中島ブラザーズ ”弟”の「外で遊ぼう!」

近頃は日本海で、ヒラマサを追ってばかり。よって磯釣りや渓流釣りは休止状態ですが…。

久婦須川 ’10 その1 ~前編

2010-06-26 12:30:44 | 渓流&管理釣り場での釣り
■梅雨時を迎えて■

 梅雨時は長雨によって、どうしても増水傾向になるので、釣行日の近辺に降った雨がどのように影響しているのかを、ある程度理解していなければ現地に到着してから慌てることになる。
 昨年1年しか経験がないのでエラそうなことは言えないが、何度か通った川の中では、支流部からの流れ込みが多い岐阜県北部の高原川の本流部は特に増水しやすく、流域のどこかでまとまった雨が降れば、釣っている最中でも、それこそみるみる内に増えてくるから厄介だ。
 今回は富山県中南部の久婦須川へ向かったのだが、ここは去年の梅雨時に釣行した際、夜明けに増水状況を確認した途端に「ダメだこりゃ!」と引き返した経験がある。
 しかし、同じ梅雨時に、ここをワザワザを選択したのは、気象庁のホームページ内にある「気象観測データhttp://www.jma.go.jp/jma/menu/obsmenu.html」で流域近辺の1週間の降雨量を確認し、国土交通省の「川の防災情報http://www.river.go.jp/」で、近日間の水位変化を確認したうえでのことだった。高原川は釣行前日までの雨の影響で、ピーク時には2m近い増水だったが、久婦須川では昨年の釣行時に釣りが可能だった水位(=69cm)に対して今回は20cmほどしか増水しておらず、それが徐々に下がりつつあるのをボクは事前に知っていたのだ。
 距離が40kmほどしか離れていない両川であってもこれだけの差があるので情報収集は大切だ。

■朝一番■

 今回の入渓点は、昨年始めてここを訪れた時に入った場所からだった。ここはヒザくらいの水深しかなく、一見何でもないように感じるが、ヤマメ達のエサ場になっているのか、朝一番はライズ(=水面が盛り上がるほどのところまで魚が表層のエサを追っている様子)を繰り返すところだ。今年も現場に着くと時折ポコッとかバシャッという音が聞こえ、仕掛けを作るボクを歓迎してくれていた。心配していた川の濁り具合も笹濁り程度だった。

                   
                            ●何の変哲もないポイントだ●

 とりあえず、キヂ(ミミズ)をハリに刺して、ライズしている上流側から流し込んでみる。何度か流す位置を修正していると目印を引き込むアタリが出て、最初の1匹をゲットする。いつも感じることだがここ久婦須川のヤマメは体高が高い「幅広タイプ」が多いのでよく引く。

                   
                           ●当日の初ヤマメは体長約20cm●

■エサのローテーション■

 最初のポイント付近で3匹ゲットした後は反応が無くなったので、「魚は釣り切った」と判断し、その周辺で川虫取りを開始する。この川で採取できるのは主にクロカワムシ、オニチョロ、そしてのカワムカデの3種だが、中でも安定して獲れて釣果が堅いのはクロカワムシだ。ここまでキヂ(ミミズ)、とブドウ虫の市販エサを使っていたが、コレにクロカワムシが入って、以後3種のローテーションで攻めていくことにした。

                   
                     ●左上がブドウ虫、右上がクロカワムシ、下がキヂ●
            (キヂは写真の「ミミズ通し」という器具を使って装着した方が、ハリ掛かりが良い)

■様子を探る■

 次に目に入ったのは、やや水深があって中央に白泡を伴って強く流れる流芯が明確な
ポイントだった。昨年に入った際は何も出なかったので、サッサと軽く流して済ませようかという気もしないではなかったが、今回は、この日全体の傾向を探り、状況判断するために少し粘ってみることにした。
 その日の戦略を決める際に、「移動のピッチを上げつ活性の高い魚を釣る」のと、「じっくり攻めてスレた魚に口を使わす」の、どちらの方が結果的に魚を多くゲットできるのかを判断するのは難しい。ボクの場合は、それを気分で判断して失敗することも多いのだが、この日のように「お試しポイント」を設定し、そこで判断するのも良い方法なのだ。

                   
                               ●白泡の立つ流芯●

 まず最初はミミズを刺し、次いでローテーションをさせつつ、最下流の白泡の消える辺りから攻め始め、その両サイドと流芯部を攻め上ってゆく。当然オモリもB~3Bを付け替えつつ探りを入れてみた。そして10投を越える頃になってようやくアタリを捉えた。
 それまでの魚よりも確実にサイズが大きそうだったので、魚が流芯に入っていかないように注意しつつ慎重に玉網に誘導する。

