中島ブラザーズ ”弟”の「外で遊ぼう!」

近頃は日本海で、ヒラマサを追ってばかり。よって磯釣りや渓流釣りは休止状態ですが…。

妙心寺

2013-02-23 12:30:00 | 旅行
■妙心寺へ■

 今回は京都市右京区にある妙心寺を訪問した。
 ここは臨済宗の中でも最大の宗派だそうで、その実、寺域はかなり広く、塔頭の数もかなり多い。創立者は花園天皇で、創建は1342年だそうだ。

●広大な境内の案内図●

 境内の中心部はフラットだが、三門をくぐって真っ直ぐに歩くことは叶わず、左手に三門、仏殿、法堂、大方丈と横に見ながら奥へと進んでいくことになる。

●三門●

●仏殿と法堂●

 ここを訪問したかった一番の理由は法堂の天井に描かれた狩野探幽筆の雲龍図が見たかったからだが、これを拝観するには案内係の先導がある。一定の時間単位での案内になるので、それまでの間、大方丈を覗いてみる。ここの前庭には勅使門があって、白い盛砂が二つある。これについては以前に勉強したが、これもまた清めの意図だろう。

●大方丈の勅使門と盛砂●

 時間が来て、ついに法堂内部に入る。入ってすぐに解説が始まる。見上げるとそこにはお目当ての龍図があった。この龍図の直径は12mで、8年の歳月を要して描きあげたとされるが、一度立てかけて描いた物を天井に張ったそうだ。龍の目は中心付近に描かれるが、見る角度によって、その表情が変化することから「八方にらみの龍」と呼ばれているそうだ。また、立ち位置によっては下から昇ってくるように見えたり、上から降りてくるようにも見える。

●内部は撮影禁止につき、パンフレットからの撮影●

 雲龍図は重要文化財だが、法堂内にはそれよりもランクが上の国宝が納められている。これについては全く予備知識がなかったので、驚いたが、年号が刻まれた中では現存最古(698年)の梵鐘が納められているのだ。この梵鐘、実は昭和48年までは実際につかれていたそうで、NHKの、行く年来る年での”梵鐘リレー”では最初の一つき目がこの梵鐘だったそうだ。しかし、これ以上つくと割れが出る可能性があることから、この法堂内に納められているということだった。そしてここではその梵鐘を眺めながら、録音された音を確認するだけにとどまるのだが、それでも、深みのあるその音は悠久を偲ぶに足るものであった。


■経蔵■

 常時公開部とは別に、800もの引き出しに6524巻の経典を納めた八角形の回転式の経庫が設置されている、経蔵が特別公開されていた。(3月18日まで)回転式になっているのはチベット仏教などでお馴染みのマニ車(摩尼車)と同じ意味合いだそうで、一回転させると全巻を読んだことと同義になり、回転させた数だけ功徳があるとされているそうだ。

●ここも内部は撮影不可●


■退蔵院■

 妙心寺の数多くある塔頭の中でも、常時公開されて見所とされているのが退蔵院(たいぞういん)で、境内入り口の案内所でも”お薦め”と教えていただいていた。
 内部には水墨としては初期(室町時代)に画かれた国宝の瓢鮎図(ひょうねんず)があったそうだが、本物は京都国立博物館に所蔵されていて、実際に見られるのは模写、それも無造作に置かれていることから、ここでの見所は庭園になる。
 中でも室町時代の画家である狩野元信の作と伝わる枯山水庭園は元信の庭と呼ばれているが、一般に絵師による造園は珍しいようで、そのせいか、通常の枯山水庭園よりもカラフルな印象がある。

●元信の庭●


 元信の庭を過ぎて奥へ進むと、そこには余香苑(よこうえん)という庭に出る。

●余香苑●


 ここは昭和の小堀遠州と称された造園家、中根金作氏が設計し、1963年から3年をかけて完成した庭だ。その入り口には小道を挟んで枯山水様式の陽の庭と陰の庭とが対となって配置されている。

