ベッタラ市を行った人も普段の宝田恵比寿神社の様子を知らないと驚く。神社の鳥居の所が境内の終わりで白布で覆われた台の所は通常は歩道となっている。明治末期には千数百の出店があって、アセチレンガスで火がともされ19日から20日にかけて賑わっていたようだ。当時の東京市電の中心地である本町からいくらも離れていないので娯楽の少ない時代に出かける祭りだった。
この市の始まりは20日恵比寿で知られている関西の恵比寿購から来ていて、関西では十日恵比寿が有名である。江戸では11月19日(旧暦)で恵比寿購があるという。この恵比寿購のための諸道具と食品を商う市が自然発生し、その後に後付けに神社が出来たので境内は無かった。何しろ土一升金一升の繁華街なので余地はなかった。
