中島ブラザーズ ”弟”の「外で遊ぼう!」

近頃は日本海で、ヒラマサを追ってばかり。よって磯釣りや渓流釣りは休止状態ですが…。

ジレンマ

2009-10-31 18:28:39 | その他
 最近読んだ本の中に福岡伸一著「生物と無生物のあいだ」「世界は分けてもわからない」の2冊がある。

                

 「生物と無生物のあいだ」の方は’07年にベストセラーになった過去があるので、もう読んだ人も多いとは思うけど、「生命とは動的平衡状態にある流れである。」というのがテーマだ。
 しかし、何も難しく考える必要はなく、「野口英世って日本では偉人伝の中で紹介され、お札にもなっているけど、アメリカでは引田(プリンセス)天功やパフィ以下程度の有名人なの?」って感じのツカミから始まって、科学者達の「ひらめきや発想」の素晴らしさと、それに伴う「苦悩や闘い」について興味深く読み進んでゆく内に、テーマについても理解が出来るような展開になっている。

 「世界は分けてもわからない」の方は科学界や芸術界での出来事を例に挙げ、「世界は分けなければ理解できない。」しかし「分けても本当に理解したことにはならない。」という、一種のジレンマがテーマになっている。
 だが、コチラも難しく構える必要はない。終局に結びつけるための”伏線”が各所に散りばめられているうえ、特に8章以降のマーク・スペクター事件に関する記述は上質なサスペンス小説並の出来なので、ワクワクしながら読み進んでいけるから安心して欲しい。

 この2冊、共に文学的な描写の中で展開しているので、科学関連の本にありがちな「味気なさ」という感じが無く、ボクのような知識のない人間でもすんなりと入れ、一気に読むことができた。
 これから読む人に「さてどちらを先に読むべきか?」と聞かれた場合、共に読んで「コレはオモシロい!」と言っていたウチの嫁さんにも共通する意見として、より読みやすい「世界は分けてもわからない」の方をお薦めしたい。


 ところで、ボクが福岡伸一さんという存在を知ったのは、かなり遅くて、「博士の異常な鼎談」という東京MX(東京ローカル?)の番組に出演しているのを見たのがキッカケだから、つい最近のことだ。(実際に見たのはYou Tubeだけど…。)
http://www.youtube.com/watch?v=rNKOLisKVLc&feature=PlayList&p=8D31FD1BE1D4EB05&playnext=1&playnext_from=PL&index=8(←見たい人はこのアドレスを)

 その番組内で、興味を持ったのは「コラーゲンを積極的に摂取しても、皮下に届く確率は、ほぼゼロ」という点だった。
 ここでピンときた。そう言えば、この福岡伸一さんは少し前の関西ローカルの「ビーバップ ハイヒール」というTV番組に出演していたアノ先生だったのだ。
http://www.youtube.com/watch?v=I7ZwXZ69two(←見たい人はこのアドレスを)
 そして、その番組内でも「コラーゲンが細胞と細胞の間でクッションになっているのは確かだが、コラーゲン入り食品を沢山食べても直接ルートはなく、肌のコラーゲンは増加しない。」と言っていた。

 以前から「コラーゲンなんて、食べたところで直接吸収されないんだろうな…。」と薄々思っていたので、心のモヤモヤを晴らしてもらうために、更には、元々この手の「身も蓋もない話」に、ついつい引き込まれてしまう性格も手伝って、食い入るように話を聞いていた。その内容は、理系の人で特に生物学なんかの勉強をしていた人にとっては当たり前の知識らしいけど、そんな素養のカケラもない、バカなボクにとっては、この二つの番組内での話は自分を納得させるのに余りあるほどだった。

 で、肌に入らない理由は簡単だった。口に入ったコラーゲンは胃に到達すると、消化酵素が働いてバラバラになってアミノ酸に分解されるが、当然、消化された時点でコラーゲンの原型はなくなっている。そしてそのアミノ酸が血管を通って皮下の必要箇所に行き着いたときに、コラーゲンは初めて細胞内で必要量が作り出される仕組みになっているからだ。
 したがって、食べたものがコラーゲンであっても、肉や大豆から採ったフツーのタンパク質であっても、胃の中では単なるタンパク質の一種として判断されるので、結果は同じということになる。そして、現代においては、よほどの偏食家でもない限り、普段の食事でタンパク質は充分に摂取できているということである。
 
