■あこがれの高千穂峰へ■
記紀(古事記と日本書紀)に記される天孫降臨。「天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫=天孫の邇邇藝命(ににぎのみこと)が高天原(たかまがはら)から地上へ向かう」簡単に言えば、それが天孫降臨で、降り立った場所が筑紫の日向(ひむか)の高千穂というところだ。この高千穂の位置は諸説あって限定されていないそうだが、その内の一つが現在の鹿児島県、宮崎県県境近くにある霧島連峰の高千穂峰(たかちほみね)だ。
この山頂には、大国主神から邇邇藝命に譲り渡されたという、伝説の天逆鉾(あめのさかほこ)が今も残る。(レプリカらしいが…)
この鉾は、国家平定に用いられた後、国家の安定を願いつつも、「二度と振るうことのないように」との願いをこめて、この高千穂峰山頂に突き立てられたのだそうだ。
ご存じの方も多いとは思うが、実はこの鉾を大胆にも引き抜いた歴史上の有名人が居る。それは薩長同盟に奔走し、幕末期を駆け抜けた、かの坂本龍馬である。その坂本龍馬が妻のお龍さんと共に刀傷の湯治と、日本初と言われる新婚旅行を兼ねてこの霧島地区を訪れた際に、この高千穂峰に登り、こともあろうに、その鉾を引き抜いたのだ。そして、その様子を絵入りの手紙で姉の”乙女ねーやん”に伝えている。この手紙は現存しているから伝説等ではなく、事実であるから驚きだ。
そんな「記紀の世界と幕末の世界」が交錯する、高千穂峰に今夏の家族旅行中に登ることになった。
■古宮址へ■
まずはベース地である、高千穂河原ビジターセンターへと向かう。心配された雨はギリギリ降ってはいないものの、霧が所々で発生する中、無事にセンターの駐車場へ到着する。
ここで車を降り、まずはコース序盤にある霧島神宮の古宮(ふるみや)址に参拝する。
ここは更に高千穂峰近くにあった、本来の霧島神宮を度重なる噴火から守るために遷された地なのだが、ここでも噴火の影響があるために更に現在の地へ遷したために、ここが古宮址になったのだそうだ。
戦前の昭和15年に、この地へ斎場が設けられ、現在でも毎年11月10日に天孫降臨の故事にちなんだ天孫降臨御神火祭が開催されているそうだ。
■コースイン■
家族3人で参拝を済ませ、境内横の登山道入り口からコースイン。最初の内は石畳と石段で構成された道なので、予定通りの足取りで進んで行ける。
コースマップでは「登り1時間半、下り1時間」というから、そんなに距離のあるコースでもなく、ややナメてかかっていたが、石段が途切れ、植生が無くなり始めた頃からピッチが落ちてくる。
これは、地質が火山性の砂礫と溶岩で構成されているコース上に近日来から降り続いた雨が含まれて、重く、滑り易くなっているためで、用意したダブルストックがなければ、かなりキビシイ状況だった。
苦労して登るうち、ポツポツと雨が降り出す始末で、更にコンディションが悪化し始める。このあたりから、先に登っていた他のグループも次々に降りてくるが、ここから先では雨脚が強まっているようで、全員がズブ濡れの様子だ。何人かにコース・コンディションを訪ねたが、上部では強風が吹いており、それが原因で山頂まで至らずに、途中で引き返してくるグループもかなりあるようだった。
ここまでボクと一緒に頑張って登っていた妻と子供だったが、ハードな状況では無理はできないとして、斜面の途中でアプローチを断念することになった。
当然ここから先は単独での行動になったが、降りてくる人も極端に減ったために、ボクの心中にも「大丈夫なのか?」という不安がよぎり、心細くなってくる。しかし、それでも道標を頼りに…とは言っても一本道で迷いようはないのだが…先へ先へと進んでゆく。
■御鉢あたり■
