中島ブラザーズ ”弟”の「外で遊ぼう!」

近頃は日本海で、ヒラマサを追ってばかり。よって磯釣りや渓流釣りは休止状態ですが…。

荒城川~小八賀川

2009-08-29 17:35:09 | 渓流&管理釣り場での釣り
 都会に暮らすと、エアコンの発達し過ぎた環境下にどっぷりと浸かっているせいか、季節内の微妙な変化、例えば初秋、中秋、晩秋といった細かな違いに年々鈍感になってゆく。だが、渓流域ではもう初秋を迎えつつあり、見上げる夜明けの空は、残暑キビシイ都会からやって来た者に、忘れかけていたもの感じさせてくれる風景であった。

                    


 終盤を迎えた’09年の渓流釣り。「そろそろ結果を出さなくては」と釣行を重ねてはいるものの、タイムアップ(禁漁日)までのカウントダウンが始まり、かなり焦っている今日この頃だ。
 そんな中、前回、前々回とマズマズ調子の良かった岐阜県、丹生川村漁協管内の荒城川へと向かった。
 
 ひとまず前回の釣行時に川沿いの道路からチェックしていた場所に入ってみた。ここは田んぼの脇を通った先にあるのだが、このあたりの田畑には害獣除けに、触れると電撃が走る伝線が張り巡らされているので「手持ちの超伝導体(集雷針?)」といわれるほど電気をよく通すカーボンロッドを持つ手に緊張が走り、鉄条網を越えて敵陣地へ向かう兵士のように、慎重に慎重を重ねて河原へと向かう。
 河原へと降りた後は敵地?の状況判断だ。前々日に雨が降ったというが、ソレまでが晴天続きだったせいか、かなり水が減っており、随分と川の様子が変わっていた。

 期待と不安が渦巻く中、実釣開始。自分の見立てが正解ならばすぐに答えが出るハズだが、この時期=終盤になると、いわゆる釣りごろのサイズは多くの釣り人に抜かれて、極端に数が減っているのか、水深に変化があって誰もが良さそうに感じるようなポイントからは豆サイズのヤマメが出る程度だ。ただ、そのサイズであっても以前に比べると活性が低く、頻繁にアタるわけではないところがこの日の状況を現しているように思えた。

 開始後2時間が経ち、当たり前のポイントでは答えが出そうにないので、発想を変えて、人が釣り残していそうな場所を探して仕掛を打ち込んでいく。
 辺りを見回すと、浅瀬の中にある少し掘れ込んだところにブッシュが被っているところが目についたので、オモリを軽めにし、竿先で流れる方向をコントロールしながら流していった。

                    

 テンションや投入点を調整しながら何投かする内、底石の裏にできた流れの筋に入った仕掛は後にブッシュ際へと狙い通りに流れていった。そして狙い通り、目印がブッシュの方向へと引っ張られていく。

 すかさずアワセを入れると、グングンと良い引きで竿先を絞り込む。大型ではなさそうだが、気持ちの良い引きだ。手前の瀬を越えて無事に玉網に収まったのは23cmのヤマメだった。

                    

 同じポイントでは、もう一度アタリがあったものの、食い込みが浅かったのか、ハリハズレで逃してしまった。
 徐々に釣り上がり、少し上流にあったポイントでは作戦を変更。重めのオモリを仕掛に打ち、白泡の直下で仕掛の動きを止めてみた。

                    

すると、小型のイワナが飛びついてきた。

                    

 その後も車で走り回って荒城川の各ポイントを攻め続けていくが、前回に良かった場所を含めてほとんど魚の気配がない。昼近くになり天候がド・ピーカンになってからは更に条件が悪化し、ほとんど何もアタらない状況になってしまった。そしてキープサイズが一匹のまま、この川を後にする決意をした。


 次に向かったのは荒城川と同じ入漁証が使える丹生川村漁協管内の小八賀川だ。この川は荒城川に比べてやや川幅が狭く、この日の状況を見る限りでは流量が豊富なので「押しの強い流れ」という印象を受ける川だった。

