中島ブラザーズ ”弟”の「外で遊ぼう!」

近頃は日本海で、ヒラマサを追ってばかり。よって磯釣りや渓流釣りは休止状態ですが…。

無印良品 南乗鞍キャンプ場へ ~その1

2011-08-27 12:30:00 | キャンプ
■3家族合同キャンプ■

 お盆休みを利用して、東京在住の友人家族達と3家族合同のキャンプへと向かった。ここ数年間で何となく恒例化していたものの、何だかんだで各家族の都合が付かず、3家族揃ったのは久しぶりのことである。はたして今回はどんなキャンプになるのだろうか?。場所はキャンパー各位から評価の高い「無印良品南乗鞍キャンプ場」というところだ。
 と、その前に。
 ウチの家族は期日に余裕があったので、キャンプ場に着く前日に麓にある飛騨高山市を訪れ、そこで一泊することになっていた。


■停滞を避けて■

 お盆休みに高速道路が停滞することは言わば当たり前だが、ボクは、5時間程度なら連続運転することが平気なので、この時期は高速道だけのルートにこだわらず、朝の停滞情報を確認したうえで、一般道も含めたルートを考えることにしている。
 通常なら西宮飛騨高山間は名神高速と東海北陸道を乗り継げば4時間程度で到着できるのだが、この日の朝の情報では、途中に20kmクラスの停滞箇所がいくつかあって、かなり時間がかかりそうだった。
 そこで、今回は大回りして一旦舞鶴自動車道で福井県小浜市へ抜けて、その後は敦賀まで一般道を使い、敦賀インターから北陸道へ、福井インターで再び一般道に降りた後は大野市内を抜けて白鳥インターで東海北陸道に入り、高山市内を目指すコースを走ることにした。

 福井インターを降りた後は、このルートでは最長の一般道区間だ。国道158号線をドンドン東進して行くが、眼下に見える九頭竜川上流部のほれぼれする渓相に、釣り師根性がメラメラと沸き立ち、「いつかは攻めに来よう。」との思いが巡る。

●国道158号沿いの「道の駅九頭竜」にある電動仕掛の恐竜親子●

 そして更に国道を進んだところにあったロックフィル(石積み構造)方式の「九頭竜ダム」の巨大さには驚きを越えて、呆気にとられてしまう。

●九頭竜ダム●


 このルートを使って5時間を越える道のりにはなったが、景色が良いうえ、信号もほとんど無く、停滞箇所もない状況に満足しつつ、飛騨高山市内に到着する。そしてホテルをチェックインした後、しばしの休憩を挟んで早々に市内へと繰り出す我々親子3人であった。


■高山市街■

 「小京都」と呼ばれる古い町並は全国各地に点在しているが、その中でも飛騨高山市は代表格といっても過言ではない規模の町で、見るべきものも多い。その高山で名物の食べ物といえば飛騨牛関連の各種料理と朴葉味噌、そしてB級グルメの代表が「高山ラーメン」といったあたりだろうか?。
 ホテルを出た時間はちょうど夕食だったので、腹ペコ家族はもちろん、飲食店を目指す。B級グルメ指向の我ら親子3人の希望はラーメンだ。幸い宿泊するホテルを中心に据えて徒歩圏内に有名店が3軒あったので、散策がてら店頭を巡ってみる。
 町をブラつきながら、ついでに商店街の中にあるいくつかの店を回ったみたが、近頃よく見られる荒廃した様子ではなく、観光客に支えられているせいか、いわゆる「シャッター通り」にはなっていない光景に、何だかこちらの気持ちも明るくなってくる。

●書き込まれている川柳には、いちいち頷いてしまう●

 早くに閉まってしまいがちな観光地にあって、ここ飛騨高山は、遅い時間帯でもオープンしている店が結構あるので、夜の散策も楽しい。

●手前の「めしどろぼ漬け」を購入●

●飛騨牛の串焼きやラーメンを売る店●

 アレコレ迷った挙げ句、今回の夕食は「桔梗屋(ききょうや)」さんに決定。店内では3人共にワンタン麺を注文した。しかし、待つ間に隣のオジサンが食べているモノをチラッと覗いて気付いたのだが、どうやらワンタン麺と普通のラーメンとはダシが違うようだ。
 「シマッタ、ボク一人だけでも普通のラーメンにしておけば良かった。」と思ったが、後の祭りだった。だから、高山ラーメンとしての感想は書けないが、ワンタン麺自体の味は、近頃流行りのコッテリ系とは違って、サッパリとした味でかなりウマかったことだけは確かだと記しておく。

