NEON」のアコースティック・ヴァージョンでジョンは、親指で6弦をはじきながらベースギターのような音を出し、残りの指を使ってコードを押さえることで、あたかもベースとギターが同時になっているかのような音を出して演奏する。そのためにチューニングを下げていたことは知らなかったが、始めから弾くことを予定していたのなら、始めからそれ用にチューニングしたギターを持ってくるハズだ。しかし、その場でペグを触ったということは、客のリクエストに応えたということの証になる。彼程のスーパー・スターがこんなことをしてくれるというのは大きな驚きだったし、「NEON」という曲が大好きなボクには涙がチョチョ切れるほど嬉しさが込み上げる瞬間だった。

●サポートメンバーも凄腕揃い●


 そして、アッという間に”至高の幸せ”の時間が過ぎていった。
 上段で書いた「カントリー・ソング」に関しても、CDで聴くのと、ライヴで聴くのには大きなイメージの違いがあった。「聴くだけ」と、「体感し、見聞きする」とは大きな違いがあるのは勿論理解しているつもりだが、ここで体験した感動は、カントリー・ソングが「アメリカ人の心の歌」と言われる所以に気付かされた瞬間だった。 


■伝承者■

 ボクの大好きなブルースロック界に故スティーヴィー・レイ・ヴォーンというギタリストが居る。そして今回のジョン・メイヤーがリスペクトするのが、そのスティーヴィー・レイ・ヴォーンだ。この件に関しては彼自身が語っているし、バイトで貯めた金で買った最初のギターがスティーヴィー・レイ・ヴォーンのシグネチャーモデルであり、ファーストアルバムで「LENNY」という曲をカヴァーしていることでも理解できる。(その他、以前にしていたSRVのタトゥーや、遺品の機材を使っているなど、多々)
 また、そのスティーヴィー・レイ・ヴォーンがリスペクトしていたのが、かの偉大なギタリストの故ジミ・ヘンドリックスであり、同じくジョン・メイヤーもジミ・ヘンドリックスをもリスペクトしていて、「BOLD AS LOVE」という曲をカヴァー演奏している。
 アメリカのロック界にはこういった伝承者とも言うべき、それも天才的な伝承者が何年かごとに出てくるが、いつもボクが感心するのは、諸先輩方から多大な影響を受け、テクニックなど取り込んでいるハズなのに、自身のオリジナル曲は勿論のこと、カヴァー曲であっても模倣はなく、昇華させたオリジナル・スタイルになっているというスゴさだ。そういうサウンドだから世に受け入れられ、大ヒットするのであり、逆を言えば聴く側の耳が肥えているということにもなるのだろう。この点は、「どこかで聞いたような…。」と思うことが多い、どこかの国の事情とは大きく違う点だ。そしていつも思うことだが、そういった素晴らしい音楽を母国語で聞き、歌詩の深い意味まで理解できる人達が羨ましく思ってしまう。だが、それは自分が英語を勉強しなかったツケであるから、文句の持って行き所はないのだが…。

 ジョン・メイヤーは只今36歳。彼自身は高校時代に交換留学生での初来日を始めとして、プライベートで1ヶ月以上も日本に滞在する程の親日家だそうだ。だからこの先幾度も来日公演があるだろうから、その都度、都合が許す限りボクは見に行きたい。これから先円熟度を増してゆく彼を見るのが楽しみだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

TOTO 35TH ANNIVERSARY

2014-05-03 12:30:00 | 音楽
■TOTO35周年ツアー■

 以前にこのブログでも書いたが、中学3年の時にデビューアルバムを聴いて以来、大ファンとなったTOTOが、約2年半ぶりに日本にやってきた。
 場所は大阪中ノ島のフェスティバルホール。大昔に旧館に入った経験があるものの、建て替え後は初めての入館だ。

●フェスティバルホール●

 バンドのメンバーは、オリジナル・メンバーのスティーヴ・ルカサー、デヴィッド・ペイチ、スティーヴ・ポーカロの3人に加え、ヴォーカルは3代目ヴォーカリストのジョセフ・ウイリアムスが担当し、ベースはネイザン・イースト(世界最高峰のベーシストの誉れ高い人物)、ドラムには今回の日本ツアーから参加のキース・カーロック(ジョン・メイヤーやスティングのバックもつとめる)も加入しており、陣容から言えば、(いつものことだが)世界屈指のクオリティを持つメンバーが集結している。

 オープニングは、 ON THE RUN (TOTO XXより)(一部CHILD'S ANTHEMのリフが入る) ~ GOODBYE ELENORE (TURN BACKより)で、

●オープニング●

以下、
GOIN’ HOME (TOTO XXより)
HYDRA (HYDRAより)
St. GEORGE AND THE DRAGON (HYDRAより)
I’LL BE OVER YOU (FAHRENHEITより)
IT’S A FEELING (TOTO IVより)
ROSANNA (TOTO IVより)
WINGS OF TIME (KINGDOM OF DESIREより)
FALLING IN BETWEEN (FALLING IN BETWEENより) 
I WON’T HOLD YOU BACK (TOTO IVより)
PAMELA (THE SEVENTH ONEより)
99 (HYDRAより)
1WHITE SISTER (HYDRAより)
AFRICA (TOTO IVより)
HOW MANY TIMES (KINGDOM OF DESIREより)
STOP LOVING YOU (THE SEVENTH ONEより)
~キース・カーロックのドラム・ソロ
 と、続き、ラストはファーストヒット曲の
HOLD THE LINE (TOTOより)
アンコールは
HOME OF THE BRAVE (THE SEVENTH ONEより)
で、締めくくられた。

 スティーヴ・ルカサーは何年か前に潰してしまった声のため、昔のような声ではなく、今回も歌はキビシ目だったが、ギターはいつもながらのアグレッシヴ&ワイルドかつ緻密なウルトラ・プレイの連続だった。

