中島ブラザーズ ”弟”の「外で遊ぼう!」

近頃は日本海で、ヒラマサを追ってばかり。よって磯釣りや渓流釣りは休止状態ですが…。

’10 夏のキャンプ ~その2

2010-08-28 12:30:45 | キャンプ
■飯綱高原キャンプ場■

 飯綱高原キャンプ場は長野市営のため、テント1張り¥1000!という格安料金でありながら、正確には大座法師池という池だが、池沿いと言うよりも湖畔のイメージが漂う林間というローケーションが魅力のキャンプ場だ。標高も1000m前後あり、木陰の中にあるサイト一帯は夏でも涼しいのが有り難い。
 しかも、訪問時はお盆のピーク時であったものの、混雑度もそれほどではなかった。それは「車が横付け出来ない」というのが理由なのだろうか?。こういった傾向は何処にもあるようで、便利=混雑、不便=閑散という図式が当てはまる。勿論ボクは人混みは大嫌いなので、不便で結構。逆に車が出入りできない方が静かでもあるので、願ったり叶ったりだ。
 ただし、道具の運搬には一汗かくのだが…。

                  
                             ●湖畔のテント群●

                  
                          ●荷物の運搬はこのカートで!●


■ログキャビン■

 今回は訳あって、テントを持ち込むことをせずに、ここでは「ログハウス」と呼ばれるが、一般にキャンプ場では「ログキャビン」と言われているタイプの宿泊施設を利用することにした。

                  
                           ●木立の中のログキャビン群●

                  
                          ●内部も掃除が行き届いている●

 早速周囲にグッズ類を設置し、これからの3日間に備えた。

                  
                           ●レイアウトはこんな感じ●

 このキャンプ場の唯一弱点は、キャンプサイト、ログキャビンの周辺共に、平地が少ないので、傾斜を想定しての配置が必要なことだろう。


■長野の良さ■

 長野県に来るといつもうらやましいと思うことがある。それは、そこそこの大きさの町があって便利なのに、そこから20~30分車を走らせて一度山には入れば、一転して多くの自然が残っており、その規模が雄大なことだ。しかも、温泉地が豊富なのも嬉しい。
 勿論、その「うらやましい点」を活用してキャンプ中は昼間は長野市内へ降りて町を散策した後は温泉に浸かり、その後は再びキャンプ地に戻って自然を満喫するというパターンで過ごしていた。

 町中で面白かったのは「ぱてぃお大門」というところで、中には小川の庄の「おやき村」の長野店が入っていた。ここの本拠というべき小川村には2度訪問したことがあるが、ここ長野店でも看板商品であるおやきを始め、くるみそばが揃っており本拠と同等のクオリティで味わうことができた。

                  
                              ●ぱてぃお大門●

                  
                ●ぱてぃお大門内「藤屋御本陣」製のロールケーキ(数量限定品)●

                  
                      ●「おやき村」ぱてぃお大門店のおやき●


■寄り道■

 帰路の途中、中央道では20km規模の停滞が発生していた。それを避け、国道19号線を木曽川沿いを中津川方面に車を走らせることにした。勿論この道は中山道と呼ばれていた道だ。
 塩尻市街を抜け、景観が良くなり出した頃、奈良井という地区に到達し、車を駐めた。以前から気に掛かっていた、旧中山道の宿場町である「奈良井宿」で名物の五平餅を食べようと思っていたからだ。


                  
                        ●奈良井川に架かる「木曽の大橋」●

 が、残念なことにお盆休みのお陰でほとんどの店が閉店しており、お目当ての五平餅にはありつけなかった。しかし、テーマパークと見間違うほどの町並みはしっかり目に焼き付けることが出来た。

                  
                            ●宿場町そのものの町並●

 そして、寄り道もそこそこに中津川市までひた走り、そこから中央道に入って帰路につくのであった。



 さてさて、家族旅行も終わったことだし、そろそろ釣りの虫が騒ぎ始めている。渓流釣りには禁漁期間があり、今シーズンの残り時間はあと1ヶ月だ。ラストスパートを開始するとしよう。
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’10 夏のキャンプ ~その1

2010-08-21 12:30:01 | キャンプ
■今夏もキャンプへ■

 お盆の休みと言えば、恒例のキャンプへだ。とは言え、海岸線のキャンプを経験したことのある人なら解ると思うが、低地ではこの季節、日の出から夜遅くの間で気温が下がらず灼熱地獄となる。体型のせいか、ボクは暑さには極端に弱く、そんなキャンプは願い下げだ。だからどうしても高原へと足が向いてしまう。
 高原といえば僕が大好きな長野県だ。ということで、長野市の裏手にある高原の「飯綱高原」にある、「飯綱高原キャンプ場」へと向かった。
 でもチョッとその前に…。

