年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

近韓・反韓・悲韓・無韓

2012年07月16日 | 築地市場にて

仕事柄、韓半島の人たちと付き合いがある。そうなると日本人の感覚だと親韓とみられるのだが実際はどちらといえばどうでもよい。ただ知識として知っているだけで無韓心ということになる。しかし騒動によって売れ行きに影響するので気にはしている。イ大統領も終わりそうでやはり晩節を汚しそうである。頻繁に交代する日本と権力の汚染がある台湾・中国・韓国・フィリッピンとどちらが良いのだろうか。
 あちらで騒動があるとキンカンの出番となる。刺された後はよく効く。節操のない漬物業界はマイナーな業種で人の噂も49日まで持たない。まあ良くて初七日程度かもしれない。事件・事故が多すぎて報道機関のニュースの記憶に残るもあっという間に消える。あちらの人には物足りないのだが関心はアメリカの方に向かっていて、韓半島には価格の安さしかないような気がする。キムチも韓国タレントを使っていても結局価格に転嫁できずに消える。韓タレントで宣伝して効果のあるのは化粧品と酒しかない気がする。
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お盆の話なら河村瑞賢

2012年07月15日 | 築地市場にて

お盆の精霊流しの牛馬を集め、漬物にして建築現場で販売し、金を稼いだのだろうか。販売促進のために行事がある時代となってしまった。その飾りも価格から中国製だろう。東京で売れ残ったのが地方に回るだろう。このような行事も定点観測してゆけば少しずつ変化しているのだろうか。
河村瑞賢の逸話も話の出所は高橋太華が少年向けに書いた伝記から始まる。明治20年代の話である。この手の話は伝承を適当に集めてまとめたような気がする。歴史家が書いた瑞賢の伝記本には殆ど漬物で財を成したという話は出てこない。そうは言っても誤伝説とも書いてはいない。民間伝承など最初の頃は記録がない。
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東京のお盆

2012年07月14日 | 宅老のグチ

八百屋の店頭でお盆飾りを売っていた。東京は明治の改暦でお盆が約一ヶ月ほど早くなった。この新暦によるお盆はどの地域まで行われているのだろうか。
 墓マイラーという言葉を最近知った。そういえば史料調査で墓マイラーのようなことを最近はやっていることとなる。昔は墓に行くことは恐れていたが谷中墓地などに行っても観光地のような感覚で眺めている。夏季に流行っているお化け屋敷観光世代が老化して墓マイラーになったときどのような感覚となるのだろうか。団塊の世代が高齢化し、葬儀が増えてきて墓需要が多い。寺院の宣伝もさかんとなって、墓地広告と付き合うようになる。まだまだ調べごとが多いのであわててこの世を去ることはない。
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梅雨末期の天気図を見て

2012年07月13日 | 築地市場にて

記録的な雨という報道を聞いて天気図を見る。韓国は本格的に梅雨になったようだ。あれほど降らなかった雨も降り始めたら大雨となる状態では韓国の農民はどう思うのだろうか。
 信州などの高原野菜地域の天気を見る。この時期の災害は夏野菜の高騰を招く。この天気状態が続くと韓半島に大災害をもたらす大雨が降ることとなる。
職場の前に福島県伊達市産のプラムの箱が置いてある。美味そう。今日の果物はプラムで決まり。伊達市の情報を見る。放射能のマップを見ると見慣れない言葉「シンチレーションサーベイメータ」という。何かと調べれば放射能の測定器だった。それにしても伊達市のマダラナ汚染地図を見ると解決には時間がかかりそうだ。応援するには食べるしかない。

世間では3連休ということだが築地市場は明日も営業。
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フードデザート

