年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

岩崎灌園から葛飾区立木根川小学校へ

2022年09月02日 | 福神漬
福神漬に入っている刀豆を調べてゆくうちに、刀豆の薬としての効能を知りたくなり、日本に中国から渡来したのが江戸時代の初めの頃だと文献に記載されている。この時期に明代の李時珍(1518-1593年)が26年の歳月をかけ、700余の古典を調べ、自らの調査も合わせて1900種の薬物について記述した52巻から成る本草書(薬物学の大著「本草綱目」)が日本に入ってきたので何か関係がありそうでしらべていた。つまり江戸時代の初めには何らかの薬効があったとおもわれていた。
 福神漬には作られた言い伝えがあるがどれも根拠がありそうになっている。それでその根拠と思われたのがどこから来ていると調べてゆくうちに「本草綱目」にたどり着いたが刀豆の効能は不明だった。

園芸の達人本草学者・岩崎灌園(ワサキ カンエン)平野 恵著2017年7月


岩崎灌園は江戸時代後期の本草学者で写真のような植物絵で知られている。江戸周辺の薬草の史料は殆どなく、岩崎の武江産物誌しかない。これは江戸市民の花暦(種々の美しい花が咲く時節を四季の順に並べたもの。一種の観光案内) も兼ねている本草書でもある。そこに刀豆が記載され、江東地域で広く栽培されていた。
 明治に入って東京市は市中の産物調査を行った。そこで上下木下村で刀豆が記載されていた。東京市では唯一の記録である。
そこで上下木下村の今はどこに該当するか調べると墨田区の押上付近となっているが、これを曳舟図書館で調べると該当する地域が見当たらなかった。木下と検索すると東京都の治水関係の所から木下は(きね)と読むらしい。キネガワと入力するとヒットする。一番出てくるのがさだまさしのキネガワ橋という歌だった。どうやら歌詞の内容からさだまさし少年の暮らした世界だった。
(作詩・作曲) さだまさし さんが中学3年間暮らした地、ゆかり、の楽曲のようだ。
 なんという脱線調査なのだろう。ユーチュ-ブで歌を聴く。

 さらに調べてゆくと京成四つ木駅付近の荒川放水路の建設で上下木下川村は川底になったようで、いわゆる地域の継承ということで墨田区の方に比較的多く記録が残されている。さらに調べると木根川小学校というのがあって、その記録の資料館があるようだ。行ってみたいがコロナの流行中でいまいち免疫のない小学校に行くことをワクチン接種も少ないだろうしためらう。かといってもう先のない人生で骨折すれば寝たきりとなる年でもある。
 追加 墨田区の統合され消えた木下川小学校。葛飾区の今もある木根川小学校。
 
コメント
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