■善光寺■

 キャンプ場に入る前、少し時間があったので善光寺「http://www.zenkoji.jp/」に立ち寄った。思えばこの善光寺、修学旅行を含めて今回が3回目の訪問になる。修学旅行での思い出は、もうほとんど記憶の彼方にあるが、イイ歳になっての訪問である前回からは、この寺独特の雰囲気に魅せられて興味が深まっている。

                       
                          ●山門を抜け本堂へと向かう●

 
 ボクにとっての善光寺の魅力は、「宗派にこだわらず受け入れる」という姿勢であり、その事が見た目にもユニークであったり、他では見られない様々な仏像群に影響している点だ。
 有名なものをピックアップしてゆくと、参道にある、「むじな地蔵」や「濡れ仏」「六地蔵」、参道脇の釈迦堂にある釈迦涅槃像(しゃかねはんぞう)を始め、 本堂内にある「おびんずるさま」「閻魔像」「地蔵菩薩」「弥勒菩薩」等々、多数あり、全てが個性的だ。
 
                  
                               ●むじな地蔵●

                  
                                ●濡れ仏●

                  
                                ●六地蔵●



 そして、もう一つのお楽しみとして、参道には「門前町」が展開しており、その名は「仲見世通り(なかみせどおり)」(http://www.nakamise.org/)として賑わっている。

                  
                        ●昔ながらの風景の「仲見世通り」●

                  
                     ●味噌で有名な「すや亀」の、みそソフトクリーム●

 その中に、ウチの会社と同姓同名?の店を発見し、思わず吹き出してしまった。

                   
                           ●その名も「中島物産!」●

 仲見世通りを抜けると本堂にたどり着く。

                  
                                ●本堂前●

 境内の本堂前には大きな香炉が据えてあり、線香を買って中へと投げ入れる。

                   
                   

 勿論、香の煙を頭に浴びて「これ以上ボケないように」と願う。

 境内でしばらく過ごすうちに、突如警備員が現れて辺りに緊張感が漂い始めた。よく見ると、高僧らしき人が通るために道を作っているようで、人垣に対してひざまずくように指導している。
 ボクもそれに倣ってしゃがんでいると、やがて高貴な雰囲気の漂う尼僧様が現れた。どうやら移動する際に御経を唱え、人々の頭に数珠を当てつつ進まれるようだ。滅多にない機会なので、ボクもその列に加わる。そしてしばらく経つと、幸運にもボクの頭にも数珠が触れ、しばし、何とも言えない有り難さで満ちあふれる気分であった。

 あまりに無知だったので、後で調べてみると、善光寺は大寺院としては珍しい尼寺であるそうだ。(そんなことも知らなかったのだ。)「善光寺上人」と呼ばれる御住職は代々公家出身者から迎えることが恒例となっていて、現在は鷹司家出身の121世「鷹司誓玉様」だそうだ。今回御目にかかった尼僧様は、もう少しお若い方であったので、もしかすると次代を担うお方であったのかも知れない。

 その後は時間が足りなかったため、本堂には入らずじまい。家族3人で仲見世通りをブラブラと歩き、試食しながら土産を購入しているうちに時間となり、ちょうど善光寺の裏山?になる、飯綱方面へと向かった。

~以後その2へと続く
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近代日本史を知ろう

2010-08-14 12:30:52 | その他
■終戦記念日を迎えて■

 8月15日はご存じのように終戦記念日である。
 毎年この時期には、それに関係したTVのスペシャル番組が放送れるが、今年は14日に倉本聰氏が脚本したTVドラマ「歸國(きこく)」が放送される。その内容は「65年前の戦争で、この国を守るために死んでいった人達(=英霊達)が、現代日本を見たらどう思うのだろうか?」という問いかけだそうだ。
 少し前にバブル期を振り返った内容の記事を書いたが、兵士達が命を捨ててまで守ろうとした日本の、その後の姿が、バブルに沸いた頃と、それが崩壊した現在の状況であるのなら、彼らの落胆を想像するだけで心が締め付けられてしまう。そして、その一端を担いだ責任のある立場から言わせてもらうと、本当に申し訳なく思う。だからこそドラマの出来はともかく「歸國」のメッセージは重く受け止めなくてはならない。

 その他終戦記念日にあたり、広く一般に見て欲しいTV番組としては、NHKで月一度ほどの割合で放送し、何度も再放送され続けている、「シリーズ証言記録 ~兵士たちの戦争」をお薦めしておきたい。(本も出版されている。)
 この番組は、実際に戦地で戦った兵士や現場指揮官の話を通じて「戦争の実際」を我々に伝えてくれる内容だ。この番組を見れば、当時の軍中枢部に在籍していた指導者達が、「場当たり的」で「独善的」な考えに支配されていたということと、そこで立案された、多くの「無謀」で「人命軽視」で「絶望的」な作戦の中で、現場の指揮官や兵士達が如何に戦ったかということ、その結果、生き残り、あるいは死んだ兵士達は何を思ったのか?ということがよく解ると思う。