                   
                               ●25cm級のヤマメ●

 続いて23cmくらいのヤマメを連続ゲットしたが、そこで打ち止めになった。

 いつもの感じで攻めているとゼロに終わっていたハズだから、この2匹は貴重だった。これが「目に付いたポイントは簡単には見切らず、粘ってみることが有効」だと判断できるキッカケになったのだ。そして上述したエサのローテーションと共に以後のパターンとして組み入れることになったのである。こうやって早い段階で試した結果を反映させれば、以降の攻めに迷いが減るのだ。

■大型イワナ■

 次に差し掛かったのは、幅の広い浅瀬から落ち込んだ流れが前面の岩壁へとぶつかるポイントだった。

                   
                          ●攻めるスポットが多いポイントだ●

 ここは、流れの筋同士がぶつかって収束するところと、流れの落ち込み、向かいの岩盤際、流れの中にある石の裏等、ポイント数は多い。先程の教訓から時間を掛けて一つ一つを潰してゆくように攻め始めた。
 まずは岩盤際の最下流部で20cmチョイのヤマメを3連続でゲットする。

                   
                      ●ここでのヤマメのサイズは20~25cm程度●

 続いて複数の流れが収束するところを狙ってもう1匹追加する。そして石裏では不発だったので、最後の仕上げとして、ややオモリを重い(2B)モノに交換して瀬の部分から最初に落ち込む部分を攻めてみる。
 何カ所目かの落ち込みで「ゴンッ」というアタリが出たので反射的にアワせると、魚は下流に向かって一気に走り出した。相手の動きに合わせて慎重にあしらい、引きをイナしていると、竿を伝わる感触から「イワナだろう」と推測できたが、型が大きいうえに瀬から押してくる水圧が加わって玉網の位置までなかなか寄ってこない。それでもこらえている内に、なんとか水面まで引き上げるまでに至った。魚は、やはりイワナで、30cm台の中盤サイズのようだ。この時、今シーズンに入ってイワナの30cmオーバーはかなり釣っているため、心の中で何となく「なんだ、またイワナか…」と、つぶやいてしまった。
 その瞬間事件は起こった。この奢った心を悟られたのか、その瞬間に「バカにするな!」とばかり、イワナは怒って?クルンッと反転し、見事にハリを外して逃げていったのだ。
 呆然とする中、「ヤマメでなくて良かった…」と言い訳しながら立ちつくしているボクが居た。

■粘り勝ち■

 イワナのバラシの後に続く魚は無く、更に上流を目指す。今度は淵に滝が流れ落ちるポイントだ。

                   
                           ●誰もが狙うポイントだろうから…●

 このポイントはいわゆる「大場所」と言うべきところで、誰もの目に付き、誰もが狙うポイントだろう。この日のボクは、ゆっくり攻めることに対して自信を持っていたので、何だか「攻めがい」を感じてゆっくりと探ることが出来た。
 まずは淵尻(最後の部分)にあるカケアガリを丹念に流して20cm強のヤマメを1匹ゲットし、続いて流れの中に見える石裏近辺を探るが、今度は反応が無い。しかし諦めずに攻めは続く。
 一旦竿を置き、冷静になって滝の周囲を見回してみる。すると上流からの流れと滝がぶつかる部分に潜り込む流れを発見し、何となくそこに魚の気配を感じた。
 1投目はオモリをBサイズにして流したが、仕掛が馴染む前に複雑な流れにハジキ飛ばされてしまう。そこで一気に3Bまでアップし、底の流れに合わせて送り込んでいると待望のアタリが!。
 合わせた瞬間の抵抗とスピードから良型のヤマメと判断できた。いつものように慌てず、相手の動きを先回りし、竿を寝かして頭を持ち上げてやると、魚が深みから徐々に上がってくる。そしてようやく背ビレが水面から顔を出すに至ったが、魚影は尺近いサイズだ。だが、相手はそこからでも再び潜る抵抗を繰り返す。それを何度かイナしてようやく玉網に導くことに成功した。
 安堵する間もなく、早速メジャーを取り出し計測してみる。引きが強かっただけに期待はしていたが、「ウ~ン残念!」尺には足りない28.5cmで、その差1.5cmにガックリと肩を落とす。

                   
                              ●28.5cmのヤマメ●

 しかし、自己タイ記録であり、本日の最長寸であるヤマメを釣って気を良くしないわけはない。以後の攻めにも弾みがついた。脱渓点までの中間点近を前にして、釣果は既に「つ抜け」(ひとつ、ふたつのように、数に「つ」が付く状態を脱すること=2ケタ)している。このまま好調をキープして後半戦に突入だ!。 ( ~第二部に続く)
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はやぶさが帰ってきた!

