年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

19日20日は日本橋のべったら市で今年は晴れそう。

2022年10月18日 | 宅老のグチ
明治の改暦150年の今年はべったら市が新暦になって、明治6年から10月19日20日と変わった。暮の世田谷のぼろ市は年末の道具や食をそろえる市だったので、急に12月3日に明治6年の正月になって混乱があったようだ。市の準備していたのが急に消えて大騒ぎの様子が思い出される。ここに新政府の強硬姿勢で不満があって、ぼろ市は12月と1月の二回の開催となった。足して二で割るより実利を取ったようだ。当時の世田谷の人の気持ちはどうだったのだろうか。
 日本橋の人たちも幕府には恩義を感じていても、家の存続が大事で次第に明治末期にかけて盛大になった。これは日清・日露の戦争に勝って高揚している日本だった。
 暦の改暦150年のイベントが見当たらない。多くは鉄道開業150年である。市の開催日が一月ほど繰り上がって、10月19・20日となったのだが過去の天気状況から10月としては雨の特異日で二日間のうち雨が少しも降らない時は少なかった。今年の東京の10月は雨が多かったので予報では晴れそうだ。べったらは浅漬で日持ちがしないので雨が降って傘をさすと売れ行きが落ちる。
 明治の新聞記事でも雨が降りすぎ大量に残ったべったら漬の処分で嘆いている商人の話が出ている。
 ネットで改暦150年のイベントを調べたら、暦会館・福井県大飯郡おおい町名田庄納田終111号7番地 で開催されていた。どうして福井の辺鄙なところでイベントがあるのかというと陰陽師の子孫が住んでいた。明治維新は王政復古ということで、陰陽師が復活した。しかし明治なって急死したため、天文方が組織変更となり、旧派を一掃した。

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