 彼らが命を賭けて守ろうとしたものは、郷里とそこに暮らす家族、そして次の日本を背負うべき子供達が第一であったことは、今も多く残る愛情溢れる遺書の内容で容易に確認できる。また、「バンザイ」を叫んでの突撃であっても、戦友の死にゆく間際に遭遇した兵士達が実際に聞いた言葉が、多くの場合で「おかあさ~ん」であったり、「妻や子の名」であったりしたことからも、それは理解できるだろう。

 果たして我々は、彼らが決死の覚悟で守ろうとした国に、住むにふさわしい人間なのだろうか?…。


■無知■

 ボクの世代を含めて戦後産まれ全体に言えることかも知れないが、近代日本史である明治~昭和20年頃までの日本史に関してまともな教育を受けた覚えがない。
 たまにドラマなどで見る内容も「悲惨だから、二度と繰り返してはいけない。」といった観念的なものが多く、それを見たところで自分たちの爺さんや、ひい爺さんの時代の日本が、戦争の当事者だったという意識が強くなることは少ない。特に、同じ轍を踏まないためにも一番重要な部分である、「何故起こったのか?」ということに関しては大いに無知である。
 これらは受験勉強重視のために時間切れになるという説もあるが、実際は違うように思える。それはこの時代の事実を忘れ去り、「臭い物にはフタをしておきたい」という意思が日本人のどこかにあったからだと思う。
 そして、現在では驚くことに今ではアンケートをすると、日本がアメリカと戦争をしたことすら知らない人が居るそうだ。イギリスやオーストラリアと戦争をしたことを知らない程度ならまだ解らないでもないが、ここまでくれば、もう無知を通り越して「無知蒙昧」と言うほかあるまい。

 以前にも触れたが、半藤一利さんという作家がいて、この人は日本の近代史を書き続けている人だが、ボクは最近、この人の書いた本をよく読んでいる。
 半藤さんは終戦時には15歳の昭和5年5月生まれで、うちの親父は同年4月生まれだから、全く同じ世代だ。だから、書かれている内容についての正否は、親父に質問すればすぐに答えが返ってくる。それは解説者が身近に居ることになるので、ボクにとっては大変理解がし易い内容なのだ。
 半藤さんの本の大半は、一方でボクが大好きな司馬遼太郎さんとは違って、ノンフィクション性を基本にしているので、小説(=フィクション)ではない。だから、内容は資料と徹底的に照らし合わせてあり、本人曰く「根拠を示せと言われれば、すぐに資料が出せる。」と言っているほどだから、その意味でも史実に近いものだろうとボク的には捉えている。
 その半藤さんが「日本が太平洋戦争に至る経緯」について、著者の井上亮氏のインタビューに答える形で書かれた本が最近出版されていて、今はそれを読んでいる最中だ。

                    
                             ●「いま戦争と平和を語る」●

 半藤さんの、この本を含めて保坂正康さん、また半藤さんとは全く逆の意見になることの多い渡部昇一さん等々、様々な作家の本を読み、調べるうちに、太平洋戦争の敗戦に至る道筋と、「臭い物にフタをしたくなった」経緯が、ボクなりに、おぼろげながら見えてくる。それは…。
 昭和恐慌、世界恐慌に代表されるように、長引く不景気と閉塞感に支配され、百万人に及ぶ失業者が全国に溢れる状況で始まった昭和の日本は、満州事変~日中戦争~太平洋戦争と突き進み、最終的に敗戦という国家の滅亡を迎えるが、その間、例えば軍部という一つの組織のみが民衆を扇動して戦争へと導いたのではなく、一部少数には反対する人が居たものの、大多数の国民、軍部、政治家、財界、マスコミが相互に利害関係を持って引きつけあい、国全体で坂道を転がり落ちていったということだ。
 そして敗戦後は「国民自らが招いた敗戦」と悟ったのか、一転して「一億総懺悔(いちおくそうざんげ)」と言われたようなムードが日本国内に漂い始める。
 食うや食わずの状態が続く中、民族の誇りを無くし、疲れ果てた国民にとって、戦争の話は次第に「話したくない過去」に変わっていったのだろう。この流れが上述したような、「臭い物にフタをしたくなった」経緯ではないのか?とボクは思っている。

 勿論、戦前の日本にも良い部分は沢山あったし、世界に向けて反論すべき点もあったはずだが、日本人自らが進んで清濁を合わせて臭い物として放り込み、フタをしてくれた方が、戦後日本を自陣営に引き込もうとする米ソ両大国にとって、都合が良かったことは言うまでもない。