 では、コラーゲンを含むタンパク質全般を多く摂取したらどうなるのか?。残念ながら、コラーゲンの必要量は我々の体が判断するものであるから、自分の思いを込めて大量摂取したところで皮下では増えてはくれないし、増やすための触媒みたいな物質も存在しないということだ。だから、要するにコラーゲンの積極摂取は生物学的に見て無意味ということだった。

 このように食べた物から直接摂取されないシステムは、病気や障害から身を守るために、情報として我々の遺伝子に組み込まれている。
 もし、仮にこのシステムがなければ、植物由来であっても動物由来であっても、他の生物から摂取した物(この場合はコラーゲン)がダイレクトに皮下組織に行ってしまうので、拒絶反応が起こって「お肌のケア」どころでない、免疫上の大きなトラブルが起こってしまうということだ。

 ただし、コラーゲンのように消化されて分解される物質ではなく、例えば、実効性が臨床データで確認されている「飲み薬」のように、分解されずに薬効成分が吸収される物質も、ちゃんと存在するし、福岡伸一さんも「全てにおいてダメだ」とは言い切っていないので御安心を。

 「ビーバップ ハイヒール」の番組内では、ハイヒールのリンゴさんが、それでも「効果がある。」と食い下がっていたが、「それは気のせいです。」みたいな感じで一蹴されていた。この「気のせい」というのを福岡伸一さんの話で確認すると、それはいわゆる「プラセボ効果(プラシーボ効果とも言う)」というヤツのことらしい。
 このプラセボ効果の話もオモシロい。
 ある病気の患者さんに対して、小麦粉なんかを練っただけの薬効のない「疑似薬」を与えても、一定の効果があることが認められるのが、そのプラセボ効果というヤツだが、実際に実験すると、被験者全体の3~4割の人が「何らかの効果があった」と報告するらしい。更に「新薬だ。」と言った場合の方が「一年前に発売された薬だ。」と言った場合よりも効果が上がるというのだ。何もコレはオカルトな話では無く、人間の傷病からの回復には心理的な要素がかなりあるという裏付けなのだ。

 結局、体内のバランスが保たれているから我々人間は「生きている」ワケだから、普段から偏食をせず、バランスの取れた食事を心掛け、ストレスの少ない生活を送ることで、心身共にバランスのとれた状態にしておくのが一番の美容&健康法だということだろう。とすれば、ある種のサプリやコラーゲンのおかげで、ストレスが減って”心が健康”になる人が世の中に居るのなら、「それもアリなのかな…」とも思えてくる。と、考えていく内に、コレまたジレンマに陥ってしまう…。ボクレベルでもそうなんだから、きっと科学や医療にはそれが付き物なんだろう。



                           ……オマケ映像……

                       (動き始めた秋 …六甲山にて)
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ハイキング ~座頭谷から赤子谷

2009-10-24 12:08:29 | アウトドア・スポーツ
 今回は我が西宮市の北部にある景勝地「蓬莱峡」をスタートし、西宮市の最高峰と宝塚市の最高峰を巡るコースだ。

 知っている人は多いかも知れないが、蓬莱峡一帯は黒澤明監督の「隠し砦の三悪人」(モチロン、オリジナル版の方)のロケ地なのだ。秋月家の再興を狙う、三船敏郎の扮する”真壁六郎太”と上原美佐の扮する”雪姫”の二人が、隣国の山名家の追っ手から逃れて隠れ住んでいた場所が、この辺りにあるということだ。(モチロン映画の中の世界で)

 朝6時頃、「万里の長城」風のアーチ型堰堤をスタートする。

                  
                  

 この堰堤の柵を乗り越えて上流に進むと川は二又に分かれ、右の本流方向に進めば蓬莱峡の中心部である屏風岩方面に向かうハズなのだが、全然ルートが解らない。一応、高いところから見回すが、それらしいルートが見えず、いきなりの頓挫だ。

                  
                     (蓬莱峡の中心部は奥に見える川筋の上流だ。)

 何とか河原沿いに上がろうとしてウロウロしている内、遂に足を踏み外して靴の中までビショ濡れになってしまう。そこで一旦車に戻り、予備の靴下に履き替えるが、靴は換えがないのでエアコンを全開にしてある程度乾いてくるまで待つハメになった。

