八広へ行くことになった。京成線は都営浅草線の続きで、シルバ-パスで行けば降車する時に、追加の乗り越し料金を改札口に控えている駅員に支払えば済む。しかしそれでは通勤と同じで高齢者の時間たっぷりを持て余す。目的地は東墨田会館で京成線八広駅から歩いて8分、都バスの上23路線が上野松坂屋が起点でJR平井駅が終点のバスがある。浅草で乘ることにしたが、乗車場所が判らず、結局三菱ufj銀行浅草支店前が乗り場と見つけ乘る。乗り場まで15分以上も雷門前を探した。人力車の数が多すぎ。まだ異国人の観光客も少ないと感じる。ちょっと待って都バスに乘ってゆくと、浅草線本所吾妻橋駅の方がバス停は近い。地下から出たところがバス停だった。
押上を過ぎるとバスはどんどん狭い道に行く。なにか小さな家が多く駅から離れると戸建ての家や10m以下のマンションだけのようだ。
東墨田会館にバス停があって降りると、裏側に着いたようで回り込む途中に海抜マイナス1mという墨田区の掲示があった。ここは堤防が壊れると中々水が引かないところと実感する。
東墨田会館は産業・教育資料室が2階にあって、係の人に声をかけ入室する。誰もいない。後でもらったパンフレットではそれでも年間2500名程度が訪問しているようだ。ここは今は八広小学校に統合された旧木下川小学校の記憶の記録場所で、さらに木下川の皮革産業の興亡史を展示している。今は豚の皮の処理量では日本国内のトップ地域のようだが、皮革産業は人権問題の発生所でもある。
中の展示でようやく、江戸東京博物館の編纂で明治の初めに東京市の産物調査で唯一上下木下川村が福神漬に入っている刀豆の産地の村だった。しかしどう調べても上下木下川村は見当たらなかった。この展示室に荒川放水路と上下木下川の関係が解かる地図があった。上木下村は今の東四つ木の方にあって、その地域の標識は木根川となっていて、荒川をまたぐ橋は木根川橋となっている。
下木下川村は今の墨田区の方で東墨田会館付近である。特別養護老人ホーム 木下川吾亦紅(きねがわわれもこう)は木下川小学校の跡地に建てられたようだ。これから少子の時代に統廃合になった小学校中学校の跡地は高齢者施設の設置場所となることを実感する。もともと区有地なので特養の要望の多い地域はある程度の面積(300坪以上)が必要な土地は少ない。
東墨田の地域はイメ―ジとして差別の感があって、歩いてゆく途中に皮革の貿易会社の倉庫の前の歩道に、『ここは特別工業地域です。多少の騒音や臭気はご承知ください。油脂・皮革関連企業協議会』掲示してあった。事情を知らない新住民が地域にクレ-ムを入れたこともあったようだ。従って借家の賃料も安いと思われる。
たくさんの工程を経て皮から革になってカバンや靴や財布となる。豚の皮は毛穴があって通気性が良い。柔らかく手袋や衣類にも使われる。捨てないリサイクルの精神が残っていると感じる。
目からウロコが一枚取れた気がする。今風だとコンタクトレンズだろうか。革製品を愛用している人たちには知っておいて損はない。