しばらくゆくと斜面を登り切ったらしく、勾配が殆ど付かない区間に到達する。「そろそろ御鉢の横あたりだろうか?」とは思うものの、ただただ強烈な風に乗ってやって来る硫黄の臭いと、7~8mしかない道幅(…その外側は急勾配で踏み外すと滑り落ちる)が、想像力をかき立てるのみで、全く見通しはきかなかった。
見通しは兎も角、閉口したのはこの区間の風の強さだった。「飛ばされそうな」くらい吹いているのだが、「実際には飛ばない」程度の風が吹く中、横殴りの雨に打たれて更に進んでゆく。
御鉢の縁をしばらく進んだ後は、左斜め方向への緩い下りに差し掛かる。不思議とこのあたりは霧が吹き抜けるのみで雨脚は強くない。どうやら、御鉢の縁は地形の影響で風雨が通り抜ける道筋だったようで、そこを過ぎるとそんなにひどくはない状況だった。それが解っただけでも心の負担が減って、足取りがやや軽くなってゆく。
そして、降りきったところに鳥居が建っていた。恐らくここが霧島神宮本来の位置のようだ。
■ついに到達■
鳥居脇を抜けた後、この日の往路では最後の1人とすれ違う。ついには誰もいないコースとなってしまったが、ここから先は道標が30m間隔で現れてくるので、それに励まされるような感覚で最後の斜面を登り切る。
そして霧の中から浮かび上がるかのように現れたのは…。
見ることを心待ちにしていた天逆鉾だった。
早速、荷物を降ろし、参拝をする。ここに来られなかった家族の分までお祈りした後は、じっくりと天逆鉾を見ることにする。
レプリカとは解っているが、誰も居ない御神域の中、それも濃霧に埋もれる中で見るその姿は幻想的であり、青銅製のため、青緑に怪しく光り、そこに雨がしたたる様子は、今にも天から雷が落ちてきそうにも思える。
坂本龍馬が「天狗の顔のような形だった。」と手紙に記したため、この鉾の柄の部分もそのように創ってあるそうだ。
ただし、光量が足らず、さりとてストロボが届ききらない距離にあるため、写真にその様子を完全な状態で納めることができなかったのは、残念なことだった。
天逆鉾との感動的な”ご対面”が済んだ後は、往路を逆に辿るばかりだったが、滑り、崩れる斜面はダブルストックを使って、まるでスキーの小回りターンを繰り返すかのように降りてゆくのがやっとだった。
そして、予定よりも1時間以上余分に費やした後に、出発点だった駐車場付近に。レインウエアを着込んではいたが、全身がズブ濡れとなっての到着だった。
■霧島神宮へ■
下山後は、霧島温泉に浸かり、霧島神宮へと向かう。この神宮には邇邇藝命(ににぎのみこと)が祀られている。
一通りの参拝を済ませ、付近を散策する。
そして、3の鳥居横にある、「さざれ石」に見入る。そう、我が国の国家「君が代」に出てくる、あのさざれ石だ。
さざれ石とは、学名を石灰質角礫岩というそうだ。「石灰石が水に溶け出し、その水が粘着力の強い状態になって、『つなぎ』の役割をすることで地下で小石を集結して次第に大きくなった状態」を指すそうだ。
今回は、順序は同じではないが、坂本龍馬が巡ったコースと同じコースを周遊した。まさか、こんな荒天ではなかっただろうが、このコースを着物と草履で行き来した、坂本龍馬とお龍さん夫妻の健脚ぶり(とは言っても、当時はそれが当たり前で、現代人が貧脚過ぎるのかも知れないが)には驚かされるばかりだった。
「二度と来ることはないかも知れない。」と思い、今回は半ば無理矢理に高千穂峰に登ったが、できうることならば、晴れた日に御鉢を眺めながら登り、晴天の空にそびえる天逆鉾も見てみたいものだ。