                    

 実釣開始直後はド・ピーカンが続いていたせいか、通常ではアタリがあってもよさそうなポイントでは答えが全く出なかった。そこで、河原まで木々が迫り、日陰になっている条件のポイントを探して川を遡行していく。そして「いかにも」というポイントを発見したので、じっくりと腰を据えて攻め始めた。

                    

 まず、オモリをかなり重くして流芯の底をコツコツとオモリが当たるように流していくが、この方法で何度か念入りにアプローチするものの、反応がない。そこでオモリをやや軽くして流芯の脇を流す方法に切り替えてみると、目印動きに変化が出た。すかさず合わせると20cmアマゴの登場だ。

                    

 続いて数匹手にするが、サイズは18~20cmばかりで良型が出ないので、また遡行を開始する。ここからはドンドン移動をしながら、同じようなロケーションを探しては仕掛を打ち続けていった。
 結局この区間ではサイズアップはしなかったものの、二桁釣果に納得しながら、一旦脱渓をした。そして最後に前回釣行時にマークしていた大堰堤に車で移動し、夕マズメの時合いに備えた。
 この大堰堤は下流から上がってきた魚が一旦立ち止まる位置にあるので、魚が入ってくるタイミングに遭遇できれば釣果が期待できそうなポイントだった。

                    

 ココでは大型のウグイを避けながらヤマメを釣り続けたが、20cmの壁を越えるのにも必死な状況は変わらず、ついには大型はおろか良型と呼べるサイズですら手にすることが出来ず、失意の内にこの日の釣りが終わった。

                    



 今期の残りの釣行回数から考えても、もう諦めはつきつつあるけど、最終のドラマは待っているのだろうか…。次回以降の釣行は「数よりも型」という、一発狙いの河川に向かう予定だ。こうなったら男らしく?ボーズ覚悟のチャレンジなのだ!。
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エコの話~その1

2009-08-22 13:01:17 | その他
 先日、バス釣り専門誌「BASS World」という雑誌を読んでいた。その中に「水温が1度違うだけで魚の住む場所が変わる。」と言いつつ、温度設定を変えたサーモを繋いだ水槽をスタジオに何台も持ち込んで魚の生態についての説明をし、「地球が温暖化をすると魚たちが住み辛くなるから、CO2を減らそう」と叫んでいる某タレントの話がコラムの中に出てくる。それに対し著者は「自分が普通に生活をする以上に電気を食うサーモ付きの水槽を諦めるという『我慢』ができないのに、人に我慢を求めるということが理解できない。」といった主旨で書いていた。

 こういうことには日頃からよくツッ込んでいたから、ワタシも言いたいことは解るような気がする。
 今、電力会社はベースの部分は原子力を主体に背負わせ、昼間の需要期に火力その他で補うというのが電力の供給パターンであるらしい。であれば、CO2の排出抑制を一番に考えると、化石燃料を燃やすピークである真夏の昼間に、身近な電気器機の中では"大電力を消費する"エアコンのスイッチを切るのが一番効くような気がするし、ある意味地球温暖化よりも深刻な「ヒートアイランド現象」にも効果があると思うけど、「何度か設定温度を上げよう」という声は聞いたことがあるが、経済的理由ではなく、このクソ暑い真夏の都会で昼間に一切エアコンをつけないで過ごしているエコ活動家がいったい何人居るのだろうか?と思うことがある。

