台湾から沖縄嘉手納沖に特攻した叔父の会合で鹿児島県南九州市にある知覧特攻平和会館 には陸軍の特攻兵士だけが1036人が祀られている。知覧航空基地より沖縄に向けて特攻した海軍兵士は祀られていないという。海軍特攻兵士は今の鹿屋の自衛隊基地内に祀られているという。
どうも調べると海軍と陸軍の対立は戦後にもあって、知覧の慰霊は陸軍関係者が意地で戦前の特攻の報道が海軍の方が多かったことから来ているように思える。同じ特攻死で知覧は有名な平和教育の場として使われる。昭和20年の春頃には海軍の予科練に合格しても空に飛ぶことが出来なくなっていて様々な特攻兵器の訓練報道が海軍が多いと感じる。特攻死は人数的にははるかに海軍の方が多いのだが鹿屋の基地内の訪問者が少ないと感じる。
会合で日本の記録に対する考えが薄く、終戦時に多くの書類が廃棄、焼却された。今では言い伝えしか残らず、間もなく記憶の伝承が消える。その様なことが今でも続いていて、勝ち組も記録の保管意識が薄く、後の人たちを悩ますだろう。個別の事実が残るし記録もあるがどうしてそうなったかの記憶の伝承が消える。
いま築地場外市場が築地市場が消えていても非常に混んでいる。あの築地市場が消えて跡地開発を主張していた人たちの予想外のことに驚いているようだ。
新旧交代が豊洲市場とコロナでもたらせたと思う。これからガチ中華の料理人がどう入ってくるか気になる。中華の料理は加熱が基本で日本料理は生が基本。火事の多い築地は気になる。