都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
次の言葉の年齢はそれぞれ幾つでしょう。
志学
而立
不惑
知命
耳順
従心
年齢を表す言葉の基になった『論語』
子曰、「吾十有五而志二於学一。三十而立。四十而不レ惑。五十而知二天命一。六十而耳順。七十而従二心所一レ欲、不レ踰レ矩。」 〔為政(いせい)第二〕
読み方
子曰はく、「吾、十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順ふ。七十にして心の欲する所に従へども、矩を踰えず」と。
(しいはく、「われじゅうごにしてがくにこころざす。さんじゅうにしてたつ。しじゅうにしてまどはず。ごじゅうにしててんめいをしる。ろくじゅうにしてみみしたがう。しちじゅうにしてこころのほっするところにしたがへども、のりをこえず」と。)
意味
私は、
十五の時に、学問で身を立てようと決心しました。
三十の時に、学問などの基礎がきちっとして、独り立ちができるようになりました。
四十の時に、狭い見方に捕らわれることなく、心の迷いがなくなりました。
五十の時に、天が自分自身に与えた使命を自覚しました。
六十の時に、何を聞いても素直に受け入れることができるようになりました。
七十の時に、自分がしたいと思う言動をしても、人の道を踏み外すことがなくなりました。と。
答え
志学 (しがく)= 十五歳
而立 (じりつ)= 三十歳
不惑 (ふわく)= 四十歳
知命 (ちめい)= 五十歳
耳順 (じじゅん)= 六十歳
従心 (じゅうしん)= 七十歳
こう‐し【孔子】
[前552~前479]中国、春秋時代の学者・思想家。魯(ろ)の陬邑(すうゆう)(山東省曲阜(きょくふ))に生まれる。名は丘(きゅう)。字(あざな)は仲尼(ちゅうじ)。諡(おくりな)は文宣王。早くから才徳をもって知られ、壮年になって魯に仕えたが、のち官を辞して諸国を遍歴し、十数年間諸侯に仁の道を説いて回った。晩年再び魯に帰ってからは弟子の教育に専心。後世、儒教の祖として尊敬され、日本の文化にも古くから大きな影響を与えた。弟子の編纂(へんさん)になる言行録「論語」がある。くじ。
大辞泉
私は、
十五の時に、学問で身を立てようとは思いませんでした。
三十の時に、学問などの基礎が身につかず、独り立ちができるようにはなっていませんでした。
四十の時に、狭い見方に捕らわれ、心は迷ってばかりいました。
五十の時に、天が自分自身に与えた使命はみつかりませんでした。
六十の時に、何を聞いても素直に受け入れることができませんでした。
七十の時に、自分がしたいと思う言動をしても、人の道を踏み外すことがなくなるでしょうか。と。
この言葉に従うならば、私はまだ十五歳未満ということになります。後に名を残す人は凡人とは違います。
十五といえば私は遊びまわっていました。
したっけ。