■歴史は繰り返す■

 半藤さんによると、日本は40年周期で破滅もしくはそれに近い困難に遭遇しているというが、「歴史は繰り返す」ということを思えば、黙殺は出来ない。

 まず最初に、それまで攘夷派であった薩長も開国派に転換し、国全体で国際社会にデビューしたのが、1865年。以後「富国強兵」路線を突き進み、そのピークを迎えて「坂の上の雲」を掴んだ日露戦争の終結が1905年になるので、そこまでが40年。
 近年の調べによると、日露戦争の勝敗は日本の「引き分け+α程度」という判断が一般的であり、あれ以上長引けば敗戦濃厚だと言われているが、当時の日本人は政府の不誠実な発表によって勝利したものと思い込み、列強の仲間入りを果たしたと勘違いした。そしてそれ以降は慢心し、おごり高ぶって転落の道を歩むことになる。そしてその結果が、1945年に起こる太平洋戦争での敗戦だが、これも40年後にあたる。
 戦後はGHQの統治を経て、1952年のサンフランシスコ講和条約施行後に独立した日本は「奇跡の復興」を果たして経済大国にのし上がったが、ピークであるバブル時には「日本の土地の一部の価格でアメリカ全土が買える。」と豪語するまでの増長ぶりを発揮し、再び国民の多くがおごり高ぶり、そして踊り狂ったが、その後1992年にあっけなく崩壊して現在まで低迷の時期を送っているが、これまた40年だ。
 過去を分析、研究することを怠り、広く国民が事実を「知らなかったり、知ろうとしなかったり」、あるいは「忘れ去ろうとした」顛末が、二度にわたっての「奢る者久しからず。」状態なのである。

 ここまで説明すれば40年説に信憑性を感じることだと思う。だから、バブルの崩壊から40年経った2032年頃の日本を想像すると、ある種の恐怖感が立ちこめてくる。しかも戦前~戦中の日本をリードしていた軍部の問題点は、現代日本をリードする官僚の、数々の問題点と酷似しているから尚更に恐ろしい。
 次に起こることが戦争だとは限らないが、国家の破滅を二度と繰り返さないためにも「何があって、あの戦争になったのか?」をボクたちが理解しなくてはならないのだ。

 今回は半藤さんの本を紹介したが、それは、たまたまボクにはシックリと来ただけであって、何もこれのみが正解というわけではない。だから、どんな著者が書いたものでも構わないから、とりあえず読み始めて欲しい。大切なのは知ろうとして、第一歩を踏み出すことだと思う。そうして何点か読み進んでいくうちに、歴史認識に関しての妥当な線が自分なりに何となく解って来ると思う。


■学問のすゝめ■

 福沢諭吉の「学問のすゝめ」には、かの有名な「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」という一文が書かれている。この続きを知らない人が、この部分だけを見ると、人権についての言葉のように思うかも知れないが、実際は違う。

 「人には生まれながら貴賎上下の差別ない。」「だが、見渡すと、賢い人、愚かな人、貧乏な人、金持ちの人、身分の高い人、低い人が居る。」「その違いは何だろうか?。」「それは賢人と愚人との別が、学ぶと学ばざるとによってできるからだ。」
 だから、「人は生まれながらにして貴賎上下の別はないけれど、学問を勤めて物事をよく知るものは貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるのだ。」

と、まぁ、平たく言えば、そういうことである。

 我々が「学問」を怠り、無知のままでい続けることを辞めて、「真実を求める心」を次世代に受け継いでゆかなては、やがて日本は世界の中の貧人や下人の国となる。終戦記念日を前にして、その思いは強くなるのであった。
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北の国へ その4

2010-08-11 12:30:14 | 旅行
■スカイマーク■

 北海道旅行は国内旅行とは思えないほどお金がかかり、一瞬たじろぐが、何気なく格安航空運賃で有名な「スカイマーク・エアラインズ」の料金を見た瞬間に、その思いが一変した。何しろ自宅に近い神戸空港から千歳経由の旭川便が夏季限定で就航開始となり、最安の場合で運賃は片道¥11800というから驚きだった。そして我が貧乏家族は、それを使ったプランを練ることで今回の旅行が現実化したのであった。正にスカイマーク様様だ。

                   
                               ●旭川空港にて●

 格安航空券に味を占めた我が家は来年にも北海道旅行を計画中で、もし実現できれば網走、知床方面に足を伸ばそうかと考えている。
「だからスカイマークさん、来年も就航をお願いします!。」


■本土とは違う景色■

 「来年も行きたい」と思ったのは数々あるが、その一つが本土とは違うスケールで広がる景色で、何よりも印象深いのは「丘が丘として鎮座する景色」だ。


                      ●「北の国から」で有名な麓郷付近の丘●

 本土で丘と呼ばれる地形は、山の稜線の手前にあって独立していないものがほとんどだが、北海道は逆で、山は山としてそびえ、丘は丘として個別に独立する丘が多いのだ。
 そしてその丘は、植えられた作物の違いによるトーン変化で「パッチワークの丘」と呼ばれたり、ラベンダーを代表とする花々が植えられて観光ガイドでも紹介されて、有名になっている。

