年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

国立競技場へ

2022年10月16日 | 宅老のグチ
シルバ-パスを使って、大江戸線国立競技場前駅で始めておりました。前の国立競技場はJR千駄ヶ谷駅から行っていたので、どこから地上に出るか楽しみでした。エスカレ-タ-を何回か乗り換えて着いたら目の前が国立競技場でした。地図を見て、聖徳記念絵画館 へ入りました。ここには過去二回は入った記憶があります。幕末から明治にかけての歴史の本で良くこの絵画館の絵が引用されています。明治元年の説明で、みんな若かった。維新時の功労者の年齢が一番年寄りの岩倉具視が42歳であとは30代が多く、慶応4年11月に暗殺された坂本竜馬の所で生きていたら32歳となっていた。絵画館の説明は新暦と年齢は満年齢で記述されているようだ。
 11月3日の日が今では文化の日となっていて、明治天皇の誕生日と知っていたのですが絵画館の説明では当時はまだ旧暦で新暦に換算していたようです。今年は鉄道開業150年でが書類上はまだ明治5年は旧暦で明治5年12月2日に明治5年が終わり、翌日から明治6年になります。今の鉄道開業の日は10月14日ですがこれは新暦換算です。
 絵画館の印象はやはり明治の憲法発布までが生き生きとして発布後は条約改正と戦争という感じがあります。
 絵画館を出て四谷三丁目を目指し歩く。随分道路が広くなった印象があって、地下鉄四谷三丁目駅付近の地図で確認したところ、西応寺という寺は行き過ぎたようで四谷警察の信濃町駅寄りの左門町〔都バス停)を見つけ品川駅南口行きだった。 
 左門町バス停の先の信号を左折し、狭い道をどんどん行くと寺院が何か所かあって、目的の西応寺が在りました。ここに新宿区の案内があって、幕末明治の剣豪榊原健吉の墓があるようです。しかしこの寺院には明治の改暦を指導した内田五観(観斎・弥太郎・恭)の墓があると本で見かけました。タダ四谷付近の寺院は明治40年代に整理され、鶯亭金升の墓地は移転され五反田の本立寺に移ったようです。無名の人は移されやすかったかもしれません。この件は新宿歴史博物館で聞いてみたいと思います。
 戻りかけで左門町バス停の時刻表を見ていたら都バスが数分で到着予定なのでシルバ-パスで品川駅南口まで乗りました。品川駅でバス停案内を見ていたら結構色々なところに行けそう。次のバスを待つ間に駅前のパチンコ屋の電光掲示を見ていたら、コロナのクラスタ-はまだ1件もパチンコ屋で発生していません。安全な遊び場ですと何回も流れていた。確かに当初は一番パチンコ屋が叩かれていた。これも冤罪だろう。なぜパチンコ屋でクラスタ-が発生しないというのはタバコ飲みが多く、換気の設備が残っていたのだろう。同様に焼き肉店が換気が良く、コロナ下では飲食需要を取り込んだ。
これだけバスを乗り続ければ間も無くシルバ-パスの費用の元は取れる気がする。
コメント
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