中島ブラザーズ ”弟”の「外で遊ぼう!」

近頃は日本海で、ヒラマサを追ってばかり。よって磯釣りや渓流釣りは休止状態ですが…。

食わず嫌い

2011-11-26 12:30:00 | 船釣り・釣行記
■舞鶴沖の釣り■

 このブログで少し前に触れた印南の乗合船に乗船して以来、ボクの心中では何年か振りに沖釣りに対しての興味が深まっている。
 以前に紹介した和歌山県印南と同様に、ボクの住む西宮市内から2時間以内で到達できる沖釣り基地の一つが舞鶴周辺の各港だ。
 ここから出港して攻める海域は、主に2ヶ所。若狭湾中央に浮かぶ、「冠島(かんむりじま)」の周囲にある、数多くの天然魚礁と人工漁礁、それに丹後半島・経ヶ岬沖にある天然魚礁の「白石グリ(しらいしぐり)」周辺だ。(隣の宮津市、その隣の丹後半島周辺の各港から出る船も共通のポイントに向かっている。)
 狙える魚種も豊富で、オキアミエサで狙うマダイを始め、青物のメジロ(ワラサ)~ブリクラス、季節によってはヒラマサも出るうえ、生きエサ(イワシや小アジ)で狙う船ではヒラメやアコウ(キジハタ)もコンスタントに出るから、正に何でも来いのポイント群なのだ。
 若狭湾~経ヶ岬にかけての各ポイントでの釣法は、「天秤ズボ」という、天秤、オモリ、カゴ、クッションゴムといった器具を使い、船の真下付近を狙う方法や、3本~5本といったハリ数の多い胴付き仕掛を使った方法、等々様々だが、ボクのような、魚と自分との「一対一の勝負」がしたい人にとっては最高なのが、昨年秋、福井沖での釣行時に紹介した「完全フカセ(以降フカセと略)」という釣法だ。
 この仕掛は基本的には糸とハリだけの仕掛なので、ダイレクト感が味わえるうえ、潮流と仕掛、そして船上から撒くマキエサの流れが同調させることができると数釣れることも多いから、一度ハマるとやめられない釣りの一つでもある。

 そんな舞鶴での「フカセの釣果」を期待したボクは、11月に入って以降、二度釣行していたのだが…。

■冠島周辺■


 一度目は舞鶴西から出港している「興一丸(こういちまる)」さんのお世話になった。向かった先は冠島周辺のポイントだった。
 まず最初は、沓島北側のポイントで様子を伺う。

●釣り人の言う冠島とは、手前の沓島(くつじま)と奥の冠島の総称●

 だが、一向に潮が動かず、フカセ釣りではオキアミのマキエサを船上から海面に撒くスタイルをとるのだが、通常なら船尾方向に流れて行くハズのマキエサが、真下に沈んで行くほどの潮行きの悪さと、そのマキエサをついばんでいる姿が見えるほどに沸くエサ取りの多さが災いして、全く釣果を得られないままに時間だけが過ぎていった。
 それからは船長さんの計らいで「アッチへコッチへ」と、流れ流れて少しでも状況が良さそうなポイントを探し回ったのだが、答えを何も得ないままに気付けば開始から4時間の時が流れていた。

●一向に火を噴かないボクの「フカセ・タックル」●

 冠島周辺を諦め、東に向かった興一丸が足を止めたのが、若狭湾に何カ所かある人工漁礁の一つだった。ここでは他とは違って僅かに潮が動いていた。
 状況さえ良ければ現金なもので、アンカーを入れた船の位置が落ち着き、マキエサが効き出すとすぐにボクの竿にアタリが出るのであった。
 タックルは大型マダイ用のセッティングなので、強烈な引きに途中は「青物か?」と思い、ヒヤヒヤとする場面が何度もあったが、上がってきたのが75cmのメダイだったので、ややガックリ気味で肩を落とす。

