都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
都月満夫
一月十五日、成人式の夜、茂木範夫は大学生の友人二人と飲んでいた。だが、彼らは社会人の範夫を残し、十時頃に帰っていった。
範夫も飲み過ぎていたが、冬の夜風が心地よくて、フラフラと歩いていた。七丁目界隈で『祇園小路』のネオンが赤く見えた。その中間辺りに『バー・水溜り』の行灯が、更に赤く見えた。足がその店に向かった。
「いらっしゃいませ。」
ドアを開けると、女たちの声と、店の暖気が範夫を包み込んだ。急に気持ちが悪くなって、店を出ようとしたが、金髪の女に抱えられ、無理やりボックス席に座らされた。
どれくらい時間が過ぎたのだろう。目覚めると、範夫は見知らぬ部屋のベッドにいた。
「あらっ、モーさん、やっとお目覚め…。」
赤いブラジャーに、白百合のパジャマズボンを穿いた、金髪女が範夫を覗き込んだ。
「モーさんって…。ここ何処?今何時?」
「私の部屋。一時過ぎ。背広のネーム見ちゃったの…。茂木さんって云うんでしょ。」
「ハイ。あの…上、着てくれませんか。」
「恥ずかしい?カワイイッ。でも、モーさんじゃ牛みたいね…。そう、モギーがいい。」
「…、そうかな。」
「カッコいいわよ、モギー。決めたわ。」
「いいよ、モギーでも何でも…。君は?」
「私はリリーって云うの。金髪のリリー。」
「リリーさんですか。面倒掛けて申し訳ありませんでした。店に入ってから記憶がないんですけど、吐いたりしませんでしたか。」
「大丈夫、ちょっとだけ…。」
「ああ、やっぱり…。ご迷惑を掛けて、本当に申し訳ありませんでした。」
「いいのよ。アンタ、タイプだもの。店に入ってくるなり、私飛びついちゃった。」
女はそんなことは全然気にしていない。
「ねえ、元気になった?今日、成人式?」
「ハイ、そうです。もう大丈夫です。」
「いいなぁ、成人式…。じゃあ、スル?」
…。じゃあスルって、何だ…この女…。
「スルって…、ナニを…ですか?」
「男がいて女がいて、スルことと云えばアレしかないじゃない。お祝いよ、成人の…。」
「ダメですよ。会ったばかりで、君のことも良く知らないし…。申し訳ないけど…。」
「へえぇ、真面目なんだ…。そうよね…。それが普通よね。私の勝手な一目惚れよ…。」
「君はとても魅力的で…、男の恥といわれるかも知れませんが…、今夜は帰ります。」
「じゃあ、私タクシー呼ぶ。直ぐそこの角に、公衆電話があるの。また来てね、絶対。」
「その格好じゃ…。自分で呼んで帰る…。」
範夫が言うより早く、女は白いふわふわのオーバーを羽織って、飛び出していった。
範夫は次の晩、『水溜り』に寄った。昨夜の女も気になっていたが、とにかく、ママに謝りたかった。ガソリンスタンドという商売は、どの客が何処で誰と繋がっているか分からない。そう先輩から教わっていたからだ。
ドアを開けると、嬌声と共に、昨夜の金髪女が飛びついてきた。
「来てくれたんだ。ママ、この人、モギーっていうの。リリーのお客さんだからね。」
範夫はママに、昨夜のことを謝った。
「あら、この子、謝りに来るなんて…。若いのに、今時珍しい。どうぞ御贔屓に…。」
店内は、ボックス席が五つに、カウンターが五席。濃い赤色で統一した小奇麗な店だ。
リリーは、範夫を一番奥のボックスへ案内し、鼻がぶつかる程、顔を近づけて言った。
「やっぱり、リリーとシタかったんだ。」
「露骨だな、君は。言葉は婉曲に使うと色っぽいのに…。私の心情を察して…、とか。」
「嫌だよ。そんな回りくどい言い方は…。」
