年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

日本缶詰史 第一巻

2009年07月07日 | 福神漬
日本缶詰史 第一巻
明治15年頃
北海道開拓使の缶詰製造工場の製品出荷価格は一缶23銭から25銭だったので売りたくとも売れる価格でなかったという。開拓使の工場の役目は缶詰産業の開発と技術教育が目的だったためである。
 明治23年頃から海軍が缶詰を買い入れるようになった。日清戦争後、軍用の牛肉缶詰40匁入り缶詰が1缶2厘で払い下げ販売したので人気となり、2~3年のうちに4銭~5銭に値上がりしたという。軍用缶詰の戦争後における格安払い下げは食文化・食生活を変化させる。
 福神漬の缶詰の普及も牛肉缶詰と同じ道筋をたどるのだが,日清戦争のときの資料は少ない。大倉喜八郎の大倉組の献納福神漬はタル入りで納められた。

明治15年頃
北海道開拓使の缶詰製造工場の製品出荷価格は一缶23銭から25銭だったので売りたくとも売れる価格でなかったという。開拓使の工場の役目は缶詰産業の開発と技術教育が目的だったためである。
 明治23年頃から海軍が国産の缶詰を買い入れるようになった。日清戦争後、軍用の牛肉缶詰40匁入り缶詰が1缶2厘で払い下げ販売したので人気となり、2~3年のうちに4銭~5銭に値上がりしたという。軍用缶詰の戦争後における格安払い下げは食文化・食生活を変化させる。
 福神漬の缶詰の普及も牛肉缶詰と同じ道筋をたどるのだが,日清戦争のときの資料は少ない。日清戦争後大倉喜八郎の大倉組の献納福神漬はタル入りで納められた。
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