●75cmのメダイ●

 その直後、同行していた兄にも同様のアタリがあったが、ライン・トラブルでもたついてアワセを入れられず、ハリハズレが起こってしまう。
 それでも連続するアタリに「ここから先は釣果が伸びるだろう」と期待したが、裏腹に風向きが急変して、ポイントと船の位置が完全にズレてしまう。
 慌てて船長がアンカーを打ち直したが、以降は風向きと潮流が逆になり、船首方向に流れる「アンカー潮」という状態になって、フカセ釣りでは最悪の潮になってしまった。船尾方向に最長では300mも流すことがあるフカセ釣りでは、この流れになるとアンカーロープに引っかかることが多くなり、対処のしようがなくなってしまうのだ。
 仕方がないのでここからは接近戦とし、魚礁に近付いて天秤ズボ仕掛で船の直下を狙うことになった。
 しかし、エサ取りの猛攻が続き、終了30分前に兄が強烈な引きをモノにして釣ったマダイの85cm以外はロクな釣果は無いままに、この日の釣りが終わった。

●兄の釣った85cmのマダイ●


■自宅に持ち帰って■

 さてさて、実はここからが本題。ボクが持ち帰ったメダイのことである。
 メダイとは、普段は深海性で100m以深で活動するが、水圧変化に対して強く、例えば冬場、男女群島での磯からの夜釣りで4ヒロ(6m)の水深でも釣れることから、一概に「深海魚」といった感じでもないようだ。
 ハリに掛かってからのファイトは相当なモノだ。発達した尾ビレ、そして扁平した体型という、パワーがある魚の条件を備えているうえ、上述した特性から水深の深いところから浅いところまで、へばることなく引きまくって釣り人を興奮させてくれる。
 具体的には同サイズのヒラマサほどのパワーはないが、メジロ(ワラサ)・ブリよりもパワーは上といった感じだ。
 また、マダイのように食い渋って細ハリスしか食わなくなったり、ヒラマサのように沈み根に向かって疾走する「頭の良さ」はなさそうであるから、「タナとり」や「やり取りの基本」さえ掴めば比較的釣り易いタイプの魚のようだ。
 ここまでは釣法の話だが、「見た目」そのものに問題が多少ある。それはこの魚、体表のヌメリがキツく、それこそドロドロの状態であり、写真を撮ろうと持って構えていると、ドロッとしたたり落ちてくる程なのである。また、そのヌメリは鉄分臭があってやや生臭い。
 その結果、食べたことのないモノにとっては、どうしても「キショク悪っ!」とのイメージが付きまとってしまう。そう言うボクもその一人であり、今までは何となく毛嫌いをしていた。
 だが、今回は事前にある程度の知識を得ていたので、「モノは試し」と、釣れれば最初から味わうつもりでいた。だから、釣り上げたら船上である程度体表のヌメリを落とし、持ち帰った後には更にブラシと流水で充分に洗い流してからウロコを取る手順で下処理を施してみたのだ。
 ウチの場合近頃では、大型魚に関しては下処理までがボクのパートで、以降の3枚おろし~料理は妻のパートとして役割分担しているから、以降は妻のアイデアだが、今までに「手巻き寿司」「刺身」「ちり鍋」「煮付け」「兜煮とあら煮」「ソテー」「西京漬け(味噌漬け)」「唐揚げ」「フライ」「ユッケ」と様々な調理で食してみたが、全てがパーフェクトな味わいだった。
 その肉質は例えば「クエのような動物的味わい」を感じさせながらも、もう少し魚らしさがあり、脂がのって充分な甘みがありながらトロほどシツコクない。 この味を理解している人が居るのか、一部の市場では評価が高く、東京の築地市場辺りではセリ値も高いそうだ。特に鳥取~新潟にかけての日本海産の評価が高いという。
 「食わず嫌い」とは正にこのことである。ソレこそ「今まで何で狙わなかったのか?」と後悔するくらいのウマさであったのだ。


■白石グリ■

 そして、そして、11月に入って2回目釣行機会がやってきた。この回は妻と2人で船に乗り込んだ。お世話になったのは舞鶴東から出港する「バブ」という名の船だった。(http://www.eonet.ne.jp/~babu/)