2012年07月12日 | 築地市場にて

食の砂漠という意味なのだろうか。多人種が集まるニューヨークの一角にアフリカ系アメリカ人が多数住んでいる地域がある。そこにあるスーパーは缶詰がうずたかく積まれていて生鮮野菜等は少ない品揃えという。所得が少ないため生鮮野菜等を調理するより、安価で高カロリーの缶詰を購入せざるを得ないという。そのため所得が少ないにもかかわらず、太目の人が多いという。
 この話から、沖縄の話を思い出した。築地市場内であった小泉武夫さんの講演会で沖縄県は少し前には日本で一番長寿だった。しかし米軍の使用する物資から流出する安価な缶詰でゴーヤチャンプーを作る事が普及し、高脂肪高カロリー食となり、成人病が増え、今では日本一の長寿県ではなくなった。今は長野県である。
 世界中から集まる缶詰は安いものが多い。牛丼の安さは副食の一部である漬物価格より安い。昔は貧乏人が痩せていたが今日は食のグローバル化で偏食が進み、太目の貧乏人が増えることになったのだろうか。
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奈奈様のコメントから 2

2012年07月11日 | 築地市場にて

漬物のようなよく知られている食品でもいざ疑問を持って調べ始めると意外な事実に遭遇し、驚く。
 福神漬には『なた豆』という植物が入っている。今の日本で市販されている漬物でなた豆が入っているのは今のところ福神漬しか知らない。なぜ入っているかを調べ始めた。
 幕末から明治にかけての産物を調べた『武江産物誌』という本がある。この本によるとなた豆の産地は今の隅田川の東の地域が産地だった。また明治の初めの東京府の産物調査でもスカイツリーのある付近が産地だった。
 ナナさんは小栗上野介が好きなようだ。小栗がアメリカ土産で長井家(鶯亭金升の母へ)へワッフルという菓子を作る道具を送ったようだ。小栗上野介の住まいは今の神田駿河台の明治大学の付近にあった。その敷地内だと思うが儒学者安積艮斎の塾があった。艮斎の門人に土佐の岩崎弥太郎(三菱創業者)もいた。安積艮斎は福島県郡山出身で生誕地はJR郡山駅近くの安積国造神社だった。明治の初めのころその神社で遊んでいた石井研堂がいた。
 石井研堂の「明治事物起源」という本の中で缶詰の始まりという文章がある。この文章の中で戊申戦争の最後の戦いである五稜郭の戦闘で千葉行徳の漬物商人が戦死したという記事がある。浦賀与力でペリーが始め日本に来たとき最初に乗り込んだ中島三郎助と同じ日、同じ場所で戦死した。新撰組の土方歳三が戦死した後である。中島と土方の最後の姿をスケッチした新撰組隊士中島登という人がいた。中島登の子孫が鶯亭金升の墓の住職である。五稜郭で戦死した漬物商人喜兵衛はどうやら「なた豆」を漬けていたようだ。日暮里の浄光寺にある福神漬顕彰碑に喜兵衛の子孫山田箕之助の名がある。

 

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奈奈様のコメントから

2012年07月10日 | 梅干

福神漬の由来を追ってゆくうちに色々な過去の人に遭遇する。知れば知るほど書けないこともあるが100年過ぎれば歴史ということで許していただきたい。ただ親族に伝わる事実は歴史と異なっていてもそれはそれでもよいかもしれない。
 鶯亭金升日記 明治35年2月1日の日記に奈良の梅干の一件の記述がある。天正4年に造った梅干である。当時堺町奉行だった長井昌言が人を遣わし、江戸への土産として所望したようだ。明治15年頃、金升の母の手箱より見つかり、明治34年にこのことを読売新聞に記事となった。翌年つまり明治35年1月31日に読売新聞の記事を見た奈良の梅干を持っていた人の子孫が鶯亭金升を尋ねたという。このことがまた2001年に記事となったようだ。
 さて長井昌言は最後から二人目の堺奉行となる。1500石という。在任期間は元治元(.1864)年11月10日から慶応元(1865)年11月10日で 決してペリー来航直後の話ではない。気になるのは大坂町奉行で急死した戸田伊豆守氏栄のことである。子孫の間では暗殺されたと思われているようだ。
 花香恭次郎は今では無名の人だが福島事件を東京で盛り上げたのは彼の存在がある。浮世絵の対象ともなる人物だった。彼は明治23年8月コレラで急死した。この当時コレラを治す手段はなく、予防にはラムネが効くと信じられていた。池之端守田宝丹の薬がコレラ用としてよく売れていた。ビー玉いりラムネのビンが輸入されコレラに効くという理由でよく売れた。砂糖入りのラムネは洗浄不十分で再利用された。次第にサッカリンという人工甘味料を使用してラムネを造るようになった。このことが日本におけるサッカリン普及の原因となった。
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多美屋へ