2010-06-19 12:30:10 | その他
 ワールドカップのカメルーン戦の勝利の裏で、扱う割合が減っているのは残念なことだが、日本の惑星無人探査機の「はやぶさ」(正確には、その内部のカプセル)が無事オーストラリア領内に着地した。
 そのこと自体は新聞記事等で知っている人も多いかと思うが、先日その裏話をラジオで聞いたボクは大感動してしまったのだ。知っている人も多いかと思うが、知らない人のためにそのお裾分けを…。

 はやぶさは2003年5月に打ち上げられ、遙か20億km!の長旅の末、小惑星「イトカワ」に着地したのだが、このイトカワは全長が僅か540mしかないそうだ。そんな遙か彼方にあるピン中のピンポイントに対しての正確な着陸は、どの国も成し遂げていないことなのだ。そしてトラブルに見舞われながらも7年間もの間、稼働し続けた世界初のイオンエンジンと、弾丸が出なくて成功しているかどうかは判らないが、惑星地表のサンプル採取。更には数多くの困難を乗り越えて、予定していたオーストラリア領内にあるアボリジニの聖地への正確な帰還。と、ここまでは表の話。これだけでも大感動だが、感動は裏話にも続く。

 まず向かった惑星の名が、何故「イトカワ」なのか?ということだが、この名は日本のロケット開発の父である糸川英夫教授にちなんで名付けられている。しかし、このイトカワはアメリカのチームが発見した小惑星だ。勿論命名権はそのチームにあるのだが、はやぶさを向かわせるにあたってアメリカ側と交渉して名付けさせてもらったということだ。
 「何故その名にこだわったのか」という話はラジオでこの話を紹介していたジャーナリストの勝谷誠彦さんの思い入れも多少あったのだろうけど、ボクにはグッと来た。

 この糸川教授は戦時中に活躍した中島飛行機製の陸軍戦闘機中の名機である「九七式戦闘機」「隼(はやぶさ)」「鍾馗(しょうき)」等の開発に携わった人だ。
 中でも隼は「エンジンの音轟々と~」の軍歌で有名な加藤隼戦闘隊でもメイン機になっており、傑作機の呼び声が高い。
 旧日本軍の戦闘機と言えば真っ先に浮かぶのが「零戦」だとは思うが、運動性能や航続距離を重視したがために人命軽視の設計となって大戦末期には通用しなくなった零戦に比べて隼は性能バランスが良くて人命を守る装備も備えていたために、大戦後も各国で使用されていた実績があるほどの名機だ。

 終戦後、中島飛行機は解体され、富士重工業(スバル)として生まれ変わった。糸川教授自身は、一時はGHQの指導の下で計画を断念していた時期もあったが、夢は捨てずに時期を待ち、遂に1954年、東京大学内に「航空及び超音速空気力学」の研究班を組織する。そして、当時ロケット開発に全く乗り気でない国や企業を自ら口説いて回った努力と結果が今日の「JAXA」の活動へと繋がっているのだ。


 出発から2年半後の2005年11月、はやぶさはイトカワに着陸した。しかしそこからが大変だったそうだ。
 バカなボクでは到底説明できる話ではないので、詳しくはJAXAのホームページ(一番解りやすいのはコレ=http://www.isas.jaxa.jp/j/enterp/missions/hayabusa/fun/adv/index.shtml)を見て欲しいが、離着陸の衝撃で燃料漏れと従来型の科学推進エンジンに損傷が起こって制御不能になり「一時は通信不能で行方不明」にまで陥っていたのだ。
 絶体絶命のピンチの中、長野県佐久市にあるレーダー施設が20秒受信、30秒断絶するサイクルで飛んでくるはやぶさからの電波をキャッチしたのをキッカケに事態が好転し始めたそうだ。そして「太陽光圧を利用した新しい姿勢制御方法」というバカには絶対に思い浮かばない発想と、エンジン回路を遠隔操作で修理するなどの離れ業など、必死の努力の結果が先日の「地球への帰還」なのだ。

 「プロジェクトX」が今でも放送していれば、絶対に採り上げるようなドラマがそこにはある。ワザワザお願いして「イトカワ」とネーミングした小惑星に「はやぶさ」が向かったのは偶然の産物ではないだろう。
 あの戦前、戦中の貧乏だった日本で限られた予算の中、科学者や技術者達は知恵を絞り、それは一部であったのかも知れないが、世界に誇れる技術開発を成し遂げていた。終戦と共に一時は停滞したものの、見事に復活して日本を技術大国へと導いた彼らのプライドと意地の歴史をボクはこのネーミングに感じたのだ。
 この話を今年80歳になる我がオヤジに話していると、こんな話を逆に聞いた。
 戦時中に中学生だったオヤジは学徒動員という総動員態勢の中、軍需工場でひたすらボルトを削る毎日が続いていたのだそうだ。その当時に漏れ聞いた話によれば、オヤジ達が削ったボルトが戦闘機「隼」に使われていたそうで、それは当時の工場内で働く人達のプライドでもあったのだそうだ。そんなオヤジにとっても、はやぶさがイトカワに向かった話は「感動も一塩」の物語のようであった。


