都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
ここはどこ細道じゃ
天神様の細道じゃ
ちょっととおしてくだしゃんせ
ご用のないものとおしゃせぬ
この子の七つのお祝いに
お札をおさめにまいります
行きはよいよい帰りは怖い
怖いながらもとおりゃんせとおりゃん せ
江戸時代の川越の三芳野天神(郭町(くるわまち)、三芳野神社)が発祥地。
三芳野神社は、川越城の築城前からあったそうで、それを太田道灌父子が城を築くとき、敷地に取り込んだ。
神社横の細道が歌の舞台になり、川越城内の子女の間で歌われていたものが城下に流れ、武士や僧侶、町人たちによって江戸へ運ばれ、やがて全国へ広まって行った。
三芳野神社の天神さまにお詣りをするときは、(城内になっても、お詣りの人は絶えなかった)、行くときはいいが、帰るときは携帯品を何度も城の警護のものに調べられたので、「帰りはこわい」となった。
これが正しければ、全然怖いお話ではありません。
が、この唄の歌詞の由来は色々あるのです。その一説が「子殺し」なのです。
貧乏な農家では、増えすぎた子供に困っていました。そこで口減らしに子供を捨てに行くという唄、と言われています。
飢餓でひもじい思いで死ぬのなら、いっそう親の手で殺してしまおうとする親の子殺しの歌。神社には天神様がおり、迷うことなく天国に導いてくれる。最後の「行き」は「逝き」で、「帰り」は「甦り」(黄泉帰り)の意味
また江戸時代に関所を通る時には「手形」が必要でした。お札は「手形」のことと言われています。
手形を持たないものは関所を通れないのですが、親が危篤という場合、頼み込んで通してもらいました。
が、帰りは手形がないので帰れないということで「行きはよいよい帰りは怖い」と唄われたとも。
1. 天神様に七五三のお参りに行くときの歌。関所を通る時の通関の厳しさを歌った歌とも言われる。貧しい農村では、七つのお祝いしか行われなかったようです
2. 7歳になった子供をお札と一緒に天神様に連れて行く人身御供の歌。天神様の領域には生贄である子供しか入れず、用の無い大人は入れなかった。だから、行きはよいよい帰りは怖い(行きはあっても、子供には帰りは無い)
3. 「細道」が「産道」で、「ご用」が「生きる意志」、「行き」が「産まれる」、「帰り」が「死ぬ」とい意味で、母親の腹から産まれる時の歌。
4. また「水子」のことを唄っているとも言われています。
5. 「行きはよいよい 帰りはこわい」=帰りは疲れる、しんどい(方言:北海道ではそういいます。)
したっけ。