●スティーヴ・ルカサー●

 ヴォーカルのジョセフ・ウイリアムスも若き日のツヤ感はやや後退したものの、TOTOの曲全般を占めるハイトーンを出すには何の問題もない状態だった。

●ジョセフ・ウイリアムス●

 デヴィッド・ペイチも相変わらずタッチがしっかりしていて、エッジの効いたピアノ・サウンドを聴かせてくれた。

●デヴィッド・ペイチ●

 勿論、キーボードのスティーヴ・ポーカロは古い言い方だが、この人にしか出せないシンセサウンドだったし、ネイザン・イーストは控えめながら「見る人が見れば強烈なプレイ」だった。
 何よりもドラマーの”超端くれ”のボクにとっては、キース・カーロックのプレイはキョーレツだった。これまでのTOTOでドラムを担当していた故ジェフ・ポーカロやサイモン・フィリップスは「ロック畑の香り」がするプレイだったのに比べ、彼のプレイは「『ジャズ・フュージョン畑の香り』が漂いながらもしっかりロックしている」から、今までとは異色なリズムとなっていた。特にドラムソロは、こっちの口は開いたままとなって「物凄い」としか表現のしようがないプレイだった。

●キース・カーロック●


 アッという間でありながら、盛りだくさんの約2時間20分だったが、個人的にはプログレ色が強くて好みなセカンドアルバム「HYDRA」からの選曲が4曲もあったのが嬉しかったし、同行した同じく大ファンの妻共々、大盛り上がりで過ごすことができ、大いに幸せだった。

●フィナーレ●

 これほどまでの「パーフェクトなテクニックの下支え」があるロックバンドは数少なく、TOTOの他は僅かしかいないように思えるし、今後も出てこないように思うのは大げさではないような気がする。次はいつになるのかは不明だが、是非ともチケットを買い求めることにしよう。


■帰宅後に…■

 帰宅後に公式パンフレットを眺めていると、スティーヴ・ルカサーのインタビュー記事にこんなことが書かれていた。
「40年以上に渡って兄弟として活動してきたバンドのメンバー達だけど、その中身はポーカロ家のガレージで集まっていた15歳の頃の気持ちと変わっていない。」
 ボクにも、バンドを組み、みんなで「中島家の工場で集まっていた15歳の頃」があったが、その始まりが丁度35年前のことだ。勿論、TOTOのメンバーとは「天と地、いや「天と地底深く」ほどの次元の違いがあるし、ボクらが現在までバンド活動を続けているワケでもないが、今も付き合う親交のある友達は、あの頃集まった自身が属していたバンドのメンバーや、他のバンドのメンバーとその周囲に居た人達だ。そんなみんなと歴史を刻んできた中で楽しい想い出が多く残っているが、今年に入ってから今まで経験したことのない、悲しく辛い別れがあった。同様な出来事がTOTOのメンバーにも起こり、やがてはオリジナルメンバーがスティーヴ・ルカサー1人になって、2008年に一度は解散に至っている。しかし、その後、2010年に再結成をしてからの彼らの活動は、減ってはしまったが、再結集した昔の仲間とプレイできることを心から喜び、メンバーとのツアーを楽しんでいるかのような印象を受ける。この日、彼らが生き生きとプレイする姿を見、この記事を読んだことで、悲しみを乗り越えている最中にボクは、何だか勇気づけられたような気がする。
 「本当に行って良かった。」そう思ったTOTOの35周年ライヴだった。

●公式パンフレット●
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

KISS MONSTER TOUR 2013

2013-10-26 12:30:00 | 音楽
■MONSTER TOUR 2013■

 「You Wanted The Best!? You Got The Best! The Hottest Band In The World, KISS!(最高が欲しいんだろう!? お前は手に入れた! 世界一熱いバンド、キッス)」

 今回来日したアメリカン・ハードロック・バンド、「KISS」は'73年がメジャーデビュー。その当時ボクはまだ小学生だったので、リアルタイムでは知らない。実際にKISSに興味を持ったのは中学1年になった頃で、兄貴が買った二枚組のライヴアルバム「ALIVE!(邦題=アライヴ!~地獄の狂獣)」を聴き、衝撃を受けてからだ。そして、以後現在に至るまで、洋楽の世界にのめり込んでゆくことになった切っ掛けが、このアルバムだった。
 このライヴアルバムのオープニングでMCらしき人が叫ぶのが上段の言葉で、このアルバムの発表当時はもちろんのこと、以降現在まで、彼らのライヴはこの言葉で始まる。

 中学生時代前半、この頃は特にKISSに夢中だった。その影響か、やがて趣味でドラムを叩くようになるが、初めて買ったドラムセットは安物だったものの、オリジナル・ドラマーだったピーター・クリスと同じPearl社製であることが誇りだった。(ピーター・クリスのドラムは後にDW社に変わったけど…。)
 しかし、本格的にバンドを組み、そのメンバーとなったのは、高校へと入学してからだった。年に一度開かれる校内の文化祭に向けて、はたまた楽器メーカー主催の、アマチュアバンドのコンテストに向けて日々練習を積む中、バンドのメンバーを始め、他の様々なバンド仲間とも交流が深まっていった。その中にもKISS党が居て、よく「あの曲がかっこイイ」だの、「この曲がカッコイイ」だのと、よく話していた。ボクが好きだったのは、「Strutter」、「Parasite」や、ピーター・クリスがドラム・ソロを叩く「100,000 Years」だった。しかしバンド仲間の一人が、KISSのリードギタリストだった、エース・フレイリーと同じ”レッドサンバースト”カラーの3ピックアップ仕様のレスポール(勿論コピー品)で「Let Me Go, Rock 'n' Roll」をリフを弾くのを聞いて以降、何故かこの曲が頭にこびりつき、今ではそれがKISSの曲中で一番好きな曲になっている。
 そして、当時のKISS党仲間やバンド仲間がこれまで、そしてこれからも永遠に付き合うだろう、ボクの大切な友人達となった。だから、KISSはボクと友人達とを結びつけた糸の端に繋がっている。
 そんなKISSが、2012年に発売のアルバム「MONSTER」をひっさげ、「MONSTER TOUR 2013」として7年ぶりに日本へとやって来たのだ。そして、関西での公演は大阪城ホールだ。

●公式パンフレット●


■いざ、会場へ■

 当然ながら、KISSの来日はこれまでも何度もあった。今や東京在住者となってしまったKISS党仲間は、幾度か見に行ったようだが、ボクが初めてチケットを購入したのは2011年のツアーだった。但し、このツアーは発売後僅か数日で中止となったため、ボクにとっては今回が初めてのKISS経験になる。(50歳を目前にしてのファーストKISS!?)
 会場に向かうと既に長蛇の列ができていた。KISSのファンクラブの会員を”KISS ARMY”と呼ぶが、それっぽい人や、ボクのような予備役?、そして若いファンまでが大集合していた。(注:現役軍人とは違って、一般社会で生活をしていて、有事に応じて軍籍へ戻る人のことを予備役軍人という。)

