中島ブラザーズ ”弟”の「外で遊ぼう!」

近頃は日本海で、ヒラマサを追ってばかり。よって磯釣りや渓流釣りは休止状態ですが…。

ようやく渓流シーズンの開幕

2010-03-27 12:30:07 | 渓流&管理釣り場での釣り
 何だかんだで、遅れていた渓流解禁後の初釣行。昨年に圧倒的な魚影の違いを感じたことから「開幕は岐阜県内で」と思っていたのだが、前日夜が雪の予報になっており、今更スタッドレス・タイヤに履き替えるのは面倒だ。そこで、あまり釣果が期待が出来ないのは知りつつも、昨年と同じ岡山&鳥取の県境部へ向かうこととした。

 昨年同様、雪を被った大山がボクを出迎えてくれた。

                    

 最初は旭川の上流部から。アホの一つ覚えとは知りつつも、昨年と同じポイントから竿を出してみる。

                    

 ココにはアマゴが待ってくれていたものの、型は小さく16cm前後が3匹で終わる。
 どうも今年は成魚放流魚は釣りつくされていたようだ。釣れたアマゴはココでは珍しい天然もしくは準天然物のようで、

                    

 ヒレは綺麗な状態だ。

 天然物が動いているのなら、「もしかして」と昨年チェックしていた岩のゴロゴロしているポイントに入ってみる。

                    

 だが、不発に終わる。

 次に、「昨年にニジマスが出たポイントは?」

                    

と、向かってみるが、またもや不発。
 今度は仕方なしに県境を越えて鳥取県の天神川水系へと向かう。

 天神川水系でもアホの一つ覚え第二弾で入ったところでは不発。「柳の下にドジョウが2匹」は成立しないようだ。

 こうも釣れないと、ヤル気が全然出てこない。そこで「釣れれば何でもイイや。」と妥協をして、成魚放流物の残り物を狙いに行く。そういえば、昨年にカーナビに放流地点をマーキングしていたので、ソコに入ってみる。

                    

 しかし、解禁から20日以上経っているので、さすがに魚の気配はほとんど無い。ソコで「ゼロ仕掛」と言われる、ハリスが0.1号の超極細仕掛に竿を含めて丸ごと交換した。時間の経過と共に魚が食うエサも野生化しているのでは?という考察からそれまでのイクラやブドウ虫などの放流魚向けっぽいモノからその場で採取したクロカワムシに

                    

交換してみる。

 コレが正解だったようで、ようやくアタリを捉えて、ヤマメを1匹追加。

                    

続いてもう1匹出たが、すぐに気配が無くなったので、上流に移動する。

                    

 このポイントでは、クロカワムシと、持参していたキンパク

                    

とをローテーションさせてエサ交換して行くうちに、更に5匹を追加することに成功した。

 この天神川水系では21cmのヤマメ

                    

が最長寸で、天然っぽいと言えるのは、やや小さめの1匹だけだったが、成魚放流とはいうものの、時間が経っても残っているヤツはそれなりに賢く、何らかの工夫が要ることは理解でき、その意味では楽しかったが…。
 やや釈然としない部分はあるものの、「ボーズでなかったことが、せめてもの救い」であり、スタートとしてはマズマズかな?という思いだ。

 やっと解禁したボクの渓流釣り、これから約半年の期間には、今回のような何となくショボイ釣りとは違った、エキサイティングな釣りをお届けする予定なので「乞うご期待を…!」という感じかな?。
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エコカーの話

2010-03-20 12:30:01 | その他
 日本のモーターリーゼーションの発達と共にベストセラー街道を歩み続けた「間違いだらけの自動車選び」の著者である、徳大寺有恒さん。しばらくは体調不良のため、著作は極僅かに控えられていたようだが、昨秋に復活され、近頃のエコカー事情に対して「モノ申す」とばかりに「間違いだらけのエコカー選び」を出版された。

                  

 その内容は最新エコカーを詳しく解説しつつ「エコカーのどこが従来のクルマより優れて(劣って)いるのか?」、「そもそもエコカーは本当に環境に優しいのか?」といったテーマで綴られている。
 日本ではエコカーと言えば、一番判りやすい「ハイブリッド車」や「電気自動車」ばかりが目立つものだから、マスコミもそればかりを評価する。よってメーカーもソコに注力しているが、本当のところはみんな割高で全体のシェアで考えるとそう多くは普及していない。実際には一番売れ筋であるのは普通のエンジンを搭載した車であるのに、そのエコ化が遅れていると、徳大寺さんは指摘している。中でも結構な紙面を割いているのが、「ディーゼル・エンジン」についての話だ。