2012年07月09日 | 築地市場にて

新入社員のためにネームプレートを新調すべく、多美屋へ行く。ここは築地で看板店を2店舗もある老舗で、すし屋の看板はここで作られているようだ。
 7月に入って築地市場は海外が夏休みに入ったようで欧米系の旅行者の家族連れがのんびりと場内を歩いているがさすがに油断はできないようでキョロキョロと歩いている。
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梅干しの売れる時期なのに

2012年07月08日 | 梅干

今年の寒さで和歌山では梅の花が咲いた時期とミツバチの活動時期がずれたことと大風で梅は近来にない不作で紀州産の梅干しは特売禁止となってしまった。今年の暑さ次第で来年は端境期が出るという。
 品数合わせで変な商品が出ないとよいのだが無名の梅産地は販売拡張のチャンスともいえる。全国には無名の優良産地が多数ある。
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商況の急変

2012年07月07日 | 築地市場にて
 商況の急変
スーパー等の3月から5月にかけての決算が新聞に載っている。昨年は震災で特売が減り、広告なしで定価で売れたため好決算だったが、その反動で軒並み利益率が悪いようだ。今後だって、人口減少により地方経済の疲弊が加速し、それに伴って節約志向が加速し消費が低迷することが予想される。利益の取れる仕事は海外となって国内は競争が激しくまだデフレが続きそうだ。
 節電というテーマをとっても、家の中でエアコン、テレビ、冷蔵庫等の電力を多量につかうものがある。冷蔵庫を余り物の収蔵庫として考え、『カクヤス』に冷えたビールを配達させれば電気代が節約できる。照明はLED化する。エアコンは扇風機へ。スーパーとコンビニは冷蔵庫の代わりで、特売での大量購入はしない。してよいのは缶詰類と考える。電気代の上昇を考えると、自宅での食品保存は常温食品だけとなるかもしれない。
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計画停電のFAX

2012年07月06日 | 築地市場にて

九州のメーカーより、九州電力の計画停電の予定表をFAXしてきた。1回2時間半で実施時間が少しづつ、停電時間が移動しているようだ。パソコン等の終了および起動時間を考えると3時間は電気が使えないということとなる。東京の昨年は毎日東京電力および東北電力の使用量をチェックしていた。幸い築地市場が一年で一番電気の使用量が多い,旧盆明けの日は何とかなったようだ。電気の使用量が多いのはやはり午前10時から12時前で、世間とはやはりずれている。原発による電力の使用が多い関西地区のメーカーより計画停電の予定表が来ないのはなぜだろう。危機をあおって再稼動するための作戦だったのか。次は電力料金の値上げの問題となる。  
 築地市場は東京都が電力を購入して配分しているので考えることの余地は少ない。つまり節電だけ考えればよいこととなる。昨年の電力の15%節電は冷蔵庫使用の業者にとって厳しい節電だった。これからスーパーが要冷蔵食品を強化拡大してゆくと思うが消費者の電気料金の値上げで消費行動の変化が予想される。家で天ぷら揚げることが昨年は減ったという。家のエアコンが効かないことを恐れたのだろう。コンビニが増えれば冷蔵庫に余分な食材を入れなくとも間に合う。安物を大量に買って冷蔵庫に保管し電気料金を多く払うことは理屈に合わない。 秋には約10%ほどの電気代があがる。給与の増えない人たちはどのように消費行動を変化させるだろうか。
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首都高速八重洲線工事

