年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

尾張糠

2012年12月04日 | タクワン

日本で米ぬかの流通を調べている研究者は殆どないように思える。精米したあと出る糠は殆ど肥料として利用されたと思われるが沢庵漬には必要な糠である。
 江戸と川越を結ぶ新河岸川の物流を調べた著書に尾張糠と言うものがあった。今の愛知県の糠がどうして江戸を経て川越まで輸送されたか中々理解が出来なかった。ある時江戸川区の中川船番所資料館の図書室でミツカンさんの本を読んだ時、尾張糠の出所が理解できた。尾張の酢は酒かすから造られたもので当然酒造業も発達していた。関西での酒造のために精米時に発生した糠は関東に行かなかったようで記録がない。
 中川船番所資料館の常設展示室に『酒はどこから』と言う解説シートがある。茨城県石岡では酒造りが盛んだったと言う。意外と関東は水運が発達していて、千葉行徳も物資輸送ルートの中心であったという。沢庵漬の普及には樽と塩と干し大根、米ぬかが必要となる。干し大根以外は酒造業の発達が必要となり、米が余る位生産されなければならない。
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