●桔梗屋(ききょうや)●

●ワンタン麺の大盛●

 桔梗屋を出た後は再び散策を続ける。

●「ゴムゴムの~」ではなく、何かのモニュメント●

 飛騨高山は、からくりが乗った山車(だし)が市中を巡る「高山祭」が全国的に有名だ。その開催時期は4月と10月ということらしいが、それをテーマにして町の雰囲気を盛り上げている。

●高山祭の人形達●

 散策については初日はここまで。


■「さんまち」へ■

 翌朝は、観光のメイン・ストリートにあたる、「さんまち」周辺を散策する。

●「さんまち」の一角●

 さんまちには古民家を改装した店舗がズラリと並び、どの店を覗いても楽しさが伝わってくる。

●個性豊かでありながら、統一感のある看板達●

●「さんまち」の街角風景●

●「さんまち」周辺の甘いもの何処●

●家具や民具を売る店●

●味噌やしょう油を売る店●

 さすがは渓流釣りの本場だ。通りの外れにあったおもちゃ店兼、釣具店には渓流エサの自販機があった。釣り師としてはつい目が行ってしまう場面だ。
●右肩の写真は自販機内の「キンパク」の瓶詰め●

 この通りで特に印象が残ったのが「手風琴(てふうきん)=アコーデオンのこと」という名の喫茶店だった。

●手風琴(てふうきん)●

 ここはオリジナルの古民家の内装を極力生かし、その風合いを損なわないような改装のみを施した作りになっているので、内部は興味深い作りになっている。

●内部の様子(右上は天窓)●

 この店の売りは内装だけではない。クレープもその一つだ。家族3人がそれぞれ好みにクレープと飲み物のセットを選んで食する。コレがまた今までに食べたことのない素朴な雰囲気と味でかなりイケるのだ。


■買い出しはバローで■

 午前中一杯でさんまちの散策が終わり、南乗鞍キャンプ場へと向かうが、その前に、これから2泊3日間分の食料を調達するため、岐阜県内では一番大手スーパーチェーンの「バロー高山店」に立ち寄る。
 何しろ、キャンプ場の周囲には店舗というものが一切存在せず、買い忘れ等があれば一番近いAコープまで往復1時間半程度のロスを覚悟しなくてはならないので、このキャンプ場に向かう際にはあらかじめリストアップしておいて、間違いの無いようにするのが正解だろう。

●バロー高山店●

 買い出しが済んだら、後はキャンプ場に向かうのみ。降り出した雨からの回復を祈りつつ、キャンプ道具を満載した我が家の車は、国道361号線を南東方向へ向かってひた走るのであった。

 ~その2へ続く
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丹生川村漁協管内

2011-08-20 12:30:00 | 渓流&管理釣り場での釣り
■新兵器導入■

 ボクが渓流釣りをする際のウエアの構成は和式の渓流タビや鮎タイツを利用するのではなく、洋式のルアーやフライ用のナイロン・ウエーダーと呼ばれるタイプを利用している。
 しかし、真夏の暑さは、他のタイプに比べてマシだと言われている透湿ウエーダーであっても、容赦なく釣り人を襲う。だからと言って、ネオプレン・ソックスとウエーディングシューズだけの組合せでは藪コギ時にズボンの裾が引っかかって破れたりするかも知れない。そんな不安を解消するのが、ゲーターと呼ばれるスネあてであったりするのだが、ソックスのお代とをプラスすると結構な値段になってしまう。
 そこで登場するのが「リトルプレゼンツ」というルアーやフライ用品を扱う会社から販売されている「ウエット・ゲーター」だ。これはネオプレン・ソックスとゲーターが一体になったタイプだが、コレは「濡れることを回避する」ウエーダーとは違う逆の発想で、「あらかじめ濡れること」を想定して、水が抜ける素材を使っていたりと、濡れてからの不快感を低減する発想の下で開発されている。モチロン、組み合わせるズボンや下着は、即乾性のある素材を使用したモノを履くことでその機能が強化される。

