年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

明治44年12月

2009年07月03日 | 福神漬
明治44年12月
浄光寺 東京都荒川区西日暮里3-4-3
JR西日暮里駅の隣の高台は道灌山といわれた台地で、東が開けていて諏訪神社境内からの眺望が良い。福神漬の碑が明治時代に日本和洋酒缶詰新聞社風戸弥太郎社長ほかによって、野田清右衛門氏(福神漬発明の人)を賞賛して建立したものである。漬物問屋組合の東京漬物歴史探訪の一行が浄光寺を訪ねた時、寺の説明によると、野田清右衛門氏は福神漬の技法あるいは商いを、のれんわけという形で酒悦にゆずり、この世を去った。その後酒悦が年に一度ほど墓参を続けていたが、近年経営者が変わってからは(今は東洋水産)、係累も途絶えた。
 福神漬の祖ということについて異論のある人もあるようだが、少なくとも明治末期にこのように大きい顕彰碑を建ててもらうほどの業績のあった人だった。このことが漬物業界に長い間忘れ去られた原因は酒悦の福神漬が缶詰入りであったためである。同じ食品業界でも細かく分類してゆくうちに漬物業界から忘れ去られれたのである。
 今でも福神漬の缶詰はあるが一般には酒悦・国分(日本橋漬)の2種類しか手に入らない。あと防衛省規格の福神漬缶詰がある。
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