 民主党政権になり、事業仕分けによって今回のプロジェクトに続く「はやぶさ2」の当初予算17億円が、僅か3000万円に減額されたと聞いた。だが、今回の「はやぶさ」の予算総額は国民一人あたり100円なのだそうだ。モチロン天下りなどで無用かつムダな経費の中抜きもあるのだろうけども、それさえヤメてくれれば、たった100円でこんな感動が買えるのであれば安いものだと思う。それどころかオヤジと二人で「2倍の200円ずつ(チョッとセコイか…?)」でもイイくらいの感動話だ。
 それはともかく「はやぶさ」の帰還は不幸や不景気なニュースばかりで「何やねん、この国は」と思うことが多かったボクにとっては、最近あまり感じることのなかった「日本人で良かった」と思わせる瞬間であったのだ。
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’10 男女群島遠征 ~第2部

2010-06-12 12:30:00 | 磯釣り
 帆立岩に乗る直前に、平戸から来ているお客さんから声を掛けられた。
「今日はお兄さんと一緒ではないの?…」
 話を聞けば磯釣りスペシャルの読者であるらしく、以前に書いていたボクの記事をよく読んでいたということだ。そして最後に「頑張ってください」と、励ましの言葉をもらった。ボクがレポートの連載を書かなくなって久しいが、意外なところで声を掛けられるのは嬉しいものだ。だが、逆の見方をすれば「アイツ、帆立岩に上がったのにその程度の釣果かよ?」と言われて恥をかくわけにはいかず、プレッシャーが掛かる。ハテさてこの後の展開はどうなるのだろうか…?。


■夕マズメの帆立岩■

 渡礁の2時間ほど前に潮が変わっており、満潮へと向かう満ち潮がゴウゴウと音を立てるが如く流れていた。この帆立岩は満ち潮が本命で、正にこれから午後9時の潮止まりまでの間がゴールデンタイムになる。

                  
                         ●満ち潮が走る花栗島向きの水道●

 仕掛は前回の立神で説明したように、ボク流?の本流釣りだ。まずは杓で多目のマキエサを打つ。効き始めるまでは、しばらくマキエサのみを続けていたが、この磯名物である70cm近い特大サンノジが動き出すのを確認して、仕掛の投入を開始する。
 流すこと数回、いつものようにエサが取られるまで、道糸との結び目を最上部にしてハリスを等分した3ヶ所のオモリを徐々に重くしてゆく。そのオモリが上から4B、3B、3Bになった頃に、スプールを押さえていた指をハジキ飛ばす待望のアタリがボクのロッドを襲った。

                  
                         ●激流の中、尾長の引きを味わう●
                  
                             ●まずは43cm●

 決して大型の引きではないが、待望だった尾長グレの引きを味わいつつ、難なくソレを取り込んだ後は、連発が始まった。

                  
                            ●続いて40cm台後半●

 何匹か連続ゲットの後、気付けば夕闇が迫るのと同時に徐々に水勢が衰え始める。それに合わせて今度はオモリを軽くして仕掛が深く入りすぎないように注意してゆく。
 この磯にはこれまでトータル48時間以上乗っているが、潮がゆるみ始めた本流ではアタリが遠退き始める傾向にあるようだ。そしてこの日も例外ではなかった。
 食いが落ちているので、更に神経を集中しつつ仕掛を流していると、「コンコンッ」という小アタリが竿先を通じて伝わった。
 すかさず竿先を送り込んだ後に大アワセをお見舞いしてやると、相手はそれまでにないスピードで海中深くに突っ込んでいった。
 「リールを逆転させて糸は絶対に出さない」との決意の元、これまで魚を取り込んできたが、その決意が揺らぐほどの引きだ。「切られるかも知れない?」という迷いに負けて何度かレバーブレーキを押さえる指を解放しようとするが、その度に「糸を出して獲れた試しはない!」と、心に言い聞かせて踏ん張ってみる。腰を落として耐えてはいるが、竿先が海中に突っ込むほどの勢いだ。
 何度か耐えていると主導権がこちらに移った手応えを感じ始める。そうなればこっちの物で、相手の動きを察知し、先回りをして頭を引っ張り上げてゆく。
 少しこちらに余裕が出来たのを機に、一気に勝負に出るとようやく水面から頭を出した。そして充分に空気を吸わせて弱らせた後、玉網に誘導する。
 何とか無事にゲットできたのは今回の最低目標でもあった50cm級の尾長グレだ。

                  
                                ●54cm!●

 この魚を最後に夕マズメの時間が終わった。続いて残りの満ち潮を夜釣り用のタックルで攻め始めるが、ここで、中出君も参戦する。ボクのタックルは4号竿に8号ハリスといった夜釣りでは標準的なモノだが、彼はイシダイ釣りの専門家であるので、尾長グレ専用のタックルを持ち合わせていない。そこで道糸の20号を始め、イシダイ釣りのタックルをそのままに、電気ウキを無理矢理通してハリスは12号という極太タックルでのチャレンジだ。
 そして1時間が経った頃、彼から「来ました~!」との声が掛かる。極太仕掛特有の有無を言わせないやり取りの後、「ドサッ」という音と共に磯上にゴボー抜きされた魚体は紛れもない尾長グレだった。聞けば夜釣りでグレを狙って釣ったのは初めてらしく、「よう~引きますね~」と上機嫌だ。

