都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
歌舞伎役者が舞台でグッと見得を切ります。すると、大向こうから、「成田屋っ!」「音羽屋
っ!」と声が掛かります。
《向こう桟敷の後方にあるところから》1劇場で、舞台から見て正面後方にある立見の場所。一幕見(ひとまくみ)の観覧席。2立見席の観客。芝居通の人が多かった。転じて、一般の見物人。辞書:大辞泉
この役者の屋号は一体何処からきているのでしょうか。芸名だけでしたら、江戸時代でも噺家(はなしか)、常磐津(ときわず)にもありました。
これは江戸時代の身分制度に関係があります。江戸時代の身分制度というと、士農工商のその下にがありました。役者はもともとといわれる身分で、あるとき、役者は、はたして良民かかということが問題になりました。このころの人気役者ともなると、小大名顔負けの経済力を持っていましたが、良民とでは身分が大違いです。当初「」と呼ばれて扱いだった芝居役者が、町奉行所における裁きで良民と認められたのは宝永5年 (1708年) のことだった。
これで役者連中は喜びました。それまで良民だかなんだかわからないまま、劇場付近にかたまって住んでいたのを、天下御免の良民になったのです。これを機会に、良民として、表通りに住み始めました。
そして、江戸時代の法律では、表通りは商家でなくてはならなかったので、団十郎、幸四郎、菊五郎といった連中は、お手のものの化粧品問屋を開いたわけです。化粧品の他、小間物問屋、薬屋を開いた役者もいたということですが、商いには屋号がつきものです。あっという間に、歌舞伎役者の間では屋号で呼ぶことが流行ったということです。
屋号は役者の良民であることの集団の団結力を誇示するものであり、社会的地位や身分を象徴するものでもあったわけです。
ちなみに、「成田屋」は市川団十郎、市川海老蔵、市川新之助等、
「音羽屋」は尾上菊五郎、尾上菊之助、尾上梅幸等、
「萬屋」は中村錦之介、中村獅童等、
「高麗屋」は松本幸四郎、市川染五郎等が名乗りました。
それだけ江戸時代の身分制度は厳しかったということでしょう。
したっけ。