「まっ、君に、もう一度会いたかったことは、間違いないよ。本当に綺麗だから…。」
ちょっと目じりが下がった、子供っぽいが端正な顔立ち。日本人離れのしたスタイル。脚の長さも然る事乍ら、お尻も胸も大きい。
リリーは、白のホルターネックのロングドレスで、肩や背中が露出している。裾サイドのスリットも深い。爪には赤いマニキュア。
ぷっくりした唇に引かれた、赤いルージュは、色白のリリーを、一層引き立てている。
他のホステスたちは、パンツが見えるほど短いミニスカートを穿いて、騒いでいる。
「嬉しい、綺麗だなんて…。」
「だって、本当に綺麗です。掃き溜めに鶴…。じゃあなくて…、水溜りに鯉ですよ。」
「面白いわね。信じちゃうわよ、リリー。」
「だけど、そんなに綺麗なのに、どうしてこんな店に居るんですか…。」
「だったら、世界中に飲み屋は山ほどあるのに、何故、昨夜この店に来たんですか…。」
「偶然、店の名前が面白かったから…。」
「リリーも偶然この店に居たの…。こういう店で働く女には、みんな物語があるのよ。そんなことを聞くのは、野暮ってもんよ。」
「そうですね…。失礼しました。」
「今から、閉店までいると、お金が掛かるから、何処か別のスナックで待っていて…。」
すっかり、リリーのペースである。
「昨夜、モギーはリリーのこと、知らないからシナイって言ったでしょ。今夜、リリーの物語を話してあげる…。ネッ、野暮さん。」
「じゃあ、十丁目の長谷部ビルの七階、スカイガーデンで待っています。そこのチーフがお客さんで、安くしてくれるので…。」
「いいわ、そこで待ってて…。」
「モギー、お待たせ…。」
十二時近くなって、リリーが入ってきた。
「あれ、茂木さん、こんないい女と知り合いなんだ。隅に置けないなぁ…。」
チーフの香川が、ニヤニヤして言った。
「そんなんじゃないよ。」
「あらっ、この店感じ悪ぅい…。」
リリーは範夫の腕をつかんだ
「それじゃあ、チーフまた来るから…。」
「モギー、ホテルへ行こうか?」
「えっ、行き成り…。直行…、ですか。」
「二人っきりで、話をしたいから…。モギーにリリーのことを、知って欲しいの…。」
リリーはベッドの端に腰掛けた。
「モギーは、そっちの端、接近禁止よ。話を聞き終わったら、抱いて…くれるかな…。」
範夫は言われた様に離れて腰掛けた。
「私の物語、…話すね。絶対に秘密だよ。
名前は、山本百合子。歳はモギーより一個上の二十一歳。パパは小学校の教師、ママも元教師。リリーは進学校の柏木高校に通学していた。ところが、リリーが高二の時、パパが、PTAの役員だった女とデキちゃって、パパとママは喧嘩ばっかりの毎日…。
リリーはそんな家が嫌になって家出…。
そして、お決まりのコースでヤクザのスケ(女)…。初めは優しかったわ。チンピラたちも、私のことを、姐さんって呼ぶし…。
直に、私は店に出された。稼ぎのいい高級クラブ。まだ十七才なのに…。金髪のリリーの誕生よ。客は街の名士。偉そうな顔の狒狒爺と、腰巾着の猿。アフター(閉店後)の交際はお断り。私は、金で猿の餌なんて…、御免よ。名士で紳士なんて男は滅多に来ない。
一年後、私はアイツの子供を身籠った。アイツは火の様に怒った。『バカヤロー、お前にはまだ稼いでもらう。子供なんか産んでる場合か!』って、殴る、蹴るの暴行。子供は流産し、私は子供の産めない体に…。子供が産めない女って、悲しいよ…。誰に抱かれても、何回抱かれても、デキないんだから…。
別れるってアイツに言ったら、暴行が一週間続いた。それでも、私は諦めずに別れた。
それ以来二年近く、店を転々とし、日銭貰っては、一人キスグレル(泥酔する)毎日。