 そんなこんなで30分以上ロスをしての再スタートとなった。
 どうしても、コースが解らない屏風岩方面は諦めて、座頭谷に向かって歩き始めた。そこではいきなり「焼き肉豚野郎ども」の食い散らかした跡を発見したので、気分が悪い。

                  

 気を取り直して川沿いを歩いてゆく。景色は水、緑、岩等とコントラストがハッキリしていて見た目に気持ちよく、歩くペースも快調になる。

                      

 そのまま右岸沿い(下流に向かって右側)を歩いてゆくと、この看板に行き着く。

                  

ここで、そのまま川沿いの道を上がりそうになるが、地図で確認すると、その道は支流沿いになるので別方向へ行ってしまう。だから、ここは一旦、川を横切るようなコースに進むのが正解だ。

 その先には立て札があり、当然、座頭谷方面へと向かう。

                  

 ここから先は、木々の数が増え、密度が濃くなってくる。


                  

しかし、その割りに立て札の数が少ないので、所々で道を逸れてしまいそうになる。そんな時は冷静になって辺りを見回せば、以前に、この一帯に立ち入った人達が標してくれたカラー・テープが樹木に巻かれているから、それを伝って更に奥へと進んで行く。

                  

 やがて何段も連なる巨大な堰堤にブチ当たるが、その左手に迂回するための道が取り付けられている。

                  

 それを昇り切ると、視界一杯に樹木がほとんど生えていない、粉砕された石の河原が広がり、眼前に別世界が迫ってくる。正確にはこの位置で撮影したのではないのかも知れないが、ソコは正に「隠し砦の三悪人」の世界だ。

                  

 振り返るとこんなに高い!。

                 
              
 映画の中で、岩の割れ目からかなり速いスピードのすり足で”真壁六郎太”が降りて来るシーンがあるが、それはどこだろう…。辺りを見回すと映画のシーンで使われたモノよりは小さいが、適当な岩の割れ目を発見!。早速、記念撮影だ。

                  
                (若き日の三船敏郎とは、似ても似つかぬ我が容姿が悲しい…。)

 高台に上がり、そこから俯瞰して見るとこんな感じだ。

                  

 見回してゆく内にジョージ・ルーカスやスティーヴン・スピルバーグもあこがれた、あの映画のシーンが次々と浮かんでくる。「もしかして、雪姫が隠れていたのは、あの辺りなのだろうか…。」と…。


 嬉しくなってアチコチを歩き回ったので、かなり時間をロスしたが、ここから再スタートだ。
 
 荒涼とした一帯を抜ける寸前には親切な立て札が立っていた。

                  

 立て札の指示とカラー・テープを頼りに進んで行くとやがて、森へと入って行く。

                  

 この森を抜けると、ハニー農園に出る。

                  

 あいにく営業時間外だったので、そのままパスして、道路を挟んだ右斜め向かいにある入り口から再びコースインし、次の目的地である、六甲全山縦走路への合流点を目指す。

 最初は杉木立の中を歩くが、途中で植生が広葉樹に変わる。

                  

 更に奥へ進んで行くと笹林になるが、ここまで自分のジャイロとテープを頼りに歩いて北だけにやや不安な場面もあったが、途中地図に載っている「碑」を発見。

                  

どうやら道は間違っていなかったようで一安心だ。

 どうにか六甲全山縦走路に出た後は、右(西)へ進路を取り、西宮市の最高峰である水無山を目指す。途中で何故か全開のコースにあった岩と同じ名前の蛙岩

                  
                      (誰だ!キタナイ字で名前を書いたのは…。)

の脇を通り、しばらく進むと、道標がある。その辺りが水無山の山頂だ。

                  
                       (周囲に表示等が無く、何だか興ざめだ。)

 ここで軽い昼食を採った後、道を引き返して東へと向かう。次なる目的地は宝塚市の最高峰である岩原山だ。

 大谷乗越

                  

を越えてしばらく進むと「この先300米 岩原山」の標識があるので、指示に従い、昇って行くと、そこが岩原山の山頂だ。

                  

 再び「この先300米 岩原山」の標識まで戻る。
 本来であれば六甲全山縦走路をそのまま東へと向かい、宝塚駅からバスに乗って蓬莱峡まで戻るつもりであったが、時間をかけすぎて予定の時間を大幅に超えている。短気なワタシの悪いクセだが、こういうときに頭に浮かぶのがショートカットコースだ。地図を見れば、この標識のすぐ近くに赤子谷方面へ向かうコースへの分岐が載っている。付近を見回すと、道とは言えないようなところに緑のカラーテープが貼ってあった。