●白砂の陽の庭●


●黒砂の陰の庭●


 余香苑はその意図するところと配置が巧みで、冬枯れの時期なのに色があって楽しめる素晴らしい庭だった。しかし、上述したように、これは昭和の作でボクとほとんど同い年になる。ということはそれ以前は違っていたハズで、それはどんな庭だったのだろうか?。そのことが気になって仕方がない。チョッと調べてみたくなった。



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龍安寺界隈

2013-02-16 12:30:00 | 旅行
■衣笠方面へ■

 釣りに行けない日の京都巡りは続いているが、今回は京都市街の北西部にある衣笠方面へと向かった。
 この一帯では修学旅行等でお馴染みの金閣寺(鹿苑寺)が超有名どころだけれど、そこに行ってはあまりにベタなので、そこから南西方向へと僅かに下ったところにある、龍安寺(りょうあんじ)を訪問することになった。

●衣笠に来ると、正面に見える大文字山●


■権太呂■

 この日も到着がお昼になったので、とりあえずは腹ごしらえとばかり、京都ではよく知られている麺処の一つである、権太呂(ごんたろう)金閣寺店に入った。前回の「銀閣寺前で”おめん”」に引き続き「金閣寺で”権太呂”」と相成ったワケだ。

●権太呂金閣寺店●

 店内の席について、メニューの中の覗いている内に、つい目に入ったのが「たいたん」と言う表現だった。「たいたん」を標準語的に記せば「煮物」ということになる。関西で煮ることをご飯と同じように「炊く」と言う。落語家の大喜利ネタのように「たいたもの」→「たいたん」と変化して現在に至るのだが、この言葉は同じ関西人でも昭和生まれ世代しか理解できないと思うし、たとえその世代であっても今や使うことはほとんどない言葉=死語に近い状態だ。

●「たいたん」が並ぶメニュー●

 それがこの京都ではごく当たり前のように、メニューに書かれていることに変に感心していたのだが、結局はボクが鶏なんばそばを、妻が湯葉あんかけそばを注文する。

●鶏なんばそば(セットメニュー)●

 権太呂のそばは、そば粉100%ではなく、山芋がブレンドされ、恐らく小麦粉も多く入っているのであろう。この食感は昔から小麦文化のある関西で受け継がれてきたタイプであって、そばの香りがプ~ンと漂い、それを硬めの喉越し感で味わう感じではないが、それが関西人にとってはどこか懐かしく、「あ~、これこれ」と思わせるモノであった。また、ダシは秀逸であり、それだけを飲んでも幸せになるような味わいだった。

 そして、権太呂を後にすると、龍安寺へと向かう。

■龍安寺■

 龍安寺は山号を大雲山と称する臨済宗の禅宗寺院で釈迦如来を本尊としている。創建者は細川勝元だから、開山は応仁の乱に近い時代になる。そしてその応仁の乱によって創建僅か十数年後に焼失したが、その子細川政元が再興した後は、豊臣秀吉と江戸幕府の庇護を受けて現在に至るそうだ。

●境内図●

 寺の南側に境内面積の三分の一以上を占める鏡容池(きょうようち)があって、それを取り囲むような回遊式庭園が展開されているのだが、訪問時は冬枯れの真っ最中だったため、彩りの数が少なく、殺風景の一歩手前の状態だった。しかし、桜や新緑の春、紅葉の秋、はたまた降雪時には絶景になることは間違いはなく、そのタイミングに訪れたくなる大きな庭園だった。

●盛期には「さぞや」の庭園●


■石庭■

 龍安寺を世に知らしめるものとして、上述の回遊式庭園の他に「龍安寺の石庭」と称される方丈庭園がある。この石庭は世界的に有名であるそうだが、これはイギリスのエリザベス女王が日本を公式訪問した際に、ここを自ら希望して見学し、絶賛したことに由来するそうだ。

