日の丸の軍艦掲揚の始め
1853年(嘉永6年5月)ペリー来航の一か月前、薩摩藩は洋式軍艦“昇平丸”を着工した。19ヶ月後1854年(安政元年12月)に竣工した船に船籍を表す印として日の丸が掲げられた。しかし、実際はペリー来航後一週間で大型船建造が解禁されて、浦賀で日本初の国産洋式軍艦が着工し、8ヶ月後、嘉永7年5月10日に竣工、翌11日に試験航海を行いました。この船は(鳳凰丸)と言い日の丸を掲げて航海をおこないました。従って軍艦の旗印として航海したので日本初となる。しかし試走した時の評判が悪く次第に忘れ去られた。時代が帆船から蒸気船に移る時だったこともあるが最大の理由は外海航行に適さない船だったことにある。
1853年(嘉永6年5月)ペリー来航の一か月前、薩摩藩は洋式軍艦“昇平丸”を着工した。19ヶ月後1854年(安政元年12月)に竣工した船に船籍を表す印として日の丸が掲げられた。しかし、実際はペリー来航後一週間で大型船建造が解禁されて、浦賀で日本初の国産洋式軍艦が着工し、8ヶ月後、嘉永7年5月10日に竣工、翌11日に試験航海を行いました。この船は(鳳凰丸)と言い日の丸を掲げて航海をおこないました。従って軍艦の旗印として航海したので日本初となる。しかし試走した時の評判が悪く次第に忘れ去られた。時代が帆船から蒸気船に移る時だったこともあるが最大の理由は外海航行に適さない船だったことにある。