 こんな風に矛盾を感じる話は他にもすぐに浮かんでくる。

  このごろは週末に高速道路が¥1000になり、恩恵?を受けている人が増えて、各高速道路の通行量も増えている。しかしエコ活動家たる者、そんな甘言に乗らず、公共交通機関一本槍でなくてはならないが、ソレを貫いている人はいったい何人いるのだろうか?。
 「地産地消を推進し、搬送にかかる燃料を減らそう」と声高に叫ぶのなら、その人は率先して外食はせずに、料理は全て自分達で作らなければならない。モチロン、輸入原料の多い格安の回転寿司は食ってはいけないし、ゲップや糞から出るガスに、強い温室効果があると言われるから、牛を始めとする畜肉類は一切食せず、飼育頭数を減らす運動も合わせてしてゆかなければならない。
 また、需給バランスが崩れた後に起こる、農産品の価格高騰に対して「低所得者はどうすればいいのか?」「絶対数が足りない国産の農産物を増やす方法があるのか?」というところまで考え、具体策を持たなくてはならないが、ソコまでを含めた運動を実践している人はいったい何人いるのだろうか?
 しかしながら、そんな生活を追求していくと、ついには原始生活に戻るしかなく、そんな社会が始まれば産業と雇用が破壊され、失業者の大量発生に繋がっていくだろうから、ここまでヤルのは不可能だ。

 矛盾点以外にも世に言う「エコ活動」には気になる問題点があるように思う。

 以前に見た報道番組での話だが、環境団体の一部には手段が目的化し、今やビジネスになっている団体があるという。つまり活動は「後の募金が目的」で「そのために派手なパフォーマンスで世間にアピールしているだけ」ということらしい。こういうのを「環境ゴロ」というらしいが、たとえ大看板を掲げていて、信頼できるとされている慈善団体でも「募金総額から経費を差し引いた金額=現地に届く金額が低い」として批判が出ているというから、本当の意味で環境改善に貢献をしている団体に寄付をするのには、かなりの慎重さが必要なようだ。
 また、学術的あるいは科学的に確固たる根拠のないニセモノ科学を「トンデモ科学」というらしいが、そのトンデモ科学で裏付け?されたデータを元に恐怖を煽って本を売ったり、募金を集める個人や団体もあると聞く。トンデモ科学によってやり玉に挙げられた企業なり個人の風評被害に対する責任は、いったい誰が取るのだろうか?と思うこともある。


 みんながどこかで自分の都合を除外しているのでは、ソコに矛盾が生まれてくるのは当然だ。ワタシを含めてみんなが自己矛盾を抱えているからこそ、何か後ろめたさを感じているのかも知れない。だから、付け入る隙が生まれて我々一般大衆は様々な報道、運動、団体等に振り回されてしまうのだろう。
 そういう状況であれば、皆が一度原点に返ってみるのがイイと思う。海や山を歩けば「エッ、何で?」と思うことが沢山あることに気付くし、町を歩くだけでも、例えば、ゴミを食い散らかすカラスを見るだけでも何かに気付くだろう。環境問題は地球に生きていく以上、個人個人が主人公であり、人に指摘されて動くモノではないはずだ。だから、自分で「見て、感じて」気付いた身の回りの環境改善策=それはゴミ拾いでもイイし、光燃費の節約や使用する洗剤を少なくするのでもイイから、それを「黙って自分でヤル」というのが本筋だと思う。小さなことだと思うかも知れないが、それでいてコレが一番効果があるように思うのだが、どうだろうか…。
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荒城川での釣り

2009-08-15 11:24:11 | 渓流&管理釣り場での釣り
 「過ぎたるは及ばざるがごとし」とはよく言ったものだ。梅雨入り初期の頃は空梅雨傾向から「雨待ち」をしていたような状況だったのが、一転し始めたのは中期頃からだった。その後はご存じのように不明瞭な梅雨明けが象徴するように雨が多い今夏だ。
 結果、現状では各河川では増水傾向が続いて、なかなか落ち着かないようだ。中には鮎釣りが出来ずに困っているところや、鮎そのものの放流が延期が続きで、予定の放流量に到達したのが8月上旬というところもあったようだ。
 そんな中、その長雨傾向の間を狙って、岐阜県宮川水系の荒城川へ今期2度目の釣行を果たしたのは、先週のことだった。


