過日、台東区の図書館郷土資料のところで大正と昭和の初めの地籍を見ていた。目的は明治の初めだったが無くて大正を見ていた。下谷区茅町2丁目で大正の初めまで18番地は浅田正文の名義だった。たしか明治42年頃死去したのでおかしいなと思って昭和の地籍簿をみると横山秀麿(大観)18の2で116坪、19は300坪となっていた。今の横山大観記念館のと同じだろう。10年ほど前に大観記念館でこの件を質問したら中から怪訝そうに男性が現れ浅田正文から購入した部分に茶室があったという。今は庭園となっている。
台東区の郷土資料室に横山大観と近親の人々 長尾政寛著というのがあった。パラパラ読みしたら、横山大観の祖父酒井喜熙が内田弥太郎から測量技術を学んだようだ。明治になって、大観の父が測量技師となって家計を助けたようだ。明治期まだ画家では生活ができる人は少なかった。後に測量技師から画家となった本多錦吉郎の絵が府中市の美術館にあることを知っていたがようやく見に行った。本多という画家の解説は普通の解説で福神漬から見ると彼の苦闘の団団珍聞・ジョサイア・コンドルとの交流などが見えない。コンドルの英文の本の挿絵は本多が書いたものである。日本庭園の解説本であり、出版社はDANDASNNSYAだった。この件はあまり知られていない。