年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

江戸時代の死亡日

2019年10月23日 | 福神漬

江戸時代は家督相続の関係で実際の死亡日と届出を出した日が異なること多い。さらに出生に関しても病弱に生まれた長子は出生を届けることを遅らしている例も多いという。このようなことから本当の年齢などはわからないので火付盗賊改であった長井五右衛門昌純の安政3年の死亡日を釣洋一氏はどこで調べたのだろうか。
手元に安政5年再販された東都番町大絵図がある。この番町という地域は平成の今でも住宅地としては高級であるが幕末のこの時期にも旗本の住まいとして人気があり、移動も激しく金鱗堂尾張屋清七版も一番改定が多いという。安政五年に再版された番町大絵図に二番町の所に筒井肥前守が住んでいて、隣には若林五郎三郎が住んでいる。この版の裏二番町には長井五右衛門という名前がある。安政5年に本当に生きていたのだろうか。この後の版には長井筑前守となっている地図を見た。
長井筑前守の子供である鶯亭金升は父母の結婚の経緯を書いているが安政の3年から6年の間のどの年だったのだろうか。番町大絵図を見てふと思った。南町奉行だった筒井肥前邸で隣の若林五郎三邸に一時偶然住んでいた後の講談師となった松林伯円の存在を感じる。

 高野長英惨殺の後処理問題で様々な史料をもう少し調べる必要があるかもしれない。
 

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