 荒城川は上流部こそ、本格渓流の趣があるが、大部分が里川の様相
                        
をしており、開けたところが多い。どちらかというと、渓谷部での短い竿を駆使する釣りよりも、開けた里川で長い竿をブン回す方が性に合っているワタシにとっては好都合な川である。

 まず最初に入ったのが、前回の訪問時に成績の良かったところのパターンを考慮してセレクトしたポイントであった。
                        
 しかしながら、この手のポイントは増水時には流れの押しが強すぎるのか、はたまた避難した魚が戻ってきていないだけなのかは解らないが、全く反応がない。念のため移動して似たような傾向のところ↓
                        
でも仕掛を打ってみるが、答えは同じで、せいぜい流れの石裏の流れの影になった部分で豆サイズが出るのみだった。
 世間では夏期の長期休暇が始まる頃なので「こんなポイトは一目瞭然だから、釣り荒れのせいかもしれない」との思いが頭をよぎる。そこで、人目に付きにくいところから進入し、その先にあった雰囲気のありそうなところ
                        
で竿を出してみると、2投目で目印の動きに変化が出た。
 すかさず合わせると、これまでの「ブルブル」と震えるだけの"豆さん”の手応えとは違う「ドンッ」といった手応えが竿を通して伝わり、その小気味よい引きから、そこそこのサイズとの予想がついた。
 無事玉網に収まったのは前回お目にかかれなかった、豆サイズではない22cmのヤマメ
                        
だった。
 見れば尾ビレも綺麗な天然もしくは準天然もののようだ。
                        

 答えが出たので、このポイントに居座って気合いの入った投入を繰り返したが、期待に反して続く魚はゲット出来なかった。

 再び移動をして、試しに流れがもっと緩やかな淵にも仕掛を投入したが、そこで出るのはウグイのみだった。ココまでのトータルの印象から、この日の傾向が何となく読めたような気がした。キーワードは「流れが高活性時の着き場よりもやや遅く、人目に付きにくい箇所」だ。
 そんなところを探して車での移動を繰り返していた。しかし当たり前の話だが、車で見える=目につくということなので、そんな場所はなかなか見つからない。そこで、あたりの地形から想像して良さそうに感じるところで車を止めてしばらく河原を歩いていくことにした。その途中で足が止まったのがこんな所だった。
                        
 ここは誰でも目につきそうな部分から、しばらく遡行したところにあった。魚が居る"ポイント"だと解ったのは「一目瞭然」な話で、やや大きめのサイズの渓魚が水面のエサを採るために「ライズ」するところを見た瞬間だった。
 この箇所だけに絞って見ていると、水深が浅く、メリハリもないことからイマイチの感があるが、やや上流部にある淵のところからカケ上がった位置にあるので、淵に巻き込まれたエサが、丁度良いスピードで浮上する位置らしい。そんな場所でこの日の渓魚はエサを採っていたのだ。

 早速仕掛をライズした部分に流れ込む筋に打ち込んでみた。そうすると、いとも簡単に1投目からアタリが出た。しかも結構なサイズである。しかし、ライズを見て慌てて結んだ仕掛のハリが小さかったのか、ココでの1匹目はハリハズレに終わる。
 それでもここは日頃からノーマークだったのか、魚が残っていた。そして答えが出たのは更に2、3投した後だった。

 ソレまで川の流れに合わせて下流へ向かっていた目印の動きが、底石の脇でピタッと止まった。すかさず合わせてみると、この日一番の引きがワタシの8mの本流竿を絞り込んだ。
 何度かの締め込みをかわし、いつものように横からのプレッシャーを魚にかけつつ、ゆっくりと足元に引き寄せてくると、型の良い渓魚が玉網に収まった。今度はアマゴだ。
                        