                  
                            ●「初尾長オメデトウ!」●

 対するボクに釣果はなく、やがて潮が止まりの時間を経て引き潮の時間帯を突入する。同時に魚の気配が無くなったのを確認して一旦竿を置くことにする。


■ビッグ・ワン■

 疲労困憊の中、4時間ほど仮眠をとるが、3時には起床して次の満ち潮に向けての準備を始めた。まだゆっくりと引き潮が流れいたが、待ってても仕方がないので、3時半には夜釣りタックルのままで釣りを再開していた。
 「マキエサが効き始めたかな?」と思った頃、釣り座から20mほど先を流れていたウキが静止し、ゆっくりと海中に入って行く。夜釣りでは早アワセをすると失敗することが多いのは経験済みだ。そこで魚が走ってその引きが竿を曲げ込むまで待ってみると、数秒後「ズドンッ」という衝撃が竿を持つ手に伝わった。
 以後は8号ハリスというタックルの強度を信じて竿尻を腰に付けて耐えてゆく。何度かの強い締め込みも両手で竿を押さえ込み、腰を落として耐えていると、意外に早く浮いてくる。しかし相手が大きいうえ、暗くて自分で掬えそうにもない。そこで中出君に助太刀を頼むことにした。
 それでもなかなか網の中に誘導できずに何度かのヒヤヒヤを味わっていた。
 しばらく後、ようやく彼から「入りました~」との声が掛かったので玉網に収まったことは確認できたが、今度は重くてなかなか引き上げられないようだ。上には持ち上げられずに磯際に何度も引っかかるという苦労の末に磯上に引きずり上げたのは60cmあるかどうか、ギリギリサイズの尾長グレだ。
 「ヤッタ~」と叫びつつ、持参していたメジャーで検寸を開始する。

  
                           ●大型の尾長グレだ!●

 「う~ん…残念!」どう計っても59cmで、自己記録更新には1cmと数mm足りない…。

 気を取り直して、その後は更なるサイズアップを目指して仕掛を投入を繰り返すが、夜釣りの仕掛にアタる魚はもう無くて、気付けば辺りが白み始めていた。


■朝マズメ■

 続いて朝マズメ用の5号ハリスを用いたタックルを準備するが、用意の完了と共に満ち潮が走り始めていた。そうなると、大好きな本流釣りが始まる。
 前日の夕マズメ同様、オモリの重さが潮と合えば、アタリが出て、順調にゲット数を伸ばしてゆくが、しばらくすると潮の角度が北寄りに変わり始める。
 これもこの磯のクセなのだろうか?真西から北西方向に流れている間は好調であっても、流れが北寄りに変わるとアタリの数が激減するのだ。その影響で、その後はポツリポツリと極タマにアタる程度に変わってゆく。

 やや潮が緩んだこともあって、隣では、中出君が本業のイシダイ釣りで順調にアタリを捉え始めていた。

                  
               ●男女群島でのイシダイ釣りは竿を手持ちで釣るスタイルが標準だ。●
                  
                          ●50cm近いイシダイをゲット●

 やがて潮が更に緩んでゆく。と言っても紀伊半島などの近場よりも早いのだが、そんな流れになると帆立岩では口太グレの闊歩が始まる。

                   
                   
                       ●口太は、ほとんどが45cm前後のサイズ●


■夢の時間は短くて…■ 

 やがて、9時に潮止まりの時間を迎える。そして午前10時、最終的な撤収のために日之出丸がやって来た。ここまで、潮の緩んでいる間には尾長グレの登場はとうとう皆無であった。 
 帆立岩に乗ってから撤収までは約16時間。内、引き潮がマトモにぶつかって釣果が望めない時間帯以外の約10時間は、興奮してアドレナリンが出っぱなしの状態だから、アッという間に過ぎ去っていった。
 「精根尽き果てる」とはこんなことを言うのだろうか、渡船内へと、へたり込むように乗り込んだ後は、深い眠りの世界をさまよいつつ九州本土へと向かうのであった。


                   
                ●戦いが済み、それぞれの釣果に合った表情で帰りの航海に臨む●
                   
                      ●本土では幻のクエだが、ここでは幻ではない●


■男女群島への思い■

 実は今回、前半の辛い釣果から、ヤル気が失せて「今回で男女群島釣行は最後にしようか?」と考えるほどに気分は落ち込んでいたが、さすがは帆立岩だ。惜しくも自己記録更新は実らなかったが、59cmを頭に50cmオーバーが3枚、それ以下である40cm級の尾長グレの数は13枚、そして退屈なく釣れ続く口太グレが多数という結果に…。この磯だけがボクの要求には充分過ぎるほどに応えてくれた。
 その結果、現金なもので今は再びフツフツと闘志が湧き上がり、もう来年のことを考えている始末だ。