 実を言うと、この回は船頭さんに「メダイも出るポイント」をリクエストしていた。何しろ、ウチではメダイの評価はうなぎ登りの状態であり、既にマダイよりも上位なのである。
 目指したポイントは経ヶ岬沖の白石グリだ。メダイだけを狙うのなら別の深いポイントに行って天秤仕掛を使った「天秤ズボ釣り」をする方が数が出るし、型も良いようだったが、釣り味も重要だからあくまでも釣法はフカセにこだわりたいし、マダイや青物といった他魚も欲しい。そのために「フカセ釣りの本場」でもある、白石グリへ向かうのであった。


●右先端が経ヶ岬●

 到着後、潮流を確認すると、フカセにはベストの早さで流れていた。
 実釣開始。しかし、「さぞや釣果は…。」との期待とは裏腹に、海中はエサ取り天国と化していた。それをかわすためにサルカン上に発泡ウキを装着し、仕掛の浮力をUPさせて流すタナを上げていっても全く効果が無く、何をやってもお手上げ状態だった。
 その正体はフグやウスバハギといった刃の鋭い魚達であり、挙げ句の果てには3本バリの全てが噛み切られたり、蛍光色の発泡ウキまでもがカジられる始末で、手に負えない状態だった。
 たまらず船頭さんがポイントをズラした途端に良型のイサギが釣れたが、その後の状況は変わらず仕舞いで、エサが全くハリに残らない状況は続いた。それでも「マトモな魚のアタリがあったのだから」と、海況が変わって事態が好転することを願ってそのままの位置でネバることになった。
 状況が変わったのは、夕刻になって浮かせた仕掛のエサが残って帰ってくるようになってからだ。
 そこで装着していた浮力UP用の発泡ウキの個数を減らして流すタナを下げてゆく。
 装着したウキがゼロになった仕掛を約70m先まで送り込んだ辺りでリールが猛スピード逆転し始めた。これがまさしく待ちに待ったアタリだ。
 竿受けから竿をハズして両手で保持し、応戦の姿勢をとる。すると、相手は強烈に締め込んで、その後はいつまでも引き続ける。
 ハリスをいたわりながら「押さば引け・引かば押せ」を繰り返し、「柔よく剛を制す」という、柔道家のようなのやり取りで無事に取り込んだのは、本命のメダイだった。

●68cmのメダイ●

 そのすぐ後に船頭さんが1匹メダイを掛けたので、「時合か?」と思われ、力が更に入ったが、喜べたのは束の間のことだった。以後は見事に空振り状態となり、数匹のイサギを追加するだけでこの日の釣りが呆気なく終わってしまった。


■来年こそは!■

 2回連続で貧果の1日を過ごしてしまったが、コレも「腕が悪い」ではなくて、不運とするしかない。帰宅後は「ああすれば良かったかも?」と後悔しつつも、「次回こそは…」と半ば意地になっているのだが、時節柄、本業が忙しく、しばらくは行けそうにない。まずは「メダイのウマさ」を知っただけでも「儲けモノ」としておこう。来年はもっと釣る(食う)ゾ!。
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秋の東福寺

2011-11-19 12:30:00 | 旅行
■紅葉鑑賞の大本命■

 我が家を出発して名神高速の京都南インターのETCゲートを出るまでが1時間弱。再確認したかのような、その便利さに味を占めたことと、秋の紅葉が本格化して大混雑する前の”ハシリの段階”で見ておく方が、自分たち夫婦のスタイルに合っていることから、ここ近日はチョッと時間ができると、妻と連れだって「京都に行こうか?」と思い立つことが多くなっている。
 今回訪問したのは紅葉鑑賞の大本命として全国的に有名な東福寺。紅葉が「見頃」の休日には大きな境内にもかかわらず、あまりの人手のために入場制限を行うそうだ。その結果、麓の東福寺駅から門前にかけて行列ができて境内に入ることすら不自由するというが、訪れたのは、上述したように紅葉のハシリの時期であり、しかも雨上がり寸前という、我が夫婦にとっては絶好のタイミング=観光客が少なそうな日曜日であった。