●石庭のミニチュア●

 禅宗寺院の方丈庭園なので「枯山水」であることは当然として、大海を表現する白砂の上に浮かぶ石は山や島を現す基本ルールもその様式に沿ったモノだが、その石がこの庭では15個配置されている。そして、石は庭のどの位置から見ても一つが隠れてしまい、全てが見通せないとされているのだが、一説では「部屋の中からであれば、全てが見える位置が一箇所だけある」というのもあって、それぞれでこの庭に対する解釈が違って論議を呼んでいるそうだ。

●この角度でも全てを見通せない●


■知足のつくばい■

 方丈内、石庭の反対には有名な「知足のつくばい(蹲踞)」が置いてある。つくばいとは茶席で身を清めるための水を溜める石製の鉢(=手水鉢=ちょうずばち)を指すが、このつくばいは、かの水戸光圀(水戸黄門!)が寄進したと言われている。

●この”つくばい”はレプリカ●

 つくばいに刻まれた文字は真ん中をへんやつくり等の”口”として、上から時計回りに読むと「吾(われ)」「唯(ただ)」「足(たる)」「知(しる)」=「吾れ唯だ足るを知る」となる。つまりは「欲を張らず、現状に感謝しろ」ということなのだろう。これは石庭の「どこから見ても石の全て(15)は見えない」というところから来たという説もあるそうだが、定かではない。
 しかし、このつくばいを眺めつつも、凡人であるボクなんかがその意図する境地には至ることは残念ながら不可能のような気がしていた。よくよく考えてみれば、これは光圀公のような一度は100%近くに上り詰めたことのある人にとっての「下り」の80~90%あたりであるような気がする。ボクのように「上り」の80%に届くのかどうかすら判らない人間にとっては、届くことはなくても、遙かな頂の100%を目指して邁進することが日々の努めであり、それがあるからこその自身の向上であるように思えた。

●拡大すると…●


 作家の司馬遼太郎氏は講演の中で「禅の道は厳しく、達人でなければ境地に至らない」との言葉を遺している。まさしくその通りだと思うのだが、たとえ煩悩にまみれたボクであっても、庭や絵画、その他を通じてその精神に触れることによって頭の中でグルグルと思いが駆け巡るところが心地良い。だが、そんなことをつい考えさせられてしまうのが禅の一つの意味であるのかも知れず、こうして稚拙な禅問答は始まり、続くのである。
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三度舞鶴沖へ

2013-02-09 12:30:00 | 船釣り・釣行記
■またもや舞鶴へ■

 このところ、沖釣りのレポート続きだが、その例に漏れず、今回も舞鶴沖へと出漁した。
 利用したのは前回同様の、滝ヶ浦遊船所属の日本海丸だ。前日の波浪予報では「北の風・波高は2m後1m」だったので、前日の船長との打ち合わせの段階では、念のために時間を1時間遅らせての出港ということになっていた。
 しかし、予想外に前夜の風が強く吹いたのか、朝5時の予報では「波高が3mのち1m」に訂正されていた。このため、当日朝には「湾口で様子を伺い、波が高ければ引き返す可能性有り」という、条件付きでのスタートになっていた。

●滝ヶ浦遊船所属の日本海41●

 過去に、途中で引き返した経験が何度かあるために、最悪の事態が頭によぎったが、「冠島方面ならら何とかなるだろう」との判断から一路そちらを目指すことになった。

●冠島近くに到達●

 冠島の大島近辺に到着してから、船長は付近の魚礁に対して丹念に魚探をかけたが、空き家状態のところも多く苦労をしているようだったが、何カ所か目にようやくそれらしき反応を見つけ出してアンカーを降ろした。