記紀(古事記と日本書紀)に記される天孫降臨。「天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫=天孫の邇邇藝命(ににぎのみこと)が高天原(たかまがはら)から地上へ向かう」簡単に言えば、それが天孫降臨で、降り立った場所が筑紫の日向(ひむか)の高千穂というところだ。この高千穂の位置は諸説あって限定されていないそうだが、その内の一つが現在の鹿児島県、宮崎県県境近くにある霧島連峰の高千穂峰(たかちほみね)だ。
この山頂には、大国主神から邇邇藝命に譲り渡されたという、伝説の天逆鉾(あめのさかほこ)が今も残る。(レプリカらしいが…)
この鉾は、国家平定に用いられた後、国家の安定を願いつつも、「二度と振るうことのないように」との願いをこめて、この高千穂峰山頂に突き立てられたのだそうだ。
ご存じの方も多いとは思うが、実はこの鉾を大胆にも引き抜いた歴史上の有名人が居る。それは薩長同盟に奔走し、幕末期を駆け抜けた、かの坂本龍馬である。その坂本龍馬が妻のお龍さんと共に刀傷の湯治と、日本初と言われる新婚旅行を兼ねてこの霧島地区を訪れた際に、この高千穂峰に登り、こともあろうに、その鉾を引き抜いたのだ。そして、その様子を絵入りの手紙で姉の”乙女ねーやん”に伝えている。この手紙は現存しているから伝説等ではなく、事実であるから驚きだ。
そんな「記紀の世界と幕末の世界」が交錯する、高千穂峰に今夏の家族旅行中に登ることになった。
●登山コース=御鉢~高千穂峰間の俯瞰写真●
■古宮址へ■
まずはベース地である、高千穂河原ビジターセンターへと向かう。心配された雨はギリギリ降ってはいないものの、霧が所々で発生する中、無事にセンターの駐車場へ到着する。
ここで車を降り、まずはコース序盤にある霧島神宮の古宮(ふるみや)址に参拝する。
●古宮址の鳥居●
ここは更に高千穂峰近くにあった、本来の霧島神宮を度重なる噴火から守るために遷された地なのだが、ここでも噴火の影響があるために更に現在の地へ遷したために、ここが古宮址になったのだそうだ。
戦前の昭和15年に、この地へ斎場が設けられ、現在でも毎年11月10日に天孫降臨の故事にちなんだ天孫降臨御神火祭が開催されているそうだ。
●天孫降臨神籬(ひもろぎ)斎場●
■コースイン■
家族3人で参拝を済ませ、境内横の登山道入り口からコースイン。最初の内は石畳と石段で構成された道なので、予定通りの足取りで進んで行ける。
●コース序盤の様子●
コースマップでは「登り1時間半、下り1時間」というから、そんなに距離のあるコースでもなく、ややナメてかかっていたが、石段が途切れ、植生が無くなり始めた頃からピッチが落ちてくる。
●植生の限界あたり●
これは、地質が火山性の砂礫と溶岩で構成されているコース上に近日来から降り続いた雨が含まれて、重く、滑り易くなっているためで、用意したダブルストックがなければ、かなりキビシイ状況だった。
●赤い部分が溶岩の塊●
苦労して登るうち、ポツポツと雨が降り出す始末で、更にコンディションが悪化し始める。このあたりから、先に登っていた他のグループも次々に降りてくるが、ここから先では雨脚が強まっているようで、全員がズブ濡れの様子だ。何人かにコース・コンディションを訪ねたが、上部では強風が吹いており、それが原因で山頂まで至らずに、途中で引き返してくるグループもかなりあるようだった。
ここまでボクと一緒に頑張って登っていた妻と子供だったが、ハードな状況では無理はできないとして、斜面の途中でアプローチを断念することになった。
当然ここから先は単独での行動になったが、降りてくる人も極端に減ったために、ボクの心中にも「大丈夫なのか?」という不安がよぎり、心細くなってくる。しかし、それでも道標を頼りに…とは言っても一本道で迷いようはないのだが…先へ先へと進んでゆく。
●心の支えの、途中の道標●