 東福寺の発願は鎌倉時代の1236年であり、奈良の東大寺と興福寺から一字ずつとったのが、その由来だそうだ。当初は天台・真言・禅の三宗兼学だったのものが、後に禅宗一本に改められ、京都五山の一角として現在まで歴史を刻んでいる。
 何と言っても寺領の大きさは「京都最大の大伽藍」と称される規模であり、山河を巧みに取り込み、変化に富んだ境内なので、観光客に人気があるのも頷ける。

●案内のパンフレット●


■偶然の臥雲橋■

 ほとんど予備知識がないままでの訪問だったので駐車場探しに苦労したが、東福寺駅の北側で何とか確保し、そこから歩き始めた。
 普通の場合であれば正面から入りたいので、東福寺の場合だと中門から日下門を抜ける中央ルートを通りたいところだが、この日は先日のハイキングで痛めた足を引きずり気味に歩いていたので、最寄りの北門から入ってみることにした。
 北門からのルーだとまず始めに現れるのが、仁王門だった。しかし、肝心の仁王さんが不在で、「失敗したか?」との思いが頭をよぎったが、そのまま案内板に従って進んでゆくと、そこにあったのが臥雲橋という境内の見所の一つだった。

●臥雲橋の入り口●

 臥雲橋から見ると、見上げる方向に有名な通天橋がある。ここからだと、所々ほんのりと色付き始めた木々の上に浮かぶように通天橋が掛かるように見え、ベストの展望だった。一旦は「選択ミスか?」と思った状態から逆転して「ケガの功名」とはこのことを指すのだろう。

●臥雲橋から見る通天橋●


■本堂へ■

 臥雲橋を渡り、そのまま進んで行くと日下門があり、そこを左に曲がれば境内だ。

●日下門●

 境内の中央にあるのが巨大な本堂(仏殿)だが、内部の公開はしていなかった。この本堂は明治14年の大火で焼失したために昭和9年から17年を費やして再築した昭和期最大の木造建築で、天井には画龍が描かれているそうだ。そして、春には内部と共に大涅槃図が公開されるということだ。

●本堂(仏殿)●


■三門■

 変わって内部を特別公開していたのが、国宝の三門だった。
 山門と書かずに正しくは三門と書くのが正解ということだ。三門とは「空門・無相門・無作門」という意味から来ているそうだが、説明は難しく、軽く言えば「解脱して仏界に入る門」といった感じなのだろうと思う。

 ここの三門は現存中、最古、最大だそうが、現在のものは応永年間(1394~1428)に、足利義持が再建したモノということだ。正面には「妙雲閣(みょううんかく)」と掲げた大額が掛けられているあるが、これも足利義持の筆によるものだそうだ。

●¥800の値打ちはあると思う●

 門の内部には釈迦如来様と十六の羅漢様が収められている。その造形と内部の天井画等は素晴らしいの一言だが、あいにく内部はおろか、門の上からの撮影までもが禁止されているので、画像をお見せできないことが残念の限りだ。

●三門の全景●


■方丈庭園■

 寺院の住職が生活する建物を方丈と呼ぶそうだが、東福寺の方丈は本堂と同じく明治14年の大火で消失した後の再建ということだ。
 この方丈は、重森三玲作の「八相の庭」が有名で、東西南北に4箇所も庭園がある。(要入場料)
 
●方丈庭園「八相の庭」(南)●

●方丈庭園「八相の庭」(北)●

 前回に訪問した三千院と違って同じ仏教庭園でも、あちらは楽しげな「お浄土」の世界観なのに対して、こちらは禅宗なので「枯山水」の世界観であり、質素感というか、シンプル感というか、俗に言う「わびさび」の雰囲気が漂っているのが、対照的で興味深い。


■通天橋■

 さてさて、境内の中心部を一回りしたところで東福寺の象徴の一つである、通天橋の受付に到着した。
 入り口で料金を払うのだが、この橋を渡らないと見られないエリアもあるので、ここを参拝する際には必須になる。

