■妙心寺へ■
今回は京都市右京区にある妙心寺を訪問した。
ここは臨済宗の中でも最大の宗派だそうで、その実、寺域はかなり広く、塔頭の数もかなり多い。創立者は花園天皇で、創建は1342年だそうだ。
境内の中心部はフラットだが、三門をくぐって真っ直ぐに歩くことは叶わず、左手に三門、仏殿、法堂、大方丈と横に見ながら奥へと進んでいくことになる。
ここを訪問したかった一番の理由は法堂の天井に描かれた狩野探幽筆の雲龍図が見たかったからだが、これを拝観するには案内係の先導がある。一定の時間単位での案内になるので、それまでの間、大方丈を覗いてみる。ここの前庭には勅使門があって、白い盛砂が二つある。これについては以前に勉強したが、これもまた清めの意図だろう。
時間が来て、ついに法堂内部に入る。入ってすぐに解説が始まる。見上げるとそこにはお目当ての龍図があった。この龍図の直径は12mで、8年の歳月を要して描きあげたとされるが、一度立てかけて描いた物を天井に張ったそうだ。龍の目は中心付近に描かれるが、見る角度によって、その表情が変化することから「八方にらみの龍」と呼ばれているそうだ。また、立ち位置によっては下から昇ってくるように見えたり、上から降りてくるようにも見える。
雲龍図は重要文化財だが、法堂内にはそれよりもランクが上の国宝が納められている。これについては全く予備知識がなかったので、驚いたが、年号が刻まれた中では現存最古(698年)の梵鐘が納められているのだ。この梵鐘、実は昭和48年までは実際につかれていたそうで、NHKの、行く年来る年での”梵鐘リレー”では最初の一つき目がこの梵鐘だったそうだ。しかし、これ以上つくと割れが出る可能性があることから、この法堂内に納められているということだった。そしてここではその梵鐘を眺めながら、録音された音を確認するだけにとどまるのだが、それでも、深みのあるその音は悠久を偲ぶに足るものであった。
■経蔵■
常時公開部とは別に、800もの引き出しに6524巻の経典を納めた八角形の回転式の経庫が設置されている、経蔵が特別公開されていた。(3月18日まで)回転式になっているのはチベット仏教などでお馴染みのマニ車(摩尼車)と同じ意味合いだそうで、一回転させると全巻を読んだことと同義になり、回転させた数だけ功徳があるとされているそうだ。
■退蔵院■
妙心寺の数多くある塔頭の中でも、常時公開されて見所とされているのが退蔵院(たいぞういん)で、境内入り口の案内所でも”お薦め”と教えていただいていた。
内部には水墨としては初期(室町時代)に画かれた国宝の瓢鮎図(ひょうねんず)があったそうだが、本物は京都国立博物館に所蔵されていて、実際に見られるのは模写、それも無造作に置かれていることから、ここでの見所は庭園になる。
中でも室町時代の画家である狩野元信の作と伝わる枯山水庭園は元信の庭と呼ばれているが、一般に絵師による造園は珍しいようで、そのせいか、通常の枯山水庭園よりもカラフルな印象がある。
元信の庭を過ぎて奥へ進むと、そこには余香苑(よこうえん)という庭に出る。
ここは昭和の小堀遠州と称された造園家、中根金作氏が設計し、1963年から3年をかけて完成した庭だ。その入り口には小道を挟んで枯山水様式の陽の庭と陰の庭とが対となって配置されている。
余香苑はその意図するところと配置が巧みで、冬枯れの時期なのに色があって楽しめる素晴らしい庭だった。しかし、上述したように、これは昭和の作でボクとほとんど同い年になる。ということはそれ以前は違っていたハズで、それはどんな庭だったのだろうか?。そのことが気になって仕方がない。チョッと調べてみたくなった。
今回は京都市右京区にある妙心寺を訪問した。