                  

 イヤな予感はしたが、思い切ってコースインだ。
 コースの要所にはカラーテープが見えるので迷うことは少ないが、何しろ最初は急な斜面だ。地面には、苔むす人頭くらいの大きさの石の上に、フカフカの落ち葉が積もっているので非常に歩き辛い。更に倒木が随所に覆い被さって、コースはかなりワイルドな様相だ。しかし「赤子谷」と言われるだけに沢沿いに出てからは、その筋を外さないようにしていれば、周囲にカラーテープが見つかるので、迷うことが無かったのは幸いだった。

                  

 コースの中間あたりに差し掛かると、何カ所もの堰堤が登場し「高巻き」をする場面が増えてくるが、落ち着いて見回すとどこかに必ず虎目模様のロープ(トラ・ロープ)があるのでそれを伝って降りて行く。

                  

 トラ・ロープの中には退色して発見しにくいものもあり、その度に行き詰まりそうになる場面があったが、ゴール地点の、この橋を渡った後、

                  

ようやくコースから出ることに成功した。

 何とかゴールしたものの、赤子谷コースには堰堤を迂回するために、腕力をフルに使わなければ上り下り出来ないところが3ヶ所ほどあったので、今回のコースの中では、この赤子谷コースだけは「お父さんが経験者ではなく、かつ子供が小さいファミリーでは歩かない方がイイかも?。」と思ったし、自宅に帰ってコースガイドで確認したところ「下りは不適」と書いてあったが、その通りの印象を受けた。もし、このブログを見て挑戦する場合は、本当に気をつけて入ることを願う。

 ということで、後はバス道を歩いて駐車スペースまで戻り、今回のハイキングは終了となった。

 この日の歩行距離は地図上で定規をあてて確認すると約14kmだが、実際にはそれ以上歩いたと思う。時間がかかりすぎて、残念ながら帰りに入山し直そうと思っていた屏風岩のある蓬莱峡本体の部分には行けず、今回は高台からの撮影のみに終わったが、チャレンジは次なる機会に譲るとしよう。

 
 (のちに調べると、ロケ地はやはり、この方面だということだ。今回は残念ながら高台からの撮影のみで我慢。)




                            ……オマケ映像……

 
                         (秋の便りがいろいろ byワタシ)
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ハイキング ~芦屋ロック・ガーデンから蛙岩

2009-10-17 12:30:36 | アウトドア・スポーツ
 渓流釣りは禁漁期に入ってしまったが、磯でグレを狙うには、まだ早い。その間にせっかく復活し始めた体力と言うか、脚力を落とさないようにするためにも何かをしなくてはならない。ということで暑くもなくなったことだし、ハイキングの復活と相成った。

 阪急電車芦屋川駅近くを出発したのは朝6時半頃だった。

                

 そのまま川沿いの標識に従って歩いてゆく。

                
                

 今回のコースは芦屋ロックガーデンから風吹岩をピークに、蛙岩経由で芦屋川駅まで戻ってくるコースだが、このコースの歴史は古く、整備されているので、標識通りに進めばすんなりと行くだろう。

 そうこうしている内に、ロックガーデンの入り口に到着する。

                

 このあたりにある茶屋を抜けると高座の滝(こうざのたき)だ。

                

 高座の滝を右に見て階段を上がったところにあるのがコースの分岐点で、

                

右に上がって行くと、一般向けの中央尾根伝いに歩くコースで、左に降りて行くと中級者向けの地獄谷を行くコースになる。

                

 勿論、チャレンジャーのワタシが向かうのは地獄谷コースだ。

 地獄谷に入る部分は正に地獄の様相だ。何しろいきなり土石流などを関知するセンサーが入り口を塞いでいるのだ。

                
                

 このセンサーのすぐ手前まで崖崩れが来ており「ホンマに進んで大丈夫なのか?」と不安になるほどだ。

                

 とりあえず目の前にあった壁を登り始めたのだが、残り7~8mほどのところで全く手がかりが無くなり、昇ることが不可能となって途方に暮れてしまう。
 ここで下に居た初老の方から「兄ちゃん、危ない!ソコは去年に崖崩れが起こって昇られへんで~。」と声が掛かる。
 ソレを聞くと頭の中で「ウ~」というサイレンと共に赤いパト・ランプが回転し始めた。下を見るとこんな感じ