●通天橋の内部●

 通天橋本体に繋がる回廊に入ってすぐに、そこで一際目を引く存在であり、一早く色付き始めたモミジの木に出逢う。手前には石碑が建てられており、「高松宮親王殿下・妃殿下記念御植樹」と彫られている。さすが「お手植え」だけあって枝振りが素晴らしく、樹木に関して全くのシロートであるボク目にも「格上」に見えるモミジの木だった。
 
●高松宮親王殿下・妃殿下記念御植樹●

 そして、そのまま進むと目に飛び込んでくるのが、洗玉澗(せんぎょくかん)という渓谷を挟んで左右に展開する圧巻の眺めであった。

●通天橋からの眺め(下に望むは臥雲橋)●


■開山堂■

 橋から続く回廊からの眺めを楽しみつつ、突き当たりまで行くと、「開山堂(かいざんどう)」という、お堂の前に出る。
 このお堂は東福寺を開山した「聖一国師こと円爾弁円(えんにべんえん)」様を祀るお堂で、屋上に閣を持つ姿は他に類を見ないものだそうだ。

●開山堂●

 また、その手前にある、普門院前の庭園も良かったが、コレは江戸中期の作であるそうだ。

●普門院前の庭園●

 開山堂を一巡し、逆戻りしてそのまま直進すると、先程通天橋から見下ろしていた渓谷=洗玉澗の河畔に降りることができる。その界隈を一巡し、一旦本堂前に戻った後に最奥にある第三の橋=偃月橋(えんげつきょう)を渡って今回の参拝ルートの全てが終了した。


■残りの五山も…■

 前回の三千院同様、今回もワザとピークをハズしての訪問だったが、今回の東福寺を始め、京都市街の紅葉は、このブログを公開した頃からがベストの状態になる。そう、今がチャンスなのだ。だから、「行きたい」と思ったら即行動して欲しい。そこには絶景が待っていることは間違いのない事実だ。

 東福寺は、冒頭にも書いた、京都五山の一角ということだが、その五山は、「南禅寺=別格、天龍寺=第一位、相国寺=第二位、建仁寺=第三位、東福寺=第四位、万寿寺=第五位」とう序列らしい。
 この規模で四位だから、「さぞや上位は…」と思ったら、順位は鎌倉幕府の政治的意図によって付けただけのモノであって、他に意味がないのだそうだ。
 しかし、乗りかかった船?だ。「こうなったら五山全てを制覇しようか?」と思い立った次第である。
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秋の三千院

2011-11-12 12:30:00 | 旅行
■約20年越しの念願■

 今から20年ほど前、妻とボクが結婚するよりも遙か前に2人で訪れたことがあった京都大原にある三千院。しかし訪問時間が遅れたために、その日は中に入れず仕舞いだった。仕方なしに門前での記念撮影をしたのみで、すごすごと引き上げた思い出が残っている。
 それから月日は流れ、ボクが50歳に近付く頃になり、”中高年に定番”の寺院巡りにも興味がわき始めたことも手伝って、京都近郊の寺院では秋の「紅葉前線」の訪れが一番早いという、大原三千院を再び目指すことになった。
 とは言うものの、訪問時点では誰しもが感ずるように秋の訪れは遅く、大原も例外ではないようだった。その事が気がかりと言えば気がかりだったのだが…。

●柿は実っていたが…●


■三千院の歴史■

 三千院は、比叡山延暦寺を開いた伝教大師(最澄)が、大原の地に草庵を開いたのが始まりなのだが、元永元年(1118年)以降に皇族出身者が住持する宮門跡となって安定するまでは、京都市内で移転を繰り返してきたようだ。意外なことだが幾度も改称していて、三千院と公称するようになったのは、明治になってからのことなのだそうだ。
 開基が最澄だから宗派は天台宗で、ご本尊は薬師如来様だが、境内の中央近くには阿弥陀如来様を始めとする阿弥陀三尊も収めているから、長い歴史の中で様々な出来事があり、影響を受けているようだ。