●KISSファンの群れ●

 会場の入口で、ある掲示物に目が行った。普通はここで「撮影禁止、カメラ持ち込み禁止」の御触書があるのだが、今回そこにはプロ用カメラのみが禁止と書かれていた。実際、場内に入っても放送では「スマートフォンや携帯で撮影し、ドンドン拡散して下さい。」と、アナウンスされていたので「時代は変わったモンだ。」と妙に感心していた次第だ。

 席はアリーナ席の好位置だと言うことは判っていたが、後ろを見てビックリ!。始めはPAブースだと思っていたのが、それが実はDVDなんかでよく見る、サブ・ステージだったのだ。ここには「ラヴ・ガン」を演奏する際にリード・ヴォーカルをとるポール・スタンレイが、ワイヤーで吊られたリングに足を掛け、宙を移動してくるのだ!。その距離5mほどしか離れていない!。これには一緒に行った妻も大興奮だった。

●サブ・ステージ●


■ライヴ!■

 演奏の内容については僕がどうこう言うことではなく、文面で書いても仕方がないから、写真で綴ろう。

●この幕が落ちることで、文字通り「幕が切って落とされる」●


オープニングは「Psycho Circus」から…


●前半から全開!●

「お~っ!エース・フレイリーの『Shok Me』だ!」と思ったら、
その後にギター&ドラムの、二人だけの”掛け合い”が始まる。


●そしてギターが光線を放つ(って花火だけど…)●

●ドラムのエリック・シンガーも十分なパフォーマンス!●

この間、ステージを若手?二人に任せ、御年64歳のジーン・シモンズと、61歳のポール・スタンレイは休憩中。

ジーン・シモンズがステージに戻り、ベースのソロが始まると、

●ジーン・シモンズはいつものように血を吐き…●

●空に舞って蜘蛛の上で…●

「God Of Thunder」を唄う。(火は前半に噴いていた。)


●そしてポール・スタンレイ降臨●

●目の前で”LOVE GUN ”を唄う●

●ラストは”Rock And Roll All Nite”で紙吹雪の嵐●

思わず笑ってしまう程の猛紙吹雪の後は、アンコールがあって…


●ポール・スタンレイがギターをクラッシュ!●

●「LOVES YOU OSAKA」で、さようなら…●



■最高のパフォーマンス■

 デビューから40年も経つだけに曲数が多いため、2時間強のステージでは新作「MONSTER」からの選曲に加えて、過去のヒットをまんべんなく配分する必要があるだろうから、ボクの好きな4曲は全てセットリストから見事に外れてしまった。また、ドラムがオリジナル・メンバーのピーター・クリスから、エリック・シンガーに、リードギターがエース・フレイリーからトミー・セイヤーに、それぞれがKISSの混迷期を経て入れ替わっていることは、少しだけ残念な気もするが、2000年のリユニオン・ツアー時のライヴDVDを見る限り、抜けたオリジナル・メンバー二人のパフォーマンス低下をどうしても感じてしまうだけに、これはこれで良かったのだと思う。

 そんなことは兎も角、「世界最高クラスのライヴ・パフォーマンスを誇る」と言われている、彼らのライヴを見られたことはこの上なく幸せなことであった。
 「The Hottest Band In The World, KISS!( 世界一熱いバンド、キッス)」は本当だった。ジーン・シモンズの年齢を考えると、あと何回来日するのかは判らないが、予備役隊は次回も参戦する予定だ!。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Dear Sara.

2013-07-06 12:30:00 | 音楽
■流行遅れ■

 自分が若い頃、周囲のオッサン達が半年遅れで言うところの、「最近、こんなのが流行っているんやろ?。」といった話に対しては、「何を古いことを言うてんねん。」とバカにすることがよくあった。
 しかし、いざ自分がオッサン世代の中心になってみると、流行なんてモノから縁遠くなり、あの頃のオッサン達と同じようなモノであることに気付かされる。
 好きで聞き続けている音楽に関しても同様で、玉石混淆の、沢山の曲の中から、玉(良いモノ)だけを探し出す気力は萎え、近年の、あちらこちらで往年の名バンドなどの再結成が頻繁に行われる流れに「自身の居心地の良さ」のために取り込まれて、新しいモノに触れる機会が極端に減っている。
 また、昔、多量に聞きすぎたせいか、どこかから流れ聞いた「新しいと言われる曲」に対して、「コピーや盗作とまでは言わないが、誰々のあの曲と似ている。」と思った瞬間にサッと気持ちが引いてしまうことがあって、受け付けなくなることもよくある。
 こんな状態であることから、流れに取り残され、「ん、これは!」と思ったミュージシャン(アーチストとは言いたくない)が歌い演奏する音楽に出会った際には、既に発売から数年も経っていることがよくある。
 そんな中、今年に入って契約したWOWOWを見ていて久しぶりに魂を揺さぶられる歌声の持ち主に出会った。それが「サラ・バレリス(Sara Bareilles)」だった。


■ロックンロール・ホール・オブ・フェイム■

 WOWOWの放送で彼女を見たのは「ロックンロール・ホール・オブ・フェイム」という、日本語で言うところの”ロックの殿堂”の、2012年度の表彰式の様子だった。
 ロックンロール・ホール・オブ・フェイムとは、演奏者自身はもちろんのこと、その裏方を含めて、ロックの進歩と発展に貢献をした人々を讃えるために創られたアメリカ、オハイオ州クリーブランド市にある博物館のことで、殿堂入りするということは、その人の足跡が博物館に収蔵されるということである。
 この中に、この年新たに殿堂入りしたのがローラ・ニーロ(故人)だったのだが、この人の音楽はキャロル・キングやジャニス・イアンに代表されるいわゆる”ピアノ弾き語り”のジャンルに入る。
 このジャンルは演奏よりも歌がメインになるし、ポップスのみならず、ジャズボーカルもこなせる人も多いことから、かなりの歌唱力と表現力、それも日本の基準よりも遙かに高いレベルを持った人が、洋楽界の、このジャンルには伝統的に多い。