サイズは27cm
                        
で、尾ビレまで伸びきった
                        
綺麗な魚体だ。しかもコイツはオスらしいイカつい顔つきだ。
                        

 その後同じポイントを攻め続けたが、次の23cmをゲットするまでに、食い込みが浅いのか?ハリハズレの連発で3匹ほどロストしてしまう。こうなると魚の反応が消えてしまうのは仕方のないところだ。
 ここでこのポイントを諦める決意をし、更に釣り上がって次なるポイント↓
                        
を見つけ出して竿を振ってみる。雰囲気は良さそうだ。

 予想は当たっていた。だが、このポイントはニジマスの巣だったらしく28cmまでのサイズ↓
                        
を4連発でゲットできた。しかしながら「日本の渓流で何故ニジマスなのか?」という思いも募り、気分は複雑だった。

 このポイントを一通り攻めた時点で、予定の退渓時間までの残り時間は1時間半。夕マズメ狙いの釣り人が土手を走る車の中に何台か見えたので「もう荒城川には良いポイントは残っていないだろう」との判断から、峰一つ超えた先にある、同じ遊漁証で入れる川=小八賀川への移動を行った。しかしながら、荒城川以上の増水↓
                        
を目の当たりにしたワタシは、諦めがつき、次回の釣行のための入渓地探しをしただけで竿を出すことはもう無かった。

 渓流の禁漁までは、あと1~1ヶ月半ほど。したがって残るチャンスは4回程度だ。今までのアマゴ、ヤマメの最大は28cmで、目標の30cm越えは達成できていない。そのチャンスはいつ来るのだろうか?益々不安な今日この頃なのである。


追伸

 前回、あれほど怖がって対策を立てていたオロロだが、この日一日、お目にかかることはなかった。コレは私の虫除け対策が完璧だったためなのか?この河川に生息する数が少ないためなのか?、それとも当日が雨模様だったためなのか?ということがイマイチ判断できない。いずれにせよワタシが吸血されてボコボコにされるのを期待していた人達の期待を裏切ることになったことをお詫び?したい。
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恐怖のオロロ

2009-08-08 11:33:57 | 渓流&管理釣り場での釣り
 コレまでに何度かこのブログでも触れてきた「オロロ」。コレは富山県周辺の地方名だ。他の地方では「ウルル」だとか「ウルリ」だとか言い、正式名は「イヨシロオビアブ」という。でも「オロロ」というのが一番恐ろしそうで何となくワタシのイメージにピッタリと合う。

          イヨシロオビアブ(通称オロロ)

多分、東北や北関東でいう「メジロアブ」も恐らく同じモノだと思うのだが…。

 このオロロは梅雨明けの時期に羽化し、盛夏に二度産卵する。一度目の産卵はそのまま行うが、二度目の産卵準備の際、メスは体力回復のために群れになって、ほ乳類を襲い、その血を吸う。吸血の方法は対象物の皮膚をかみ切って染み出る血をすするらしいが、噛まれると人によって程度は違いはあるが、腫れを伴った激しいかゆみに見舞われる。これはアブが出すタンパク質の一種が炎症を引き起こす原因ということらしい。
 普段は渓流域にあるる苔類の生えた石裏などに潜み、近くを通る動物を襲うが、その群れの数は50匹程度は当たり前で、多い場合は数百という単位になるというから驚きだ。
 ほ乳類の吐き出す二酸化炭素に反応して近付いてくるので、自動車の排ガスにも反応するらしい。エンジンを掛けたままで仮眠していると、後部バンパーのマフラー周辺にびっしりと集まり、朝起きてトランクを開けようとしたドライバーを卒倒させることもあるそうだ。また、スズメバチと同じように黒いモノにも反応するそうだ。

