中島ブラザーズ ”弟”の「外で遊ぼう!」

近頃は日本海で、ヒラマサを追ってばかり。よって磯釣りや渓流釣りは休止状態ですが…。

不振続きのタテ釣り

2014-09-27 12:30:00 | 船釣り・釣行記
 今期二回目のタテ釣り。
 前回よりもベイトとなるイワシのサイズが大きくなり、「本格化の兆しか?」と喜び勇んで向かったものの、現実はタフコンディションのためにベイトがサビキ仕掛に乗る回数は少なく、大苦戦だった。
 カタクチイワシは群れの中を一下降する間のワンチャンスを逃すと沈んでしまい、再通過以降は殆ど乗らず、小アジはハリスを細くせねば殆ど乗らずの状況だった。
 特にボクは仕掛に使ったハリの大きさがマッチングしていなかったのか、せっかく掛けても何故か途中で外れたりで、恐らく1日(10時間)で掛かったベイトの総数は10匹程度だったハズだ。
 「掛かったイワシや小アジなどのベイトを本命に食わす」という、わらしべ長者的な釣りであるタテ釣りでは、ベイトが掛からなければ成立しない。であるから、当然、最終的にボクの釣りは前回同様の超貧果で終わってしまった。

●ようやく捉えたアタリも…●


●マダイと言っていいのか、カスゴと言うべきか…●

 ただし、ボクは同船者6人中、最低ランクの結果であり、他の釣り人も貧果には違いないが、ヒラメを1枚だけ釣った人が二人、同行した兄も良型のアコウやハマチをポツッと釣っていた。

●兄は、ボクよりの竿の曲がる回数が多かったが…●

 勿論、操船する船長の責任ではなく、ボク自身の腕がないというか、ツイてないというか、とにかく散々な週末だった。
 「また出直すしかない…。」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国宝巡り

2014-09-20 12:30:00 | 旅行
■寺巡りの日々■

 敬老の日がらみの連休は国宝の仏像を訪ねての、日帰り単発訪問をする日々だった。
 特に美術の素養もないボクなので、仏像に相対しても「曲線美がどうこう」であるとか、「細工の具合がどうこう」とか、そんなことにはあまり興味が沸いてこない。専らそれら仏像の制作、あるいは寺院そのものを建立した経緯や、仏師その他の制作者や庭園の造営者といった人々が、「そこに如何なる理由で関わり、思いを込めたか?」ということに興味がある。言わば、背景の人間ドラマを想像することが好きなのだ。

■浄土寺■

 まずは、初日にお兵庫県小野市にある浄土寺(じょうどじ)に、国宝の浄土堂とその中にある、阿弥陀三尊立像を訪ねた。

●整備された浄土寺の門前●

 この寺の阿弥陀三尊立像は1195年の開眼というから、時代は鎌倉時代のごく初期というになる。とすれば、建立の開始は平安時代の末期だろうから、この頃に日本に暮らす人々の心理には「末法思想(まっぽうしそう)」というモノが働いていたから、その影響を受けていそうだ。
 お釈迦様の教えと正しい行い・行いによる悟りの、3つが揃う時代から千年(五百年という説もあり)が過ぎると、悟りがなくなり、次の千年で正しい行いもなくなっていくという仏教上の思想が、その末法思想で、平安末期の1052年が、それが始まる時期にあたると考えられていたそうだ。
 丁度、源氏、平氏の戦いを始めとする、内乱がが盛んなりし頃と重なり、ついには平 重衡(たいら の しげひら)による南都焼討によって東大寺大仏や興福寺が焼失するに至ったため、人々はこのような現実から救いを求めるようになり、それが浄土信仰が広まる背景となったそうだ。
 浄土とは、仏教世界では「西方にある、清浄で清涼な仏の国」であり、その象徴が阿弥陀如来ということになる。そして、それを具現化したモノの一つが、この浄土寺にある浄土堂だ。