●パッケージの能書き●

 ウエット・ゲーターは数年前の発売以来、好評のようであり、各ブログ等でもよく紹介されているが、現在販売されているのは改良が重ねられて何世代か経ったもののようだ。主な改良点はソックス部の強化とスパッツ部の延長ということらしい。
 今回はその「ウエット ゲーター」を伴っての釣行となったが、ウエーダーとは段違いの涼しさであり、一日中が快適そのものであった。

●何しろモデルの足が短いもので…。●


■荒城川へ■

 今回釣行したのは岐阜県の北部、高山市内にある丹生川村漁協管内の二つの河川だ。
 この管内には「荒城川」と「小八賀川」の2本の中規模の河川が流れており、そのどちらもがヤマメやイワナの有望河川であるし、一つの入漁証で行き来できるのが有り難い。
 まずは、この春にも訪れた荒城川に向かい、一昨年のこの時期に、初めて訪れた際に入って好釣果を得たポイントで竿出しすることにした。

●条件的には最高のポイント●

 夜明けと共に、河原に降りるが、周囲が明るくなって状況が確認できるようになると、ビックリすると共に、不安がよぎるのであった。何しろ春先に訪れた際に比べて1mほど低いのだ。もっともインターネット情報で水位が下降気味なのは承知の上だった。だが、比較したのが雪解け水が多い時期だったとは言え、これほどまでに低いとは思わなかったのだ。
 しかしながら、付近では前日に雷雨が降った模様であったし、当日の天候も曇りベースで夕方から雨が降り出すようであったから、予報通りにゆけば状況が好転するかも知れない。その期待を胸に秘め、実釣がスタートした。

 今回は「ここぞ!」と思うポイントでは粘るつもりであったので、腰を据えて釣り始めた。しかし、打てども打てどもアタリは無く、普段ならこの時期にウルサくアタってくる小型のヤマメ達からの反応も極端に少なく、稀につついてピリピリと穂先を振るわすのみであった。
 ようやく捉えたアタリの結果は、お話にならないサイズであった。
 
●これが、この場の唯一の釣果…●



■移動するも…■

 この日の不安要素は他にもあった。エサである。一箇所目のポイントから移動する際に何カ所か目星を付けた場所で川虫の採取を試みるが、全く獲れない状況だった。この日は全般的に川虫の量が少なく、持参していた市販エサの、「ミミズ」と「ブドウ虫」頼らざるを得なかった。

●ブドウ虫●


●ミミズ●


 二箇所目の区間に入る際、更なる不幸が訪れた。天気予報が外れて晴れてきたのだ。
 こうなると、魚にとって上空の鳥などの外敵から狙いが付けられにくい影になる場所=日陰や水深の深いポイントを狙うのがメインになってくる。そして、そういったポイントを見付けては粘るのではあるが、そこからの答えは相変わらずであった。

●これまた一級ポイントなのだが…●

●答えはこれのみ…●


■ようやくの一匹■

 春先にイワナを数本引き出した大場所からも答えはなく、半ば諦めつつも、更に釣り上がってゆく。
 時折様子を伺うように日の当たる瀬も攻めてみたが、予想通りにまるで反応が無い。その度に「やはり影なのか?」という思いが募るが、超小型ながら、反応の違いからやがてそれが確信に変わってゆく。そして影を見付けては少しでも条件のよさそうなところを探ってゆく。
 釣り続けて何度目かの日陰で、ようやく目印の動きにマトモな変化が起こり、ソレと判断できる魚の反応がボクに伝わった。