●最初のポイントは90mライン●

 このポイントでは天秤ズボ釣りで直下付近を狙うことになった。勿論狙いはメダイだ。

●天秤ズボ釣りでスタート●

 しかし、魚探に出た反応の割には活性が低く、あまりエサを取られない。
 実は、この活性の低さは今冬の若狭湾全般の様子を示している。前回の釣行記特でも触れたが、今冬のメダイは全体量が少なく、以前のように大きな魚礁に多くの量が回遊するといった傾向ではなく、小スポットに小さくまとまって回遊しているようだ。従って一船二桁の釣果が出ていても、その横に居た船はゼロといった具合に釣果の差が激しいようだ。そのため、福井県小浜市から出港しているメダイ狙いの船が、近頃では「狙いモノ変更」とホームページ上で謳っているほどなのだ。
 案の定、このポイントでの答えは出ないままに、切り上げとなり、収まりつつあった波の様子から、経ヶ岬前の白石グリ方面へ途中の魚礁での反応を確認しつつ、船を走らせることになった。

■白石グリ■

 白石グリでは完全フカセで攻めることになる。

●100m付近からカケ上がる白石グリの海底●

 潮流はトロッと流れる程度で、100m流すのに15分程度もかかる速さだった。この速さは前回攻めた際よりもやや遅い程度であったし、船を掛けた位置も似たような水深だったので、最初の送り出し(手たぐりで一気に道糸を海面に放出させて無抵抗で送り出す作業)量を初めから前回の成功パターンと同様の40mとして流し、様子を伺うことにした。

●隣はブンブン丸●

 開始当初は120m近辺まで流ことを繰り返してエサの取られ具合をチェックする。そしてそれを手がかりに発泡ウキで浮力をつけてタナ調整をするが、何しろ1時間あたりで流せる回数が4回弱では時間がかかりすぎるので、効率が悪い。
 焦りながらも調整を繰り返し、一時間ほど経った頃、ようやくリールが急速逆転してアタリをキャッチする。しかし、さしたる抵抗もなく上がってきたのは45cmほどのツバスだった。
 そういえば、他船のホームページでは釣果報告としてツバスの大漁?を載せているところもあるので、「こんなのに取り囲まれたら鬱陶しいな。」と思っていた矢先、隣の同船者の竿が大きく曲がって狙いのメダイを釣り上げた。これが80cmほどのサイズだったので、下り気味だったこっちの気分も高まってくる。
 ここで、「エサが残らないのなら、試しにイカの短冊もハリに刺してみて。」という、船長のアドバイスがあり、ここで上バリにイカの短冊、下バリにオキアミというパターンに刺し替えて様子をみることにした。

●当日用意したオキアミとスルメイカの短冊●


■待望のアタリ■

 刺しエサのパターンを変えた一投目、リールが猛烈に逆転し始め、同時にリールのアラーム音が鳴りだした。即座にスプールを指で押さえながら竿を立てて様子を伺う。そしてクラッチを入れるとリールのドラッグ滑らせて道糸を一気に20mほど引き出すほどの強引で、その様子から、まさしく相手は大型のメダイと確信する。

●メダイと格闘中!●

 ハリスは「マダイも欲しい」とのスケベ根性から6号を使用していたので、メダイ狙いとしてはやや細めになる。よって、ドラッグは緩めの設定で時間を掛けて獲ることを頭に入れてのやり取りだ。
 「巻き取っては引き出され」を何度か繰り返して徐々に相手との距離を縮めてゆく。途中で何度も締め込みがあったが、最後のハリス分を手繰りで引き寄せる部分も無事に通過し、無事に玉網へと誘導できた。