 コレについてホームページやブログ上に掲載されているモノを読むと、「身の毛がよだつ」ようなモノばかりだ。
例をあげると、
・黒に反応するするので、人の髪の毛の上部で旋回し「蚊柱」ならぬ「アブ柱」が立っていた。
・「ドライブ中に急な腹痛を催したので、車外に出て慌ててパンツを降ろしたが、その途端に襲われた。半ばパニックになりながらもオシリを振り回して防戦しつつ用を足したが間に合わず、露出部をボコボコにされた。」
・「川沿いの道を自転車で走行中、上り坂でスピードが落ちたところを襲われて、転倒後に負傷し、動けなくなったところを執拗に攻撃された。」
・「ルアー釣り中に上に羽織ったシャツがめくれ上がり、下に着ていた黒のTシャツ部分に集まったオロロが巣に集まる蜜蜂のようにうごめいていた。」
・「耳なし芳一」の中で、芳一が唯一お札を張り忘れた耳を持っていかれたように、虫除けスプレーを塗り忘れた所だけを集中攻撃された。
等があったが、まだこの辺は序の口で、あまりのオロロ被害に悩まされ続けた結果、廃村に追い込まれた村があるというから驚きだ。
 昔「鳥」というパニック映画があったが、もしその監督のアルフレッド・ヒッチコックがオロロの存在を知ったのなら、ヒッチコックの「アブ」が撮影されてもおかしくない状況なのだ。

 そんな「恐怖のオロロ」だから、実のところ真夏は渓流から遠ざかろうと心に決めていたのだが、雨にたたられて、釣行計画がたたず、フラストレーションが溜まったままでは中断することが出来ない。そこでワタシなりに研究し、対策を練ってみたのだ。
 まずは身につける服装から。

                     

 最近、釣具メーカーを中心に販売されている夏用ウエアの中に「防蚊ウエア」というのがある。コレは主に蚊に対して効果があるとうたわれているが、小さく注釈付きで「他の吸血害虫に対する効果があったとの報告がされています。」とも書いてある。コレはアブへの効果は実証されていないが全くないワケでもないということだが、全く無防備なモノよりはマシだということで、写真のモノを揃えてみた。モチロン下半身はウェーダーで防御されているから不要なので、上半身の防御を狙っている。
 左列はFREE KNOT=HASYABUSA製の防蚊クールシャツ、真ん中上はシマノ製防蚊メッシュ生地の帽子、右列上は防虫ネット(帽子の上から被る、顔面用の蚊帳=かや)、右列下はシマノ製防蚊メッシュ生地のベストだ。

 続いては防御グッズ、撃退グッズ、そして噛まれた後のケア・グッズだ。

                     
                     (ケミカル兵器?の数々で、左から順に
                    「寄せ付けず→撃退し→噛まれたら吸い出して治療」の意図だ。)

 写真内の左から個別に説明しよう。
 「虫除けは効かない」という説があるが、唯一効くのが「ディート」という成分が入ったモノらしい。虫除けといっても製品によって成分配合量がまちまちだが、ディートが一番濃いのは写真の「ムシペール(100ml中12g)」ということだ。(他に「サラテクト」の一部製品にも成分の濃いモノがある。)しかし、このディートは皮膚炎を起こしたり、ヒドイ場合は呼吸器障害を起こしたりする成分なので、アレルギー体質の人は避けた方がイイらしい。その隣の小瓶は「ハッカ油」というモノだが、アブが嫌うニオイらしく、効果は高いとされている。コレを帽子のつば等に塗布するのだが、顔面に直接使用すると目が開けられなくなるので注意が必要だ。そして次は室内に設置するタイプ虫除け剤の「虫よけゲル」だが、コレをメッシュ袋に入れて腰から吊り下げて携行する。ココまでが防御系で次は攻撃系の殺虫剤だ。コレは噴射距離の長い「アースジェット」を選んだ。その右となりからは事後の対策用グッズで、白い筒状のモノは「ポイズンリムーバー」というシロモノだ。原理は逆注射器というべき構造でアブが出す毒性液を吸い出すのに使用する。そして最後は噛まれた後に塗る「ムヒアルファEX」という、最強のかゆみ止めだ。
 他にも色々と調べてみたが、「蚊に効く」とうたわれているモノよりもアブはハエに近い仲間だから「ハエにも効く」とうたわれているものの方が概ね効果が高いようだ。そこで、もう一つ思いついたのがキンチョウから販売されている「ハエも落ちる蚊取り線香」というモノだったが、ある報告によると、線香が燃える時に出る二酸化炭素に反応して逆に寄ってきたという例があるので、コレは慌てて除外した。

