オリンピック招致の発端が築地市場を移転させ、跡地売却という下心から始まった。長い日本経済の低迷で、国の借金が増え、いくら国民にカネをばら撒いても景気浮揚には繋がらなかった。石原都知事が国から指図を受けることの少ない東京都が動けることになった。
銀座の隣りにある築地市場は東京都の管轄で跡地を売却すれば秋葉原駅前にあった市場を移転させ、辺鄙な大田に引越しさせ、建設費を差し引いても2600億円の剰余金が出た前例があった。築地市場が二匹目のおいしいドジョウとなった。このような状態となったのは築地で再建する工事が着工したのに途中で中断しなければならない事情があった。この原因は競争の激しい築地市場で話し合いできる雰囲気が無いことにある。市場の売り上げが年々減っていても日本一の売り上げを誇る水産部は危機感が薄かった。そこにオリンピック招致により築地市場を貫通する環状2号線問題が生じ国民の圧力によって移転させようとなった。選手村を晴海にした原因も全ては築地を移転させることを前提としている。
築地を移転さるための下心のあるオリンピック招致は今になってマラソンが不適切な気温ということでゴタゴタしている。招致できるかどうかは当時は誰も考えていなかった。ただ移転会議は招致運動が始まる前よりスム-スとなった。これは築地の移転会議に参加した人しか解からないだろう。それも九州の8月25日の飲酒運転事故がなければ2016年のオリンピック招致は福岡だったと思われる。東京が33で福岡が22だった。6人が福岡だったら築地は今でも豊洲へ行けずどうするか会議中だろう。