中島ブラザーズ ”弟”の「外で遊ぼう!」

近頃は日本海で、ヒラマサを追ってばかり。よって磯釣りや渓流釣りは休止状態ですが…。

明日こそは…と思ったものの…。

2009-01-31 17:14:09 | 釣り一般
 本題に入る前に…。
 前々回のブログで”八丈島のきょん”が絶滅させられたと、ここで書いてしまったが、実はその”きょん”は山羊とは別種で絶滅なんかしていないことを知った。
 ”きょん”とは山羊ではなく、海外から持ち込まれた鹿に近い動物で、現在のところ八丈島の飼育施設では増えすぎて、出産調整をするほど増えているらしい。
 しかしながら、普通の山羊が八丈小島で絶滅(駆除)させられたのは事実ということだ。
 で、私たちが聴いてきた話はいったい何だったのだろうか?…。
 しかしながら、民宿で見たこれ

は、ただの山羊だったということは間違いないだろう。

 この場を借りて、このブログを見ている方々、並びに”八丈島のきょん”の皆様?にガゼネタを発信しましたことを深くお詫びいたします。

と・こ・ろ・で、

 先週より持ち越していた釣行がまたもやピンチだ。今日土曜日迄は南東からのウネリが入りアウト。明日は吹き返しで北西からの強風が吹き、場所が限定されると思うので、愛媛県方面は見送った。目を紀東方面に写すと明日はやれそうな感じもしないではないが、今日のウネリがどのくらい取れるかがカギになりそうだ。まぁ近頃運がないので、行ったは良いが、乗れる磯数が少なく、混み混みになりそうなので、ここは諦めることにしたのだ。

 で、またインドアなネタを…。

 私は日本史が大好きで、ややオタク気味になってしまうくらいなのだが、その中でも、ありきたりながら戦国時代や幕末は大好きだ。しかし、ここ近年は大正~昭和20年にかけての時期に大いなる興味が湧き立ってくる。
 よくこの時期は「教科書では教えてもらえない時代」といわれるが、まさしく闇の中のような印象で、そこで何があったのか?という部分が近代という近くて、確実な資料が残り、生き証人も居る時代でありながら、何故か非常に判り辛い時代である。だからこそ好奇心が湧いてくるのだが、その闇の中に連れて行ってくれる小さな光の一つが、佐野眞一著の三作

だ。
 一番左の「阿片王」は里見甫(さとみ はじめ)という人物が戦前~戦中にかけての時期に中国国内で阿片を売っていた様を描いたノン・フィクションもので、何故輸出品もろくになかったあの時代の我が国が、巨大な軍艦を何隻も保有できたのか?という謎を解くキーワードをもらった気になれる一作だ。
 続いて真ん中の「甘粕正彦 乱心の曠野」は映画ラスト・エンペラーなどでとりあげられている「冷酷な諜報員」適な人物像のウラやその周囲に何があったのかが理解できる。
 そして、一番右の「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」は我々本土の人間が知らない、太平洋戦争後~本土復帰の間に何があったのかという、大変興味深いテーマで、今現在、読破中の本でもある。

 と、マァ、今回は「興味のある方はどうぞ」ということだけなのだが、ワタシ自身がどこにも行けず、モンモンとした日を過ごしているだけに、大した内容ではないことをお許し下さいマセ。
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寒波到来

2009-01-24 15:04:16 | 釣り一般
 本来なら、明日の日曜日にグレを狙ってどこかへ向うつもりであったのだが、前回の八丈島で懲りているせいか、今週末から週明けにかけての寒波到来の予報に早々と中止が決定している。

 考えてみると、ここ近年の冬は、訪れは遅いものの、一旦冬になるとしっかり寒波がやって来たりして、割と順調のような気がするし、「本当にに温暖化しているの?」と思ったりもする。そう言えば、最近CO2削減を呼びかけるCMや報道が減っているような気がするし、東京あたりでは今までリサイクルするからウルサく分別しろと言われていた食品トレー(容器)が、燃やすゴミの部類に入ったと聞く。なにやらトーンダウンの傾向だ。
 もちろんエコはコストが掛かるので、昨今の不景気な状況下にあっては声高に叫ぶことができないのかも知れないが、本当のところはドーなのだろうか?。