 実際の表彰式では本人が何らかの事情で歌えない場合や故人の場合は、ゲストとして呼ばれた他の誰かが、その人の曲をカバーして演奏し、歌うようになっている。そしてこの時、ローラ・ニーロの代表曲である、「Stoney End」をピアノを弾きながら歌ったのがサラ・バレリスだった。
 「Stoney End」という曲は今までにバーブラ・ストライザンド、ダイアナ・ロスというアメリカを代表する女性シンガーがレコーディングした名曲なのだが、その大先輩達を上回るパワーと表現力で彼女はこの曲を堂々と歌いこなしていた。
 その歌声は、ズシリと地を這うような凄味さえ感じる低音部から、透き通るようなファルセット部まで、レンジの広さは洋楽のレベルの中でも最上級クラスであるうえ、音域の全てにおいてパワーが衰えないところが実に素晴らしい。また、声質は少しハスキーでもあるが、枯れすぎず、個性が光りながら、クセがあり過ぎて好き嫌いのハッキリ出るタイプではなく、女性ロック&ポップの王道をゆく種類の声にも思える。
 こんな声に出会ったのは久しぶりのことであり、感動の内にその録画を何度となく見ていた…。


■アノ人だったのか…■

 そんなサラ・バレリスの声に魅せられて早速AMAZONのサイト内で色々と物色を始め、スタジオ版が2枚と、ライブDVD+CDのセットを「今更ながら」の購入に至る。
 メジャー・デビューが2007年ということなので、デビュー・アルバム「Little Voice」の発売はもう6年も前のことだが、その中からシングル・カットされた「Love Song(邦題は何故か「こんなハズじゃなかったラヴ・ソング 」)」はビルボードのPOPチャートで一位を獲得した他、全世界22カ国で1位を獲得しているそうだ。
 しかし、この曲だけであれば、POP過ぎて恐らくファンにはならなかったであろうとも思えたが、ブルージーな曲が好みのボクにとって、次の「Vegas」という曲は「Stoney End」の感動をよみがえらすには十分な曲だった。
 また、その次のアルバム「Kaleidoscope Heart」は、少しイギリスっぽさを感じさせるモノであり、これまた味わいが変わって歌声が生きる内容になっている。

●メジャー・デビュー作の「Little Voice」●


 彼女の作る曲は「Aメロ」「Bメロ」と「サビ」で形容される単純なモノではなく、サビの先にもう一つ「サビの“奥の院”」があるような展開であり、そこが聞かせどころにもなっている。
 また、ライブDVDとCDでも歌唱力の秀逸さが光り、パフォーマンスはスタジオ版よりも上回っているようにも思える。持っているアルバム全ての中で一番好きなのは、ライブCD(音源はDVDと同じだが、DVDは別収録と編集している部分がある)に収録されている「Vegas」と「Morningside」と続くところだ。
 他に、彼女のライブ映像はyoutubeでも多くを見ることができるが、世界中のチャートで一位獲得を連発したり、グラミー賞に連続ノミネートされたりする、言葉はキライだが、いわゆる“超セレブ”であるにも関わらず、電子ピアノ一つだけを持ってアメリカ各地の小さなホールを巡ってライブ演奏をしているようであるし、映像を見る限り、ライブ会場のほとんどで、ファンに対して陽気に、かつ気さくに語りかけている点も好感が持てる。

●セカンド・アルバムの「Kaleidoscope Heart」●


■来日時のエピソード■

 そんなこんなで、同時に大ファンとなった妻と共々に「一度ライブを見たいものだ。」と調べていたある日、「サラ バレリス 来日」と検索ワードを入れてみたところ、2011年5月、既に初来日していた模様であった。しかし、この来日時の様子が、にわかファンのボクに更なる感動を与えてくれたのだ。

 2011年と言えば言わずと知れた東北大震災の年である。かの震災では、まさにその直後に来日して予定通りコンサートを開き、チャリティー活動をした、シンディ・ローパーのエピソードが知られているが、サラ・バレリスも震災二ヶ月後「この時期に日本での来日公演があるのは何かの運命。日本の為に何かをしないと、いてもたってもいられなかった。多くの海外アーティストが日本公演をキャンセルしている中、『日本に来ても大丈夫なんだよ』と、みんなに本当の現状を伝えていきたい」と語り、予定通り公演を行っている。
 しかし驚くのはこの後の行動だ。何と、公演後、アジア・ツアーの最中であるにも関わらず、一週間の時間を割いて被災地である東北地方を訪れ、大船渡市内でバンドのメンバーやスタッフと共にがれきの撤去作業などのボランティア活動を行っていたのだ。
 その様子はyoutubeで今も見られる(http://www.youtube.com/watch?v=5Bz4RRWF7f0)が、自費で東北に向かい、ボランティア要員のために用意されたTシャツを着て現地の避難施設に泊まり込んで復旧・撤去作業にあたっている。その際の、バールを持って家の内装を解体する姿や、泥を浴びながらシャベルで一日あたり7時間以上もドブをさらい、それを一輪車でひたすら運んでいる姿が映像に残っている。そして、東北の現実を世界に知らせるために、この映像を本来はミュージック・ビデオおよびエンターテインメントのウェブサイトである「VEVO (ヴィーヴォ)」を通じて世界に配信しているのだ。
 それ以外にもチャリティーアルバム「ダウンロード・トゥ・ドネート:ツナミ・リリーフ」に参加し、「Song For A Soldier」という未発表曲を提供している。また、2011年夏から始まった自身のツアーにおいても、チケット1枚につき1ドルを寄付するなどの活動も行っているそうだ。
 ビルボード・チャートのトップに入るほどのミュージシャンでありながら、お金だけではなく、これほどまでに体を使って東北大震災の復興ボランティア活動をした人は、恐らく彼女以外に居ないと思う。


■ニュー・アルバム■

 ボクが興味を持った時点で、フル・アルバムの発売は2010年。その後にミニ・アルバムがあったものの、新作の発表が待たれていたが、7月16日(日本版は7月24日)ついに、ニュー・アルバム「Blessed Unrest」が発売されることになった。
 これに先行してyoutube内で、シングル・カット曲「Brave」のプロモーション映像が流されている。このBraveの詩は「言いたいことは勇気をもって言おう!(英語の解る妻の訳)」って内容らしく、妻と二人で「今の日本の状況に対する応援歌なのか?」と、勝手に解釈しているが、その真偽は別として、日本の恩人の一人であることは間違いなく、この曲を含めてアルバム発売が成功するように祈っているし、ボク自身もこれからも応援し、聞き続けていきたいと思っている。
 個人的な好みがあって、誰もが同じ音楽を好きになれるワケではないが、こと彼女の「歌唱力」に関しては第一級であるから、「ウマい女性ヴォーカルが聞きたい」という人には間違いはなく彼女の歌をお薦めできるので、ボクと同様に知らなかった人に対しては、とりあえず、youtube等で確認することをお薦めする。聞けば多くの人に気に入ってもらえるだろう。