                
        (写真では解り辛いが、この地点は地表から15mくらいの高さで、壁面は垂直に近い。)

になっている。「ヤバイ!速く逃げなくては」との思いつつ、降りようとするが、登りよりも下りの方が数段手足の運びが難しいので、時間がかかってしまう。這々の体(ほうほうのてい)でようやく下まで降りた時には「火事場の馬鹿力」を使い果たしたのか、手足が震えているほどでだった。
 落ち着くヒマもなく、下で心配そうにワタシの様子を見ていた先輩ハイカーから「おしかり」を受け、「コースは沢沿いにある」と指導をいただいた。
 コース・ガイドブックを見ると先程の場所はゲートロックという岩壁で以前はロッククライミングの練習場として利用されていたが、2008年夏に崩壊し、その後は立ち入り禁止になっているというではないか!。町中なら「立ち入り禁止と書いておけよ!」とのツッ込みもアリだが、ここは近郊とはいえ山だ。そんなものは自己判断で行動しなければならない。

 それから後は己の認識の甘さを感じながらトボトボと歩きを再開した。

                

 ここからは「先輩ハイカー?」から受けた指導通りに沢沿いを外さずに昇ってゆく。しばらく段差のある小滝が連続する区間を抜けると、ガイドブックにも掲載されている「小便滝」に到着した。

                

 更に進むとA懸垂岩(Aケン)が見えてきた。

                

 このAケンはロッククライミングの練習場として昔から親しまれてきたということだが、周囲にあったBケンやCケンは阪神大震災で崩れ去り、今は昇ることが出来ないそうだ。
 先程のゲートロックで懲りていたので、Aケンを眺めるだけに留めていたが、後からやって来た人がスイスイと登り始めた。

                

 ワタシより年長の方だったので、何故か負けん気が湧いてきて、気付けばワタシも登り始めていた。
「ゲートロックに比べりゃ~何ともないさ!。」

                

 頂上で休憩した後、次なるポイントへと向かう。しばらく進み、それまでの岩と樹木で構成されていた風景から一転してパッと視界が広がると、ソコが「万物相」と言われる一帯になる。

                
                

ここは風雨による浸食でザラメ状の地層が削られた”奇景”で、ニョキニョキと地面からはい出ている部分が色んなものに見えることからネーミングされている。その形状から、またの名を和製カッパドキア(トルコにある景勝地)とも呼ばれているそうだ。
 だが、本体部分よりもやや西にどうしても「そう見える岩」を発見した。

                

名付けて「桃尻岩」だ。(如何にもオヤジ風のイヤらしいネーミングをしてやったのだ。)

 万物相を抜けて更に昇ると中央尾根からのコースと合流する。そして、その先にあるのが風吹岩だ。

                

 ここで休憩をとり、記念撮影。

                

 風吹岩が今回のコースでは最高点となるので、当然ここから先は下りになる。標識が各所に立っているので間違うことはないが「蛙岩」「魚屋道(ととやみち)」方面に降りて行くと良い。

                

 魚屋道とは、江戸時代に神戸の灘方面から裏六甲にある有馬地区へと魚を運ぶために使った道ではあったが、正規ルートは別にあったので、抜け荷を運ぶヤミ商売人たちも往来していたそうだ。

                

 そして程なく蛙岩に到着する。
 一応立て札はこちら側に立っていたが、

                

反対側の方が足を折りたたんだ姿からジャンプしそうな感じで、より蛙らしく見える。

                

 ここから更に進んで行けば市街地への出口に到着するが、その間際にこんな標識が…。

                

 「ごもっともでございます。」不用意に崖なんかをよじ登って動けなくなるような「余裕のない行動」は慎まなくてはいけませんナ。

 ここから先は更に下った後、阪急電車に沿って東へ向かえばゴールになる。


 このコース、途中で「要らんこと」をして壁に張り付いてしまい、時間をロスしたが、真っ直ぐ行けば3時間半くらいで周遊できると思う。途中に難所はないが、子供の足だと沢沿いのコースは歩幅が合わず、乗り越えるのに苦労するだろうから、その場合は地獄谷は避けて中央尾根を通れば問題はないと思う。チョッと気軽にハイキングという感じで行くのには最適なルートの一つだと思う。