 「『最後の大逆転』これがあるから釣りはヤメられないのだ。」と、釣りの中毒性?を痛切に感じている今日この頃なのである。
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’10 男女群島遠征 ~第1部

2010-06-05 12:31:22 | 磯釣り
■季節外れの寒気■

 毎年5月の半ば過ぎにやって来る、恒例の男女群島遠征が始まった。

 男女群島とは五島列島の南西端である大瀬崎から、更に70kmほど南西に向かった東シナ海にある絶海の孤島で、モチロン無人島でもある。その名はメインになる5つの島の内、最大の物を男島(おじま)、2位の物を女島(めしま)と呼ぶことが由来であろう。
 魚種は豊富で、石鯛狙いの人達の憧れであるクチジロ石鯛の80cm級や、グレ狙いの人達の憧れである60cm級の尾長グレのゲット率の高さでは全国でも3本の指に入るほどなので、この群島を目指して釣り人が全国各地からやって来る。
 当然ボクはグレ釣り師なので、狙いは尾長グレだ。それも前々回で出した、自己記録の60cmジャストを越えるサイズを狙っての釣行だ。
 直前の情報では、そんなにパッとした状況ではないようだ。しかも季節外れの寒気がしばらく居座る最中でもあった。
「気圧配置が季節通りに推移していないときは往々にして潮流の動きが悪く、食いが悪いことが多い」と、昔、漁師をしていた福井の船頭から聞いたことがあるが、ボクの場合、嫌な予感はよく当たる方だ。更には寒気の吹き出しによる強風と高波のため、本来は初日に予定していた男女群島よりも更に西に浮かぶ、尾長グレに関しては更に有望と言われる「肥前鳥島」(ボクは全くイイ目をしたことがない)への釣行は早々と中止になり、今回もとりあえず風裏の磯を目指すことになりそうだ。
 「『暗雲たれ込める』とは正しくこの状況を言うのだろう。」と変に納得しながらも、出港地との中継地点にある、福岡市内へと向かう新幹線に飛び乗った。


■いつものうどん■

 福岡市内の釣具店でいつものメンバーと再会し、エサを仕込んだ後はレンタカーで出港地である、佐賀県呼子へと向かう。
 途中で、この遠征名物の「牧のうどん」で夕食をとる。この店に入ると「今年もやって来たんだな~。」と実感が湧いてくる。

                  
                       ●九州北部各所にあるうどん屋チェーン●

 以前にも書いたが、ここのうどんは不思議なうどんで、油断も隙もない。湯がき具合を硬めに指定してさっさと食べてしまわないと、ドンドン伸びてエライ目に合うのだ。その様子は丼から溢れるが如くだ。

                  
                                ●鴨うどん●

 食事を済ませ、しばらく走ると呼子港に到着する。しばらくの猶予の後、これから現地2泊3日の間、お世話になる「日之出丸」が到着する。
                  
                          ●荷物を積み込み中の日之出丸●

■いざ男女群島へ■

 午後10時過ぎ、荷物を積み終えたと同時に出港した。普段なら到着は午前3時前になるはずだが、北東からの強風に煽られて時間が結構掛かり、到着は午前4時半を回ろうとする頃になった。ほぼ夜明けと同時に各所へ釣り人が降りて行く。ボクに対する指示はないままにフロントデッキで待機していると、渡礁の手伝いをするポーターさんから、
「次、上物(グレ狙い)の人、用意して」と言われ、準備を進めていると、一昨年に自己記録を釣ったあの「帆立岩(ほたていわ)」が眼前に迫っている。
「ラッキー!」と思ったのも束の間、この日の朝釣りはボク一人で降りる予定だったことから、
「一人か~、この風ではね~。」という船長の判断で、3人組みのパーティーが降りることとなり、断念せざるを得なくなってしまった。
 その3人が降りた時点で船内に残る釣り人はボク一人。
「ハテさてどこに行くのやら?」と思った矢先、「捨てる神あれば拾う神あり」で、男女群島の中では帆立岩と並んで3本の指に入ると言われる「立神」という磯に渡礁することと相成ったのである。

■満ち潮の立神にて■

 釣りをしない人には解らないことだが、海の魚(雑魚を除く)は潮流が流れている時間でないと基本的には口を使わない。これは潮が動かないとエサが流れてこないことを魚が知っているからだとも言われている。更には磯釣りの場合は、満潮に向かう満ち潮でしか釣れないポイントや逆に干潮に向かう引き潮でしか釣れないポイントもある。グレ釣りなどのウキを流して広範囲を探る釣りの場合は、基本的に自分の立ち位置から離れて行く方向に流れる潮流を釣るのだが、その流れの行く先々に魚の隠れ家や、魚がエサを食べやすい流れがないと魚が極端に少なくなってしまう。この立神という磯は満ち潮では潮が足元でぶつかった後に弾けて流れて行くのだが、その方向に魚の居る要素が少ないのか、引き潮で10の力を発揮するとすれば、満ち潮では3以下の実力しかない。渡礁直後はその悪い方の満ち潮だった。

