年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

暁斎画談の出版時期

2022年09月03日 | 福神漬
千代田図書館で暁斎画談を読んでいた時、出版時期は明治20年6月28日に出版願いを出し、同年7月6日版権許可が出た様だ。明治の頃の出版許可はどのような慣習か調べなければいけないが少なくとも6月までは広告がないという事が解った。これで当時の本の広告が掲載されている新聞を見れば時期がはっきりすると思われる。明治期の新聞広告は出版物と薬の広告が多かった。文字を読めるという事と新聞購読する財力が必要だった。
 明治20年4月20日明治政府の伊藤博文首相官邸で仮装舞踏会が開かれた。この舞踏会は井上薫が指導した条約改正をもくろむ欧化政策のクライマックスでもあった。
 首相官邸での夜会風景は4月22日の諸新聞で報道されることとなった。この夜会の風景は小林清親の(首相官邸舞踏会)の銅版画でよく引用されている。
 4月26日から明治天皇の歌舞伎を観覧したことも知られている。
この時期に「東京日日」「絵入自由」「絵入朝野」「やまと」新聞に政府高官のスキャンダル記事が出てきた。
 これらの記事は日時も正確でなく、さらに風聞と断りを入れつつ、読者が首相官邸仮装舞踏会を想像できるようにし、さらに好色と知られていた伊藤博文と容易に結びつく書き方をしていた。また首相官邸から裸足で辻待ちの人力車の行き先を調べ、逃げた女性を暗示した書き方だった。(出典・幻影の明治・前田愛著・三島通庸と鹿鳴館)
 5月になって「今日新聞」「絵入自由」「めざまし新聞」伊藤博文からレイプされそうになった女性が華族の子女で示談が拒否されたと書き込み、即時に発行停止となった。さらに前田愛は発行停止にならなかった「東京日日」「やまと」「絵入朝野」新聞の処分不均衡を詳しく解明している。それは警視庁の密偵の報告書にあって、絵入自由の記者が密偵の詰め所漏らしたことをそれぞれの新聞が話を大きくした。(当時も今の記者クラブのような組織があったようだ)
 事件の概要を故意にぼかしたり、ゆがめたり、それとなく暗示するする記事の書き方は言論を弾圧する「讒謗律」「新聞紙条例」などで言論を弾圧されていた記者たちの抵抗策だった。
 5月4日戸田伯爵(戸田極子の夫)が急に出世し、6月4日にはオ-ストリア駐在赴任した。新聞停止処分の3紙は戸田伯爵が出世した辞令発表の後だという。
 この時期は伊藤のスキャンダルの報道と暁斎画談の出版時期どのような関係があるか気になる。戯作者の梅亭金駕と狩野派絵師だった河鍋暁斎の間に何か風刺を入れていないか気になる。多くの河鍋暁斎研究家は梅亭金駕のことは無視しているように見える。








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