  
                        ●パッチワークの丘を進む大型トラクター●

                   
                           ●ファーム富田の「ラベンダー畑」●

                   
                      ●煙草のCMで有名になった「セブンスターの木」●


■旭山動物園■

 最近何かと話題の旭山動物園にも立ち寄った。

                   
                  ●ガイドブックの指示通り、正門は避けて東門からのアプローチ●

 これは、当日の気温が高かったために動物達がバテ気味で、本来のパフォーマンスを示してくれなかったのかも知れないが、個人的な感想を言わせてもらえば、大阪にある水族館=海遊館等を見慣れた立場で考えると、「そんなに騒ぐほどの物でも…。」と思ってしまう。
 但し、客に楽しんでもらおうとする職員達の努力は並々ならぬ物を感じたし、その意味では活気を感じるので、よくある、動物が放置されたように感じるタイプの動物園とは一線を画しているように思えた。

                   
                    ●唯一愛想を振りまいてくれたのはこのレッサーパンダ●
                   
                                ●泳ぐペンギン●
                   
                    ●「八丈島のきょん」で有名な「きょん」が、こんな所に●


■北海道はカレーの宝庫!■

 今回の旅行は、宿泊先では朝食のみしか出ないプランを選択していたため、食事は自分たちで探さなくてはならなかった。事前に調べた結果では北海道は札幌のスープカレーに代表されるように、カレーの宝庫のようだ。因みに我が家は大のカレー好き。旭川空港でレンタカーに乗り込んだ我が家の3人は、カレー第一弾である、「クレイジースパイス」に飛び込んだ。

                   
                      ●カーナビの指示とは違うところに移転していた。●

 旭川と富良野方面のカレーは「オムカレー」という、ごはんを卵で包んでオムライス状にした上にカレーソースがかかっているものが中心で、勿論我々3人が頼んだのも、そのタイプのカレーだ。

                   
                ●クレイジー・スパイスの半じゅくオムチーズカレー(エビ、トマト乗せ)●

 店の名前の通り、スパイシーな風味に酸味と辛みがほどよく融合した味で、家族3人共に大好評だった。


 富良野に入ったら是非立ち寄ってみたいと思っていたカレー店である、「唯我独尊(ゆいがどくそん)」にも無事に入ることが出来た。
 「無事に」と書いたのにはワケがあって、富良野では超有名店らしく、地元は元より観光客にも人気がある店なので、行列が途切れないと聞いていたからだ。
 この店には他の所用があって富良野市街をウロつく内に偶然前を通った際に空いていたのを確認し、滑り込むように入ったので、ラッキーにも待ち時間はゼロだった。

                   
                           ●メニューの表紙に書かれたロゴ●

 注文したのはオム・カレーの上に自家製ソーセージが乗ったオム+ソーセージカレーだった。確かにソーセージの味はなかなかイケる味ではあったが、肝心のカレーはスパイスの効いたブラック・カレー調の味ではあるものの、ボク的には「飛び切り」という感じではなかった。味覚には個人差はあるので、好き嫌いで評価は分かれるだろうが、「及第点かなっ?」といった程度であった。

                   
                         ●注文した「オム+ソーセージカレー」●

■旅行で一番の味■

 富良野での夕食で印象深いのは有名なカフェ&レストランである「麦秋(ばくしゅう)」さんで食べた「富良野和牛ハンバーグ」である。
 ボクが注文したのは「チーズハンバーグステーキ」だったが、妻と息子はまたもやカレー絡みの「カレー煮込みチーズハンバーグ」を注文した。そして、それぞれ味わったが、これほどウマいハンバーグは初めてだと言ってイイほどの味わいであった。そして同様にピザもウマい!。

                   
                        ●麦秋さんは、週末は予約で一杯だそうだ●

                   
                            ●チーズハンバーグステーキ●

                   
                         ●おこっぺ牛乳・モツァレラチーズ・ピザ●


■生ラム■

 我が家ではキャンプ中にダッチオーブンを使って料理をする機会もあることから、全員にラム肉に対する抵抗感がない。しかし、使用するのは主にオーストラリアからの輸入冷凍ラム肉がほとんどであった。北海道では地産の生ラム肉を食べさせてもらえる店が結構あるようで、今回は「ちろる」というジンギスカン料理店を訪問した。
 