 そんな彼女を恥ずかしながら6年間も知らなかった。これは、上述したようにボクが年を食って鈍感になったせいもあるかも知れないし、音楽が流れてくる空間に出向くことがほとんどなくなっていることが原因なのかも知れないが、近頃の邦楽偏重傾向の影響も大きいように思う。特にボランティアの件は以前であれば、もっと大きくとり上げられてもおかしくはない話なのだが…。
 「歌詞が理解できない」という、大きな理由はあるが、それを差し引いても世界中にイイ音楽はたくさんあるのに、それらが生活空間に流れ出て、自然と耳に入る機会は確実に減っているように思う。「ケータイと同様に音楽もガラパゴス化しているのでは…。」とオジサンは心配している次第だが、真相はどうなんだろうか?…。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その後のVドラム

2012-09-22 12:30:00 | 音楽
■自作の虫■

 ボクの手元にROLAND社製の電子ドラム「Vドラム」がやってきたのは今年の2月で、そのことはこのブログでも書いたが、その後半年以上が過ぎた今、随分と様子が変わっている。

 ボクが購入した当初のセット内容は、TD-4という音源(電気信号を生音に近いモノに変換する機器)を中心に組まれた最安のグレードであった。そこそこ気に入ってはいたのだが、最安だけに妥協点も多く、それに対する不満もあった。
 「まぁ、本物とは違うからこんなモノか…」と、自分を納得させていたのだが、新たな音源TD-11&15が発売されたことを知る。これが楽器店に並び始めた頃、試打してみたところ、あまりの出来の良さに驚いてしまったのだ。
 自分のセットを叩く度に音源の実力差を感じながらも衝動を抑えていたある日、試しに音源だけをヤフオクに出品してみると、思いの外に高値が付いてしまった。それを元手に、とうとうTD-11を手に入れてしまうことになる。それで満足すれば良かったのだが…。

 音源は変わったものの、TD-4の最安グレード仕様は、タムタム(上段にセットされる小さめの太鼓)の位置にあるパッドの打面がゴム製だった。本物のドラムに比べると全く次元の違う消音化は計られているものの、ゴムを叩く音はある程度の音量があるため、集合住宅に住む身としてはやや難があるのは確かだった。
 ROLANDでは、より打音が小さく、しかも叩いた後のリバウンド等がより生ドラムに近い、メッシュヘッドという、網状のドラムヘッド(皮)を装着したパッドを販売しているのだが、こちらは新品であれば¥20000前後、中古品であっても1パッドあたりの相場が1万円前後もするから、必要枚数を揃えるとなるとかなりの投資になる。
 「どうにかならないか」と考えて、インターネットで情報収集していた矢先、このパッドが自作できることを知る。そして、それがきっかけでいつもの”自作の虫”が騒ぎ始めた。
 第一歩はシェル(ヘッドを装着する木枠の部分)に流用するため、PEARL社製のドラム練習台をオークションで探し出すことから始まった。
 「出物はないか?」と、ややマイナーなオークションを探していると「スタンド付き、4台まとめて¥10000」で出品されているのを発見し、それを運良くライバル無しで落札する。そして、メッシュヘッドを1枚あたり¥1100で新品購入し、それを装着。¥90のセンサーと¥250のジャックをハンダ加工し、”三角コーン”の形をしたスポンジセンサーを削り出してその上に装着。そして最後に自動車のドアモール(¥250)をリム(金枠)に装着して完成。これで新品だと1パッドあたり¥20000クラスと同等の高性能パッドを1パッドあたり¥4000台前半の投資で制作することが出来た。
 
●練習台を流用した”自作パッド”●

 「1台余ったパッドをどうしようか?」と考えていたのだが、自信で試行錯誤のあげく、本来ならリム部とヘッドの”2トリガー検出”(ヘッドとリムに音の振り分けが可能)だったのを、2つのパッドに振り分ける方法を発見し、その方法を下にタムタムの増設を開始していった。
 それら工夫の末、チビチビと増設を繰り返し、気付けば高校時代に使っていた”生ドラム”とタムタムの数が同じになり、シンバルに至っては上回るセッテイングとなっていた。

●現在のセッティング●


■毎日がドラム三昧■

 平日は帰宅すると、30分~1時間程度、釣りに行かない日曜日には2時間程度叩いているので、昔の感覚が戻りつつある。世間的な目で見ると実力的には大したことはないレベルだが、自分的には30年前のレベルに近付きつつあることが何よりも嬉しい。勿論、50歳前のオッサンが18歳の青年?にパワーで挑んでも追いつくはずもないのだが、当時の自分に比べれば30年間も音楽を聞き続けた分だけ知識のストックがあるので、表現やアイデアに勝る部分もある。
 それが決まった瞬間は「俺って、まだまだイケるやん!」と一人悦に入るワケだが、聞いているのはヘッドフォンを装着している自分だけなのが何げに悲しい。また、一人で”ノリノリ”で叩いているところを家族に見られれでもすれば、恥ずかしさの極みだろう。
 だが、「何はともあれ楽器演奏は楽しい」これに尽きるのだ。
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ルークさん再び

2012-04-21 12:30:00 | 音楽
■7ヶ月ぶりの来日■

 昨年9月に、TOTOの一時再結成ライヴを見に行ったことは、このブログでも触れたが、それに続いてこの4月、そのTOTOの元メンバーでリード・ギターを担当していたスティーヴ・ルカサー氏が、7ヶ月ぶりに今度はソロ・ツアーで日本にやって来た。
 この来日情報を得たのは昨年12月のことだったが、ボクと同じくTOTOファンである、妻と二人分のチケットを早速先行予約でゲット。その送られてきたチケットが、何と!前から4列目の好位置だっただけに、当日を待ち遠しく思いつつ、楽しみにしていた。
 そして、ついに大阪公演当日である4月12日がやってきた。場所は大阪城の北東側にある松下IMPホールだ。

