15年ほど前に石神井図書館の地下に郷土資料室があって、タクワンの文献を探していた。ようやく豊洲移転騒動も落ち着き、福神漬も目途が付き、タクワンの見直しということで全国でも漬物の史料がある練馬と板橋の郷土資料をもう一度調べる。練馬のふるさと文化会館は前に来た時は無く、漬物の樽がドカンと置いてあった。
石神井の図書館で(練馬区独立50周年記念、ねりまの50年の移り変わり)という本と独立60周年史があった。知っている人は少ないと思うが戦前の東京市は35区で戦後一時東京都22区だった。戦前から板橋区が広すぎて、区の施設が練馬の近郊の人達から書類の取り寄せで一日かかることもあり戦前から練馬区独立運動があった。練馬は大根で都内で有名なブランドで明治の終わり頃から地域名として東京では認知されていた。これはべったら市に適した大根であったことによる。タクワン大根は安いイメ-ジがあってべったら漬は明治期から高いということで知られていた。大根の産地名が板橋区から独立し、練馬区となった。15年ほど前には練馬はしきりに大根の面影を消そうとしていたが他の区と特色ある産物は大根しか無かったので今では区のふるさと文化館の主役となった。後はマンガしかない。水田も少なく蔬菜産地で地域の江戸との距離で漬物となった。肥え桶の展示は説明もなく置いてあった。昔西武線・東武東上線は肥料の輸送で有名だった。特に西武線はイメ-ジカラ-が黄色で揶揄されていた。
日本が貧しい時の話で今は笑い話となっている。