■御鉢あたり■
しばらくゆくと斜面を登り切ったらしく、勾配が殆ど付かない区間に到達する。「そろそろ御鉢の横あたりだろうか?」とは思うものの、ただただ強烈な風に乗ってやって来る硫黄の臭いと、7~8mしかない道幅(…その外側は急勾配で踏み外すと滑り落ちる)が、想像力をかき立てるのみで、全く見通しはきかなかった。
●御鉢の縁●
見通しは兎も角、閉口したのはこの区間の風の強さだった。「飛ばされそうな」くらい吹いているのだが、「実際には飛ばない」程度の風が吹く中、横殴りの雨に打たれて更に進んでゆく。
御鉢の縁をしばらく進んだ後は、左斜め方向への緩い下りに差し掛かる。不思議とこのあたりは霧が吹き抜けるのみで雨脚は強くない。どうやら、御鉢の縁は地形の影響で風雨が通り抜ける道筋だったようで、そこを過ぎるとそんなにひどくはない状況だった。それが解っただけでも心の負担が減って、足取りがやや軽くなってゆく。
そして、降りきったところに鳥居が建っていた。恐らくここが霧島神宮本来の位置のようだ。
●本来の境内跡?に建つ鳥居など●
■ついに到達■
鳥居脇を抜けた後、この日の往路では最後の1人とすれ違う。ついには誰もいないコースとなってしまったが、ここから先は道標が30m間隔で現れてくるので、それに励まされるような感覚で最後の斜面を登り切る。
そして霧の中から浮かび上がるかのように現れたのは…。
見ることを心待ちにしていた天逆鉾だった。
●天逆鉾と御神域●
早速、荷物を降ろし、参拝をする。ここに来られなかった家族の分までお祈りした後は、じっくりと天逆鉾を見ることにする。
レプリカとは解っているが、誰も居ない御神域の中、それも濃霧に埋もれる中で見るその姿は幻想的であり、青銅製のため、青緑に怪しく光り、そこに雨がしたたる様子は、今にも天から雷が落ちてきそうにも思える。
●天逆鉾●
坂本龍馬が「天狗の顔のような形だった。」と手紙に記したため、この鉾の柄の部分もそのように創ってあるそうだ。
●天逆鉾(拡大)●
ただし、光量が足らず、さりとてストロボが届ききらない距離にあるため、写真にその様子を完全な状態で納めることができなかったのは、残念なことだった。
天逆鉾との感動的な”ご対面”が済んだ後は、往路を逆に辿るばかりだったが、滑り、崩れる斜面はダブルストックを使って、まるでスキーの小回りターンを繰り返すかのように降りてゆくのがやっとだった。
そして、予定よりも1時間以上余分に費やした後に、出発点だった駐車場付近に。レインウエアを着込んではいたが、全身がズブ濡れとなっての到着だった。
■霧島神宮へ■
下山後は、霧島温泉に浸かり、霧島神宮へと向かう。この神宮には邇邇藝命(ににぎのみこと)が祀られている。
●賑わう、霧島神宮の境内●
一通りの参拝を済ませ、付近を散策する。
そして、3の鳥居横にある、「さざれ石」に見入る。そう、我が国の国家「君が代」に出てくる、あのさざれ石だ。
さざれ石とは、学名を石灰質角礫岩というそうだ。「石灰石が水に溶け出し、その水が粘着力の強い状態になって、『つなぎ』の役割をすることで地下で小石を集結して次第に大きくなった状態」を指すそうだ。
●さざれ石●
今回は、順序は同じではないが、坂本龍馬が巡ったコースと同じコースを周遊した。まさか、こんな荒天ではなかっただろうが、このコースを着物と草履で行き来した、坂本龍馬とお龍さん夫妻の健脚ぶり(とは言っても、当時はそれが当たり前で、現代人が貧脚過ぎるのかも知れないが)には驚かされるばかりだった。
「二度と来ることはないかも知れない。」と思い、今回は半ば無理矢理に高千穂峰に登ったが、できうることならば、晴れた日に御鉢を眺めながら登り、晴天の空にそびえる天逆鉾も見てみたいものだ。