村田保
人物辞典によると
明治大正期の官僚・政治家
大日本水産会創設時の副総裁。大日本塩業協会会長。貴族院議員(勅撰)勲一等。
わが国水産会の功労者。
天保13年(1843)生まれ、大正14年(1925)死去。肥前唐津出身。
早くから新政府に出仕、司法官僚となる。明治4年英国留学、法律学を学ぶ。法律に関する著書がある。明治23年勅撰議員となる。水産学を志し、明治15年大日本水産会を創立、明治21年水産伝習所(今の東京海洋大学)創立することに尽力する。明治29年日本塩業協会を設立、会長に就任する。大日本水産会の幹事であったとき軍用として魚肉缶詰の採用を軍当局に勧告し、その結果として牛肉以外に軍需として魚肉を使用する缶詰を採用することとなった。日本の缶詰の発達したのは水産缶詰からで戦前は輸出品でもあった。 明治27年11月27日農商務省水産局、大日本水産会、大日本農会の連合主催として全国の缶詰業者の大会を開き大日本缶詰業連合会が発足、村田保が会長に就任した。
また大正12年に缶詰協会の会合に鶯亭金升が参加していた頃、缶詰協会は日本和洋酒缶詰協会から分離する時期でもあった。
道灌山の浄光寺にある『福神漬発明者野田清右衛門』と刻まれた表彰碑は村田保氏の揮毫によるものだった。福神漬の碑の建立者連名は当時の缶詰業界の人達だった。
人物辞典によると
明治大正期の官僚・政治家
大日本水産会創設時の副総裁。大日本塩業協会会長。貴族院議員(勅撰)勲一等。
わが国水産会の功労者。
天保13年(1843)生まれ、大正14年(1925)死去。肥前唐津出身。
早くから新政府に出仕、司法官僚となる。明治4年英国留学、法律学を学ぶ。法律に関する著書がある。明治23年勅撰議員となる。水産学を志し、明治15年大日本水産会を創立、明治21年水産伝習所(今の東京海洋大学)創立することに尽力する。明治29年日本塩業協会を設立、会長に就任する。大日本水産会の幹事であったとき軍用として魚肉缶詰の採用を軍当局に勧告し、その結果として牛肉以外に軍需として魚肉を使用する缶詰を採用することとなった。日本の缶詰の発達したのは水産缶詰からで戦前は輸出品でもあった。 明治27年11月27日農商務省水産局、大日本水産会、大日本農会の連合主催として全国の缶詰業者の大会を開き大日本缶詰業連合会が発足、村田保が会長に就任した。
また大正12年に缶詰協会の会合に鶯亭金升が参加していた頃、缶詰協会は日本和洋酒缶詰協会から分離する時期でもあった。
道灌山の浄光寺にある『福神漬発明者野田清右衛門』と刻まれた表彰碑は村田保氏の揮毫によるものだった。福神漬の碑の建立者連名は当時の缶詰業界の人達だった。