 ここ一年ほど、インターネット配信の「ミランカ」
http://miranca.com/
というサイトの中にある「博士も知らない日本のウラ」
http://miranca.com/entry/article6
というのを興味を持って見ているが、この配信サイトの39-1~2に出ている東京工業大学の丸山茂徳教授は、「太陽の黒点の活動から推測すると、寒冷化してゆくだろう。」と力説されていた。更に、昨年の秋には「温暖化によって洪水が起こる」と叫んでいた朝日新聞が11月21日の科学面で「太陽元気なし 地球に寒冷化の恐れ」と載せていたというから驚きだ。

 いったいどっちなの?と言いたいが、やはりハッキリと答えが出ていないようだ。だとしたら、以前にも書いたけど、これからは周りから伝え聞いたり紙面で知る環境問題よりも、日頃から自然に親しみ、肌で感じることによって、環境問題に対する判断を行い、日頃からムダにゴミを出したりせず、自然に対してローインパクトな生活を心掛けることが大切だと思う。例を挙げる迄もなく、川を汚す原因のほとんどの部分は近隣住民の生活排水と不法投棄いう現実を知るべきだ。

 で、この「博士も知らない日本のウラ」というシリーズ、元は無料で15日ごとに更新されていたのだが、この不景気の影響でメインスポンサーが降りてしまい、一旦は更新が打ち切りになり、最終回を迎えている。今ではバックナンバーを有料で見るしかないのだが、内容は大変面白く、まさしく「目からウロコが落ちる」ような話が多く、皆さんにお勧めの配信サイトだ。
 前述の丸山教授以外では30-1~2、36-1~2の苫米地教授の話は面白く、コレを見てから映画の「ボーン・アイデンティティ」から始まるボーン・シリーズを見るとおもしろさが倍増すると思うし、33-1~2に出ている町山智浩さんの話を聞けばアメリカの現状がよく理解できる。

 釣りに行けない週末に、暇つぶしで見るには勿体ないくらい面白いサイトだ。
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嗚呼!八丈島

2009-01-17 17:52:19 | 磯釣り
 年明け一発目の連休は毎年決まって兄と遠征をしている。今回はシマノ”石鯛”インストラクターの中出一也クンと、磯スペの四元編集長もメンバーに加わってのアプローチになった。

 一日早く到着した石鯛チームに早くもトラブル発生!。あらかじめ前夜までに到着しているはずの荷物の中で何と四元編集長のロッドだけが到着していないのであった。しかも、翌朝着の定期船も欠航しているので、使えるのは最終日のみ。どうにか竿を借りて釣りはできそうだが、前途多難な幕開けであった。

 翌朝我々兄弟も送れて到着するが、北西風が異常に強い。八丈島といえば八丈小島周辺

の尾長グレ狙いが大本命だが、ここは諦めて、八丈本島、南東側の風裏にある独立バエである、ウロウ根

に先乗りしている石鯛チームに合流することになった。

 石鯛チームに聴くと前日よりもマシだと言うが、強風が吹き、時折腰が浮きそうになることもあったが、我慢して実釣開始だ。
 マキエサを入れて様子を見るが、潮はほとんど流れていない。半ば回遊魚である尾長グレが出そうにない潮流のスピードであっても口太グレ狙いに変更可能な磯の場合は何とか拾えることもあるが、こういう時に困るのが口太グレがほとんど居ない磯だ。この磯もその類で、磯の周囲にはほとんど生命感がない。
 結局一日粘ったが、ワタシには少しだけ潮流が流れた瞬間に食った大型のサンノジ1枚、兄も尾長グレを釣ったが35cm級1枚のみ、石鯛チームはカンムリベラが数匹という悲惨な結果に終わった。

 帰り道の途中、峠から見る八丈小島は波が取れ始め、

翌日に期待を込めて、この日は宿に戻った。

 明けて翌日、渡船乗り場に向かうと、結構な数の釣り客が居た。みんな口々に一級磯である「シモダテに行こう。」と話している。
 我々もそこを狙っていたのだが、作戦変更、他の磯でゆっくり竿を出そうかと話している最中に残念な知らせが舞い込んできた。ナナ何と!船長から出船中止のコールが届いたのだ。
 ここで更なる作戦変更。地元釣具店員のガイドで本島周りの地磯

