都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
遊女の世界では、妊娠することが恥とされていました。
遊女自身が絶頂に達すると妊娠しやすい、といわれていたことから、プロ精神に欠けるということでしょうか。当時は絶頂を迎えると妊娠しやすいと言われていたため「男に負けた」的な捉え方をしていたようです。
遊女用の浴室や便所には、必ず洗浄用の場所があったようです。
服用するものとして、「朔日丸(ついたちがん)」というものがありました。
これは一般にも服用されていた薬で、毎月朔日(ついたち)に服用すれば妊娠しないというものでした。長屋の総後架(そうこうか:共同便所)などに広告が貼られている絵が残っています。他にも生理不順にも効くと言われた避妊薬「天女丸」と言うのも人気があったようです。
二月二日、臍下に灸をすえると妊娠しないという言い伝えがあり、廓ではこの日こぞって灸をすえたようです。
甲形(かぶとがた)今で言うコンドームですね。(水牛の角・鼈甲・革などで作った亀頭サック)、革製サック(外来)等と、詰め紙という女性が使用する、現代のペッサリーに近いものがありました。いずれも効果は期待できず気休めみたいなものだったようです。
甲形は笑い道具、つまり現代の大人のおもちゃとしての用途もありました。また、詰め紙というのは、御簾紙という薄い紙を丸め、つばで湿らせて挿入したもののようです。これは生理中、現代のタンポンのような用途でも使われました。
農村部などでは日常的に間引きが行われていたように、当時中絶に対してはそれほど否定的な状況ではなかったようです。
よほど売れっ子の高級遊女であれば出産も可能でしたが、妊娠した遊女のほとんどは中絶せざるを得ませんでした。
また、遊女の産んだ子供は、女の子であれば禿(かむろ)として遊女屋で育てることもありましたが、たいていは養子に出されたようです。当時江戸には中条流という 堕胎専門のような医者がいて、妊娠した遊女はその医者によって堕胎させられました。ひどい場合には、遣り手が強引に堕胎させる場合もあったようです。
当然ダメージを負った女性の中には性病や容姿の悪さなどで追いやられた遊女達と一緒に羅生門河岸という最下級の場所に送られたとか。
江戸時代=昔=封建社会という背景も助長して「女性がとても虐げられている」というイメージが強いですが、実は吉原は江戸市中でも最も女性が強かった地域でもあるのです。
特に花魁ともなると容姿はもちろん最高級の教育を受けた教養の高い女性であり、「源氏物語は、全部読んでありんす」という、飛び抜けて優れた能力のある女性だったのです。今で言う、高学歴・高資格といったところでしょうか。
花魁はそれぞれの廓屋の看板であり、身分の高い武家階級や大金持ちの大店の主人を相手にするにふさわしい女性であったのです。
おまけにこれだけの才女ですから、誰でも床入りできるような「安い女じゃない」のです。なんと花魁が気に入らなかったら床入りを拒否することができたのです。
「いくら玉代積んでも、あちきはお前さんみたいな下衆(げす)なものとは、お断りで~ありんす。」とか言ったのでしょうか。
それだけに花魁目的で廓屋に通う男達は身だしなみに気を使いセンス良く知的におしゃれして花魁に気に入られようと必死だったのです。事実一生処女のまま生涯を閉じた花魁もいたということです。
したっけ。