●前回はここで引き返した三千院の門前●

●境内は広い●


■聚碧園■

 受付で拝観料を払うと、まず最初に客殿に入ることになる。そこから見えるのが聚碧園(しゅうへきえん)という庭園だ。

●客殿前に広がる「聚碧園(しゅうへきえん)」●


 派手さはない「シック」な庭園だが、ボクが今までに見た範囲内の庭園に比べると、こぢんまりとして密な印象を受ける。ボク達夫婦が訪れたタイミングでは紅葉の気配はほとんど無かったが、惜しむらくはその紅葉が進んだ頃か、もしくは軽く冠雪した頃に見るともっと豪華?に、あるいはキレイに見えたのかも知れない。
 しかし、コレはあくまでもボクの印象で、一緒に見た妻にすれば大層「お気に入り」の部類に入るそうだから、単に好みの問題なのかも知れない。
 尚、別料金が必要になるが、この庭園を眺めながら「御抹茶」を戴くことも可能だ。


■有清園■

 大正年間に建てられたという、比較的新しい宸殿(しんでん)を抜けると、そこで靴を履いて有清園(ゆうせいえん)という庭園に出る。
 この庭の中心に阿弥陀三尊が収められている、往生極楽院(おうじょうごくらくいん)がある。

●阿弥陀三尊が収められている「往生極楽院」●


 往生極楽院に収められている阿弥陀如来様は平安期の作というから、かなり歴史があるもので、阿弥陀如来様の左右の観音菩薩様と勢至菩薩様が「大和座り」という正座をしているのは非常に珍しい御姿なのだそうだ。
 そして庭園内には「苦悩の人々を無限の大慈悲の心で包み込み、救う」といわれる、数々の「お地蔵様(地蔵菩薩様)」が点在している。

●有清園に点在するお地蔵様●

 お地蔵様の中でも印象的なのは、子供をモチ-フとした「わらべ地蔵』というカワイイお地蔵様方だ。

●有清園内の「わらべ地蔵」●

 今では苔むす土の中に埋もれて、全体像を見にくいお地蔵様方だが、後に読んだ解説によると、上写真の右手前は、寝ころんで頬杖を着いて脚をバタバタとさせているそうだ。

 中央に極楽浄土の象徴である、阿弥陀如来様があり、その周りに展開する庭なので、ボクの勝手な解釈かも知れないが、「浄土世界を表している」と、想像する。その様子は禅宗などの「枯山水(かれさんすい)」様式に見られる、どことなく厳しさを感じるモノではなく、この「わらべ地蔵」に表されているように、柔らかでハッピーな印象があるから、見ているこちらの気分が楽しくなってくる。

 ともあれ、「わらべ地蔵」の、あまりのカワイさに見とれつつ、更に奥へ進むと、そこには「御不動様」から「観音様」、「弁天様」までが祀られており、有り難いことこの上ない。しかし、これら奥にある施設は比較的新しい時代につくられたようだから、有清園とのイメージ差がかなりあることは否めない。
 更に散策できそうな雰囲気もあったが、時間の関係でここで今回の訪問はオシマイ。次は土産物店が並ぶ門前の通りへと足を進めた。


■柴漬けの里■

 三千院のある大原地区は「志ば漬(柴漬け)発祥の地」とも言われている。中でも有名なのは土井という漬け物店だ。
 三千院の門前にも、その土井の店舗がある。勿論志ば漬もウマイが、オススメは「すぐき漬け」という、カブの一種を漬け物にしたモノだ。
 ご存じの方も多いと思うが、すぐき漬けは乳酸発酵漬物なので、酸っぱいのが普通なのだが、土井のすぐき漬けはマイルドで味のキツさがない。それに今流行りの調味料がドバッと入ったタイプではないので、好印象を受ける。これにチョッと醤油を垂らして食うのがこれまた最高で、妻共々現在ではファンになっている。

●三千院門前の土井(支店)●


■カウントしてみると…■

 多くのおじ様、おば様方と同じように、このボクも京都の寺院への小旅行が楽しくなる年頃?になってきたようだ。しかしながら、月一に行ったとしても、この先あと何カ所訪問できることやら…。指折り数えてみると、到底全部は回れそうにない。その事に気付くと妙にヘコんでしまう今日この頃なのである。
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ハイキング ~蓬莱山へ

