都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
「暖簾(のれん)」と聞くと一杯飲み屋を想像する方も多いのではないでしょうか。
暑いときは冷で一杯。・・・なんて、私は飲めないのですが。
本来、暖簾は平仮名では「のんれん(「暖」は唐音で「のん」)」と言われていましたが、これが後に「のうれん」となり現在の「のれん」に変化をしてきました。
のう‐れん【暖簾】
《「のう(暖)」は唐音》「のれん(暖簾)」に同じ。 「―はづし大戸を閉めて」〈浄・博多小女郎〉
大辞泉
そして、誕生した起源は古く縄文時代まで遡ります。その頃は、ただの布切れに多少の仕立てを施した程度で現在とは違い「寒さよけ」として使われていたそうです。
もともと暖簾は禅宗の用語で寒さを防ぐためにかけられた垂れ幕、垂れ布のことだそうです。「簾(すだれ)の隙間を覆い、暖をとる」という意味だそうです。
「暖簾」という用語は、鎌倉時代に禅宗とともに中国からもたらされたそうですが、日本では古来、「帳(とばり)」と呼んでいました。
「帳(とばり)」は、障子もなく、まして硝子戸(がらすど)もなかった平安時代には、外からの視線をさえぎり、同時に、部屋の中に程よい光を取り入れるものとして活用されました。「暖簾」と同じような役割です。
もとはあせにくい色として、茶や紺の無地が使われていましたが、鎌倉時代の中国から「暖簾」が伝わり模様が入るようになったそうです。
と‐ばり【帳/帷】
1 室内や外部との境などに垂らして、区切りや隔てとする布帛(ふはく)。たれぎぬ。たれぬの。2 物をおおいかくすもの。さえぎって見えないようにするもの。「夜の―」
大辞泉
「暖簾」は本来、鎌倉時代の禅宗のお寺で使われていた道具で、当時は現代と違って、寒い季節に外の冷気を遮断するために、入り口全体を「暖簾」で覆うようにかけて使っていたそうです。
つまり、「暖」をとるための「簾(すだれ)」ということで、「暖簾」と書いたのです。
ちなみに禅寺では、夏の間は入り口に「涼簾(りょうすだれ)」という、「簾(すだれ)」のようなものをかけていたそうです。「のれん」にも二種類あったのです。
このように、「暖簾」は禅寺のみで使うものでしたが、いつしかそれ以外の場所でも使われるようになります。さらに用途に合わせて、寝室や納戸の入り口などにかけられる「内暖簾」と、店などの軒先にかけられる「外暖簾」に分化していきます。
現代の家庭で部屋の仕切りなどにかけられるのれんは、「内暖簾」の流れをくむものです。
一方、「外暖簾」は安土桃山時代からあったようですが、商家などで家紋を入れたものを使用するようになったのは、室町時代以降だそうです。
江戸時代初期の寛永年間(1624~43)には、商標・屋号・商品名を染め抜いた「暖簾」が商家で使用され、居酒屋などでは縄のれんが下げられたそうです。
江戸時代になると人々が読み書きをできるようになったことで、文字を入れたものなども増え、次第にその商家や商店の代名詞的な役割を果たすようになってきたそうです。
またお店の屋号を記すことから信頼を意味するようになり「暖簾分け(のれんわけ)」や「暖簾代(のれんだい)」と言う言葉が生まれ、商売の象徴と言われるまでになりました。
戦前までの飯屋や居酒屋では客が出て行くときに肴をつまんで汚れた手をちょっと「暖簾」で拭いていくという習慣があり、「暖簾が汚れているほど繁盛している店」という目安になっていたそうです。
また、派生的意味合いもあります。「暖簾」は営業中の目安とされることもあり、閉店になるとまず「暖簾」を片づけます。
今でも、店を閉めることを、「暖簾を下ろす」と言います。
屋台などでは、この「暖簾」が一枚あるだけで外と内の境界となり、露骨に中は見えないがなんとなく見える。このなんとなく見えるということが非常に重要で、客の興味を引くのです。空席があることが分かったり、楽しげな様子が伝わったりします。
それで、ついつい「暖簾をくぐる」というわけです。この、はっきり仕切るわけでもなく、そうかといって仕切らないわけでもない。日本人的な曖昧さが「暖簾」の向こうを魅惑の空間にしているのです。
したっけ。