年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

病院行きの運転手

2022年09月17日 | 宅老のグチ
家族の病院行きの運転手の予約が入った。コロナで不特定多数の人との接触は病院での行きかえりは避けたいという思いがある。
 昔と言っても20年ほど前に、埼玉県川越市を徘徊した。電車で行って川越の城下町とか寺院を見た帰りに、バスで川越市の駅まで帰ろうとしたが、乗ったバスが間違えて病院行きのバスだった。仕方なく終点の病院で時刻表を見ていたら、他のバスが駅のある付近を通ることを知って待合室で待っていた。TV東京の路線バス乗り継ぎ旅で多くの地方では病院とバス営業所が交通の要となっている。

 川越で調べていたのは大根河岸のことで、練馬大根がどのような水運で江戸京橋の大根河岸へ運ばれていたかを知るためだった。今は荷車で運ばれていたことを知っているが当時はまだ調べ始めて間もないので手探り状態だった。行き当たりでいたのでトラブルは普通だった。でも順調でないほど記憶が残っていて、当時の気分は夕闇が迫っていて場合によってはタクシ―で駅まで行くしかないと考えていた。川越から江戸までの水運は川越夜船と言って夜に川越を出発し、江戸には早朝に着くという。今の感覚だと夜行バスのようで歩かないで寝ている内に江戸に着くという。帰りは帆掛け船でゆっくり肥料などを積んで戻ったようだ。新河岸川水運の博物館や郷土資料のところで文献を読んでいた記憶がある。

 車社会になった日本で公共交通機関の乗り換え地点は病院が多い。多くの病院は農地法の例外規定でポツンと立っている所が目立つ。そこに行くにはバス便がないと困るが今はミニバスの中継で何とかしのいでいる。免許返納で高齢者の送迎はどう変化するのだろうか。

 敬老の日に老人のデ―タが出る。定番の記事だが本質を書いている記者は少ない。
本質とは何かということだが
1 人は死ぬ 今までも例外はない
2 金があっても死ぬ さらに死後も金で混乱することもある。
3 今の人は昔より医学の進歩で長生きさせられる。
4 従って長生きは生前の稼ぎを合法的に医療・介護者に転移する。そのおこぼれを金融機関が搾取し、上前を国が奪う。
5 問題はボケとか認知症が始まると金ある限り奪われる。後見人制度は弁護士等に長生きするとムシラレ最後に逃げられる。金の切れ目が後見人の切れ目。さらに国に取られるより、治療とか充実した介護で貯金を消費する。これはどこまで生きるか判らないことから始まる。このような見方をすると余命という通告があるガンは死の準備が出来る。ガンは75歳過ぎれば手術無用と思う。一度ガンになれば治癒してもガン体質と免疫力の劣化で次々とガンが発生する。表向き治療というのは医療の資金提供しかない。ガン治療は60歳までと思う。それでも生命保険会社は病気を煽り、高収益となる。
6 個人がどこまで生きられるかの分析がない。それぞれの仕事でリスク分析が日本で見えない。
7 塩分の多い食事はうまい。75過ぎれば栄養士の指導を無視してぽっくり死ぬ選択肢があってよい気がする。
コメント
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