                   
                         ●ペンションと兼業しているということだ●
                   
                            ●輸入物とは色ツヤが違う●

 始めて味わう国産ラム肉は柔らかくて、味も芳醇。しかも欠点である臭みはほとんど感じない。これまた北海道の名物であるに違いない。


■甘味処■

 酪農が盛んな北海道では、豊富な牛乳を使った乳製品も豊富で、それを使った菓子工房も多い。中でも「フラノデリス」は「ふらの牛乳プリン」が有名で、全国の物産展にも引く手数多(ひくてあまた)だという。

                  
                               ●フラノデリス●
                  
                                ●ケーキ各種●
 「ドゥーブルフロマージュ」を中心に各種を味わったが、どれも絶品で甲乙つけ難い。しかも、本土に比べると価格が抑えめなのが嬉しい。


■日本3大ガッカリ■

 最終日には少し時間があったので札幌市内に立ち寄る。勿論「札幌といえば時計台」ということでそこにも立ち寄った。しかし、このと境内は「日本3大ガッカリ」の一つとしても有名だ。

                  
                         ●ビル街に唐突に建つ札幌時計台●

 しかし、そのガッカリさは充分に味わったものの、「土佐の高知のはりまや橋」を味わっているボクと妻にとって衝撃度は低く、アチラのガッカリ度を100とすれば、この時計台は50以下なので、「ふ~ん、こんなもんか?」程度で済んでしまう。
 とは言うものの、長く付き合う気はないので、サッサと撮影を済ませて新千歳空港へと向かった。


■旅を終えて■

 北海道で大いに感じたのは大地のスケール感の違いだ。そして、そこに流れる時間はゆったりとしており、一種独特であった。ここにしかない、何とも言えない空気感を味わうと、この地に憧れ移住を決意する人達の気持ちが何となく解るような気がした。
 それはボクにとっても心地よく、イイ意味で心のガス抜きになったのだが…。しかし、ウマい物の連続で、困ったことに抜けたガスと入れ替わって、元々太った体に更なる脂が入り込んだようだ。今後は「それをどうやって取るか?」に悩みそうだ。
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北の国へ その3

2010-08-07 12:30:49 | 旅行
■風のガーデン■

 倉本聰氏の富良野3部作では最終にあたる「風のガーデン」。このドラマのテーマを自分なりに勝手に解釈させてもらうと、
「パーソナル化され、一人一人がバラバラになってしまいがちな現代の家族関係にあっても、結局最期に行き着く場所、それは家族の中にしかない。」
といった風にボクは捉えている。
 そのドラマ内で家族が再び集まる心の拠り所=「風のガーデン」と呼ばれる英国庭園風の施設が、ドラマの撮影後、一般に公開されている。

                 
               ●倉本聰氏による最新ドラマのロケ地だけに、訪れる人は多い。●

 ドラマ内で「花言葉」と共に登場する花々も健在だ。
 
                 
                         ●カンパニュラ・ウエディングベル●

                 
                          ●デルフィニウム・ブラックナイト●

                 
                    ●ラムズイヤー(触ってもOKで、触感はフワフワ)●


       ●建物の内部にも入れ、中にはドラマで使われたアップライト・ピアノやロッキング・チェアーもある。●

                 
                   ●ドラマの1シーンでもこの構図が使われていた。●

                 
                     ●貞美さん(中井貴一さん)のキャンピングカー●

 ドラマの中で貞美さんが懸命になって植えたエゾエンゴサクは、今年もこの周りに咲いているのだろうか?。

                 
                         ●貞三さん(故、緒方拳さん)の医院●

 実は「北の国から」で、蛍が看護学校卒業後に勤めるかも知れなかった「財津病院」と同一だそうだ。


■優しい時間■

 子供が起こした事故が原因で妻を失った父と子の親子関係の修復がテーマのドラマであったが、ボクにとっては何故か印象が薄い内容であった。

 ドラマのストーリーの中心であった喫茶店「森の時計」は、一般利用目的で営業しており、観光客にとっても人気スポットで、客足も途絶えないようだ。

 
    ●「北の国から」の雪子おばさんの勤める「森のろうそく屋」から下った先にある喫茶店。それが森の時計●

                 
                            ●カウンターに集う客達●

                 
               ●中央のマグカップはドラマでも使われた皆空窯(かいくうがま)製●

 カウンターに着席した客のみの特権で、ドラマ同様にハンドミルでコーヒー豆をグリグリさせてもらえる。本来の香りが楽しめるコーヒーは格別の味だ。

                 
           ●マスターに「そこが二宮君(嵐)の指定席ですよ。」と言われて調子に乗るボク●

                 
                         ●マスターの木村さんのワザ●

                 
                            ●コーヒーに写る風景●

 ドラマの内容とは逆に、残されたロケ地を実際に巡った中では一番印象に残るスポットだったのが面白い。多分これは、この施設だけが内部を人が利用しているために、「生きている」からだと思う。
 客の会話に「ツッ込み過ぎず、引き過ぎず」丁度良い立ち位置のマスターが演出する「優しい時間」がそこにあった。ドラマがこの喫茶店を中心に展開したのは、それが狙いの一つにあったのだろう。座って初めて、今更ながらに気付かされてしまった。


