年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

梅亭金鵞をめぐって

2009年07月29日 | 福神漬
梅亭金鵞をめぐって
幕末、幕臣の次男として生まれ、武道で名を知られていたが維新後戯作者となった。経歴はとにかく福神漬の創製者とどのような交流があったのだろうか。
 一番気になる七種類の野菜(特になたまめ)である。七偏人・竹林の七賢人をもじったもので七変人の行動を書いたおふざけ本。こんな作家に野田《福神漬創製者》は缶詰をどうして持っていったのだろうか。
 この辺の影響は当時明治初期広告の先駆者と知られていた池の端・守田宝丹だろうか。福神漬の広告案文を考えたのも梅亭金鵞ならば十分考えられる。当時は團團珍聞の主筆として梅亭金鵞は活躍していた。
 梅亭金鵞の経歴は松の家露八の経歴に似ている。幕臣の子息が明治になって片や戯作者(小説家)もう一方は吉原のタイコ持ち(男芸者・幇間)となった。どんな心境で明治政府の人達を眺めていたのだろうか。下谷周辺の人達の応援でしぶとく生き抜いてゆく。

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