 ディーゼル・エンジンはガソリン・エンジンと比べて燃費が良いのはよく知られているが、コレは燃焼特性が大きく違うからだそうだ。
 徳大寺さんの説明によると、ガソリン・エンジンの燃費が悪い要因は、効率原理から1気筒あたりの容積に限界があるため、大出力を得るには多気筒化するしかない点にあり、そうなると、機械の内部抵抗が増え、熱損失も増えてロスが大きくなるのだそうだ。(4気筒のガソリン・エンジンに3000cc以上が見あたらないのは、ココに原因があったのか!と、ボクは初めて知った。)

 ディーゼル・エンジンは「燃費が良い」といことに加えて「ガソリン・エンジンに比べてCO2排出量が少ない」という特性から、環境問題を考える人の選択肢がこちらに傾くのは当然の話だ。だから実際にヨーロッパでは乗用車全体の半分近くがディーゼル車になっているのだ。
 また「ル・マン24時間レース」では4年連続でディーゼル・エンジン搭載車が優勝していることからも判るように、日本で一般に見られるようなイメージよりも実際は、かなり高性能化できるエンジンでもある。
 ところが、日本では例の東京都から始まったディーゼル車の締め出し以降、事実上ディーゼル・エンジン搭載の乗用車が販売不可能となっている。(僅かに日産のエクストレイルと三菱のパジェロの一部に搭載車があるだけ)

 こんな風に書いていると「ディーゼルはキタナイ排ガスを出すんだから、無くなっても仕方ないじゃ~ないか!」と言われてしまいそうだが、そういう人達に対して徳大寺さんがこの本の中で説明してくれている。 

 各車のカタログ見るとデータ欄に「10・15モード燃費」というのが書かれており、車の購入時に、このデータを燃費の参考にする人は多いと思う。しかし、このデータは良くて7割、下手すると半分くらいになることはほとんどの人が知っているハズだし、実際に体験もしていることだろう。
 この「10・15モード」というのは、本来は排気ガスが規制値内に収まっているかを判断する際に設定する、10ないし15の走行パターンのことだ。その際に計測された燃費が、普通に走った実燃費とこんなにも差があるということは、テストの走行パターンが現実離れしている証拠になるのだ。更にそのパターンはガソリン・エンジンにとって、かなり有利なモノになっているそうだ。
 一方でガソリン・エンジンに基準の甘い排ガス規制を与えておきながら、それを元に作成した実現不可能な新排ガス規制を特性の違うディーゼル・エンジンに課したことが、事実上の「日本国内でのディーゼル・エンジン搭載乗用車の禁止令」になった経緯なのだそうだ。
 ちなみに「10・15モード」はもうすぐ「JCO8」という、新基準に変わるそうだが、徳大寺さんに言わせると、これもまた、ガソリン・エンジンに対して甘い基準である点では変わっていないそうだ。

 実際に、ボクが見ていても以前には、確かに「古いディーゼル・エンジン、過積載、登坂時や加速時」という条件で黒煙をまき散らしていたトラックもたくさんあったし、そもそも整備不良丸出しのトラックもあった。しかし、ボクが20年以上乗り継いだ乗用ディーゼル車にはそんなヒドイ車はなかったし、第一そんな状態であれば購入に至ってはいなかったであろう。
 以前は日本で販売されている軽油に、ススの発生原因でもある硫黄分が多く含まれるという問題もあったが、それも石油メーカーが重い腰を上げ、段階的に対応した結果、現在では改善され、「サルファーフリー(低硫黄)化」されている。だから規制自体も無理のないところをスタート地点としてディーゼルの特性に合った排ガス規制を段階的に導入していれば、現状とは違う結果になっていたと思え、残念でならない。

 更に徳大寺さんは
 「大気汚染の元凶としてディーゼルに『悪』のレッテルを貼り、それに対し、ガソリンエンジンを『善』とする考えは、誤りといえるのだが、そういう真実が正しく理解されない。また、一般の思い込みと違った事実を語っていくこと自体が忌避される。そういう状況が続いてきたところに、日本のディーゼル議論の、そして環境議論の危うさがある。」
と、ハッキリ述べている。
 こういった類は、ディーゼル車乗りであり、一般市民であり、釣り人でもあるボクがこの目でウンザリするほど見てきた光景なので、大いに頷ける部分でもあった。


 長距離走行をする機会の多いボクにとって、あらゆる面でコストが割高になるガソリンエンジン車の導入は、正直言ってツラい。だが、前回の車買い換え時には、もう既にディーゼル・エンジン搭載車の新車販売は無くなっていた。そこで中古車の中から必死に探した結果、ようやく出会えたのが今の車であった。
 現在、その車の累計走行距離は、196000kmを越え、

                  

もう間もなく200000km台に突入しようとしている。「一台の車にこれだけ長く乗るのもエコだ。」と、胸を張って言いたくはなるが、残念ながら例のディーゼル乗用車締め出し法によって、規制地域内の所有者であるボクにとっては前回の車検が「最後の車検」だと決められている。使用期限があと1年半という状況下にあって、今回の徳大寺さんの指摘はウレシイ援護射撃だ。
 少しでも日本でのディーゼル・エンジン搭載車が正しく評価され=誤解が解かれ、それを契機に開発スピードが進んだ結果、エコロジー&エコノミーの両面で高性能かつ、乗って楽しいディーゼル・エンジン搭載車の早期の登場を願う毎日なのである。 
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温暖化で大雪?