                  
                     ●足元に当たって弾け、南西方向に流れる潮●

 潮は理想の状態ではないものの、何とかしなければならない。そこで、足元右にある本流へと引かれる潮に一旦仕掛を入れて馴染ませた後に本流方向にへ入れ込んで行く方法で攻め始めた。
 数投目、「マキエサが効き始めたか?」と思った頃に待望の初アタリがロッドを直撃し、それと同時に道糸がリールからバリバリと音を立てながら出ていった。
 「1匹目から尾長グレか?」と喜んだのも束の間。強烈な引きの割には中層をひた走りに走り、底方向へは行こうとしない。やがて姿を現したのは案の定、スマガツオだった。

                  
                         ●60cm級なので、引きは強烈だ。●

 気を取り直して何投かしていく内にポツリポツリとアタリは拾えるものの、尾長は全く当たらず、口太グレや外道ばかりでウンザリしてしまう。

                  
                        ●口太グレは、ほとんどが45cm級●

                  
                 ●「ヒェ~!」ボクには毎度お馴染みの60cm近い特大サンノジ●
             (サンノジは標準和名をニザダイと呼ぶが、磯臭くてマトモには食えないのだ。)

■本流釣り■

 グレ類にアプローチするには様々な方法があるが、ボクが好きなのはブッ飛ぶ潮の中を釣る「本流釣り」というスタイルだ。その中でも特に潮が速い地域=伊豆諸島や四国の南西部、五島列島、それに今回の男女群島のようにウキをマトモに流せば普通の人間が全速力で走っても追いつけないほどの早さの本流が突き抜ける地域での本流釣りがボクは大好きだ。このような地域では尾長グレが釣れる確率が高いので尚更だ。
 一口に本流釣りと言っても釣り人によってスタイルも様々で、多様性がある。ボクが好きなのはM~Lサイズ、オモリ負荷は00、4B、1号の3種くらいのウキを狙う深さによって使い分けて装着し、その負荷以上のオモリを打ってゆくスタイルだ。
 当然、ウキはオモリに負けてすぐに沈み、「浮き」ではなく「沈み」になっているのでアタリ(魚信)は竿の穂先でとることになる。
 よく「尾長グレはハリスに打ったオモリを嫌う」と言われているが、それはある程度の早さまでの話であってブッ飛ぶ潮の中では関係ない。2段3段は当たり前で、「4Bを4つ」なんてこともある。そんな仕掛をサシエサが時折取られるタナに到達するまでオモリをドンドン増やして流してゆくのだ。

                  
            ●Lサイズ、0号負荷クラスのウキの下に3Bと2B、ハリスにも2Bを2ヶ所打ち●

■初尾長■

 結局、満ち潮ではロクな釣果を得ないまま、潮変わりし、今度は本命の下げ潮へと変わる。

                  
                    ●今度は向かいの重箱めがけてまっしぐらの潮だ。●

 まずは、足元左側にある、本流へと引かれる潮で馴染ませてから本流へと仕掛を沈ませていったが、45cm級の口太グレが連発し、5匹目を釣ったところで作戦変更。今度は足元右側の本流へと直接仕掛を入れる戦法に切り替えた。
 これが功を奏したのか、それまでとは違う引きで今航海初の尾長グレが登場する。

                  
                              ●初尾長は43cm●

しかし、サイズは物足りない。2発目以降を狙うが、何故か単発で後が続かないので、試行錯誤の繰り返しが始まる。試しにもう一度本流の左を狙うと、良型口太グレが再び連発するものの、尾長グレは一向に姿を見せなかった。
 そして夕刻になると、潮止まりの時間を迎え、それと同時に撤収時間がやって来た。この後は夜釣りのポイントへと移動だ。


■夜釣りポイントへ■

 「さて、さて、どこに流れて行くのやら…。」超A級磯に渡礁出来たにもかかわらず、尾長グレが貧果に終わったボクは、ある意味「予想通り」の展開に苦笑しつつ、次なるポイントへと向かった。
 日之出丸が舳先を向けたのは男島方面だった。ポーターさんが説明するには、前回の航海で良型尾長グレを連発した夜釣りのポイントがこの方面にあるそうだ。その言葉を聞いたボクの苦笑が少々の「ニヤけ」に変化する頃には、真浦(まうら)という大きなワンドの中心部に到着していた。
 到着直後は、それまでマトモに飯を食っていなかったことから、とりあえず夕食の支度を開始する。男女群島の遠征では、到着日の夕食時以降に「弁当」と賞する物が渡船店から支給される。とは言ってもこの弁当は白飯にたくあんが3切添えてあるだけなので、おかずは各自が用意することになる。

