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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

宮城県丸森町の水害2

2019年10月16日 | 宅老のグチ

7月に水害の丸森町を訪問した時、図書館の主事のような人と丸森町大張地区の話をした。大張は情報途絶でいまだ安否が確認できないようで今後が不安である。福島県から宮城県に入ると丸森町となる。ここは川が狭くなっていて急流となる。昔仙台藩が福島との国境警備として武士を置いていたようだ。福島事件の佐藤清はこの地域の士族で、仙台藩の養賢堂で学んで、維新後東京に出て二本松の服部撫松経営の公益問答新聞に記者となったようだ。この経歴の確認をするため丸森町を訪問したのだが地元では消えた人だった。水害情報途絶の大張村の初代の村長で伊具地域の養蚕の学校をつくったようだ。丸森町はシルクとミルクで戦前は知られていたという。東北本線が丸森町を通過しなかった理由は養蚕のための桑畑に汽車の煙の害があるという理由だった。江戸時代から明治の中期まで阿武隈川水運で栄えた町は鉄道からの恩恵がなく、静かな町となった。

 戦後慌てて鉄道を引いた。これは今残っている阿武隈急行である。この鉄道の連結切り離しを女性車掌がてきぱきとしていたのを見とれていた。何かパフォ-マンスをすれば、話題となるだろう。偶然丸森町で漬物屋を見つけた。頑張ってほしい。梅干しが地元の梅のようだった。

 丸森町の唯一の観光資産とも言うべき齋理屋敷にも土砂にも入り口付近まで土砂が入っていたが軽微の損害との事。ここには幕末史料としてある木製の大砲の現物があった。

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