年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

鉄道開業150年 開業日が六曜で先勝はなぜ

2022年10月07日 | 宅老のグチ
福神漬のエピソ-ドを調べていて、その証言者である鶯亭金升(長井総太郎 )の父(長井昌言)が鉄道開業時に工部省鉄道寮に勤務していて、母に連れられ鉄道を見ていたという記述があった。文献で袖珍官員録(明治6年頃)に記録があって、事実という確認をした。6等か7等の官員で咸臨丸で渡米した小野友五郎も鉄道寮の官員だった。
 東京日日新聞(今の毎日新聞)の記事によると、前日までは暴雨なりしか、当日は麗しき天気となり。当初は11日開業日のようだったが雨天延期になった。また試運転というべき仮開業が1872(明治五)年5月7日(旧暦) 仏滅。この時期は廃仏毀釈 (はいぶつきしゃく)の時代であえて仏滅を選んだかもしれない。
 築地市場が豊洲へ移転した時に移転日の日程の決め方を聞かされていて、月末と月初めをのぞき、12月と1月が繁忙期、6月から9月までは暑いので保健所が許さない、そして3月4月は決算月で移転は無理。以上のことから移転は5月から6月中旬まで、10月の中旬から11月の中旬までと2月が豊洲移転日になる。そこに六曜の大安を入れると日程は予想できた。築地市場人は六曜を気にしていた。最初の小池都知事がひっくり返した、11月7日の移転開業日も大安だった。豊洲へオリンピックの日程でギリギリ伸ばして2018年10月11日に移転したのだがやはり六曜で開場日は大安だった。ちなみに京橋大根河岸から移転したのが昭和10年2月11日友引だった。
 鉄道開業が明治5年10月14日(新暦?)の六曜が先勝でなぜ大安にしなかったのかと思っていたら、天候のため延期となったようだ。そこで10月11日の六曜を調べるとやはり大安だった。
 明治政府は明治5年(1872)11月、太陽暦(グレゴリオ暦)への改暦を発表しました。 これによって明治6年(1873)から、太陰太陽暦に替わり現在使われている太陽暦が採用されたのです。 明治5年12月2日まで旧暦で12月3日が明治6年1月1日となった暦の改変の時だった。この暦の改変で旧暦の木版印刷が間に合わず、活版印刷で洋紙産業が復活した。この影響は旧暦の開催されていたべったら市がひと月繰り上がり(みの早生大根)の栽培が増えました。

 福沢諭吉が二度目の渡米時に洋書を多数購入し、それを小野友五郎にとがめられ、幕府に没収されました。慶應3年大みそかの日に幕府上層部に洋書の差し押さえ解除の申請がありました。出典木村 芥舟(きむら かいしゅう) 日記。そこに出てくる長井筑前とは目付だった長井筑前守昌言で小野と鉄道寮で同僚となっていました。

 
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