●松下IMPホール●

 氏のことは別にボクなんかが説明しなくても、TOTOやソロでのグラミー賞受賞歴を始め、スタジオミュージシャンとして数多くをサポートした経歴を知る人も多いことだろう。言うなれば、80~90年代のエレクトリック・ギターサウンドの一つの指標となった、NO,1クラスのギタリストの一人だ。
 ギターは弾けずにドラムを叩く、エセ・ギター小僧(正確にはE・ギターの音マニア)であるボクにとっては、ルーク(=スティーヴ・ルカサー氏の愛称)さんは、神様的な存在。だから今回の来日はまさに「降臨」となるワケだ。

 ルークさんの関わったアルバムは、たくさん持っているが、ことギターの冴えという点でボクのお気に入りは、TOTOでの活動時よりも「ベイクドポテト・スーパーライヴ」やラリー・カールトンとの共作である、「ノー・サブスティテューションズ」のようなライヴハウスでのライヴ・レコーディング物なので、今回のIMPホールのような小さ目のホールでの演奏には期待が大であった。


■生ルークさん■

 当日の席は、ルークさんとの距離は最短時だと7~8mしか離れていない、絶好のポジション。演奏時間は約1時間45分、演奏途中での「お話」は英語のできる妻の通訳を聞きながら、フルに楽しんできた。

●会場前のポスター●

 ルークさんは、ただいま54歳。ライヴ中でも、ジョージ・ハリスンやジェフ・ポーカロのように亡くなった友人のことを話すような年になっているし、自身のことも「初めて日本に来たのは22歳の頃。(32年前)」「俺も年だからさ~。」なんて言っていた。
 しかし、何の何の!。ヴォーカルに関しては、一時の「ダミ声」は随分と解消され、特に本業のギターは、独特の太くサスティーンの効いたサウンドとウルトラなプレイは健在であり、世界でも有数のギタリストのままであった。
 そのルークさんをサポートするメンバーは当然、それに見合うだけの人達だ。キーボードのスティーヴ・ウェインガートは堅実プレーでサポートしていたし、ドラマーのエリック・ヴァレンタインの超絶ドラム・ソロも素晴らしかった。中でも紅一点(古~い表現!)の女性ベーシストであるレニー・ジョ-ンズの容姿は、「スーパー・モデル級」であり、「まさに才色兼備とはこのことである。」と、一人納得していた次第である。

 選曲は、TOTO時代の物は「Out Of Love」とアルバム「スルー・ザ・ルッキング・グラス」で取り上げていたカヴァー曲が2曲のみだから、実質的には1曲のみ。ほとんど自身がギターを弾くためのような曲で構成されていたから、ルークさんは思う存分弾きまくっていた。
 ルークさんの経歴の中には10万人、あるいはそれ以上の観客動員でのライヴも当たり前のようにある。そんな会場でのライヴ映像で見る「演奏することが楽しい!」と言わんばかりの笑顔と、今回のように400人くらいしか観客が居ない会場での笑顔に違いは感じられず、演奏に手抜きもない。
 その姿は、その昔、ギターを弾くことが大好きだった少年が、そのままオジさんになった姿だ。レベルは大層低いながらも、ボクのように少しは音楽をかじり、僅かにプロの世界を夢見た人間にとって、その姿は、まさしく若い時に夢見た「理想の年のとり方」の一つである。だからこそ、ボクは夢を具現化し、ギターを弾き続けるルークさんのパワーを受け取りたいし、その実ルークさんは様々な立場である会場の我々に、パワーを送り続けていた。
 
 アンコール後のラストの曲は「歌詞を思い浮かべて」と言いつつ、ナット・キング・コールの歌(作曲はチャールズ・チャップリン)でお馴染みの「スマイル(これもインストルメンタル・ヴァージョン)」をギターとキーボードのみでカヴァーして演奏していた。帰宅後、歌詞カードを確認したのだが、恐らく震災を含めた日本人に対するルークさんの思いが込められていて、感動は後からもやってきた次第である。
 
 何はともあれ、「日本好き?」とも言われているルークさんだけに、今後も来日があるだろうから、その際には「是非見に行きたい!」と思っていたら、来年(2013年)、再始動するTOTOでの来日公演を明言してアメリカに帰ったということだそうだ。その日が今から待ち遠しく思う今日この頃である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Vドラムがやってきた!

2012-02-18 12:30:00 | 音楽
■バンド小僧だった頃■

 それは35年も昔の、ボクが中学3年の時のこと。中古のドラムセットを手に入れたことを機に、それまでは聴くだけのモノだった音楽が、ボクにとっては演奏するモノにもなった。
 以来、バンド小僧になってヒマがあれば叩いていたのだが、真剣に叩いていたのは18歳の頃までだった。以降も時折叩いてはいたが、元より性格が飽き性であり、才能も豊かな方ではなかったので、「まぁ、こんなモンか」程度のドラマーであり、人に自慢できる程ではない。
 そして、気付けば全く触れることも無くなり、いつしか忘れ去るようになっていた。

 しかし、楽器というモノは不思議で、ある瞬間に無性に触りたくなることがある。
 そんな時、他の楽器の場合、特に電気楽器というモノであればヘッドフォンでモニターすれば、他人に聞かれて迷惑になることもなく演奏できるのだが、ドラムの場合はそうは行かない。叩けば即、近所迷惑だ。しかもセット自体が巨大な故、ふと触りたくなる程度ではセッティングできないから、諦めの方が先に立つ。第一、普段の保管場所にも苦労するから、普通の場合であれば興味が無くなると処分して手元に残っていないことが多いだろう。
 しかし、時代が変わり、今では電子ドラムという分野がある。これであれば、パタパタという打音がするだけで、ドラム音はヘッドフォンでモニターできるから、誰に気兼ねをすることもなく思う存分?叩くことができるうえ、使用しないときは小さくたためる。だから事情は大きく変化しているのだ。


