年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

のぞき趣味

2023年06月08日 | 宅老のグチ
図書館で古い新聞の縮刷版を読んでいるが漬物関係の記事はいわゆる3面記事の所にあって、細かい記事を読むうちに、事件等の記事も目に入る。
 大正12年7月の日本橋魚河岸の移転に繋がる東京市の幹部の情勢が記事探しの中で見つけた。朝日新聞縮刷版は最初に目次があって、その中で東京市・中央卸売市場の記事の掲載日が解かる。デジタル版は項目を入力しないと出てこないし、さらに目的に出会うためには慣れも必要となる。しかし一番のデジタルの端緒は同時期の事件等が感じられない。
 7月の記事で中央市場の移転候補地の記事があって、その付近には大杉栄が日本に船で戻った記事があり、もっと多くの社会面を占めていたのが有島武郎の軽井沢での自殺死体の発見で、情死と見られていた。
 このことで区の図書館から有島武郎の評伝本、今はアナキストと見られている大杉栄、伊藤野枝の伝記本を借りて読む。
 人は死して後に評価が始まる。さらに10年20年経って忘れ去られる人もあるが評価が復活することもある。有島武郎も平成に入って小説家によって軽井沢心中が話題となった。今年は関東大震災100年と言うことで、憲兵隊本部で虐殺された大杉栄と伊藤野枝、さらに親戚の子供の死が再評価される気がする。あの事件は偶発的な事件とはとても思えない。
 嘉永3年10月末の南町奉行所の与力たちによって、高野長英捕縛時に虐殺された。通常の評伝では高野が抵抗してやむなく殺したことになっている。しかし冷静に日時を考えると翌日の嘉永3年11月1日から管轄が北町奉行に移り、南の与力たちが放火逃亡と江戸市中潜伏の手柄を北町奉行の与力たちに渡す理由が見つからない。12月の長英の逃亡を手助けした人の裁きをしたのが南町奉行の遠山景元だった。
 この件で納得のいく憲兵隊甘粕大尉の評伝本を次に読みたい。キッコ-マンの野田争議で最後の方に甘粕 正彦 が現れ争議の収束の道筋をつけたという。渋沢栄一の最後の大仕事だった野田争議は今は現地でも誰も語らない。
 大杉栄と伊藤野枝の墓も転々とし、さらに伊藤野枝の生誕地は今でも語りたくない人だったのだろうか。
コメント
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