1月の国立劇場最終公演から落語を聞くようになり、劇場の講談の歴史を知り、木馬亭に関心を持った。しかし飯岡の助五郎とということで、4月は木馬亭の上にある木馬館大衆演劇に行ってしまった。5月は連休ということで浅草行くことはなく6月に木馬亭浪曲定席を観に行くことになった。値上げということで2400円、ここは高齢者値引きはなく、逆に25歳以下は半額という。
開演30分前に着き、入り口の切符売りの人に聞く。指定席はない。12時15分開演。
玉川わ太 若き日の吉宗と伊勢山田奉行大岡越前の話
天中軒景友 古田織部の逸話
港家小そめ お染久松
玉川太福 清水一家の石松の金毘羅参り
中入り 10分休憩
14時5分
広沢菊春 大山参り
講談 神田京子 渋沢栄一の逸話
富士琴美 田宮坊太郎の仇討
天中軒雲月 佐倉惣五郎 印旛沼の雪の別れ
終演後、天中軒雲月サンが入り口で見送り。客の入り50%弱。定席がここまで減ってしまったという寂寥感があった。
講談浪曲を劇場で見るのは初めての経験。国立劇場の時は落語の合間の講談だった。
無知なので講談と浪曲の違いはネット調べる。
浪曲は「うなる」もの。 講談は「読む」もの。 浪曲は、三味線の人が脇に座っていて、 ときどき三味線の伴奏で唄をうなります。観客から見えない。喉が枯れてお茶を飲むとき、間をつなぐと見える。 浪曲師はテーブルを前にして、立って演じます。テーブルの覆いはひいきの人の贈答品。 おひねりする人があった。掛け声あり。待ってました。
講談は 「釈台」という机の前に座って、物語を 語ります。釈台を使うのはその名残です。「張り扇」は、扇の形をした釈台を打つ道具です。
講談浪曲の中身を理解するのは戦前の日本の社会常識を知らないと違和感がある。それに庶民文化も必要。従って浅草が異国人に占拠されてもこの木馬亭、木馬館には一人も異国人観客が見えなかった。
最後に天中軒雲月さんの上演中に涙が出た。特攻で亡くなった叔父の母が最期の出撃前に自宅に帰り、基地に戻る時の見送り風景が思い出し、印旛沼の別れで涙が出た。芝居や浪曲は虚構だが人生の暗示とみれば、心に滲みる。雲月さんは今年70歳になるという。
木馬亭を出ると江戸時代から令和の世に戻る。