                           ……オマケ映像……
                
クモと言えば、町中で見るとキモチ悪いが、山で見ると種類が違うし、イメージも違った感じに見える。正に、この巣は芸術品だ。(byワタシ)
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割り箸と郵政民営化

2009-10-10 12:32:49 | その他
 アチコチ色んな所へ釣りに行っていると、磯釣りの場合は現地に向かう峠道で、渓流釣りの場合は降り立ったその近辺で「こんなところにも頑張って暮らしている人が居るんだ。」と感心するくらい山深い「僻地」にある山村を見かけることがよくある。

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2007_0825_canonpwsA640_IMG_1572
posted by (C)青空白帆

 そういう場所で暮らす人々の多くは「林業」や「農業」に従事して生計を立てているのだと思うが、当然、高齢者の割合が多く、タマに見かける人影はモンペ姿のオバァちゃんだったり、今は痩せているが、昔は筋骨隆々だったように思えるオジィさんだったりすることが多い。コレがいわゆる過疎の村というヤツだろう。

 そんな村々に今、郵政民営化によって起こった弊害が押し寄せているという。先日まで読んでいた「平成経済20年史(紺谷典子著)」

                  

の後半に、その件について書かれている部分がある。何しろ民営化スタートの段階で閉鎖された郵便局の数は148、一時閉鎖になっている局の数は417にものぼっているということだ。その他集配を止めた局が1048もあるというから、その影響はかなり大きい。そしてその波は今でも大きくなり続け、過疎地を中心に襲っているという。
 以前なら足の不自由なお年寄り宅や、バスの便すら無い村はずれの老人宅までは郵便局員が集配のついでに貯金や保険の業務を行っていたところが結構あったのだが、分社化された結果、たとえ局が残っていたり、郵便物の集配を続けているところがあったとしても郵便以外は「他社の業務」となり、それが出来なくなっているそうだ。だから、現実に、老人が山道を1時間近くかけてバス停までたどり着き、そこから更にバスに揺られて1時間かけてお金をおろしに行くということも起こっているという。そして更にどこかへ振込もうと思えば、手数料の値上げが待っているのだ。
 こんなことが起こるということを、あの郵政選挙の際に訴えている人も居たのに耳を傾ける人は少なかったようだ。田舎の事情がわからない、あるいは理解する気すらない、都市部に暮らす多くの人々が、解りやすいキャッチフレーズと何だかよく解らない「改革」という言葉に踊って大ナタを振るうことを許した結果が、今日の過疎の村の郵便局事情を招いたのだとしたら、その罪は小さくはないと思う。
 モチロン旧来からの郵便行政にも問題があって、そのままではダメだったことは理解できるが、前述した紺谷さんの著書でも触れているが「バッサリ切るのではなく、悪いところは改善し、公共サービスという部分は不採算でも生かす」という方法がどうしてとれなかったのかということを考えると、今更ながら悔やまれる。

 方や、先日関西ローカルのニュース番組では先日、割り箸について採り上げていた。
 内容はエコ!エコ!と叫ばれ、「マイ箸化」が進んで割り箸の需要が減っているが、実はこの割り箸、外国産の一部は木をモロに伐採して作られているので、使い捨てをする度に木の一部を切り倒すような行為になるが、国産の割り箸は間伐材を使っているので逆にエコだというものだった。
 もし間伐という名の「メインの木を育てるために不要な木を間引く」という管理を怠ると森は荒れ、痩せてしまうので、それはどうしても必要な行為なのだ。だから逆に間伐によって作られる国産の割り箸は廃物利用となり、エコに繋がるというワケだ。

 しかしながら、今増えているという「マイ箸」とか言いながら自前の箸を推奨し、割り箸を悪者視している環境活動家?の中には、キッチリと何が良くて何が悪いかを説明している人が少なく、十把一絡げの人がいるようだ。そして、それを受け止める側も当然、割り箸=悪と思う人が多いらしく、それが証拠に今、国産の割り箸の売上までが3割減に落ち込んでいるそうだ。勿論コレは「風評被害」というヤツだ。
 この間伐材を使った割り箸は実のところ山間部に暮らす人達の貴重な現金収入の一部であり、もしそれを奪ってしまうと更に生活が苦しくなるのは目に見えている。番組では「廃業」をほのめかす人達も居たくらいで事態は深刻だ。もし話通りに廃業すると間引きされずに放置された山は荒れ始めるだろう。そうなれば、熊やイノシシなどの野生動物が山から降りてくる確率が上がり、生態系が崩れてくるかも知れないし、洪水が増えるかも知れない。林業が荒れるとそれと兼業している農家、あるいはその周囲や山里にある農家が荒れる。そしてドンドン連鎖してゆく。