                  
                               ●遠征ディナー●

 ヒマのある人達は食材を持ち込んで、焼肉や鍋を楽しんでいるようだが、以前にも書いた通り釣行時は粗食派のボクなので、レトルト食品が精一杯だ。この日も、ハッシュドビーフとカップスープ、野菜不足になる部分はジュースで補うという、いつものパターンでサッサと済ませることにした。

   
                            ●夕闇迫る真浦の風景●

■夜尾長■

 釣りを再開した後は、これまた予想通りの展開で夜釣りタイムが過ぎてゆく。夜のエサ取りであるミナミハタンポなどが釣れ続き、時折それが消えるとグレ類が来るものの、それは40cm級の口太グレであったり、30cm級の尾長グレであったりで、パッとした釣果は得られない。アレコレと工夫はするものの、欲しいサイズの尾長グレは全く無反応。そうこうしている内に策も尽き、珍しく眠気に襲われ始めた。
「ヤ~めた。」と、竿を置いて寝袋に入るが、時折吹き抜ける風が冷たすぎて寝られない。
 1時間ほどウトウトしただろうか?最終的には震えるほどの寒さに耐えかねて寝袋を飛び出していた。その後は体を温めるつもりで無理矢理竿を降り続けたが、結局明け方に40cmに満たない尾長グレを2枚追加するに留まった。
 明るくなればなったで、このような湾奥のポイントは小魚天国と化してしまう。太陽が上がったことも手伝って、やや気温が上がったのを良いことに、遂にボクは2時間ほどフテ寝を決め込んでしまった。

                  
                 ●「マキエサに 寄るのはカモメ ばかりなり」 詠み人知らず●

■真浦立神1番へ■

 目覚めると約2時間を経過しており、慌てて荷物を片付けて10時に迎えにくるであろう、日之出丸を待つ。
 10時過ぎ、船に飛び乗ると、すぐにポーターさんから声が掛かり、先程の磯からは、すぐ沖合にある「真浦立神(まうらたてがみ)の1番」という磯に降り立つことになった。
 ここでは緩い引き潮が流れていたので、本流釣りは出来そうにない。そこでB負荷の普通の仕掛けを装着して普通にウキでアタリをとるようにする。
 そして、その仕掛けは40cm前後の口太グレに取り囲まれて、投入後はほぼ入れ食い状態になってしまう。
 途中、またもやスマガツオが掛かってしまい、そのキョーレツな引きに度肝を抜かされたが、ハリを飲み込んで暴れ回ったので、そこら中が血まみれになってしまった。
 この血がイケなかったのだろうか?…。しばらく経つと、口太グレの入れ食いがピタッと止み、急に魚が磯際に集まり始めた。
「変だな~?」と思いながらも再び磯際で口太グレのアタリを捉えたが、引き寄せる途中に魚突然変身したかのように猛烈な馬力で沖合めがけて走り始めた。次の瞬間水面が盛り上がり、背ビレが見えたかと思うと、体をくねらせ、「ドッバーン!」と水シブキを上げた。
「出た~。」心で叫びつつ確認したのは体長2mくらいのサメの姿だ。どうやら先程まき散らしたスマガツオの血の臭いに寄ってきたサメが、掛かった口太グレに食いついたらしい。
 滅多にない機会なので写真が撮れる位置まで引き寄せてやろうとボクは少しの時間やり取りをしたが、冷静に考えると高切れして道糸が減るのはイヤなので、糸が出すぎる前に無理に止めてやることにした。そしてサメはいとも簡単にハリスをブチ切っていくのであった。(その後に、もう1匹掛かったが、今度はハリを折られてしまった。)
 その後はポイントを休め、サメが居なくなるのを確認した後に釣りを再開したが、良型口太グレは出るものの、全く尾長グレの気配はないまま、夕刻の移動時間を迎えるに至った。

■船長への直訴■

 この時点で尾長グレのキープ数は1枚。それも大型とは呼べないサイズだった。この状況下、真浦立神を去る際にボクは心に決めていたことが一つあったが、それは「『帆立岩』が空いていれば、乗せて欲しい。」と船長に直訴することだった。幸い風が収まり、海は凪ぐ方向へと向かっており、渡礁の確率も高そうだ。もし、それがダメなら今回の航海全体の展望を修正して「家へのお土産釣りに徹しよう」と考えるほどの決意であった。
 そしてボクは船に乗り込むと、途端に船長に直訴をした。だが、意外にも簡単に快諾してもらうことが出来たのだ。但し、「一人ではダメ」との指示が…。
 その時、シマノ石鯛インストラクターの中出一也クンから同礁O.K.との助け船が出たのである。そして程なくボクの眼前には、あの「帆立岩」が迫り来るのであった。


   
               ●あれに見えるは「ホ・タ・テ・イ・ワ!」、2年振りに帰って来たのだ!●

  「’10 男女群島遠征 ~第2部」に続く。
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