■憧れのVドラム■

 その電子ドラムであるが、今から10年ほど前にとある楽器店でROLAND社製の「V DRUM」というモノに出逢って以来、ずっとボクの「欲しいものリスト」に入っていた。しかしそれは楽器屋に立ち寄った際にカタログをもらうだけのことであって、当初は高価だったため、単に「あこがれていた」と言った方が正確だろう。
 しかし、ここ近年はコストダウンされて販売価格も随分と下がっている。それでも予算オーバーの状態だったので、時折オークション内の中古品を物色していたある日、オークションの出品されていた、とある中古品に目が向いた。
 諸事情をクリアした後、それをウマく適価で落札することが出来て、ようやく部屋への配置が完了したのである。

■セッティング完了!■

 標準の2タム&1フロアタムの構成の場合、設置スペースは120cm四方あれば事足りるから6畳の部屋であっても、そう場所をとらない。しかも、折りたたもうと思えば50cm×120cm程になるので、更にコンパクトになる。
 肝心のタッチはメッシュパッド(白いパッド)については本物に近い感触があるが、黒いゴム製のパッドや、シンバルパッドは当然と言えば当然だが、やはり「ゴム感」を感じてしまう。
 音については、太鼓類は本物に近いが、シンバルの音の立ち上がり方や粒だち感に決定的な違いがあり、特にハイハットシンバル(左足を乗せ、ペダルの踏み込み量で制御するシンバル)には独特のクセがあって、これ専用のタイミングがを覚える必要がある。
 まぁ、そういった違いがあるものの、これだけの音、タッチ感を、この価格と静音性で味わえるワケであるから贅沢は言えない。
 また、CD等の外部音源をミックス・インできる点は嬉しい配慮だ。この機能のおかげで、メロディ楽器ではないせいか、あまり楽しいものではないドラムの単独練習が、セッション感覚でできるようになり、楽しさもアップする。


■趣味と実益■

 というワケで、誰に聴いてもらえるでもなく、ヘッドフォンを装着しながら夜な夜な練習する変なオジサンと化しているのだが、よく考えてみると、釣りにしたって、スキーにしたって、今のボクが「楽しい」と思ってやっていることは、二十歳台前半までに経験し、趣味としていたことを一旦中断し、再開したモノばかりだ。
 「若い時の様々な経験は人生に貢献する。」とは、昔からオジサン連中が若い世代に向かって言うセリフだ。自分の人生を振り返ってみても、何処にどう貢献していたのかはよく判らないが、少なくともボクの場合は、世間でよく聞く「定年後に、何をして良いか判らないオジサン」にはならないことだけは確かだ。
 素質や才能がもっとあって、若いときに懸命の努力をしていれば「趣味と実益を兼ねる」という人生を歩むことも可能であったのかも知れないが、一方で「一番好きな事は二番目に」 という言葉もあるから、今のままが幸せなのかも知れない。
 何はともあれ、久方ぶりのドラム演奏は楽しい。
 「今夜は尊敬する”スティーヴ・ルカサー”とのセッションが待っている。(勿論ヘッドフォン内の中の話だが…。)」近頃はそんな気持ちで部屋に籠もる毎日だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見たぞ!TOTO!

2011-09-24 12:30:00 | 音楽
■ビートオンプラザ■

 その昔にボクが中学生だった頃、全ての中心に音楽があった。とは言っても今とは違って限られた小遣いの中で、レコード(CDではないぞ!)を数多く購入することはかなわず、普段はカセットテープに録音したモノを聞き、ここ一番のお気に入りはレコードを購入するというパターンでライブラリーを増やしていた。
 ただし、その当時はまだ貸しレコード屋(レコード・レンタル店)は普及しておらず、専ら録音のソースはFMラジオに頼っていたのだが、コレを「エア・チェック」と呼んでいた。数ある番組の中でも一番頼りになったのが、平日の夕方6時から放送していた1時間番組の、FM大阪「ビートオンプラザ」だった。

 ボクが聴き始めた頃、パーソナリティーは既に3代目の田中正美(たなか・まさみ=名前の字は正しくないのかも?)さんという人だった。
 この番組は今では考えられないことだが、日本版レコードの発売前や発売直後のアルバムが大抵の場合、丸ごと全曲ノーカットで、2枚組の場合は2日にかけて放送していたのだ。モチロン、メジャーなものは当たり前に放送され、中には田中正美さんやスタッフが個人的に発掘してきたような個人的な趣味のアルバム迄紹介されることがあり、リスナー自身の音楽的見地も自然と広がるような内容になっていた。

 当時は歌謡曲全盛であり、中学生の大勢はソレを聞いていたが、一部でフォーク系を聞く人、ロック系を聞く人も居た。ロックはその当時、ハードロック系が流行っていたが、そんな中で、ボクの場合はハードなロックを聴くと同時にその対局にある、ボズ・スキャッグスやスティーリー・ダンも聞いていたから、自分で言うのもなんだが、「おませ」な音楽小僧だった。今考えると、ジャズ&フュージョン、ロック、ブルース、ソウルetc...と、何でも聞くようになったのはこの番組の影響が大きかったのだと思う。


■TOTOとの出会い■

 そんなFMラジオにかじりついていたある日、確か中学3年の頃だったと思うが、「ガツンッ!」と、心に衝撃を受けるアルバムを聴いた。それがTOTOのファースト・アルバム(邦題は何故か「宇宙の騎士」)だった。
 何しろ今から33年も前の話だから確証はないが、コレを初めて聴いたのがビートオンプラザでの放送だったような気がする。いずれにせよ、何しろその辺りのFMラジオがキッカケで、TOTOのデビュー・アルバムは「お気に入り」となってレコード店での購入に至ることになったのだ。

 アルバムの中には「Georgy Porgy(ジョージー・ポーギー)」といったボズ・スキャッグス調の曲もあったが、一番衝撃を受けたのが、ボビー・キンボールの超ハイキーなボーカルと、ウルトラ早いがプレーの緻密なスティーヴ・ルカサーのギター・テクがスゴイ、「Hold The Line(ホールド・ザ・ライン)」だった。ボクは弾けもしないのにギターサウンド・フリークなのだが、以来スティーヴ・ルカサーはボクの中での5大ギタリストの一人になっている。

 TOTOのアルバムは4枚目のTOTOⅣ(邦題は何故か「聖なる剣」)迄はよく聞いたモノだ。しかし、当時から偏屈者だったボクは、あまりにメジャーになり、みんなが聴くようになると、ついヘソを曲げてしまうクセがあった。TOTOⅣの大ヒットとボビー・キンボールの脱退、そしてそれ以後の音楽性の変化から、ボクの心離れが始まり、5枚目以降のアルバムはほとんど聴かなくなってしまったのだが…。