 郵政民営化の弊害と割り箸。この二つの行き着く先は田舎(地方、山村その他諸々)の荒廃だ。こんなことを放置したままで、近頃都会の人達?が最近声高に叫ぶ「地産地消」が成立し、「食糧自給率の更なる低下」を果たして防ぐことは可能なのだろうか?。
 社会の格差は広がり、特に地方の苦しみは大きいと言われている。単純なキャッチフレーズに踊って、その背景に起こることを真剣に考えようとしないのなら、その行く末には「ハーメルンの笛(吹き男)」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%81%AE%E7%AC%9B%E5%90%B9%E3%81%8D%E7%94%B7
に連れて行かれた子供達のように、二度と元には戻れない恐怖が待っているのかも知れない。


 追伸

 日本郵政の西川社長が辞任し、後任の社長が大蔵官僚出身者に決まった。新聞などでは「逆戻り」を示唆しているようだが、果たしてそうなるのだろうか?。効率化しなくてはならない部分があるだろうから、郵政民営化自体には決して反対の立場ではないのだが「守るべき部分は守る」という部分で、どこかに良い落としどころはないものだろうか?。とにかく今後は民主党の手腕に期待するしかない。
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渓流釣り~今期最終釣行

2009-10-03 12:35:16 | 渓流&管理釣り場での釣り
 今年3月1日の初チャレンジ以来、長々と続けてきた「渓流釣り」だが、10月1日をもち、一部地域を除いたほぼ全国で禁漁の時期を迎えるに至った。

 長野県中信地方では、稲穂がすっかり実り、刈り入れの時期を迎えていた。農村で忙しく人々が働く姿を見ると、実際には農村経験が無くとも、心のどこで懐かしさを感じてしまう。そして、移りゆく季節を目の当たりにし、「もうこれで今シーズン最後の釣行だ…。」と思うと、ついつい各地の川での体験を振り返ってしまい、一人「哀愁オジサン」になってしまいそうだ。

                   

 さてさて、もう後がなくなって「どこに行こうか?」と悩んだが、ご存じの通り9月に入って雨はほとんど降らず、車で行けそうな範囲=私の場合は車中泊を含んだ日帰りというか、1.5泊、片道4時間程度で行ける範囲の河川はどこも渇水状態だ。「それならば湧水の豊富なところだと、少しはマシか?」との判断で、3週間ぶりにもう一度安曇野地区にやってきたのであった。

 今日一日でオシマイは動かしようのない事実なので、アレコレ悩んでいる時間もない。従って前回入ってソコソコ気配のあった「穂高川」の下流に車を止めて、夜明けを待つことにした。

 第一投はこのポイントからだ。

                   

 やはり、水位は前回よりも更に下がっており、アチコチと探ってゆくが、出るアタリは非常に渋い。そんな中、ようやく掛かってくれたのは豆ヤマメのみだった。

                   

 少し移動して石の裏を丹念に探ってニジマスの22cm

                   

を追加したが、ニジマスにしても豆ヤマメにしても、いつもに状況なら「我先に」と食いつくサイズのハズであっても食いが悪い状況は、この日の行く末を物語っているようであった。

 そのまま釣り下り、3週間前に良型をハリハズレで逃したポイントにも差し掛かったが、全くアタリすらなく、河原に咲く花

                   

に見送られながら早々にこの地区を諦める決意を固めた。


 次に向かったのは前回調子の良かったこの川のやや上流部であったが、ここでもほとんどの区間で全くヤマメの気配がしない。諦めずにそのまま釣り下がってゆくが、何もないまま前回ヤマメを数匹上げたポイントに差し掛かった。
 前回良かった流芯の脇をシツコク探るが、無反応。次いで流芯の泡が消える辺りをミミズの餌で

                   

探ってみると、この日初めての良型らしいアタリが目印の動きを止めた。
 結構な締め込みをイナして竿先で誘導してやると、魚が姿を現し、それと同時に水面からジャンプ…。正体は期待されたヤマメではなくニジマスであった。

                   