ここは臨済宗の中でも最大の宗派だそうで、その実、寺域はかなり広く、塔頭の数もかなり多い。創立者は花園天皇で、創建は1342年だそうだ。
●広大な境内の案内図●
境内の中心部はフラットだが、三門をくぐって真っ直ぐに歩くことは叶わず、左手に三門、仏殿、法堂、大方丈と横に見ながら奥へと進んでいくことになる。
●三門●
●仏殿と法堂●
ここを訪問したかった一番の理由は法堂の天井に描かれた狩野探幽筆の雲龍図が見たかったからだが、これを拝観するには案内係の先導がある。一定の時間単位での案内になるので、それまでの間、大方丈を覗いてみる。ここの前庭には勅使門があって、白い盛砂が二つある。これについては以前に勉強したが、これもまた清めの意図だろう。
●大方丈の勅使門と盛砂●
時間が来て、ついに法堂内部に入る。入ってすぐに解説が始まる。見上げるとそこにはお目当ての龍図があった。この龍図の直径は12mで、8年の歳月を要して描きあげたとされるが、一度立てかけて描いた物を天井に張ったそうだ。龍の目は中心付近に描かれるが、見る角度によって、その表情が変化することから「八方にらみの龍」と呼ばれているそうだ。また、立ち位置によっては下から昇ってくるように見えたり、上から降りてくるようにも見える。
●内部は撮影禁止につき、パンフレットからの撮影●
雲龍図は重要文化財だが、法堂内にはそれよりもランクが上の国宝が納められている。これについては全く予備知識がなかったので、驚いたが、年号が刻まれた中では現存最古(698年)の梵鐘が納められているのだ。この梵鐘、実は昭和48年までは実際につかれていたそうで、NHKの、行く年来る年での”梵鐘リレー”では最初の一つき目がこの梵鐘だったそうだ。しかし、これ以上つくと割れが出る可能性があることから、この法堂内に納められているということだった。そしてここではその梵鐘を眺めながら、録音された音を確認するだけにとどまるのだが、それでも、深みのあるその音は悠久を偲ぶに足るものであった。
■経蔵■
常時公開部とは別に、800もの引き出しに6524巻の経典を納めた八角形の回転式の経庫が設置されている、経蔵が特別公開されていた。(3月18日まで)回転式になっているのはチベット仏教などでお馴染みのマニ車(摩尼車)と同じ意味合いだそうで、一回転させると全巻を読んだことと同義になり、回転させた数だけ功徳があるとされているそうだ。
●ここも内部は撮影不可●
■退蔵院■
妙心寺の数多くある塔頭の中でも、常時公開されて見所とされているのが退蔵院(たいぞういん)で、境内入り口の案内所でも”お薦め”と教えていただいていた。
内部には水墨としては初期(室町時代)に画かれた国宝の瓢鮎図(ひょうねんず)があったそうだが、本物は京都国立博物館に所蔵されていて、実際に見られるのは模写、それも無造作に置かれていることから、ここでの見所は庭園になる。
中でも室町時代の画家である狩野元信の作と伝わる枯山水庭園は元信の庭と呼ばれているが、一般に絵師による造園は珍しいようで、そのせいか、通常の枯山水庭園よりもカラフルな印象がある。
●元信の庭●
元信の庭を過ぎて奥へ進むと、そこには余香苑(よこうえん)という庭に出る。
●余香苑●
ここは昭和の小堀遠州と称された造園家、中根金作氏が設計し、1963年から3年をかけて完成した庭だ。その入り口には小道を挟んで枯山水様式の陽の庭と陰の庭とが対となって配置されている。
●白砂の陽の庭●
●黒砂の陰の庭●
余香苑はその意図するところと配置が巧みで、冬枯れの時期なのに色があって楽しめる素晴らしい庭だった。しかし、上述したように、これは昭和の作でボクとほとんど同い年になる。ということはそれ以前は違っていたハズで、それはどんな庭だったのだろうか?。そのことが気になって仕方がない。チョッと調べてみたくなった。