●今も自宅に残る、TOTOのアナログLPレコード●


■延期された来日公演■

 そんな思い出深いTOTOも2008年に解散宣言をして活動を終えていたのだが、今回、難病を抱える、元メンバーのマイク・ポーカロを支援するために一時的に再結成することとなり、来日公演が実現した。とは言っても5月に予定されていたものが東北大震災の影響で延期されていたのが、ようやくこの9月に実現されることになったのだ。

 ツアースケジュールは、地方公演?が大阪公演が尼崎(兵庫県)のアルカイックホール(約1700席)、金沢公演が金沢歌劇座(約1900席)、名古屋公演が名古屋市公会堂(約1900席)といった中規模のホールでの開催がメインになっており、逆に首都圏では東京武道館とパシフィコ横浜の、大規模ホールでの公演になる。以前にステーヴ・ルカサーがインタビューの中で「全盛期を過ぎているだけに、アメリカでは大きなホールが埋まらない。」と言っていただけに、関東圏での動員数が気になるが、我々地方の人間にとってはホールが小さい分だけステージに近くなるので、逆に嬉しい限りの話だ。

 そして、待ちに待った当日、同じく大ファンである妻と連れだって、アルカイックホールへ向かった。

●グッズ売り場の様子(御同輩の中年が多いようで…。)●


■TOTO大阪公演初日■

 延期された大阪公演初日は日本各地に大被害をもたらした台風15号が通過した直後に始まった。予想通り、肉眼でハッキリとメンバーの表情が判るほど客席とステージの距離は近く、ダイレクト感は相当なモノだった。

 一曲目は「Child's Anthem」から始まった。ここからラストの「Hold The Line」までの間、ボクら夫婦はそれこそ「ノリノリ」の約二時間を過ごしたワケだが、スティーヴ・ルカサーとデヴィッド・ペイチのヴォーカルに衰えは見えたものの、メンバーの演奏はほぼ完璧の状態で、特に大看板であるスティーヴ・ルカサーのギターは、従来のテクに円熟味が加わって凄味すら感じさせるモノであった。
 また、我々のように初期ファンには馴染みの薄い、中期のヴォーカリストだったジョセフ・ウイリアムスが素晴らしく、ボクがただの「食わず嫌い」だったことを思い知らされた。それもそのはずで、通期のファンにとって彼は「TOTO史上最強」の呼び声が高いそうだ。
 ドラムはオリジナルメンバーの、ジェフ・ポーカロの死後、現在ではサイモン・フィリップスに定着しているそうだが、実はこの人、その昔マイケル・シェンカーの後ろで叩いていた人なので、懐かしさも”ひとしお”だったが、昔の派手さをワザと抑えているのか、その堅実なテクは見応えがあった。

 曲のアレンジはDVDで見た過去のライヴとは別物であり、もし仮に何度も彼らのライヴを見たとしても、それぞれに新鮮さを感じさせる内容になっているようだ。そして、たとえシンプルなコード進行の曲であっても「凄腕」の彼らの手に掛かってしまうと、世界観や空間が次元の違うレベルで展開し、広がってゆく。
 何よりもスゴイのは、「アグレッシヴな演奏をしていながらも、全員がミスをほとんどしない(仮にあったとしても、それを気付かせない)」ところであり、それは彼らが元々スタジオ・ミュージシャン出身の「プロ中のプロ集団」に違いないことを証明している。

 そんな彼らのプロ意識の高さを思い知らされるエピソード(事件?)が過去にあったので、知っている人も多いとは思うが、ここで紹介しておこう。

 それは2008年にTOTOのメンバーが来日した際のこと。
 「週刊文春」によると、

 人気グループSMAPが高視聴率番組「SMAP×SMAP」(フジテレビ)の収録中、あまりの歌のヘタさにゲストが激怒、歌唱指導されたという衝撃の出来事があったという。
 問題の同番組が放送されたのは3月24日。この日のスペシャルゲストは米国のスーパーバンド「TOTO」だった。
 トラブルが発生したのはリハーサル中で、TOTOのバンドリーダーでリードギターのスティーヴ・ルカサーがSMAPの歌を聞いた途端に「これでは一緒に歌えない」と怒り始め、その場にいたスタッフは凍りついたという。
 TOTOのほかのメンバーがなだめてその場は納まったものの、SMAPのメンバー2人に対し、スティーヴが30分ほどボイストレーニングを行ったそうだ。

 ということがあったようだ。

 ネタ元が週刊誌だけに真偽の程は定かではないが、もしコレが真実だとしても、日本の音楽各賞とは次元の全く違うグラミー賞で、83年に、「ロザーナ」が最優秀レコード賞、「TOTO Ⅳ(聖なる剣)」が最優秀アルバム賞を受賞したのを始め、その年の賞7部門を独占するという偉業を成し遂げたこと。各メンバーが個人、あるいは複数の組合せで、ボズ・スキャッグスやマイケル・ジャクソンを始めとする、錚々たる多くのミュージシャン(アーチスト?)の、数多くのヒット曲においてプレイヤー、コンポーザー、プロデューサー等として関わり続けてきた実績。そして衰えを知らない、この日の彼らの演奏を見聞きする限り、こと音楽に関して何を言おうが「誰にも文句を言わせない」だけのモノがあると思う。

●公式パンフレット●


■二度と見られないかも…■

 今回の日本公演は上述したように、あくまでも元メンバーの支援のための「一時再結成」ということなので、恐らく生で見られるTOTOはコレで最後ではないだろうか?。そう思うと、何とも惜しく、「以前の公演にも行っておけば…。」と夫婦共々後悔している次第だ。

 もし、この記事を見ているアナタがTOTOのファンであるのなら、ラストチャンスだと思われる今回の公演を見落として後悔しないようにして欲しいモノだ。実際にボクらが向かった日も当日売りの立ち見席は残っていたようなので、もしかすると、首都圏での大ホールでの公演だと当日券があるのかも知れない。もしそうであれば、今からでも間に合うかも知れないコンサートは9/26の2回目の大阪公演、9/27の東京公演、9/29の横浜公演と、まだ3回ある。
 詳しくはウドー音楽事務所のホームページ「http://www.udo.co.jp/Artist/Toto/index.html」で確認して欲しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする