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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

水屋・昔の知恵

2019年10月14日 | 宅老のグチ

利根川と江戸川を分ける関宿の歴史資料館で水屋を見た。昔埼玉県の水田地帯に住んでいる農家を訪問した時、屋敷内に2め-とる以上盛り上げたところに倉庫があって、軒下に川船が吊り下げてあった。これは水屋と言って水害の時ここに避難する場所だった。今は不必要になったと思ったがこんどの19号台風でしきりに入る避難情報が大まかすぎて危険性が解からない。特に車で避難しなければならないので車の中にライフジャケットを入れて避難しないと途中で水没すると死が待っている。

 江東区で避難は区から離れるという案内があったようだ。これからは垂直避難をするように誘導するしかない。しかし電源を地下に置くとまた復旧が遅れる。通常の故障と違って地域で故障が多発するからさらに遅れる。

 今度の台風で従業員の安全のための閉店は容認されたようだ。店舗が開いてなければ不要な外出が減る。後は周囲の状況を把握する監視カメラの一時解放が必要かもしれない。これは次の課題かもしれない。

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攘夷論の終り

2019年10月13日 | 福神漬

攘夷論の終り
石井研堂の明治事物起源の中に『攘夷論の終り』という項目がある。学校やテレビで教わった幕末史は開国派と攘夷派の戦いから、倒幕に到った事は教えられている。しかし、攘夷派が勝ち、政権を取るや否や攘夷の旗を降ろしたのは何時からのことだった不明だった。維新後の混乱で旧幕臣をひいきにした人たちは語ることも少なく歴史に埋もれている。
 石井研堂は冷めた目で権力の変わり方を見ている。築地の居留地に新島原という遊郭を作った事を批判している。

 調べ初めて5年過ぎれば、あらかたTVドラマで放送されない明治の初めが解かってくる。攘夷論の終わりは神戸事件で一人の武士の切腹で終わった。その後堺事件で土佐藩士が十数名切腹し、攘夷の武士たちに異国人を殺傷すると新政府から処罰されるということを知らされた。一部の頑固な攘夷論者が殺戮していたが明治天皇の洋服、肉食、斬髪等の外見からとやはり鉄道と蒸気船が元に戻れないと実感したのだろう。

 根岸の子規庵前の八石教会の信者たちも旧幕臣は文明開化に抵抗して、髪も切らず、人力車にも乗らず明治30年台まで頑張ったが、日清戦争勝利後、若い人たちが脱落し、八石教会が消滅したようだ。アメリカで今でも20万人近くいるアーミッシュは現代文明を否定し、厳格な伝統的生活を続けるキリスト教の一派で八石教会は日本版の機械文明拒否の信者のように思える。

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つけもの史の見方①

2019年10月12日 | 趣味としての漬物

漬物は昭和30年頃までは都市を除いて各家庭で漬る物が主だった。従って販売すようになったのはごく最近の60年とも言える。漬物の歴史から見ると日本経済の発展と共に色々な資材や機械が普及して安価になってまたは不用になって初めて漬物に使用された。味噌・醤油・塩・砂糖・酒粕・米糠・樽・缶・プラスティック等が漬物の味付けや製造・包装容器等に使用されたのはかなり普及した後とも言える。包装機が安価となり、自動計量機が作られ、人手不足が解消された。キムチの世界では空気中の雑菌を除去する幕が使用されいる。これはICチップを作成する工場と同じ考え方である。  明治の中頃まで日本の流通は徒歩経済で近代的な交通の発達で漬物流通は影響を受け、交通の普及具合を示している。このような見方から漬物は日本の食品の近代化の歴史を示しているともいえる。

戦後最悪の台風が来ているので、外出を抑え未投稿の見直し。ほぼ15年前の草稿を書き直し。昭和33年の狩野川台風は今でも記憶に残っている。床下まで浸水し、翌々日まで水が残った。野菜と交通網の被害が大きく、損害よりその後の忙しさでカバ-したようだ。先日伊豆の戸田への帰り道に狩野川の水のバイパストンネルを見て床下浸水を思い出した。

 

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練馬の石神井公園ふるさと文化館

2019年10月11日 | タクワン

15年ほど前に石神井図書館の地下に郷土資料室があって、タクワンの文献を探していた。ようやく豊洲移転騒動も落ち着き、福神漬も目途が付き、タクワンの見直しということで全国でも漬物の史料がある練馬と板橋の郷土資料をもう一度調べる。練馬のふるさと文化会館は前に来た時は無く、漬物の樽がドカンと置いてあった。

 石神井の図書館で(練馬区独立50周年記念、ねりまの50年の移り変わり)という本と独立60周年史があった。知っている人は少ないと思うが戦前の東京市は35区で戦後一時東京都22区だった。戦前から板橋区が広すぎて、区の施設が練馬の近郊の人達から書類の取り寄せで一日かかることもあり戦前から練馬区独立運動があった。練馬は大根で都内で有名なブランドで明治の終わり頃から地域名として東京では認知されていた。これはべったら市に適した大根であったことによる。タクワン大根は安いイメ-ジがあってべったら漬は明治期から高いということで知られていた。大根の産地名が板橋区から独立し、練馬区となった。15年ほど前には練馬はしきりに大根の面影を消そうとしていたが他の区と特色ある産物は大根しか無かったので今では区のふるさと文化館の主役となった。後はマンガしかない。水田も少なく蔬菜産地で地域の江戸との距離で漬物となった。肥え桶の展示は説明もなく置いてあった。昔西武線・東武東上線は肥料の輸送で有名だった。特に西武線はイメ-ジカラ-が黄色で揶揄されていた。

 日本が貧しい時の話で今は笑い話となっている。

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10月の台風

2019年10月10日 | 宅老のグチ

正確な天気予報が10月12日の台風準備となる。先の千葉台風は倒木ということでまだ電気が点かない所もあるという。停電準備もしているだろう。本来ならば豊洲移転開業1年となるが、報道も少なく今はあの騒動が何であったのか、単純に政治家による税金の無駄使いといことが確認しただけである。食の世界は立地ということが重視される。人が多く集まらないと、安定した食需要が生まれない。従って多くの盛業した食事場所がまた多くの食施設を招き、さらに生き残るため競争が激しくなる。いま豊洲の食施設は移転経費のため、競争が制限されている。食にこだわりのある人たちが仕事をしているのに割高な観光客用メニュ-で困っている。オリンピックが終われば食設備の償却も進み、東京都の規制も弱くなるだろうから新しい味が生まれる余地もある。築地の跡地も多い船頭によって進むだろうが場外にとって混沌とした街が魅力だと気が付くのはいつの事だろうか。

 10月の台風が食文化を変化させる例を見た。練馬・三浦の大根が青首大根に変わったのも10月の台風だった。この時期の野菜被害の影響が長く続き、被害のない産地から東京へ出荷される。ちょっと前は中国から来ていたが農薬の問題から契約栽培した野菜が来るようになって、事故が減った。また中国は生野菜は基本的に食べないので炒めるとか茹でることをするので皮が固い。

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前例のない時代に

2019年10月09日 | 宅老のグチ

漬物の歴史を調べていると、今が前例のない時代に入った気がする。明治維新前には天保の改革・黒船来航による開国・維新後の武士階級の没落・関東大震災の後の不況・敗戦・そしてAIによる劇的な仕事の減少予測。

 前例が無いためただ不安だけが先行している気がする。今は医者が日本では高級な仕事となっているが個人情報の保護の無い中国では患者の情報が蓄積され、AIによる初期判断が進む気がする。遺伝子分析も進み、血液検査だけで変化を指摘する時代も来る気がする。治療する医師が残り、分析はAIとなり医師不足が減り、介護・看護・精神科系しか残らない気がする。

そうなると前例としてはロ-マ時代のロ-マ市民のような雑事は全て奴隷に任せ快楽を追求して時間をすごすことが模範となるかもしれない。

 スポ-ツ系のイベントが目立つがロ-マ時代の上級国民の研究が必要か。それとも世界制覇していたイギリス貴族の生活か。多くの近代スポ-ツはイギリスから生まれた。

 とりあえず1日1万歩。筋力の衰えが目立つ。

 

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そろそろ記録を残さないと

2019年10月08日 | 宅老のグチ

令和になって5か月過ぎて、普通に書類が和歴の印刷物に慣れた。貨幣も令和がそろそろ出てくるころ。急速に進む出回るか。デジタル化は人が追い付いていない気がする。消費税が上がって1週間たつが、節約が目立つようだ。すでに30%近く増えた高齢消費者数と統計に出ない非健康人を加えると40%にはなるのではないのだろうか。現役の人達の統計で経済が測られているので楽観となる。収入が増える見込みが少なく、さらに劣化が進む体力、それによる気力の衰えから着るものも更新も減る。情報交換の機会も減り、得な情報も得られず、保守的となる。そこに付け入る詐欺師から電話や訪問で貯めた現金を取られてしまう。

 時代の変化についてゆけない人たちの聞き取りが遅れている。各地の図書館の郷土資料の量と質はそれぞれの想いの遺産である。減る人口は墓を作っても、守る人もなく消える時代になった。図書館の郷土資料室は地域の慰霊庫かもしれない。

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 個人の体面の解釈

2019年10月07日 | 宅老のグチ

幕末の諸問題を漬物という視点で見ると武士の世界は交際費の問題となる。体面を維持するか捨て去るかの問題となる。いま宅老となった身ではどう立つ位置を形成すればよいのだろうか。収入が増える見込みが立たず、ある日突然に介護業務が増えるということも想定しなければならない。結果的には引き締めとなりそうだ。年間に日本の死者が130万人を超え、高齢化で葬儀関係が地味にするしかない。この辺が一番目立つかもしれない。昔はといってもほんの10年ほど前は葬儀用の漬物もあった。大部分は梅干。今はどうなっているのだろうか。賞味期限という魔物に消されたかもしれない。結婚式はどんどん変化するが葬儀も地域の事情によって異なるが変化の速さは遅い気がする。ただ節約の波はどうなるのだろうか。

 今日の新聞報道で今年生まれる赤ちゃんは90万人を割るだろうという。そうすると死者数は増えるから、日本の人口も50万人ほど減ってもおかしくはない。静かな日本に異国語が飛び交う時代が普通となって、気が付いたときには古来の日本が消え、価値を見つけた人に支えられる。

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築地閉場一周年

2019年10月06日 | 宅老のグチ

あっという間に築地市場が閉じて一年となる。あれほど騒いだ地下の汚染問題も誰も気にしない。騒いだ人達によって今の現状がある。このままの状態でオリンピックが終わると豊洲の見直しが始まる。築地市場が観光地化したのは長い不景気で築地市場内の仲卸まで一般客が入っても、商品を購入すれば黙認され次第にこれが知れ渡ったことから始まる。東京都の建前では市場内の食堂しか放映されないが建前の知らない外国人がどんどん中へ入ってしまい制御できなかった。この理由として旧築地市場は入り口が多く、歩いて入ることを抑えることはできなかった・豊洲市場は入り口の数も少なく、それぞれの入り口で警備員が複数立っていて前ほど簡単に中に入れない。これもオリンピックが終わり、警備予算が削られれば車で午後に入ることが緩和されるだろう。タクシ-運転者の休憩駐車場として青山墓地があるが豊洲市場の環状2号線に昼から夜にかけての駐車を許可すれば賑わいが出るだろう。そのためには観光客用の食堂でなく場内労働者の食の施設が必要となる。東京都の思惑と豊洲の人達の思惑がまだ見えない。築地の再開発の船頭は多そうだ。

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府中の美術館で本多錦吉郎を見る

2019年10月05日 | 福神漬

過日、台東区の図書館郷土資料のところで大正と昭和の初めの地籍を見ていた。目的は明治の初めだったが無くて大正を見ていた。下谷区茅町2丁目で大正の初めまで18番地は浅田正文の名義だった。たしか明治42年頃死去したのでおかしいなと思って昭和の地籍簿をみると横山秀麿(大観)18の2で116坪、19は300坪となっていた。今の横山大観記念館のと同じだろう。10年ほど前に大観記念館でこの件を質問したら中から怪訝そうに男性が現れ浅田正文から購入した部分に茶室があったという。今は庭園となっている。

 台東区の郷土資料室に横山大観と近親の人々 長尾政寛著というのがあった。パラパラ読みしたら、横山大観の祖父酒井喜が内田弥太郎から測量技術を学んだようだ。明治になって、大観の父が測量技師となって家計を助けたようだ。明治期まだ画家では生活ができる人は少なかった。後に測量技師から画家となった本多錦吉郎の絵が府中市の美術館にあることを知っていたがようやく見に行った。本多という画家の解説は普通の解説で福神漬から見ると彼の苦闘の団団珍聞・ジョサイア・コンドルとの交流などが見えない。コンドルの英文の本の挿絵は本多が書いたものである。日本庭園の解説本であり、出版社はDANDASNNSYAだった。この件はあまり知られていない。

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勝海舟記念館で思い出して

2019年10月04日 | 福神漬

勝海舟の記念館が9月に開業して、そこに見に行って海舟の父の小吉の(夢酔独言)を思い出した。海舟が少年のころ犬に急所をかまれたことがあった。(天保2年)この頃小普請長井五右衛門の名前が出てきた。天保9年7月27日家督相続許可える。小普請組長井五右衛門支配。ここで勝麟太郎となる。

 平子龍先生遺事と言う文献がある。これは勝小吉が師事した平山行蔵のことで文政の三蔵(間宮林蔵・近藤重蔵)の一人である。しかし勝子吉はこの文の中でまだ長井五右衛門が平山行蔵の弟子として有名な相馬大作を逮捕したということは書かれていない。(鶯亭金升日記・岩手県史)特に岩手県史では長井がワイロをもらって相馬大作を捕まえたという。武芸に秀でていた相馬大作は抵抗することもなく逮捕され処刑されたという。

大日本近世史史料 柳営補任 7巻 2 110頁

 長井五右衛門昌純 文政8年12月24日 御先手加役より小普請へ

          天保9年10月24日卒(死去)

 これで文献上、勝子吉の夢酔独言の長井は一致する。このことは鶯亭金升は知っているとは思えない。

 

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子供に嘘つかせる政治家2%

2019年10月03日 | 宅老のグチ

今日から始まる消費税改定は子供にも親から2%のため嘘をつかせる。店内で飲食すれば10%になるため、マクドナルトのような持ち帰ることのできる食品は8%と申告し店内飲食(10%)となる。この政策は政治家が有権者をごまかすための政策で小さな商店を守るということだった。実際この目論見でレジスターを買い替えなければならなくなったところが多いようだ。さらにポイント制度で対応のできない商店もあるようだ。次は2023年のインボイス制度だろう。これで小商店は継続の是非を判断し、戦後の商店の歴史の一時代が終わる。

 この前我孫子の同業者へ行ったとき、廃業の理由として後継者問題と表示問題、HCCP問題で対応ができないとあった。利益が縮小しているときに売り上げが見込める設備投資でなく税だけのの投資はできない。またこだわりが消える。

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70歳から始まる都のシルバ-パス

2019年10月01日 | 宅老のグチ

今日から消費税が10%になったが8%のもある。今の税収と高齢者の急増が見える2025年になれば、多くの男性が75歳となり、健康寿命が消え、介護の必要となる。そうなると現行の政策・制度を維持する仕組みが耐えられない。この辺りはすでに財務省の中では検討・研究をしていると思うがうっかり漏れた2000万円でより隠されるようになるだろう。次の消費税は6年後か改定時期か。

 今の予算でどんどん増えているのが介護・医療費で20年以上前から周知の事ながら役所の2年で担当が変わることで無責任に先送りされた。政治の世界も選挙で不人気な増税を語ることなく、消費税先送りを公約としている政党が多すぎる。無駄な医療費が多いのに議員はしがらみで口にすることもできず今に至る。その間にも先送りされたことが天災・台風で不都合な事実が明らかとなる。不人気な政策を口にし、実行する政治家が消えた。団塊の世代が75になれば不都合なことが目立ちすぎ世間は騒ぐだろう。高齢男性は切れやすく、一時は社会を指導していたので時代が変化しているのについてゆくこともなく阻害する行動をとることとなる。

 この予想が外れることを祈るが多分当たるだろう。なぜなら高齢者の肉体の衰えと金銭の偏在はまちまちでさらに価値観がまたバラバラで平均となるさらに見えない。AI分析でやっても突然変化する。それは親族縁者の死というものである。自分より若い人がどんどん死んでゆく知らせを聞くと死を意識するようになる。最近ガンという言葉で悩んでいる人に伝える。高齢者のガンは寝たきりより良いと伝える。ガンは治る見込みがあるが寝たきりは希望がないとずっと寝たきり。行動が制限される高齢者の希望はシルバ-パスしかない。本日は東京都の新規70歳のシルバ-パスで混んでいる。

今日のTVショッピングで昨日まで8%で煽っていたのに、今日はその分特別値引きと言って煽っていた。電波テキヤと政府に騙されるな。合法的な消費のあおり行為は誰も阻止するする人はいない。前回は騙された消費者が経済成長を止めた。不都合・不便だが消費税は毎年1%と上げ、その分緩和で所得税・法人税等を減税するほうが良い。さらに会社で天引きされる税等も個人申告にして会社の負担を減らさないと国際的な競争に負ける気がする。個人の納税もソフトの充実と電子申告が進めば済むことである。

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