●待望の大型メダイ●


●83cm!●

 大本命だった大型メダイを手にしたことで、気分も上々。現金なもので、以後の釣りへの展開もこれでスムースになる。
 ゲットの後は仕掛を点検し、引き続いて仕掛を流そうとしたが、ここで少しの迷いがあった。
 先ほどのメダイは2種類のエサのうち、下バリのオキアミを食っていた。そこで、2本ともオキアミにして効率を高めることも一つの手になるのだが、その前に上バリにイカの短冊を刺していたことがメダイのタナに仕掛が入る要因だった可能性もあるわけで、ここが思案のしどころだったが、ボクは結局後者を選んだ。そして、次のアタリが出るまでは一時間ほど経過したが、この選択は間違っていなかった。

●これまた大型のメダイの引きだ!●

 今度のアタリも大型メダイであることは間違いなく、その実途中で執拗な締め込みを繰り返す。
 腰を落として踏ん張り、何とかそれを凌いでのやり取りを繰り返し、無事に玉網へと誘導する。「ドタッ!」という音と共に船内に横たわる姿を確認すると、先ほどのモノよりやや型が大きいようだ。

●今度は85cm!●


■猛烈な引き■

 85cmゲットからまたもや一時間ほど経って、三度目のアタリがボクの竿を襲った。今度も間違いなく大型メダイとの予想がついたが、その引きは、それまでとは違って一筋縄ではいきそうにない、この日一番の強烈なモノだった。
 相手は、まず始めにボクの釣り座であるトモ(船尾)の右舷から対角線の船首方向に突っ走った。そのままで引っ張り合いをすると、スクリューや舵に巻き付いて一発で仕掛が飛んでしまう。そこで竿を海中に深く突っ込んで回し込むことを即座に判断し、道糸の巻き付きを回避する。
 作戦が成功して道糸が安心できる角度と方向になったことを確認し、体勢を整えてリールのクラッチを入れた時点での距離は85mだった。そこから更に全力で走られて105mになった頃からやり取りを開始する。
 ハリスはこの日を通して6号のままだったので、慎重にならざるを得ず、相手も、「ドラグ設定が緩い」という、こちらの弱みを見越してか、何とか道糸を巻き取っても同量を引き出してゆくから距離がなかなか詰まらない。
 一進一退の攻防を繰り返す中、少しずつ相手の隙を狙って距離を詰めてゆく。だが、ようやく50mを切った辺りで、息を吹き返したように強烈な走りが始まって、またもや道糸が20mほど引き出されてしまった。そしてそれ以降は何故か急激に重さが増してることに気付くのだが、当初はこれが何の理由だか解らなかった。そして同時に時折「ゴリゴリッ!」と何かに擦れる感触がボクの手に伝わるようになっていた。
 「もしかすると、アンカーロープに触れているのか?」と思い、そうなると力の入れ加減が難しくなるため、それまでの電動巻き上げから手巻きへと移行させて様子を伺うことにする。
 それでもしばらくの間は50~40mの間での攻防が続いていたが、弱った気配が感じられたのを機に、勝負を懸けて一気に浮かすことにした。
 竿を竿受けにセットし、ハリスをたぐる頃になると、魚影が見え出すのだが、確認するとビックリ!。
 「ダブルで掛かっている!」それもかなりの大型だ。
 そして程なく、二匹とも無事に玉網内に収まったのだが…。

●これまたヘビー級●

 しかし、船長は玉網内に導入した時点で、あることに気付いていた。それを聞いてボクはガックリとなる。ダブルだと思ったのが、実はボクがやり取りをしている最中に船長の仕掛にもメダイが掛かり、それと絡み付いていたのだ。これでやり取りの途中での、変な動きに説明がつくことになる。
 当然、魚は掛かったハリ=仕掛の所有者の権利となるので、一匹ずつの持ち帰りになる。
 「労多くして益少なし」とはこのことだが、やり取りを二匹分味わえたことは「ある意味幸せ?」なのかも知れない。
 しかし、ボクのハリに掛かっていた方が91cm、船長のハリに掛かっていた方がそれよりやや小さい88cmほどだったことは溜飲が下がる瞬間だった。

