ブラタモリで見た東武博物館へ行く。目的は吾妻橋駅の明治の状況で、例によってシルバ-パスの利用で都営浅草線本所吾妻橋駅で降りて、金町行きの都バスに乘る。6番目のバス停が向島消防署で、博物館は東武線東向島駅の高架の下にある。博物館は不思議なつくりで、見学中の小学生が線路と同じ高さの目線で反対側を見ていたら、ちょうど東向島駅に到着する電車が目の前1M位に止まって歓声を上げていた。このような目線で今まで電車を見たことはない。よく線路の中心にカメラを置き通過する電車・列車の動画は見るが車輪の直近で見たことはなかった。
中二階の所に昭和22年の焼け野原となった吾妻橋駅付近の写真があった。区画整理された道路とそうでないところも焼け野原であった。京島地域の道路が狭いのは関東大震災の時はまだ農地だったように思える。戦災後に区画整理が間に合わない内に家が密集して建ったと思う。いまは京島地区の再整備をしている様子が曳舟図書館へ行く途中に感じる。次の震災に間に合うのだろうか。
東武博物館を出た後に向島百花園・白髭神社を歩き、X字型の桜橋を渡り、待乳山聖天を訪問する。後ろから行って、斜面を登る箱に乗り境内に行く。これは不思議な経験である。
この寺は江戸時代は遊郭の吉原行きの隅田川の船頭の目印の丘で脇を水路が通っていた。寺の紋は巾着と交差する二股大根で、子孫繁栄と金運の寺で、詳しい御利益を書くと今の時代はセクハラとなる。お家の存続のために権妻を持つことは当然視されていた時代だった。
東武東向島駅から浅草駅まで歩いた。コロナ鎖国解除後の浅草寺境内にはまだ入っていない。来月だろう元の戻るのは。今日1ドル151円から144円に変わった。策の無い日本は1ドル180円を目指すのだろうか。戦後の77年の半戻しもありうる。