2010-03-13 12:28:00 | その他
 全国の渓流河川の中では、「3月1日」を解禁日に設定している漁協が一番多い。
 当然ボクもこの日をスタートラインにして、釣行計画を練っていたのだが、その直近の日曜日である3月7日にはスタートできずじまいで、悶々たる一日を過ごしていた。それもこれも天候が原因で、その核心部分は2月中頃までの日本の天気傾向であった大雪にある。

 3月7日は全国的に雨がちであった。しかし、一旦釣りが好きになってしまうと、合羽(カッパ)などの雨具の進歩にも助けられ、大雨以外であれば雨なんて気にしない人は多く、ボクもその一人である。ましてや極端な雨で増水したとき以外の雨は、渓流釣りの場合、好釣果を期待できることもあって逆にウレシイくらいだ。しかしながら、雪が多い山に雨が降るとどうなるのかと言えば、降る雨に雪が溶かされて大量の水が流れ込んだ川は大増水し、水温が下がったうえに濁りも入って釣果が期待できなくなってしまうのだ。そんなこんなで躊躇したため、未だ渓流釣りのスタートは切れていないのである。

 この冬、話題を独占した感のある「バンクーバー・オリンピック」だが、映し出される映像の中、競技以外の部分で大きくとり上げられていたのが、温暖化に拠ると言われる各会場の雪不足であった。同じ2月中頃、日本の気候は大雪傾向にあったが、何と、これもまた温暖化に原因があるというのだ。この両極端の現象=「雪が降っても降らなくても温暖化」では受け取る側が混乱するのは当然だ。
 冬の日本で雪が降る仕組みは、大陸からやって来る、冷たく乾燥した北西の季節風が、日本海の水蒸気を吸い取り、それが日本の山脈にぶつかって降雪するパターンで成立するのだが、温暖化論者の学者から言わせると、今冬の大雪は温暖化によって日本海の水温が上がり、水蒸気の量が増えたのが原因とするらしい。
 しかし、この原因が正しいのだとすると、温暖化論者やエコロジストに叩かれることの多い「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」他の著者である武田邦彦先生が以前から紹介している、「南極は極地なので、温暖化したと言ってもそれ自体が極寒のままであるには違いない→極地周囲の水温が上がると水蒸気の量が増える→降雪量が増える→南極の雪と氷の量は逆に増える」といった説を温暖化論者やエコロジスト側に立つ人自らが証明することになる。それに「北極の氷は海面に浮かんでいるから『アルキメデスの原理』で証明できるように、溶けても増えない」ということを付け加えてみると、ことはそんなに単純ではないのかも知れないが、ボクとしては「やっぱり海面上昇はそんなにしないんじゃないの?」と、どうしても思ってしまう。そんな背景は一般にもあってか、一時は「海面上昇は数m!」と、あたかも大洪水が起こるかのような表現をしていたマスコミ報道もトーン・ダウンし、今では「cm台」に変わっているようだ。

 次々に出てくる温暖化の論説やデータ、それを煽るマスコミの報道。「いったいどれが正しいのか?」と、仮にボクが尋ねられれば、「地震予知と同じように現状では予測なんて出来ない」と応えるだろう。
 我々釣り人や、登山家のように自然と接する遊びやスポーツをする人は、データの積み重ねに加え、レーダーや人工衛星に至るまでの器機を駆使した天気予報よりも、自然からの恩恵を享受し、環境に順応しつつ生きてきた漁師や山小屋のオヤジ自らの観測で予想する天気予報の方が的中率が高いことを知っている。願わくば、地球温暖化の正否を唱える人から、それを受け止める一般人に至るまで自然と向き合い、人間本来が持っているハズの感覚を養うことを願いたい。そうした方が本質が見え易くなり、情報に振り回されることも少なくなると思うのだが…。
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釣り人口減少の原因?