●浄土堂●

 この浄土堂は、境内の西にあり、夕日が射す頃になると、光背側の明かり採り窓から入った光が一旦床に反射し、それが天井に当たって阿弥陀三尊立像の上方から降り注ぐことで、あたかも西方浄土から阿弥陀如来様が脇侍(きょうじ)を伴って、お迎えに来られたかのような演出が施されている。
 案内書では、春分、秋分の日の頃の、日暮れ時が最も綺麗だと解説されているが、9/14の訪問時には、午後4時頃がピークだったようで、日暮れ時といっても、日没直前ではないから、訪問時には注意が必要に思う。
 ボクが訪問したのは4時20分頃だったため、ややピークを過ぎていたが、それでも光が降り注ぐ様子が見てとれたことは幸いだった。それにも増して驚かされたのは、国宝の仏像でありながら、参拝者との間に柵のような隔てるモノは一切なく、触れることがない限りにおいて、直近で見ることが許されていることだった。

●阿弥陀三尊立像(パンフレットより)●


■薬師寺へ■

 翌日は「薬師如来様が見たい」という、妻の要望に応えて、奈良市にある薬師寺を訪ねた。

●薬師寺の境内●

 薬師寺では、昨今のニュースでも採り上げられているように、東塔の解体修理が行われているために、全景が見られないせいか、参拝者もまばらであった。

●修理中の東塔●

 薬師寺は、天武天皇の発願であるところの、皇后の病気平癒のために建立が開始された。時代は白鳳時代と呼ばれる680年のことで、造営途中で皇后の病気が治癒したが、今度は逆に天武天皇が崩御されるに至る。次代の持統天皇の時代になって金堂にある薬師三尊が完成したと推測されているそうだが、その持統天皇も途中で病気になり、その平癒のために、この薬師寺で貴族や官僚達による仏像制作が行われていたそうだ。
 薬師如来信仰の基になる薬師経は、12の大願と九種横死(くしゅおうし)という「ロクでもない死に方」について説いている。信仰によって大願を得ることと、九種横死から逃れることを願い、それを具現化したのがこれほどまでの大寺院の造営であることから、現代人のそれと比べれば遙かに大きい当時の人々の病と死にに対する恐れというモノを窺い知ることができる。

 伽藍の南にある南門で拝観料を支払い、中門をくぐると正面に金堂がある。うち広げられた扉から本尊の薬師三尊が一挙に肉眼で見渡せ、圧巻だが、残念ながら光線の都合で三尊を一挙に写すことはできない。そこで、一体ずつ写真に納めた後、堂内へと入る。(堂内では撮影禁止)

  
●月光菩薩(がっこうぼさつ)・315.3㎝、約3000kg●


●日光菩薩(にっこうぼさつ)・317.3㎝、約3000kg●


●薬師如来・254.7㎝、約12000kg(台座込みの重量)●

 現代に残る薬師寺は、移転した後の位置にあり、金堂内の薬師三尊も寺院の移転と共に移転したのか、移転した後に制作されたのかは定かではないそうだが、三尊が完成したと推測されている時期から10数年しか経ていないので、時代的には大差がないということだそうだ。
 柵こそあるものの、この薬師寺も国宝でありながら至近距離で見られることは嬉しい限りだったが、何よりも驚いたのが、本尊下の台座(国宝)に彫られた(鋳ぬかれた?)、シルクロード経由であろう、諸物だった。上段にあるギリシャ到来の葡萄唐草文様(ぶどうからくさもんよう)に始まって、その下にはペルシャ到来の蓮華文様(れんげもんよう)があり、4面の中央には、インドから伝わった力神(蕃人「ばんじん」)の裸像が彫られている。さらに最下段中央には、中国の四方四神=東の青龍(せいりゅう)、南の朱雀(しゅじゃく)、西の白虎(びゃっこ)、北の玄武(げんぶ)が刻られているのだ。現代人であっても、殆どの場合で写真や資料でしか得られない情報を、この時代の人々が知り得たということに驚きを感じた瞬間だった。

 続いて、金堂奥にある大講堂に入り、弥勒三尊像を拝観する。しかしながら、この三尊は何故か重要文化財とのこと。その違いは何処にあるのかは素人のボクには理解できなかったが、この三尊は何度か名前も変わっており、江戸時代には阿弥陀三尊として祀られていたそうであるし、制作年や制作場所を含めて謎が多いのだそうだ。そのせいか、心なしか金堂の薬師三尊とは扱いも違うように思えた。