●石裏でアタリが出た●

 全然大きくはないが、この日初めての手応えだけに喜びは大きい。それこそ味わうように引きを楽しみつつ、無事にゲット出来たのは予想通りのヤマメだった。


●22cmのヤマメ●



■影をさがしつつ■

 その後は同じ区間では本命のアタリがなく、次なる移動を決意した。とは言ってももう時間は10時を過ぎており、車で移動しても先客がある場合が多く、入る場所に困る状況になっていた。
 そこで、先行者との距離を測りつつ、邪魔にならない位置にある日陰を探して、スポット的に入ることにした。そして何度目かの移動で発見したのが、こんなポイントだった。

●浅いが石の裏が少し掘れている●

 慎重に後方から近寄ってキャストをするが、珍しく狙い通りに一発でアタリを捉えることに成功した。
 先程の魚と同じで、さほど大きくはないが、貴重な魚についニヤけてしまう。

●またもや22cmのヤマメ●



■大移動■

 2匹目のヤマメをゲットした後は、入るポイントも無くなってしまったが、この管内にはもう一つ小八賀川があるので、こういったときには有り難い。従ってここは大移動を決意する。とは言っても一山超えるだけなので、移動は容易だ。
 時間は昼に近くアレコレ迷っているヒマはない。そこで過去に訪れた際の記憶をたどり、この日のキーワードである「影」を当てはめてみる。そこから導いたポイントに入ってみるが…。

●ここもダメ●


●ここもダメ●

 アチコチ探ってみた答えがコレだった。

●15cmのヤマメ●


■最悪の事態が■

 小八賀川では二度目の移動で河原に降りたって準備をしていると、裏手の山から「ゴロゴロ・ドッスン」と雷鳴がとどろき始めた。「雨が降り出す」というのは予報通りではあったが、まさかの雷雨である。しかも、雷鳴は近付きつつあるようだった。
 ご存じの方も多いと思うが、カーボン素材がメインの釣り竿は電気伝導率がかなり高い。従って、この状況で竿を持って釣り歩くことは7.5mの避雷針を持って河原を歩くことになるので、釣りの続行は不可能だ。因みにボクは過去に、磯釣りをしている最中に同様の状況になってもナメて竿を持ち続けていたことがあったが、実際に雷が落ちている地点とは距離が離れているように思えても、竿を持つ手がまるで電気風呂に入ったようにピリピリと震え出した経験があるのだ。
 釣れないヤマメと命を引き替える訳にはいかないので、ここは撤退を決意して儚くもこの日の釣りが終了した。

●恨めしくも恐ろしい、空●


 当日の釣果は、ボクの渓流釣り史上最低の釣果だった。この状態を脱出するには天候を含めて、各河川の水況に大きな転換が必要だと思う。それが秋までに来ればいいのだが…。と、自分の腕を棚に上げて祈っている今日この頃なのである。
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靖国神社へ

2011-08-13 12:30:00 | その他
■靖国神社へ■

 このブログでも「学校では誰も教えてくれなかった『近代史』」については何度も触れているが、そういった近代史を知る上で避けては通れない靖国神社へ向かった。


●一番外側にある碑と、全高が25mの大鳥居●

 そもそも、ウチの家系からは祖母の兄(母の叔父)が商船学校経由で海軍に入り、戦艦比叡に乗艦して戦死し、その弟(同じく母の叔父)は海軍兵学校(70期)経由で海軍に入り、特殊潜行艇(特攻兵器ではない小型の潜水艦)で出撃して戦死しているから、戦死者が祀られている靖国神社とボクとの間は全く無縁というわけではない。従って、その2人に対しての「お参り」という意味もあった。
 しかし、それ以上に知りたかったのはこの神社についての実感だった。
 この神社に対しての解釈については、様々な意見が渦巻いているのは日本人であれば誰もが知っていることであろう。しかし、それらを伝え聞いたところで、所詮は他人が行って感じた話であり、中には行ってもない人達の話であったりするので、ボクとしては実際に自分が行って見て感じたことで判断をしたい。それがあっての行動だった。

 白熱した議論を見る中で勝手なイメージが膨らんでいたのか、境内に着く前は、はっきり言って怖々(こわごわ)という感覚もあった。しかし実際は、戦前まで国が管理していたせいか、境内の大きさには驚くが、それ以外は普通の神社と何ら変わったところもなく、至って普通であり、静粛な空気が流れたいた。
 最も、これは普段の日だからであって、8月15日の終戦記念日や祭事があるときは違った様子になっているということらしい。

