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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

攘夷論の終り

2019年10月13日 | 福神漬

攘夷論の終り
石井研堂の明治事物起源の中に『攘夷論の終り』という項目がある。学校やテレビで教わった幕末史は開国派と攘夷派の戦いから、倒幕に到った事は教えられている。しかし、攘夷派が勝ち、政権を取るや否や攘夷の旗を降ろしたのは何時からのことだった不明だった。維新後の混乱で旧幕臣をひいきにした人たちは語ることも少なく歴史に埋もれている。
 石井研堂は冷めた目で権力の変わり方を見ている。築地の居留地に新島原という遊郭を作った事を批判している。

 調べ初めて5年過ぎれば、あらかたTVドラマで放送されない明治の初めが解かってくる。攘夷論の終わりは神戸事件で一人の武士の切腹で終わった。その後堺事件で土佐藩士が十数名切腹し、攘夷の武士たちに異国人を殺傷すると新政府から処罰されるということを知らされた。一部の頑固な攘夷論者が殺戮していたが明治天皇の洋服、肉食、斬髪等の外見からとやはり鉄道と蒸気船が元に戻れないと実感したのだろう。

 根岸の子規庵前の八石教会の信者たちも旧幕臣は文明開化に抵抗して、髪も切らず、人力車にも乗らず明治30年台まで頑張ったが、日清戦争勝利後、若い人たちが脱落し、八石教会が消滅したようだ。アメリカで今でも20万人近くいるアーミッシュは現代文明を否定し、厳格な伝統的生活を続けるキリスト教の一派で八石教会は日本版の機械文明拒否の信者のように思える。

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