2011-11-05 12:30:00 | アウトドア・スポーツ
■年に一度?のイベント■

 昨年も同時期に我が家の家族3人が揃ってのハイキングを企画したが、今年も同様にチャレンジの機会を得た。向かった先は滋賀県の琵琶湖畔にそびえる比良山系の蓬莱山(ほうらいさん)というところだ。一般にはスキー場で有名な「びわ湖バレイ」の山といった方が通りがよいかも知れない。
 スキー場としては僕が嫌いなタイプなので、余程のことでもない限り訪れることはないだろうけど、「ハイキングの山」としては写真で見る限り、頂点の尾根筋には高い樹木が無くて琵琶湖が一望できる絶景に思え、魅力あるモノとして捉えていたから、「是非一度…」と考えていた。
 しかし、同時に楽しみにしていた紅葉の状況は、秋本番になって以降も気温が高めに推移しているせいで遅れ気味。本来なら絶好の時期であったのも関わらず、ハイキング前日の紅葉情報ではまだ「色づき始め」の状況だったので、あまり期待は出来そうになかった。
 何はともあれ標高は1174mなので、今までに登った山の中では最高峰になるし、琵琶湖畔からの標高差もかなりあるので、登坂の角度も急のようだ。よって今までで一番キツイ登りになることが予想される。

●中央上部のピークが蓬莱山山頂付近●


■小女郎谷■

 蓬莱山を目指すには何パターンかあるが、我ら親子3人がたどったコースは小女郎谷(こじょろうだに)に沿って上るコースだ。
 まずはJR湖西線「蓬莱駅」あたりからアプローチが始まった。国道161号線、湖西道路と順に超えたところからがコースの入り口だが、左手に棚田を見ながら真っ直ぐに標高を稼いでゆく。

●コースの随所に解りやすい道標が立っている●

 コースの始めは棚田を整備するための車が入れるように、道は舗装されており、趣に欠ける。
 その最中に事件が発生。途中で購入したオニギリなどの弁当類を車中に忘れてきたことが発覚したのだ。しかし、ここまで結構な距離に到達していたので、引き返すには時間が掛かりすぎる。幸いにも頂上付近ではスキー場が「紅葉祭」を開催しているので「そこで食べれば何とかなる。」との判断をし、そのまま昇って行くことにした。

●コースの序盤●

 しばらく行くと堰堤があり、その脇を抜けるとコースが変化があり、本格的?なハイキングコースへと変化する。

●途中でコースの表情が変わってくる●

 流れを横に見ながら谷沿いを歩いてゆくが、コースは次第に荒れ始めてくる。

●コース上にはガレ石が増えてくる●

 ただし、コースの要所には赤テープが撒かれているので迷うことはない。
 
●随所にある赤テープ●

 途中にある、「薬師の滝」は一息つけるスポットだ。

●名勝?「薬師の滝」●

 高度を上げるにつれてスポット的にだが、紅葉が始まっている部分に差し掛かるので目の保養にもなる。

●「一面に赤く」とまでいかないのが惜しい●

 そして最終区間は、雨水の浸食を受けて土が流され、両手をついて這い上がる部分もでてくる。何とかそこを抜けると一帯に樹木はなくなって笹原に変わり、急に視界が広がる。そこが分岐点である、小女郎峠だ。
●小女郎峠の道標●


■山頂の稜線■

 ハードな登りに加え、自身のオーバーウェイトのために途中で足がつってしまったボクは遅れていたが、峠を左に折れた小高い部分で妻と子供が到着を待っており、動かない脚でそこに急行する。

●笹原の丘?へのアプローチ●

 そこには家族と共に地蔵さんが待っていた。

●稜線のアチコチにもある地蔵さん●

 一旦峠に戻って左に折れると僅かな距離で伝説の池=小女郎ヶ池に到達する。

●伝説の説明●

●小女郎ヶ池●

 再び峠に戻り左折すると、この近くでは最高峰の蓬莱山へと向かうルートになる。この辺りからの景色は絶景だ。ややガスがかかり気味で紅葉も中途半端な状態であってもこの景色なら、条件が整えば「さぞや…。」と、つい想像してしまう。

