東京都のシルバ-パスを使って、晴天の歩数稼ぎ。
今年は鉄道開業150年ということで多くの所が企画展を開催している。皇居の隣の北の丸にある国立公文書館は目立っていないしコロナ下ではじっくり本物と会える。鉄道知識のある人には内容は物足りないが、公文書館として他の施設と違った見方を感じる。見学した後に江戸城天守閣のあった天守台を久しぶりに登る。江戸築城当時は城のそばまで海があったようで汐見坂の由来を見ているとよくぞ埋め立てたという思いがある。今は海ははるか彼方だ。日本橋三越の所が駿河町というが江戸時代は富士山が江戸市中の高い所で普通に見えることを坂名とか地名で知ることが出来る。天守台からは富士山は見えず、周りのビルで台の高さを感じない。
さて公文書館の展示で、最初の鉄道の規則があって第一条に旅客は乗車前に(賃金)を払って、(手形)を受け取る。今風に翻訳すると旅客は乗車前にお金を支払い切符を購入し、乗車する。最初から幼児は無料で、12歳までは半額だった。当時の新橋と桜木町の間を53分で走り抜けたが、途中の停車駅は品川、大森、川崎、鶴見、金川(神奈川)そして終点の横浜(今の桜木町)だった。時刻表を眺めていると各駅の停車時間は1分程度なので、今の京浜東北線の新橋桜木町間の走行時間より少し遅いくらいで、当時の感覚では新幹線開業時の驚きと同じだろう。何しろ日本は山と川で地域の連絡手段が徒歩で、物資の運搬は河川と海上輸送だった。それがオカ蒸気という煙を出し、騒音を立て疾走する列車は見物人も多かったと思われる。
文明の感覚が一般人に伝わり、明治初期の西洋文明導入の促進となった。昭和の戦争で中断されたが多くの鉄道計画があったようだ。
帰りは大手門から出て地下街に入るが位置関係が判らず、地図を見ていると通路が封鎖されていて、自衛隊のワクチン接種会場の専用通路のようだ。何とか迷路のような通路を通って、都営三田線に乘る。それにしても地下の大手町駅は慣れない。
土曜の皇居はランナ-が多すぎて歩くのが怖い。さらに皆が反時計まらりで走っているので、逆らって歩くのがためらわせる。時計回りで走っている人は見かけない。時速20キロで人が正面衝突すれば救急車騒動になる。