2012年07月05日 | 築地市場にて

来週から首都高速八重洲線が一部通行止めとなる。20ヶ月とまるので浜離宮の前の交差点(汐先橋)が混雑するだろう。すでに高速道路の橋脚撤去の準備工事で海岸通りは狭くなっている。その上交差点の歩道が狭く移動しているので、タクシー等の乗降には不便となって、さらに混雑が増すだろう。このところでタクシーを利用する人は殆ど電通の関係者と思われる。彼らも自社へ行くのに急に混雑したらびっくりするだろう。ビルの上層階から下界を眺めたら渋滞の先頭か交差点であることが判るだろう。さらにその原因がタクシーの乗降であったら対策をとらないと被害は電通関係者に及ぶ。
 対策として考えられるのが日本テレビ側の道路でタクシーの乗降を誘導する。構内にタクシー乗り場を置き、劇場の出入り口を臨時通路とすることが考えられる。さてどうなるやら。
 高速道路を汐留口で降ろされて、渋滞にはまり難儀するのが来週から始まる。渋滞がひどくなると迂回路を探すこととなる。築地市場が移転するまで混むだろう。
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鑑札の値段 300万円

2012年07月04日 | 築地市場にて

食企業の情報誌に築地市場内の水産仲卸の名義(鑑札)の値段が300万円ほどになっていると書いてあった。バブル期は築地の鑑札値段も億をはるかに越える値段がついていたようだが今ではこんな値段となってしまったようだ。ただ情報誌の記事ではそろそろ豊洲市場へ進出したい企業が動き出したようだ。廃業する人、豊洲へ入りたい人の動きが来年に向けて表面化する時期になったようだ。
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肉食(にくじき)妻帯考という本から

2012年07月03日 | 築地市場にて

半年前ほどに読んだ本で肉食が明治時代にどのようにして仏教徒の中で容認されてきたかが書いてあった。生ユッケの問題で日本人の肉食の歴史が短いと感じる。生食文化の日本は世界基準からみると異端であって、さらに宗教者が堂々と飲酒し妻帯することを認められているのは日本しかないように思える。
 カタールのドバイの業者から日本人向けに漬物を輸出する打ち合わせの中でアルコールが禁止であることを知った。今の日本の浅漬けには保存料が使えないためアルコールを添加しているのが多い。この方法だとイスラム圏には輸出が出来ないこととなる。浅漬けを食べても酒気帯びにはならない程度だが表示している以上禁止であるという。実に厳密である。
 リーマンショックの後で輸出計画はとん挫したがワールドカップ開催のために研究だけは継続している。戦前の漬物には奈良漬け以外はアルコール添加の漬物はなかった気がする。
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銀座6丁目15の佐久間象山塾跡

2012年07月02日 | 福神漬
嘉永6年6月ペリーが浦賀に突然来航し、浦賀の町は混乱していた。その時、浦賀奉行所の対岸にある東浦賀の徳田屋という旅館で佐久間象山と吉田松陰は黒船を見、今後のことを話していた。松蔭は故郷へ送る浦賀情報を書いた書簡の中に浦賀奉行戸田氏栄と砲術指南の下曽根金三郎の指示で切腹する場所となる寺院を掃除させていたという。どうして混乱している中でこのような情報を得ることができたのだろうか不思議だった。
 嘉永4年佐久間象山は今の銀座6丁目15の地に砲術の塾を開いていた。佐久間の砲術は下曽根金三郎から学んだという。以前佐久間は神田お玉ヶ池に「象山書院」を開いた。隣が大垣の梁川 星巌の玉池吟社があったという。黒船が浦賀に来たとき、浦賀奉行戸田氏栄は大垣藩小原鉄心に見物人警備の応援を依頼した。梁川星巌と小原鉄心は詩文での交友があった。佐久間象山が京で暗殺される前、大垣小原鉄心のところに行ったという。
銀座6丁目15の地にあった佐久間象山塾は築地波除神社から首都高速の上に架かっている采女橋をとおり、今建て替え中で臨時の本社となっている読売新聞社を過ぎると銀座6丁目15の地となる。築地市場からすぐそばでまた中央区役所図書館(築地1丁目1)のあったところに土佐藩中屋敷があって、坂本竜馬がここから佐久間の塾に通ったという。嘉永6年12月のことである。佐久間の塾は嘉永7年4月、下田での吉田松陰密航事件に連座し閉塾となった。竜馬は嘉永7年6月土佐へ帰り、土佐で下曽根砲術を教えていた徳弘孝蔵に入門したという。

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