に向かうことになった。伊豆諸島の三宅島やここ八丈島では、こんな日には風&波裏の地磯に入るのが一般的だし、そこそこ釣果も期待できる。しかしながらこの日はウネリが北東から、風は西からという最悪の条件で入ることができる磯がほとんどない。
 それでも何とか見付けて入ったが、2時間経っても全くエサが取られず、雨が強く降り出したのをキッカケにあえなく撤収となった。

 やむなく宿に戻った後、更に風は強まり、今度は帰りの飛行機が着陸できるかどうかのギリギリの条件になった。結局、我々の便は何とかなったが、一つ前の便を予約していた人々は、飛行機が降りてこず、立ち往生していた。
 今回の遠征で数少ない幸運は飛行機に乗れたことくらいで、まさに「ほうほうのてい」で逃げ帰った我々メンバーであった。

 


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スキー場の現状

2009-01-10 10:11:38 | アウトドア・スポーツ
 遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。

 というところで、わが家では恒例となっている正月休みを利用してのスキー旅行。今回も例年どおり「志賀高原のスキー場」を目指したが、その顛末を書いていこう。

 出発したのは1月の1日。名神高速から中央道、長野道、上信越道と乗り継いで志賀高原の麓にある、長野県の中野市に到着したのだが、意外や意外、一番降雪量が多く停滞や事故が発生していたのが、滋賀県北部一帯だった。チェーン規制がかかる寸前だったせいか、ノーマルタイヤだけの車も多く、私の車もパーキングエリアから超ノロノロ運転で急に割り込んできた車に危うく追突しかけるシーンもあった。相手は安全運転のつもりらしいが、こちらはスタッドレスに四駆だったので、流れに乗って普通に走っている状況の前に、いきなり時速20kmで割り込んでくるとは…。

 そんなこんなで何とか無事に到着し、開けて2日、宿泊地の中野市内から志賀高原へと向かった。40分ほどで初日の目的地であるブナ平地区に到着したが、寒気の吹き出しが強かったせいか、強風のため、東館山のゴンドラは止まり、滑走可能なエリアも限られていた。いつもの年に比べて気温が低く、嫁さんや子供も「寒い寒い」と連発していたが、そのおかげで、辺り一帯の樹氷のような様々な木々

を見ることができた。
 悪条件の中ではあったが、これはこれで、本で見るよりも実際の景色で見られたことは感動的だったらしく、子供の頭の中に新たな実体験のイメージが出来上がったことだろう。

 開けて3日は、一転し、天候も回復し始めた中でのアプローチになった。


 宿泊していたコテージから見える戸隠~妙高にかけての山々
も綺麗に見え始め、

気分も一新された。

 この日は一ノ瀬方面

からアプローチし、前日に行けなかったブナ平上部~焼額山

までの辺り一帯を滑りまくり、充実した1日になった。
 最後は夕焼けの幻想的な風景

も堪能することができた。

 行ってみての感想だが、やはり訪れる人は少なく、正月でありながらリフト待ちは5分以内、ゴンドラも最長で10分と待たずに乗車できていた。やはりスノースポーツ人口は減り続けているようだ。それが証拠に新井マウンテン&スパ、ごりん高原、と毎年のように閉鎖されるスキー場があり、今年も野辺山のスキー場が閉鎖された。まさか今回の志賀高原までが閉鎖されることはないとは思うが、今年も日本人のスキー&スノーボード離れは確実に進み、頼りにされていたオーストラリアを中心とする海外からの客も円高の影響で激減しているという。今後も状況が更に厳しくなっていくのは現実のようだ。このままいくと自然相手のスポーツやアウトドア体験をするフィールドが減るのと同時にその人口も減っていくという悪循環は更に続くのだろう。そしてそうなると、都会の人工物しか知らない子供達が増えていく。その結果、近い将来、環境問題に関してもピンと来ない人や逆にダマされ過敏になって振り回される人、地方の現実や状況を理解できない人、自然を通じて得られるはずの感性が衰えた人、そして自然からの恩恵を感じない人が増えていくのなら、困りものだ。
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