●91cmの大メダイ!●


 91cmを釣った後は残り一時間ほどになったが、船長がもう一匹メダイを追加した後は、風向きが変わり、上層と中層以下の流れる方向が違う二枚潮になって全く気配が無くなった。
 そして、そのまま何も起こらずに納竿時間を迎えた。


■一日を終えて…■

 当日はポツリポツリとアタる展開だったが、全てが大型であり、スリリングなやり取りが楽しめて幸せな気分だった。「幸せ」と言えば、アフター、すなわち家に帰ってからのメダイづくしもそうだが、期待に違わず「平造り・カマの塩焼き・鍋物・西京漬け」その全てに於いて味わいは絶品だった。
 今年は特に数が少ないだけに貴重品であるメダイだが、今シーズンはあと何回幸せな気分になれるのだろうか?…。次回の釣行が待ち遠しい今日この頃である。
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哲学の道をぶらぶらと

2013-02-02 12:30:00 | 旅行
■哲学の道■

 哲学の道とは琵琶湖疏水沿いに続く小道の若王子神社付近から銀閣寺(慈照寺)までの間を指し、春の桜の開花期と秋の紅葉期にはたくさんの観光客がこの道沿いを散策するそうだ。


●スタート地点は銀閣寺界隈●

 全長は1.8kmなので、往復+寄り道をすれば4km以上になるので、半日掛けるのが丁度良い時間配分になる。
 冬型の季節風が強まって、この日も釣行が中止になったことを受けて、妻と二人でこの界隈をぶらり散策に出かけることになった。

●石畳の小道が1.8km続く●


■麵処■

 上述したように昼からの半日コースだったので、まずは北側からのスタート地点である、銀閣寺近くの「名代 おめん」で昼食をとることにした。
 京都市内とニューヨークにある「おめん」の本店がここで、ファンも多いと聞く。

●おめん 銀閣寺本店●

 メニューはうどん、それもつけ麺タイプがメインになっている。

●冬のメニュー●

 京都名物も多々あるが、その一つに鯖寿司がある。その昔、現在の福井県小浜市から塩で締めたサバを背負った行商人達がこの京都にやってきて商いを行っていた。その彼らが通った道が鯖街道と呼ばれ、その道沿いにも鯖寿司を売る店が点在しているが、超有名店の”いづう”も東山区(祇園)にあることから、どちらかと言えば街道の延長である京都の東側に広がっているように思える。ここ、おめんも京都の同様の立地にあるせいか、鯖寿司がメニューにあって、それとのセットを夫婦共々注文する。
 
●おめんと鯖寿司とのセット●

 近頃ブームの讃岐うどんばかりを食べていたせいか、正反対の柔らかで優しい食感とツルッとスムースな喉越しの麺を上品な味わいのダシに浸けて食べるスタイルは、「これぞ京うどん」と思わせる物であった。
 また、ここ独自の、きんぴらごぼうを始めとする野菜系の薬味と、オリジナル・スパイスの”七味+1”の八味を始めとする和風スパイスを組み合わせて味に変化をつけるスタイルは、初めての経験であり、新鮮であった。

●ジャパニーズ・スパイスの数々●



■法然院■

 ”おめん”を満喫した後は、哲学の道を南下する。そして途中の法然院(ほうねんいん)に立ち寄るため、標識に従い、左折して境内を目指す。

●法然院の三門(山門)●

 法然院と言うだけに、浄土宗系の寺院だが、その見所は三門下にある盛砂=白砂壇(びゃくさだん)だろう。白砂壇は水を表すということだ。従ってここを訪れる者は、空門・無相門・無願門の三境地を経て仏国土に至るという三門をくぐり、白砂壇の間を通ることで心身共に清めた後に浄域に入ることになる。