『水溜り』のママに拾われて、昨夜初めて店に出たの。これは運命の出会いかもね…。」
「運命かどうかは、分かんないけど…。俺にそんな物語は無いよ。一応話しとく。名前は茂木範夫。親父は製材工場の役員。何事も無く育ち、二条高校を卒業。何もすることが見付からなかったので、大学も行かずに、ぶらぶらしてた。そしたら親父に叱られて、知り合いの会社を紹介された。その会社に紹介されて、今の会社で働いている。サービスステーション、即ち、ガソリンスタンド…。」
リリーが傍らに躙り寄って、微笑んだ。
「リリーのこと、分かった?…スル?」
「うん。君は悪い女じゃなさそう。俺、本当は怖かったんだ…。宜しくお願いします。」
「女の私に、スルって二回も言わせて…。男の癖に、宜しくお願いします、なんて…。」
「すみません…。」
クスッと笑ってから、範夫のほうを真っ直ぐに見つめて、リリーは真顔で話を始めた。
「最初に謝っておくことが、一つだけあるの。絶対にリリーの裸は見ないで欲しい…。」
「えっ、それって、どう言う事ですか?」
「闇の中で行う、秘め事…。私、モギーには裸を見られたくないの。照明は全部消す。お風呂も一緒に入らない。シャワーも覗かないで…。本当にゴメンね。理由は訊かないで…。…でないとデキない。我慢してくれる。」
…。何故、どんな理由があるのだろう…。
「いいよ。リリーが嫌なら、我慢する。」
「シテる間に、毛布を剥ぎ取るなんて真似は、最低だからね。絶対に許さないから…。」
「しっ…しないよ。そんな卑怯なこと…。」
「じゃあ、リリー、シャワー浴びてくる。」
範夫は冷蔵庫のビールを飲んでいた。
リリーが白いバスタオルを巻き出て来た。
「モギーもシャワー浴びてきて…。」
範夫は言われた通り、シャワーを浴びて出て来た。照明は既に消されていた。ベッドサイドのスタンドだけが、ぼんやりと点っている。リリーはベッドに潜り込んでいる。
「リリー、反対側に移動してくれないか。俺、左利きなんだ。」
「あららっ、左利きの男はスケコマシ(女たらし)って云うけど、モギーも…。」
「違うよ、そんなんじゃないよ!」
「女は普段と違う所を攻められると、猛烈に感じちゃうのよね…。優しくシテ…ねっ。」
灯りを消し、範夫もベッドに潜り込んだ。リリーの、いい香りがした。二人は静かに唇を合わせた。柔らかい感触が、範夫の唇を押し返した。範夫は髪の毛に指を絡ます。上等な羽毛のような柔らかさが、掌をくすぐる。
「肌理細かい柔肌。君は天女のようだ…。」
範夫はリリーを抱き締め、耳元で囁く。リリーは堪らず、声にならない息を吐く。範夫は、暗闇で蠢く虫のように…肌を模索する。闇の中で、錯覚と妄想が渦巻く。雲のような柔肌の上、範夫はリリーの中に吸収された。
二人が、週に二、三度関係を持つようになって、半年ほど経った、七月の半ばだった。
「ねえ、私たち、何日一緒に寝た?」
「日数までは…。」
「リリーは、一日ずつ全部覚えている。」
そして、リリーは言った。
「もう、今夜から、モギーに会わない…。」
「えっ、何だい…、俺が嫌いになった?」
「違う!大好き。八月七日まで…。七夕の日、広小路を腕組んで歩きたいの。お願い。」
…。こんな金髪女と腕組んで歩いたら、目立って仕様が無い。どうするんだよ…。
「織姫と彦星みたいに、しばらく会わないで、七夕の夜会うって、ロマンチックじゃない。いいでしょ。お願い。一生のお願い…。」
リリーの目は真剣で、断る状況ではない。
「分かった。じゃあ…、七日の七時、西二条の角で待っているから…。」
