年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

墨田区の業平小学校から見る

2022年10月21日 | 宅老のグチ
墨田区の中央図書館的な京成曳舟駅前の曳舟図書館で戦前の漬物問屋の位置を探してもらいました。墨田区の都市化されている地域は関東大震災と昭和20年の米軍による無差別爆撃で地域が激変したところです。区画整理が進んでいても、町名変更があって、さらにスカイツリ―の建設によって、道路が拡張したようです。この業平小学校が図書館の保管していたところと漬物業者の位置が同じです。当然戦後に再建された位置には漬物屋の姿はありません。
 業平小学校前の道路名はタワ-ビュ-通りと言って、スカイツリ―が根元から写せます。学校に近づくと王貞治という名前が掲示してあります。どうやらこの小学校で王貞治少年が野球に目覚めたようです。
 位置確認したあとに近所にタバコと塩の博物館の案内を見たので、一街区隣で見に行きました。塩のことはここで知ることが出ます。入り口で建物が博物館らしくないので聞くと、元の専売公社時代にタバコの保管してあった倉庫のようでした。都営浅草線本所吾妻橋駅からシルバ-パスの利用で帰りました。
 業平は多分在原の業平から来ていると思います。伊勢物語の東下りです。

武蔵の国と下総の国との中に、いと大きなる川あり。
それをすみだ川といふ。
その川のほとりに群れゐて、
「思ひやれば、限りなく遠くも来にけるかな。」
とわび合へるに、渡し守、
「はや舟に乗れ。日も暮れぬ。」
と言ふに、乗りて渡らむとするに、みな人ものわびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。
さる折しも、白き鳥の嘴(はし)と脚と赤き、鴫(しぎ)の大きさなる、水の上に遊びつつ魚(いを)を食ふ。
京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。
渡し守に問ひければ、
「これなむ都鳥」
と言ふを聞きて、
[名にし負はばいざこと問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと]
と詠めりければ、舟こぞりて泣きにけり。
 言問橋、業平小学校 伊勢物語の由来と思われます。大田道灌も同様の逸話があります。和歌の素養が無いと関東者は馬鹿にされていたのでしょうか。なお都鳥とはユリカモメのようで都営の路線名になっていると思います。
 築地市場で水産部のごみ集積場で白いカモメと黒いカラスがエサの取り合いをしていて、見ていると体の小さいカモメの方が強いとみていました。

コメント
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