●白砂壇(びゃくさだん)●

 質素かつこぢんまりとしていながら、品のある境内は好感の持てるモノで、ここに谷崎潤一郎を始めとする著名な学者や文人の墓があるのも頷けるような気がする。


■熊野若王子神社■

 法然院を後にして再び哲学の道を南下する。途中、小洒落た店や京都らしい茶店タイプの喫茶店が点在するが、思ったほどには店数は多くはなく、自作の絵画や絵はがきを売る人が居たりで、そのことが「哲学の道」の雰囲気を逆に醸し出しているようにも思える。
 そして、最終地点にあるのが熊野若王子(くまのにゃっこうじ)神社だ。
 ここは京都発の熊野詣の際に起点となるところで、古人はここで身を清めてから、はるばる紀伊の熊野までの参詣に出立していたそうだ。

●熊野若王子神社(くまのにゃっこうじじんじゃ)●


■永観堂へ■

 熊野若王子神社の前で哲学の道が終わり、南西方向へ少し降りてゆくと、永観堂がある。

●永観堂●

 この寺は禅林寺永観堂というのが正式名称だが、”禅”の文字が入るので、予備知識を持たずに訪問したため、禅寺か?とも一瞬思ったが、浄土宗の寺院だった。したがって、ご本尊は阿弥陀様ということなる。そしてここの境内は秋の紅葉の美しさで全国に知られている。

●秋の紅葉時の写真が載るパンフレット●

 御堂の数も多く、内部には長谷川等伯の襖絵などもあって見る者を飽きさせない。
 面白かったのは天皇の使いが出入りするときに使われた勅使門だった。法然院と同じように白砂が釈迦堂との間に盛られているのだが、こちらは一山しか無いのだ。解説を読むと、勅使はこれを踏んで身を清めてから、中に進んんだそうだから、”清める”という意味は同じでも使い方は違うのだ。

●勅使門と盛砂●


 回廊状になった内部を進み、やがて本堂へと到達する。ここには珍しい「みかえり阿弥陀さま」と呼ばれる阿弥陀様が納められている。勿論、像を含めた内部は撮影不可になっているので写真はないが、その周囲を気遣うかのようなお姿はやさしく、見る者に安らぎを与えてくれる。

●本堂前の柱部の装飾●

 本堂から、元来た通路を一旦下り、開山堂へと向かう。その間をつなぐ階段状の廊下は臥龍廊(がりゅうろう)と呼ばれるが、その姿はまさしく”龍が如く”であった。

●臥龍廊●

 各御堂を巡った後は、一旦外へ出て多宝塔を目指す。 

●多宝塔●

 多宝塔からは真正極楽寺あたりから東山方面を見渡すことができる。

●多宝塔からの風景●

 これで境内を一通り巡り終えたが、人の少ない今はゆっくりと境内の襖絵や仏像を見ることができる反面、景観は紅葉期のようには行かず、庭の木々は冬枯れの“わびさび”の永観堂だった。

 境内を出ると少し時間があったので、南禅寺の境内を歩いた後に、来た道を引き返すことにした。

■よーじやカフェ■

 哲学の道を北上し、往路でチェックしておいた「よーじやカフェ」で休憩することにした。

●お馴染みのよーじやのロゴが描かれた看板●


 よーじやと言えば舞妓はん御用達の”あぶらとり紙”が超有名だが、最近ではカフェ事業に力を入れているようだ。京都市内の「ここぞ」といった観光名所の他、羽田空港にまで進出しているが、ホームページで確認する限りこの銀閣寺店が一番和情緒にあふれ、最も京都らしく思える。恐らくこの店は民家を改築しているらしく、当然と言えば当然だ。
 ドリンク類やケーキは結構なお値段だったのだが、その味わいはそれだけの価値があるものだった。

●2階の様子と抹茶カプチーノ●


●2階からの眺め(奥によーじやの店がある)●


 紅葉期には「さぞや」と想像できるこの界隈。人混みになるのは間違いないだろうが、それが解っていても、いつしかその時期に訪問したくなる「感じのイイ」ロケーションだった。
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