2010-03-06 12:26:32 | 釣り一般
 ファミコンの登場は1983年ということだから、少なくとも1970年代中盤以降に生まれた人は、TVゲームと共に育った世代だ。そしてこの世代の、多くの人達の遊びの中心がTVゲーム(携帯型、パソコン用を含む)になっているのは誰もが知っていることだろう。
 その影響か、横浜で開催された「国際フィッシングショーー」の入場者の内、中学生以下の入場者が5%減ったそうだ。
 そのゲーム内容は日々進化し、多種多様になっているが、中でもロールプレイング系という分野を覗いてみるとオモシロいことに気が付く。

 ロールプレイング・ゲーム中で一番多いのは、ファンタジーを題材にし、架空世界を舞台としてモンスター等との戦いで経験値を取得することでキャラクターが成長し、成長することで探索・行動範囲を広げるというパターンのものだ。そして、そのゲーム内で繰り広げられる冒険やバトルで使用するためのアイテムが登場する。

 そのアイテムと釣り道具とを対比させてみよう。

 まず、メインの武器である剣等が竿(+リール)だとすれば、盾等の防具が玉網(釣って手前まで引き寄せた魚をすくい取る網)と考えられる。これらはゲーム内であれば経験値等が上がったり、お金が貯まったりすると、より強力なモノが手に入るようになるが、釣りの場合でも、上級者になるほど高性能&高級なモノを「買える、買えない」は別として必要になるので、その点でも共通している。
 そして、有用なサブ・アイテム類が、道糸、ハリス、ウキ、ハリといった小物類だろう。これらのサブアイテムは、敵キャラ(=魚)の種類や性質、またはこちらの戦法によって装着し直さなければ相手を倒す(=釣る)ことが出来ないことからして、イメージが共通している。

 ゲーム内には倒すべき相手として、様々な敵が登場してくる。沢山出てくるのはザコ敵だが、これらは釣りでいうと差詰めエサ取り達だ。ザコ的の中でも結構強くて倒すのに手こずってしまうヤツがいるが、それらは外道(目的外=他種の魚)と考えられる。そして小ボスが本命でも小型、中ボスは良型、そしてラスボスが本命の大型魚といったところか?。
 フィールド内にプログラムされている神殿やダンジョンなどは、魚が潜むポイントと考えればイイだろう。

 こうやって対比してみると、ゲームというバーチャルな空間内に、ボクらが釣りをしているときに感じる「道具を手に入れ、使いこなす喜び」や、「未知との遭遇」と、それに伴う「ワクワク感」、勘を働かしての「読み」、そして、釣果を得た=ゲームでは相手を倒した時の「達成感」などの”喜び”が一通り揃っていることが解る。更には「一人でプレイして楽しい」という点でも共通している。
 ボクらの子供の頃は幸い(?)にもTVゲームが無かったお陰で、釣りを通じて”喜び”を覚えることが出来たが、若い世代(~現在の小学生)は小学校の低学年からゲーム内で上記した各種の”喜び”を経験しているワケで、早い段階でゲームによって芽を摘まれてしまうと、他の遊びに接するするチャンスや意欲が減るのは当然のことだ。勿論全ての若年層(~小学生)に当てはまるワケではないし、ゲームだけが全ての原因ではないことは理解しているが、少なくとも釣りを始め、他の遊びや趣味の人口が減っている要因ではあるように思える。

 こんな世の流れに対して一石を投じるために、オジサンとしてはここで、芥川賞受賞作家の故、開高健さんが、自身の釣り紀行である「オーパ」



の中で記している、中国に伝わる古いことわざを紹介したい。
それは、

一時間、幸わせになりたかったら
酒を飲みなさい 。
三日間、幸わせになりたかったら
結婚しなさい 。
八日間、幸わせになりたかったら
豚を殺して食べなさい 。
永遠に、幸わせになりたかったら
釣りを覚えなさい。

(幸わせ→幸せ=原文ママ)

というモノだ。

 ボクはゲーム世代に問いたい。果たしてゲームの世界=他人によって、あらかじめプログラムされたバーチャルな空間で「永遠に、幸せになれるのだろうか?」と…。(一部には存在するみたいだから、それには恐れ入ってしまうけど…)
 常にプログラムは無限の規模でランダムに書き換えられ、大いなる自然によってリセットされているから、釣りにはあらゆる可能性があり、様々な魚との出会いがあるのだ。また、行動することによって多くの仲間との出会いが待っているかも知れない。そして「漁をする」という行為は人間の心の底に眠っている”野生の本能”を呼び覚ますのだ!。役立つ場面は一生に一度有るか無いかは判らないけど、その本能を鍛錬していれば、もしもの時に貴方のピンチを救う力になるかも知れないのだ!。

 と、オジサンがこんな所で拳を上げてはみても実際問題として、届きはしないんだろうナ…。

 「ただし」と、先輩としては忠告をしておく。もし仮に釣りの世界へ入ってきたのなら、深入りのし過ぎは禁物だ。釣りを覚えて「永遠に、幸せになった人」は多いが、中には「幸せな結婚」生活が”三日”とは言わないまでも、かなり短くなった人も居るからだ。
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