●静かな境内●

 拝殿前に立つと、何となく「ピーン」と張りつめた空気感を感じ取っていたが、これは上述したイメージからくるモノなのか、単にボクが日本人だから感じるのかは判らない。


■遊就館へ■

 参拝を済ませた後は、隣にある資料館兼、博物館の「遊就館」という施設を訪問する。

●遊就館●

 「武」がテーマだけあって中には日本書紀の時代から大東亜戦争(太平洋戦争)までの「戦」についての展示物が並んでいるが、各戦地から収集した実物の兵器類も展示されている。
 
●特攻に使われることが多かった「零戦52型」●


 「遊就館」を訪れた人にとって一番印象深いのは大東亜戦争(太平洋戦争)、それも「特攻隊に関する展示だ。」とよく言われている。特に隊員達が残した遺書や、嫁ももらわず若くして死んでいった息子のために親たちが寄贈した花嫁人形を目にした際は、ボクもそうだったが思わず落涙してしまう人が多いと思う。
 しかし「九死に零生」と言われ、「花と散る」と謳われた特攻でなく、通常戦闘の中であっても、生存率が限りなく0に近い作戦が多かったことを今を生きる人達に理解してもらいたい。例えば、特殊潜行艇乗りだった母の叔父のように、一旦出撃すると、ほとんど回収される見込みのない作戦海域に向かった人や、銃砲弾が雨あられのように飛んでくる敵の陣地に向かって銃剣という、たった一つの武器を携えて突撃をしていった人、更には食料をほとんど持たされず、何百kmも歩かされたうえにマラリアやアメーバ赤痢に犯され、飢えに苦しんだ人の様に…。
 原発問題を始めとし、経済問題、外交問題等々、近年における日本の姿を見るにつけ、国難の中、大東亜戦争のみならず、日進・日露等を含めた全ての戦争で犠牲となって死んでいった人々に対して、
「報いる社会を築いてきた」とは決して言えない現実に、展示物を見ながらボク個人としては申し訳ない気分で一杯になっていた。


■無限の生■

 靖国神社を出たあと、ふと「故、中島らもさん」がエッセイの中で「人の死」について触れていた文面を思い出していた。それを要約すると…。

 「僕という個体が経た時間を遡ると、ドンドン若くなってやがて1個の受精卵になる。僕としての存在はここまでだが、その先は精子と卵子に別れ、精子をたどれば父親に、卵子をたどれば母親になる。同じ方法で両親と、その先をたどってゆくことを続ければ、その向こうにあるのは死ではなく限りのない『生』がある。そういった『無限の生』が収斂(しゅうれん=収束に近い意味)したのが僕という結節点であり、僕を超えた先にある未来には同じように『無限の生』が広がってゆく。」

 この考えの下に人の生死を考えてゆくと、「個としての存在は、次の世代に命を受け渡した時点で存在意義を完遂し、その後は生きていても、いなくてもいい」と続いてゆく話だったが、その境地に至るには自分の心にある我というか、私というか、そういった部分を完全に消し去る必要があるだろう。しかし、それは並大抵の人間にできることではない。
 これは全てに当てはまることではないのかも知れないが、戦死した人達の遺書を読む限り、彼らの多くが望んだものは、「国と、そこに暮らす人々のより良い未来」であることから、僅か18歳から35歳(兵役年齢の中心としての表現)の頭で上述した「無我」や「無私」の境地に至ったことが、あるいは至らざるを得なかったことが想像できると思う。そんな兵士達のことを思うと、ボクのような邪念だらけの凡人は、ただ感謝するのみで彼らに掛ける言葉すら浮かんでこない。

 そして、そこから進んで、仏教哲学で言うところの「縁起」がボクの頭の中をよぎっていた。
 その縁起とは

「此があれば彼があり、此がなければ彼がない。」「此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば、彼が滅す。」