 これだけ揃えると、準備は万端なハズで、あとは現地に向かうだけだ。
 釣りをしない人からは「そんな事までして行きたいのか?」といわれてしまいそうだが、そんな事をしてまで行きたいバカな人種が”釣り人”であり、「そんな対策をしてまで釣りたい」のが”大バカなワタシ”なのである。
 で、「オマエはコレを持って釣りに行ったのか?」と聞かれると、それはまだなのである。実は先週末に自宅を出発し、飛騨方面に向かったのだが、途中の大雨にハイドロ・プレーニングで何度もタイヤを浮かされつつ飛騨高山市まで到達したが、そこで見た川を流れる水量の異常さに引き返すことを決意するに至ったのだ。コレまた「そんな事までしてソコへ行ったのか?」とツッ込まれてしまいそうだが、こんなことをするのが大バカ釣り師のワタシなのである?!。
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歴史は繰り返す

2009-08-01 10:58:28 | その他
 先週末は渓流へ向かう予定だった。釣りをしない人には理解が出来ないことかも知れないが、渓流釣りの場合、雨はウレシイ状況だ。だから喜んで釣り場に向かいたい。しかしながら何日も降り続いたり、一挙にドバッと降る雨は大濁りと大増水を引き起こし、釣り辛くなるばかりか危険でもある。そして今回も前日の大雨の前にまたもや二の足を踏んだ次第である。どこか探せば釣りができる川があったかも知れないが、何とも「根性無し」なワタシは早々と諦めてしまった。だから、またもやインドアな話だ。


 「歴史は繰り返す」とはよく使われる言葉だ。度重なる戦争史や、謀略史の数々。それぞれ時代は変わっても紐解けば同じパターンを繰り返していたということはよくあることだ。

 近頃、ゲームソフトや大河ドラマの影響で歴史上の人物=特に戦国時代の武将をヒーロー視して心酔するマニアが増えていると聞くが、何を隠そう、このワタシも実は日本史マニアなのである。
 今を去ること15年以上の昔、学研から出版されている「歴史群像」という雑誌との出会いがキッカケだったが、「興味を持つとトコトンまで」という性格が災い?して、以後、歴史雑誌や歴史小説を読みあさっていた時期があった。その結果、歴史オタク化してしまい、例えば「豊臣秀吉の配下武将の小西行長ってどんな人?」や「織田信長の配下武将の荒木村重ってどんな人?」と聞かれれば今でもスッと答えられる。モチロン今大河ドラマでとりあげられている「直江兼続さん」だってよく存じ上げて(?)いる。だから「頭デッカチ度?」は結構高いので「現代の日本史マニア(オタク?)」の人達と話をしても対等に話せるだろう。
 とは言うものの、好きな時代(=ワタシにとっては謎を解きたい時代)に限ってという注釈があって「戦国期」「幕末~日露戦争」「昭和初期~終戦まで」といったあたりがその範囲で、ソレ以外は全く興味が無く、ほとんど知らない、というか無知と言っても差し支えない。

 今でも何かのタイミングで急に「歴史小説が読みたい」という衝動が湧いてくることがあり、それは周期があって何年かに一度はやって来る。そして今回も一月ほど前にソレはやってきた。しかし今回はいつもの時代から離れて他の時代のモノを読んでみたくなってアレコレと物色し始めたのだが、そんな時にフと浮かんだのが、太平記の時代であった。