 伽藍の東には東院堂があり、ここには聖観世音菩薩像(せいかんぜおんぼさつぞう)が祀られている。この像も薬師三尊と同時期の白鳳時代の制作ということで、作りは大変似通っているが、これまた国宝であるにも関わらず、至近距離で見ることができる。

●聖観世音菩薩像●


 薬師三尊にしても、聖観世音菩薩にしても、現代の我々は金メッキがはげ落ちて”枯れた銅の味わいが漂う”黒光りした状態で見るしかないのだが、往時の”金ピカ”であれば、どんな様子だったのかを想像しつつ、大寺院を造営するまでに皇后の病気平癒を願った天武天皇の愛と、その時代に生きた皆が恐れた病や死について思いを巡らせて薬師寺を後にした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出来過ぎ?の鷹巣沖

2014-09-13 12:30:00 | 船釣り・釣行記
■玄達瀬のガス抜き■

 以前にもこのブログで書いたように、今夏の玄達瀬では荒天のため「行くに行けぬ」状態になって、かなりのフラストレーションが溜まっていた中で、あえなく禁漁期を迎えてしまった。今回はその「ガス抜き」のために福井県鷹巣沖へと向かった。

 玄達瀬~鷹巣沖の釣りでは、いつも釣り船を斡旋してもらっている、越前フィッシングセンター(℡0776-22-1095)に予約を入れた際には「何が釣れるのかは、行ってみないと判らない」という状況だったが、その時点でのボクの心境は「竿を出したい一心」のみで、無欲の状態だった。
 ニュースも少なく、一抹の不安を抱えていた状況が変わったのは、「数は少ないが、ヒラマサの80cm、うまく行けば、90cm台ゲットも!」といった情報が、ポツポツと入り始めたあたりからだった。
 しかし、いつもの調子で、「そんな運がボクに回ることなんてないだろう。」と自虐的に捉え、「マダイがチョロチョロとアタるだけでも結構」といった感じで、釣行当日を迎えた。乗船したのは、この海域ではボクが一番信頼する船長が操船する、晴海丸さんだから「釣ること以外は余計な心配が要らない」ので、心理面で大いなる助けに感じていた。


■ミディアム・タックル■

 今回は勿論、オキアミエサの完全フカセで鷹巣沖を攻める。使用するタックルは、ボクにとってはミディアム・クラスであるところの、腰のしっかりした、7:3調子の完全フカセ釣り専用竿と、完全フカセ釣り対応電動リールにフロロ・カーボン製道糸6号を巻いたモノが基本。これに、極少の0号ボール・ベアリングスイベルを介して到着するハリスは一投目のみ7号、以降は8号6mの2本バリを使用した。
 一投目を7号ハリスとしたのは、ボクに「マダイに加え、例年初秋から回遊する75cmまでのヒラマサにも対応」との考えがあったためだったのだが、すぐに8号に変えたのは乗り合わせた釣り人との”空気感”から、何となく「アカン、アカン、そんなスケベ根性を出しては…、ここは男らしく、ヒラマサ専用で。」と思い直したためで、結局これが”冴えた勘”?だったとは、この時点では思いもよらないことだった。

●当日のタックル●


■遅い潮■

 福井新港を出て15分程のポイントに向かい、晴海丸はアンカーを投入した。
 当日は風が殆ど吹かない中、潮流もトロトロの遅い状態で、決してイイ状態とは思えなかった。それでも「前日よりはまだ動いている方」という、船長の言葉に期待を込めて第一投。まずはハリスと道糸の継ぎ目に極少のボール・ベアリング入り一個のみを着けた仕掛を流し込んでゆく。
 しかし、一投目はサシエが着いたままで戻ってきた。次いで二投目。流す距離を伸ばしてみたが、これにも変化が無く、その様子を見た船長が、もう一度アンカーを打ち直して船位の位置を調整する。
 そして三投目、これで初めてエサが取られることになった。そこで道糸に発泡ウキの6番を入れて、仕掛をやや浮かしてみることにした。効果があったのか、100mあたりでこの日初めてのアタリが出たが、スルスルッとリールが短く逆転しただけで、食い込まなかった。
 「オヤッ?」と思いつつ、四投目も同じセッティングの仕掛を流してみる。一流しに時間のかかる遅い潮に閉口しながらも、ようやく届いた100m付近で今度はビュンッ!と明確なアタリを捉えることに成功した。
 アワセを入れると、グイグイと力強く走る感触が伝わる。そして巻き取れずに唸るばかりの電動リールの悲鳴から、良型のヒラマサだと判断し、腰を落として踏ん張りながら対処する。