■ロケ地を巡り終えて■

 今回の旅行では「富良野3部作」のロケ地の主立った箇所を巡ったワケだが、改めて思い知らされるのは倉本聰氏の手がけるドラマのリアリズムだ。
 撮影秘話なんかが書かれた本を読んでもその徹底ぶり理解できるが、特に地元=富良野の人達に嘘をつくなという方針だったそうだ。だから、もし仮に黒板五郎が富良野のどこかで歩いていてバッタリ出会ったとしても、何ら不自然ではない。そんな雰囲気でさえあるのだ。
 作り手がそこまでの高い意識を持ち、役者がソレに応えて作っていたからこそ、ドラマ(=フィクション)の世界だとは解っていても、「富良野3部作」に思い入れてしまう人が多く、ボクら家族のようにワザワザ足を運ぶ者達も多いのだと思う。
 しかし、あまりのリアリズムさに、ボクの心中には弊害が出ている。それは、近頃では主流の漫画ベースのドラマに対して全く見る気が起こらないことだ。ボクの独断で申し訳ないが、漫画の世界は漫画に任せて欲しいし、あり得ない設定やストーリーを展開するのであれば、それはSFの世界だけで結構だ。
 そろそろ本格的な人間臭いドラマを見せていただけないでしょうか?「拝啓、TV局様…。」
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北の国へ その2

2010-08-04 12:30:24 | その他
■「北の国から」の時代背景■

 「北の国から」というドラマ&スペシャル・ドラマがオン・タイムで放映されていた頃、ボクが「若者」と言われた時代は、正にバブル景気の絶頂期とその前後にあたる。振り返るとそれは、多くの人達が欲望に駆られて動く時代だった。

 その頃は、多くの人々が土地や株の投機に奔走し、ゴルフは「男のたしなみ」とまで言われて会員権が数千万円もするゴルフ場には人々が溢れていた。
 象徴的な話として、本来は高額な乗用車であるはずのBMWの3シリーズが六本木のカローラと呼ばれ、「大学生を含む若年層の多くが乗り回している。」といった話があったほどだ。
 しかし、考えてみると生産性の無い、あるいは低い若年期に、そんなことが出来たのは一部の例外を除けば親等からの資金援助があってのこと。そんな身分で大量消費=浪費?を行い、贅沢の味を覚えてしまうことが、その後の人生に好影響を与えるとは到底思えない。そんな状態がマトモな訳があるまい。

 元よりボクは群れることが嫌いな「右向け右」ならぬ「右向け左」のひねくれ者なので、世間の流れに小さな抵抗を示して自身ではある程度距離を置いていたつもりだったが、それでも何だかんだで小躍りはしていた。だから、その後に起こるバブルの崩壊と、それに続く現代までに至る苦しい時代、そして何よりもその間に消えた、本来であれば次世代に受け継ぐべき有形無形の財産の消失を思えば、猛省しなくてはならない立場にあるのは確かだ。

 そんな、バブル期を含んだ流れの中であって、黒板五郎というドラマの主人公を通して常に警鐘とメッセージを送り続けていたのが、脚本家の倉本聰氏であった。

   
                     ●富良野近郊は「豊穣の季節」を迎えていた●

■拝金主義■

 バブル期を懐かしみ、「あの時代をもう一度」とばかりに、その時代に夜な夜な踊り狂っていた女史を再び登場させるというTV番組なんかを見掛けたこともあるが、それはトンでもないことだ。本当に振り返るのも恥ずかしいバカな時代なのだ。

 悲しいことにバブル期に大増殖した拝金主義者は崩壊以降も生き残り、時折メディアが煽る「勝ち組、負け組」などのキーワードと共に顔を出し、お金や所有物の多寡で価値を判断するような時代の後遺症は続いている。そして、その後継者までもが確実に育っている。
 昨秋に世間を騒がせた結婚詐欺事件は、「高額なブランド品と豪華な食事」欲しさに犯行を重ねたものであるが、この事件は今も続く拝金主義の象徴のように思える。

 ビンボー人のヒガミと言われればそれまでだし、自分の金をどう使おうが勝手である。更には「人の趣味趣向は千差万別」それは理解しているつもりであっても、こういった流れの中にある、「本人の努力や工夫、そして能力が反映されない、お金さえあれば誰にでも手に入る物」を欲しがり、それを持つことで見栄を張る体質は、ボクの理解が及ぶところではないし、それ欲しさに自身の労働の対価でもない金を使うのであれば、尚更の話だ。