 サイズは34cmあり、良く引いてコチラを楽しませてはくれたが、本命ではない外来魚であり、喜びは半減だ。

 続いて投入すると、またもや同じ位置でアタリがあった。今度は先程よりもスピード&パワーが一層強烈で、浮上せずに底層をグングンと走ってゆく。かなり時間を掛けてやり取りをしつつ、徐々に上層へと導いてやったが、その途中で背中向きに見えた相手は体高があり色が白いので一瞬「本命か?」とも思われた。しかし更に誘導を繰り返して相手がこちらに顔を向けた瞬間に正体がバレてしまった。その後はやや強引に寄せて無事に玉網に収めることに成功した。

                   

 モチロン正体はニジマスだったが、サイズは39cmしかないものの、体高は驚くほど高く、釣った本人と同じメタボな体型だった。

                   

 ヤマメの大型に対処するためのウォーミングアップにはなったが、目指すは本命あるのみだ。
 その後も気合いを入れてこの区間を攻め続け、上流にある堰堤下までやって来たが、小さなニジマスがポツポツとアタるくらいで、本命は唯一あった18cmクラスが一匹以外はアタリすらなかった。空回りばかりの展開で2度目の退渓を決意した頃には「もうマトモなサイズのヤマメには出会えないかも?…。」と、意気消沈気味になっていた。

                       

 駐車している場所まで川沿いを歩いている途中で出会ったルアーマンと情報交換するが、そちらもあまり良い状況ではなく、苦戦しているようだ。「どこか他の川の状況を知らないか?」と聞けば、「最近、木曽方面の奈良井川の調子が良い。」との返答があった。前からその川が気になっていたこともあり、来年のことも考えて様子を見に行くことをここで決意した。


 車を走らせ途中のコンビニで遊漁証を購入した時点で午後4時前を指しており、残り時間は2時間ほどになっていた。川沿いに立つと、先程の砂底ばかりだった穂高川とは全く違う、素晴らしい渓相が広がっており、盛期であればかなり有望そうな感がある。

                   
                   
 とりあえず竿を出してみるが、終盤なので釣り切られているのか、ここぞという場所では全く反応がない。徐々に釣り上がっていくが、状況は変わらない。「こういう場合はポイントのタイプを変えた方が得策か?」との判断で、やや上流にある、小型ダムのバックウォーター付近まで車で向かい、試しに竿を出してみた。

                   

 ここでようやく小型のヤマメをゲットし、

                   

続く釣果を期待したが、その後はこのサイズを上回る釣果はなく、不完全燃焼のまま、やがて日没を迎えて今シーズンの最終釣行が終了した。


 渓流初体験の今シーズンだったが、シーズンを振り返ってみると、自分に甘くキープサイズを18cm(6寸)とするのなら、ボーズはゼロ。大物?としてはイワナが約38cm~34cmまでを2匹、ヤマメは最大が28.5cm、アマゴは28cm、外道ながらニジマスは41~34cmを4匹という結果だったので、初年度としてはマズマズの結果ではあったと思う。
 ただし、「自分には何かが足らなかった」というのは紛れもない事実だ。冷静になった今になっては理解出来ているが、それは「季節や水況によって違う魚の着き場所に関して絞り込みが甘かった。」ということだ。これは昔やっていたバス釣りで言うところの「シーズナル・パターン」というヤツだが、各ポイントでの攻めはソコソコだったものの、大型を狙うのなら本流から支流に遡上してくるタイミングを狙うだとか、産卵期には産卵に適した上流部を狙うだとか、河川全体からエリアを絞り込む判断力が必要なのだ。やはりこの辺は経験とデータが不足しているということだろうから、この点が来年に向けての課題となるだろう。


 昔は「延べ竿で狙う淡水魚なんて…」と思っていたワタシであったが、今では冬場のグレ釣りに負けず劣らず楽しい釣りだと感じている。
 必然的に”歩き”を伴う釣りなので健康にも貢献するだろうし、夏場の暑さに弱いワタシにとっては、山深い渓谷にそよぐ風の涼しさは、とても喜ばしい自然からの恵みだ。それに、山に入ることによって「環境破壊」についても、より身近になって思いを巡らせるようにもなった。色んな意味で楽しめ、感じた7ヶ月間であった。



                               ……オマケ映像……
                   
鳩に友愛…。ここ以外にも村内には何カ所か立っており、看板(標識?)の焼け具合からすると8月30日の選挙よりも前からあったのは確実だから、旧楢川村は以前から隠れ民主党支持者の村だったのだろうか?
コメント
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