●良型ヒラマサの引き●

  やり取りに入ってからは、道糸の伸びによるクッション吸収性を信じて強引に短時間で引き寄せてきたためか、相手は弱っておらず、足下に来てもかなり突っ込みを繰り返す。ようやく船長がハリスを掴んだ後もシツコク潜ろうとするので、ここから先は殆ど船長の手釣り状態になっていた。そのため「誰の釣果か判らんな?。」なんて冗談を言いつつも、ようやく玉網内へ。 

●ついにグロッキーのヒラマサ●

 早速、丸々と太ったコンディションの良い魚体を採寸すると、84cm。まずは1本ゲットで一安心の境地だった。

●84cm!●

 サイズ的には、例年の鷹巣沖であれば最大クラスだが、今年は90cm台も出ているため、まだまだ大喜びはしていられない。魚の処理を済ませた後は仕掛を交換し、更なる大型を求めて投入を繰り返してゆく。


■ポツポツと■

 ヒラマサを釣った後も同じセッティングで攻め続けていたが、サシエサが盗られ、「もう一回盗られたら、発泡ウキのサイズを上げて仕掛を浮かそう。」と思うと、今度は残るといった状況で、どうもパターンが掴みにくい。
 9月の初旬であり、しかも流れが緩いという条件であれば、エサ取りがわんさか沸いてきてもおかしくない状況であるから、「本命の大型魚が近くにいるため、エサ盗り達がビビッているのだろう。」と、この状況を好条件として受け止め、気合いを入れて流し続けてゆく。

 そうこうするうちに我慢ができなくなって発泡ウキのサイズを上げたが、その仕掛が75mでアタリを捉えることに成功する。

●一時間後のアタリ●

 竿を叩く特有の引きは、マダイのそれとすぐに判断できた。そして難なくゲット。

●64cmのマダイ●


 このマダイの後も、次のアタリまでが遠く、ラインが走ったのは1時間程経過した後だった。しかし、それらは全て中型マダイのアタリだった。この間、舳先側に座っていた釣り人が70cm台中盤のヒラマサを上げて、一人気を吐いていた。

 一度アタリが出ると、その後一時間はアタリが出ないという、ポツポツ状況であるため、「待ちの釣り」を強いられるが、ボクはせっかちであるが故に、中盤に差し掛かった頃には我慢できず、仕掛に手を加える機会が増えていた。普段であれば、これが当たることも多いため、この日も発泡ウキの浮力や、流し始めに手で強制的に送り出す量の、きめ細かい調整を繰り返していたが、そういった「攻めの釣り」でアタリが増えることはなく、やがては八方塞がりに陥っていた。
 切っ掛けが掴めず迷いに迷う中、舳先側の釣り人が70cm台中盤のヒラマサを追加したため、その人の仕掛を確認してみることにした。その結果、仕掛を強く浮かせる方向ではなく、全体の総合バランスからすると、ボクが朝釣ったヒラマサと同じような層を流しているように思えた。
 そして、思考を巡らせた結果、「ヒラマサは、同じ層でウロウロしていて、ヤル気の出たタイミングで食う」という、結論に達し、最初にアタった発泡ウキ6番を一つ装着した仕掛に戻してみることにした。


■まさかのサイズ■

 セッティングが元に戻った仕掛の到達距離は100mに差し掛かっていた。これまでアタったヒラマサは全てが100m近辺だったので、船長と二人で「アタるハズの100mを越えてしまった…。」と話していた矢先の108mで、ついにビュンッ!とリールが急速逆転を始めた。
 予想したタナで、それも数m遅れたただけの、ほぼドンピシャのタイミングで出たアタリだったために、自分に酔いたい気分だったが、その間もなく強烈な締め込みが竿を絞り込んでゆく。