その日、範夫は金髪に対抗して、派手な赤いポロシャツに白いズボン姿で来た。いくら探しても、リリーの金髪姿が見えない。
「茂木さん、茂木範夫さん。」
範夫は振り向いた。そこに、黒髪を結い上げ、藍と白の桔梗柄の浴衣を着た女がいた。紺の花緒が、色白の小股に切れ込んでいる。
「リリー?」
範夫は、思わず訊いてしまった。
「いいえ。私、山本百合子と申します。」
薄化粧のリリーが言った。厚化粧の下に、こんなに清楚な顔を隠していたなんて…。
「茂木範夫さんと、デートに参りました。」
「範夫と百合子、本気ってこと…ですね。」
百合子は笑顔でうなずき、腕を組む。浴衣の、身八つ口から覗く胸が、範夫の腕に触れる。温かくて、柔らかい。とても気持ちがいい。雑踏の中で我に返る。女の胸に触れている自分に赤面する。範夫が離れる。百合子はしなやかに身を寄せ、範夫の腕を抱え込む。
「ねえ…、恥ずかしいの?顔が赤いよ…。私、初めてなんだ、男の人と七夕見るの…。」
二人は食事をした後、ホテルに居た。今夜はしらふでシタイのだと、百合子は言う。
照明の消えた部屋。丁寧に唇を重ねる。至福の時が緩やかに流れる。闇の中の安らぎ。母の胎内で鼓動を聞くような穏やかさ。今…範夫は、本気で百合子を愛していることに、気付いた。目頭が熱い。次々と涙が溢れる。
「百合子…、ゆり…こ、愛し…てる…。」
震えて声にならない。百合子は何度もうなずく。深く息を吸い、静かに話しを始めた。
「昔、ママが言っていた。『女の体は丸くて柔らかい。女の心も同じ…。一方が傷つくと、もう一方も傷つく。優しい男を選びなさい。自分を大切にしなさい。』ってね。でも男は、土足で入ってきて、一人で何処かへイッテしまう。私だって感じたい…。女だって生きているって感じたいの…。でも、範夫は違う。いつでも優しかった。私を連れてイッテくれた。今夜も…、優しくシテ…。ああ…。」
百合子は、喘ぎながら、やっと、話した。
視覚の無い部屋。残った感覚の神経を研ぎ澄ます。皮膚の触覚で柔らかい肌を愛撫し、丸い女体を想像する。もう暗闇ではない。
範夫の脳裏に、白い完璧で美しい裸体がはっきりと見えている。照明など要らない。視覚では見えない、百合子の心の色までが、見えた気がした。塩辛い汗が、滲んでくる。花蕊の奥から蜜が溢れる香りが、興奮を誘う。
百合子の血管が痙攣し、息が激しくなる。「来てっ…、来てっ…、範夫早く来て!」
次の日、範夫は『水溜り』に行った。リリーは居なかった。ママが怒って言った。
「リリーなら、先月、アンタが来た夜で、辞めちまったよ。全く恩知らずな女だよ…。」
その後、リリーの行方は分からなかった。
四十年経った今も、百合に関係のある行灯を見ると、寄る習慣が付いてしまった。
今夜もそんな店を見つけ、ドアを開けた。
茂木より少し年輩の男が、カウンターで一人飲んでいた。ママは茂木の前に水割りを置くと、男の前に戻った。男が話し始めた。
「俺は昔、ヤクザだった。嫌がる女の左の内股に、無理に刺青を彫った。花札の『桜に花見幕』の刺青だ。女は三日三晩泣き通しだった。これで堅気の女には戻れないってな。
その後、傷害で二年、オツトメ(服役)した。出所後、直ぐに女を捜した。女は見つからなかった。その女に、惚れてたんだ。何処かで会えるかもって…、今は長距離貨物の運転手。今夜は雪だって予報だから、シバレルべなァ。冬は背中の刺青の墨が、皮膚の下で冷える。寒い夜は、心まで凍みるんだよ…。ママ知らないかな…、金髪のリリーって女。」
男は残っていた水割りを、一気に飲み干して、グラスをカウンターに置いた。
グラスの氷が崩れた。その哀しげな音は、冷たい涙のように、茂木の心に滲み込んだ。