●山頂からの眺望(=眼下に広がるのは琵琶湖)●

 なだらかな稜線を伝って登り詰めた先が、本日の最高点だが、途中でまた足がつってしまう。

●足がつった時点で振り返ると、そこにも絶景が…●

 しばしの休憩後、重い足を引きずり、目指すは頂点だ。

●尾根筋の先に見える頂点が蓬莱山●


■ピーク周辺■

 またもや妻と子供に遅れをとりつつも、ようやく頭頂部に到達。そこで三角点を確認し、少しの間、周囲を散策をする。

●標高1174mの三角点●

●石積みの祠●


 散策もソコソコに、ここまで何も食わずで来た我ら家族が目指すのは当然山頂のレストランだが、トラブルが発生!。何と手前側のレストランが閉まっていたのだ。
 協議の結果、山頂で何も食えないのなら、以降のルートは諦めてゴンドラに乗って退散ということになったのだが、歩き進む内に奥側のレストランが運良く営業しているのを発見し、安堵する。

●危うく乗りかけた”楽ちん”なゴンドラ●

 そして家族3人で雪崩れ込んでゆく。

●営業中のレストラン●

●バイキング形式でメニューも豊富●

 このレストランでは、バイキングのメニューが豊富なうえに味も良かったので、ここまでやっとの思いで消費したカロリーを補うどころか、それを超えるペースで食いに食ってしまった。


■キタダカ道■

 食事を終えると、レストラン前の木道を降りてゆき、最下部に到達したところからハイキングコースに入り、まずは道標に従って「クロトノハゲ」という、何だか理解のできない名の分岐点を目指す。

●クロトノハゲへの道標●

●序盤はなだらか●

 クロトノハゲまでは上空が開けて明るい雰囲気が漂っていたが、分岐から先は杉木立が茂る、暗ーい雰囲気の峠道になる。この道を「キタガタ道」という。
 前述のクロトノハゲもそうだが、このキタガタ道も「北方」か「北潟」という漢字がありそうなところをワザとカタカナ表記しているのは、何か理由がありそうなのだが、ネット検索ではとうとう解らず仕舞いだった。

 そしてその薄暗い道の途中に鎮座ましますのが「天狗杉(てんぐすぎ)」だ。天狗杉という名は全国各地にあるようだが、その多くが天狗伝説との関連が由来のようで、この杉も背景は同様だ。
 ここの天狗杉を調べてみると樹齢数百年~千年越えまで諸説あるようだ。いずれにしてもこの木の上に天狗が住んでいたという雰囲気が漂っているが、神秘性があるだけにこの周りにしめ縄でもすれば、ご神木にも思えてくる立派な古木だった。

●天狗杉(てんぐすぎ)●

 天狗杉から先もジグザグに山を縫う道をひたすら下り続け、下りルートに入ってから約二時間ほどで駐車場に到着した。

●コース終点の道標●


■登り終えて…■

 事前の予測以上に小女郎谷沿いのコースにはキツイ部分が多く、そこで痛めてしまった足を途中からは、半ば引きずりながら歩いていた。原因は運動不足とそれによるオーバーウェイトだということは自分にもよく理解できている。
 しかし、道中では痛みに耐えながら「こんな所に来るんじゃなかった。」と何度か思ったはずなのに、自宅に戻ると「またどこかに登りたい。」と思っている自分が居る。それは、こんなザマでもボクがハイカーの末席に座っているから来た心理なのだろうか?。
 いずれにせよ家族で登る山は達成感が共有できてとても楽しい。とは言うものの、ボクよりはるかにペースの速い妻と子供の足を引っ張ってしまった事実は「オヤジの面目丸つぶれ」で恥ずかしさの極みだ。この楽しさを続けるために、これまで何度言ったか判らないが、「痩せて鍛えねば…。」と真剣に思う今日この頃なのである。
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