と説かれている。

 戦争が起こった理由はどうであれ、戦死した人達は、子のある者は自分の子孫へと広がってゆく「無限の生」のため、子のない者は少し遡って枝の方から未来に繋がる「無限の生」のために、逃れることの出来ない苦難の道を、祖先から引き継いだバトンを持ち、命を懸けて全速力で駆け抜けてくれたのだと思う。
 そう、彼らが居たから今のボクらが居るのだ。今、バトンを受け持っている我々みんなが「彼らの思いを忘れてはならない」と、再確認をした今回の靖国神社訪問だった。
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’11 北海道旅行 ~その3

2011-08-06 12:30:00 | 旅行
■釧路方面へ■

 3日目の朝、名残惜しいが、カントさんを後にして我々3人は釧路方面へと向かう。

●如何にも北海道的な麦わらのロール●

 よく観光ガイドに紹介される美瑛方面にも負けないくらいの「パッチワークの丘」の数々を横に見ながら、清里町に入り、カントのオーナーさんから教えてもらった「神の子池」を目指す。
 道道?から案内標識に従って横道に逸れ、少しのダート区間を走った先にそれはあった。

●神秘的な「神の子池」●

●案内板●

 コバルトブルーに染まる池は誠に神秘的であり、何か伝説の一つでもありそうな雰囲気だ。
 付近を散策した後は、これまたオーナーさんに教えてもらった次なるスポットの「裏摩周展望台」を目指す。


■霧の摩周湖■

 大昔の歌謡曲に「霧の摩周湖」というのがあったので、そのイメージは強い。実際にはそれほど霧が発生するわけではないそうだが、時折霧雨が降るこの日は少し高いところに上がると霧に包まれていたから、その展望は半ば諦めていた。
 しかし、裏摩周展望台は、標高がやや低いので、そこから見渡す摩周湖は上部こそ霧がかかって蓋のようにカバーされてはいたが、湖面自体は見渡せ、その事が逆に神秘的に見せてくれているようでもあった。
 
●運良く見えた摩周湖●

 しかし、世界第2位の透明度を誇る摩周湖は、晴天時には青色をキツく反射し、湖面の色が「摩周ブルー」と呼ばれるほどに青々と見えるそうなので、その意味では残念だった。機会を改めてもう一度見に行きたいものだ。


■釧路湿原パート1■

 摩周湖を後にして、次なるスポットである「釧路湿原」へと向かう。
 ガイド本等には、釧路湿原を観光する方法として、車でのアプローチの他、鉄道でのアプローチが紹介されている。何でも、鉄道ルートは「ノロッコ号」と呼ばれる観光列車でゆっくりと乗客を運んでくれるううえ、車で入られない区間を通るらしく、「お薦め」とされていた。そこであらかじめ予約を入れておいたワケだが、その発着点が塘路(とうろ)駅と言うことなので、そこに到着すると、一旦車を降りて、しばし列車の旅を楽しんだ。

●ノロッコ号●

 とは言うものの、曇り空で見通しが悪いことも手伝ったのか、完全に期待はずれだった。

●ここがベストな観察ポイントだそうだが…●


 個人的には「あっけない」と思えたノロッコ号の旅は終点の釧路駅で終わる。折り返しの列車の発車時刻までは55分の余裕があるので、一旦釧路駅を出て昼食ポイントへと向かう。お目当ては「勝手丼(かってどん)」で有名な「和商市場(わしょういちば)」だ。


■和商市場の勝手丼■

●駅から歩いて2~3分の距離●

 勝手丼の手順を写真で説明すると、

1.まずは自分が食べたい分の御飯が入ったスチロール製の丼を場内に何カ所かある「御飯屋さん」で購入する。


2.場内各店舗を巡り、好きな具材を選ぶ。店舗によって¥100程度の価格差があるから、グルッと回って吟味した方がイイ。


3.店のオジサンがレイアウトを考えつつ、御飯の上に具材を並べてくれ、最後にしょう油をかけてくれる。


4.出来上がり。食べる場所は場内にある、テーブルと椅子を使う。



■釧路湿原パート2■

 昼食の後は、釧路駅からふたたびノロッコ号に乗って塘路駅へ。車中で聞いた説明によると「細岡展望台(ほそおかてんぼうだい)」からの眺めが素晴らしいとのこと。
「だったら初めっから車で行っておけば良かった…。」と思いつつ、塘路駅に到着後は車に乗って細岡展望台に向かう。