 太平記の中心人物である足利尊氏(あしかが たかうじ)に関しては1冊の本しか読んだことがなく「後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の朝臣(あそん)である楠木正成を打ち破った後、幕府を開いた。」であるとか「大正年間、天皇絶対主義へと向かう中『足利尊氏は逆賊か』と大まじめに国会での大論争があった」程度しか知識がなかったから、根っからの「知りたがり」であるワタシの興味は尽きない。
 本来の太平記は北条家の衰退~二代将軍足利義詮(あしかが よしあきら)が亡くなるあたりまでの約50年間を描いた長編作品だ。現在では原本そのものを現代訳したものから、著者独自の解釈によって一部を抜き出したものまで様々な種類がある。こういう場合はオーソドックスなモノを読むのが一番なので、現代版では代表格の「吉川英治著・私本太平記」を取り寄せて早速読み始めたのであった。

                      

 読めば解るが、何しろ足利尊氏の人生は、まさしく逆転、また逆転の人生?だ。
 一般に人気のある戦国時代後期の武将の場合は天下統一に至る者を頂点として、それ以下の者の人生は右肩上がりであっても、ある程度=自分の器の範囲まで達した後に頭打ちになって人生を終えるか、逆に殿様の怒りをかった場合や、戦いに敗北した場合、あるいは謀反に遭った場合であれば、領地の没収や減俸、もしくは追放されるか、あるいは死ぬかで、少ない例外を除けばその後に浮かび上がることは無い。だが、足利尊氏の場合は違う。後醍醐天皇の下、一時は全国の武士何万人に号令をかける立場だったのが政争や戦いに敗北し、その結果、付き添う者が近臣500人程度までに減った末、九州まで「都落ち」してしまうのだが、そこから不撓不屈の精神で盛り返し、やがては征夷大将軍(=将軍)という武士の頂点に立ち、幕府を開くまでに至った人生だ。(この説明で解るのかな?)
 そんな波瀾万丈の人生展開に加えて小説中の仇?敵?ライバル?役の後醍醐天皇と新田義貞(にった よしさだ)&楠木正成(くすのき まさしげ)、そして脇役の佐々木道誉(ささき どうよ)や弟の足利直義(あしかが ただよし)等のキャラクターの描写もオモシロく、あっという間の8巻であった。


 本のあらすじは

 それまで約130年という長きにわたってこの国を支配してきた執権北条家(しっけん ほうじょうけ)は、内部腐敗を起こしたり、下級武士や民衆の気持ちを顧みない施政の結果、多方面からの信頼をなくして力を失いつつあった。なのに北条家は北条高時(ほうじょう たかとき)という根っからのボンボン執権をたてて、反対勢力の動きを、ある時はアノ手コノ手を使って力で封じ、ある時はノラリクラリとをかわしつつ、なんとか権力にしがみついていた。
 ソコに立ち上がるのが後醍醐天皇だ。結果、天皇は足利尊氏らと手を結んで北条家を倒すのだが、その後の日本を治める天皇親政の政治=建武の新政は政治的実務に無知な者が多く、政権担当能力がないうえ、財政再建の為に大盤振る舞い気味に発行した紙幣には裏付けがなく、インフレを引き起こす。さらに、ここでも内部腐敗が早くも始まっていた。そこで今度は不満武士の代表として足利尊氏が立ち上がるのだが…。

 といった感じだ。

 読み終えて、フと気付いたことがあった。コレを現代の政局に置き換えてみると「北条家って今の○○党みたい」と思えてくるのだ。
 今度の選挙では政権交代の実現が予想されているというが、その後の担い手であろうと言われている別の党には、我々国民を今までとは違う「本当の民主主義」の方向に導いて欲しい。しかし冒頭にも書いたような「歴史は繰り返す」が本当なら、次代の施政は後醍醐天皇の「建武の新政」のようになってしまうのだ。これでは我々にとっての「本当の民主主義」がやって来る日がまた遠退いてしまうことになるだろう。もしそうなってしまった場合は、やはりその先には政界再編という波が訪れるのだろうか…。だとすれば足利尊氏にあたるのは誰なのか?…。そんな目で見ると更にオモシロい「私本 太平記」なのであった。
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