●デカいゾ!●

 またもや巻き取りが止まり、ウンウンと唸るだけの電動リールの様子から、大型ヒラマサと確信し、ドラグ調整と竿のタメを駆使して徐々に相手との距離を詰めてゆく。その心得は、「柔よく剛を制す」の柔道と同じ精神だ。
 一匹目は早く寄せすぎたために、足下で時間をとられたが、今回は途中で充分に時間を掛けていたため、船長がハリスを掴んだ段階で大きく暴れることはなかった。しかし、目視の範囲に入った段階で、その大きにはビックリさせられた。

●朝一よりも確実にデカい!●

 無事にゲットできたヒラマサは、ボクの鷹巣沖記録であるところの、80cmを大きく越える、101cm(拓寸)だった。

●101cm!●

 船長も、このサイズには驚いたようで、光栄なことだが、晴海丸にとっても鷹巣沖での最大記録だそうだ。
 最初の強烈な疾走時に、変な抵抗を感じていたから、「少々ヤバいかな?」と思っていたが、仕掛をチェックすると、案の定8号ハリスは数十センチにわたって根ズレを起こしていた。これが7号以下だったら恐らく飛んでいただろうから、「最初の判断が生きた」と感じた瞬間だった。


■紆余曲折■

 このヒラマサで答えが出たため、以後はセッティングを変えずに同じタナを攻め続けたが、三度目のアタリを捉えたのは、またもや1時間ほど経った後だった。これまたヒラマサに違いなかったが、足下まで引き寄せたあたりでハリ外れが起こり、あえなく逃してしまった。そして、それ以降は最終までアタリを捉えることはなく、この日の釣りが終わった。

 振り返ってみると、この日は同じタナで粘るべきだったようだ。勿論これは紆余曲折した後の結果論だが、当日のような状況では、このような判断も必要と痛感した次第である。
 101cmを獲り、出来過ぎには違いない結果だったものの、「もう少し早く気付いていれば、あと2~3本はイケたのでは?」と、「たら・れば」の皮算用をしてしまうところが釣り人心理であり、この趣味が簡単にはヤメられない要素でもあるのだが…。

●三人分の釣果●


 秋に入ったばかりの鷹巣沖だが、今後中マサクラスの本格的な回遊が始まらない限り、今シーズンのヒラマサのサイズは大きく、個体数が少ない傾向になると思われる。であれば釣り人側も心して懸からねばならず、マダイ+アルファ狙いの6号ハリスや、ボクも当初はそう考えていたが、メジロや中マサと共用で7号ハリスなんてナメたことは考えないで、最大クラスに対応した仕掛を使用すべきだ。同時に、ベロンベロンのムーチング竿の使用も”??”で、青物対応の、腰のしっかりしたモノを持ち込み、万全の体制で挑まないと、手痛いしっぺ返しを喰らうだろう。
 ライトタックルを使用した結果、「6打数で1安打で、そこそこサイズが1本。」「それにしても、あの時バラしたのはデカかったな~。」なんて自慢にならないことはヤメにして、専用タックルを使用し、「3打数3安打で、大型3本!。」を目指そうではないか!。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2年ぶりのタテ釣り

2014-09-06 12:30:00 | 船釣り・釣行記
●最初は意気込んでいたが…●


 昨年度は荒天のため、乗船することは叶わず、一度も竿出しできなかったタテ釣り。今期は2年ぶりに挑戦するも、初回は惨敗だった。サビキ仕掛にかかる豆アジや、ウルメイワシといったベイトの乗り具合は朝、夕はそこそこ、昼間は渋い状況だったが、潮が動いておらず、本命のフィッシュイーター達の活性はイマイチだった。

 マシな引きをしたのはハマチだけ、後はアジとガシラがチョロチョロ…。何とも情けない結果に終わった。

●ハマチが相手じゃ…●


 それでも同船者の内のたった1人ではあるが、ヒラメを3枚釣っていたので、言い訳はできない。ボクの腕が「ヘボ」ってことだろう。
 次回に期待するしかない…。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする