饗庭篁村(あえば こうそん、安政2年~ 大正11年)は、明治時代の小説家で演劇評論家。根岸派の中心人物。明治19年に京橋南伝馬町から下谷根岸に転居する。明治24年頃大久保に引っ越すまで根岸に住んでいた(この根岸の家に同じく根岸党の幸堂得知が引き続いて住む)。饗庭篁村のところに当時の文化人が集まったので根岸党と呼ばれていた。饗庭は酒を飲むだけで肴はあまり重きをおかない人だったという。山田清作(竹のや主人饗庭篁村)
森田思軒が福神漬を酒のつまみとして食べていたころの話だから饗庭篁村も福神漬で酒を飲んでいたかも知れない。ただ食通ではなかったので食に関する文は少ない。
森田思軒が福神漬を酒のつまみとして食べていたころの話だから饗庭篁村も福神漬で酒を飲んでいたかも知れない。ただ食通ではなかったので食に関する文は少ない。