●細岡展望台からの眺め●

 この展望台でようやく「これぞ釧路湿原!」という風景に出逢ったが、これだけでは広大な大自然を見るにはチト寂しい状況だった。
 「痕はハズでは…。」と思い、後で調べてみると、どうやら釧路湿原は東側より西側の方が木道なんかも整備されているうえ、丹頂鶴の保護施設もあって散策スポットが充実しているようだ。次回に訪れたときには、そちらからのアプローチを試みるとしよう。

 その後は屈斜路湖方面に出向いてみたが、何処も霧の中に隠れてしまってほとんど何も見えずじまいで終始し、やや疲れを伴いつつ、3泊目の地である釧路市内に到着した。


■元祖炉端焼き■

 ご存じの人も多いかとは思うが、釧路市は「炉端焼きの発祥地」だそうである。
 炉端焼きと言えば、今では炉で焼いたものを店員に運んでもらうスタイルであっても、また、もう少し本格的になって、大きな炉を囲んだカウンター席に焼き手?がウチワの柄が長いような器具を使って焼かれた料理を運ぶスタイルであってもそう呼ぶのだが、ここ釧路では各席に設置された炉を使って自分で注文品を焼くスタイルだ。よく考えてみると、「海鮮バーベキューと何処が違うのかな?」と思うのだが、細かいことは抜きにして釧路の人気店を探ってみた。
 まずはフィツシャーマンズ・ワーフに併設された岸壁炉端を覗いてみる。オープンスタイルだが、収容人員が多いので、炉の数が多く、その分だけ多くの煙が立ちこめて煙たそうに思えた。

●岸壁炉端●

 次に煉瓦(れんが)という店を覗いてみる。室内ながら排気に気を使っているのか、煙たくはなく、暑くもない。ということで煉瓦に決定。

●煉瓦●

 焼き物は魚貝の他、肉類まで種類は多い。

●ホッケの開きや帆立に豚トロ等々●


■阿寒湖へ■

 釧路市内で一泊した後はとうとう最終日。まずは阿寒湖観光から。
 降り出した雨により、阿寒湖自体はほとんど見ることは出来ないので、アイヌコタンというところに立ち寄ってみた。
 こちらの期待としては、もう少し民族博物館的なモノを期待していたが、ここは「おみやげ物屋ストリート」だった。それでも文化を伝える小さな資料館があったのでソコに入ったりして時間を過ごす。

●アイヌコタンの入り口●

●昔のアイヌの人達の住居●

●アイヌの妖精「コロポックル?」●


■帯広へ■

 旅もいよいよ大詰め。阿寒湖周辺の観光に時間をとられなかったので、時間の余裕が出来た。そこで昼食時間に当初の予定になかった帯広市内への寄り道を急遽決定する。目指すは帯広名物「豚丼」だ。

●はなとかち●

 はなとかちの豚丼は、網焼きなので余分な油が落ちるのため、ばら肉であってもそんなにシツコさはない。ロースの方がさっぱりしすぎるくらいなので、余程の脂嫌いでもなければ、ロースとばらが半々の「半ばら豚丼」の方をお薦めしたい。

●半ばら豚丼の大盛り●

 帯広に来たついでにマルセイ バターサンドで有名な「六花亭(ろっかてい)」の本店に立ち寄る。

●六花亭本店●


 土産を買って帯広市内を出た後は新千歳空港に向かい、今回の全行程が終わった。


 前回の富良野周辺に続いて今回は道東方面と、これで2度目の北海道旅行だったが、何処を見ても本州とは全く違う風景が広がり、見る者を飽きさせないし、そこで体験することもこれまた本州とは異質だ。それが忘れられず、「来年もまた…。」と期待を膨らませた我が家の3人ではあるが、同時に「先立つモノが…。」と不安も膨らむのであった。
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