■「セレブ」■

 近年において、メディアが使う言葉の中に「セレブ」という言葉がある。本来の語源である「セレブリティー」は有名人、著名人、名士といった意味合いで、肯定的にも否定的にも使える言葉であるらしいが、現代日本では、「その人の素養は関係なしに、単に金持ちであるとかブランド品を身につける」ということを表す言葉になっているようだから、拝金主義的な臭いがする言葉の一つだとボクは捉えている。そして、今ではそれを絡めた造語の数も増えているようだ。

 先日、「たかじんのそこまで言って委員会」というTV番組の中で、あるコメンテーターが、
「バブル期を忘れられない主婦が、借金をしてまでブランド品を買い求め、それが消費者金融利用者の一角を占め、返済できずにいる者も多い。」という、話をしていた。この話には、無理な借金で買う「『セレブ御用達のブランド』って、一体何なの?」と思ってしまう。

 よくよく振り返ってみると、このように背伸びをしてまで「ワンランク上」の社会に首を突っ込もうとする風潮は、今に始まったことではない。それは昔からあって、ボクなんぞは「日本が文明国家であることを欧米各国に示そう」とばかり、社交界よろしく、海外からの客人を招いて舞踏会を何度も開いた「鹿鳴館」をついつい思い浮かべてしまう。
 鹿鳴館に集う当時の日本人高官や、その妻達はマナーやエチケットなどを知るハズもなく、食事、着こなし、ダンスなどは、様にならず、逆に招いた客人達に「日本人は滑稽」と嘲笑されていたのだ。治外法権撤廃という裏事情があったにせよ「身の丈に合わない」であるとか、「板につかない」という言葉はそんなことを表すためにあるのだと思う。

 中には「プチ・セレブ」という言葉までがあり、ささやかな一品の贅沢を表すそうだが、これなんかは「セレブの世界にプチなんてあるものか!」とツッ込みたくなってしまう。
 言わせてもらえば、その感覚は「今日はお父さんの給料日だから、いつもの豚や鶏ではなくて牛肉よ。」と言っていた時代の話と「どこが違うの?」と思え、とても「セレブ」と冠する話題ではないように感じる。


■バブルで失ったもの■

 「近頃の、若者の多くは金を使わない。」と、このブログでも書いたことがあるが、ややもするとそれは批判的な内容であった。
 しかし、こと「北の国から」に込められたメッセージの中にある、「つつましく生きる」ということや「身の丈にあった生き方」という点では「我々世代よりも優れているのでは?」とさえ思え、見習うべき点も多いと思うことがある。
 ただし、だからと言って、大きな世界を知ることもなく、「こぢんまり」と小さくまとまっていては時代を生き抜く力や知恵は沸いてはこないと思うが、ここまで不景気が続き、新卒者の就職さえままならない状況下では、それは難しいことなのかも知れない。それに、そんな時代を作った責任の一端がある世代が言うべき言葉ではないのかも知れないと、ボクは、近頃では気弱になりつつある。

 元来我々日本人は、例えば山にそびえる岩塊を見たり、川の淵を見たりするだけで、それを「恐れ多い物」として神格化し、あがめ奉る民族だった。だから、自然は「破壊し、克服するもの」ではなく、これまた「北の国から」に込められたメッセージのとおり、「頂戴し、利用するもの」だったはずである。そしてそこで培ってきた知恵や技術が日本的な細かな心遣いとなり、それが工業製品等に反映された結果がバブル以前の、経済発展の基礎になっていたのだと思う。
 だからこそ「拝金主義に走った際に忘れたものを、もう一度思い返すこと」これが今の日本に必要なことの一つではないか?と思えてならない。しかし、悲しいことにボクなんかが唱えたってどうにもならないし、説得力は全くないのだが…。


■子供に伝えるには■

 何せ「北の国から」はTVの連続シリーズだけでも24話=18時間もあり、家に全て揃っているスペシャル編を含む全巻を見るには相当時間がかかるのだが、今は家族3人で見て(見直して)いる真っ最中だ。
 ボクがこのドラマを見るのは、これで4回目になるのだろうか?。しかし、子を持つ立場になった今になって見直すと、イメージが変わっていたりするのがオモシロく、新たな発見も多い。また、感動はいつまで経っても薄れはしない。それだけ、このドラマがリアリズムに則したモノであり、込められたメッセージには深い意味があるということなのだろう。

 かく言うボクには黒板五郎や倉本聰氏が最近まで指導していた富良野塾の生徒のように自給自足に近い生活なんて出来ないが、幸いにもボクの好きなアウトドア関連の遊び、とりわけ釣りは、自然からの恵みを享受しつつも利用し、ある一面では闘う遊びだ。そんな遊びを通じて、黒板五郎の遺言の一部だけでも子供に伝えてやりたいとは思うのだが…。現実には彼にとっての興味は別のところにあって、目下のところ厳しいようだ。


                    ●黒板五郎の遺言=倉本聰氏からのメッセージ●
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